第40話

文字数 2,099文字

” 家の前に来てる、ちょっと話したい ”

 純季からそんなメッセージが来ていたことに気がついたのは、母と久しぶりに一緒に夕食の準備をしていたときだった。着信の時間が二十分も前だったから、私は母に友達が来てるみたいと言い、駆け出すように慌てて玄関を出た。

 家の前と言われても、家の前のどのあたりにいるのか、そこを確認しておくべきだったかなと思いながら、それくらいメッセージに残しておけという思いも頭に浮かんだ。そのせいで、私は少しいらいらした心のまま外を見回した。すると、隣の棟との間にある中庭のようなスペースに置かれた古いベンチに、純季が一人遠くを見つめながら座っているのを見つけた。

 意識が彼方へと向けられた純季の姿は、放っておけば身体ごと夜の闇の中へ吸い込まれてしまいそうなほど、危ういバランスでぎりぎりの形を保っていた。私は駆け足で純季のもとへ行き、いきなりどうしたのと声を掛けた。もっと色々、掛けるべき言葉や掛けたい言葉はあったはずだけど、まず口をついて出てきたのは、そのセリフだった。

 純季は私の言葉に、まるで音声に反応して動く人形か何かのように、丸めていた背筋をすっと伸ばした。そして私の方へ顔を向けると、あぁ、とだけ言った。

「いきなりメッセージ送ってきて、驚いたんだけど。あんたの家は姪浜でしょ、ここまでわざわざ来たの?というかどうして私の住んでる場所がわかったの。住所なんて教えた覚えないんだけど」

 矢継ぎ早にそう問いかける私に少し困惑したのか、純季は何か考えるように視線を左右に行き来させながら、とりあえず座ってと、彼の隣のスペースを私に勧めた。私が言われたとおりそこに座ると、彼は少し落ち着いたのか、小さく息を吐いてから、言った。

「驚かせたなら悪かった。ちょっと話しておきたいことがあって」

 そう話した純季は、酷く憔悴していた。いつもの彼なら、たとえ自分のことであってもどこか他人事のように冷めた表情で話をするのにと、私は心配になって彼の顔を覗き込んだ。

 そんな私に純季は少しだけ目を向けてから、すぐにまた俯いて地面に視線を這わせた。

「いきなり来て悪かった。住んでる場所がわかったのは、別に後をつけたとかそういうことじゃなくて、舞衣のいつもの行動とか会話から推測したんだ。ほら、半年の定期券を買えるようなまとまった金が無いとか、距離とか値段的に、定期券にしてもしなくてもそう変わらないから、毎回五千円くらいチャージして、足りなくなったらまたチャージしてを繰り返してるとか、一番近所にある八百屋が、かなりグロテスクな見た目になってる野菜を見切り品にして売ってるとか、そんなこと言ってたろ。だから、バスの運賃区間や定期券の値段を調べて、大まかなバス停の候補を絞って、あとは会話の中に出てくる例の八百屋とか、その他特徴のある店とか建物なんかを探して、どうにか辿り着いたんだよ」

 しゃべり終えて、純季は小さく息を吐いた。私が何気なく話していた会話の内容を、よくそこまで覚えていたものだ。しかもそこから家の場所まで特定したのか、この男は。正直、後をつけられるより怖い。

 私は純季のストーカーにも似た行動に内心身震いしたけれど、それを問い詰めることすら躊躇われるほど、純季は疲れ切っていた。

「新が警察に行った」

 力なく地面を見る純季が、絞り出すようにそんなことを言った。

「新?」

 聞き覚えのある名前だった、つい最近聞いた名前だった気がするけれど、思い出せない。私は尋ねるようにその名前を復唱した。

「ほら、舘岡先輩の病院に行った時に、病室のドアの前で少しだけ会った生徒」

 どこか虚ろな表情のまま、純季は力なく言った。そこまで言われて、漸く私は純季と二人で舘岡先輩を尋ねた時に、先輩の病室のドアの前で出会った男子生徒のことを思い出した。

 向こうがドアを開けたその一瞬しか顔を会わせていないから、新の顔は朧気どころかほとんど覚えていない。舘岡先輩と仲の良かった二年生の生徒で、一年生の頃は純季とも同じクラスだったという話をしていたような。フルネームは、確か澁澤新。

 舘岡先輩の病室にいた、新のお姉さんである橘花さんという看護師さんのほうが、正直強く記憶に残っている。

「えっと、ごめん、新って子のことは思い出した。でも彼が、警察に行った?それってどういう意味?」

 また、続けざまに幾つも質問をしてしまった。相手が消化するのに困るほど質問を浴びせてしまうのは、私の悪い癖だった。けれど純季は、憔悴しきった目で私からの問いに答えようと口を開いた。

「舘岡先輩が屋上から落ちたの、あれは自作自演だ。舘岡先輩と、新の」

「自作自演?」

 純季の口から出た意外な言葉に、私は問い返すように自作自演の言葉を繰り返した。

「舘岡先輩が自分で、屋上から飛び降りたっていうこと?でも・・・」

 いくつも聞き返したいことがあって、すぐに言葉が出てこなかった。純季は私の様子を察したのか、口を開いた。

「殴られた痕跡とか、SNSの投稿とか、色々気になるところがあるよな、説明する」

 純季は一度背筋を伸ばしてから、私の方へ身体を向けた。
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