第22話

文字数 1,705文字

「今日さ、学校終わったらここ集合な」

 俊が示したのは、脇山口の交差点にあるラーメン屋だった。秀治は行ったことがなかったけれど、通学路の途中にある緑と臙脂と黒のストライプの店構えは意識しなくても記憶に刷り込まれてしまう。

「学校終わったらって、克己は部活あるだろ」

 秀治は、俊を通じて知り合った別の生徒の名を口にした。浜村克己は野球部に所属していて、入部したての一年生ながら、中心選手として部の期待を受けているらしい。以前の秀治なら絶対に交わることの無いような生徒であるという点では、俊と同じだった。

「今日は早めに終われるって、だから六時、六時に集合で」

 健も塾のない日だからと俊は言った。伊野瀬健は学年でも上位に入る成績を上げる生徒で、俊や克己とは少し毛色の違う生徒だった。意識的にか、無意識的にか、いつも一段高い位置から物事を見ているような態度にはあまり好感が持てなかったけれど、こういう類の人間とも縁が出来るのは、それはそれで楽しくはあった。

「全員で、えっと、八人くらいになるから」

 俊は秀治の知らない女子生徒の名前を数人挙げた。

「女子も来るのかよ」

「当たり前じゃん、男四人でなんか楽しいことなんてあんの?あ、女子苦手とか」

 俊は屈託の無い笑顔でそう言い、秀治の頭を軽く掴んで、左右に振った。

「秀治って、そっちの方苦手そうだもんな。あ、ちなみに三橋も呼んでるから」

 俊は確信犯めいた表情でそう言うと、誂うように秀治の顔を覗き込んだ。三橋沙織は同じクラスにいる女子生徒のことだ。秀治が彼女を意識していることを、俊は鋭く嗅ぎ取っていた。そういう相手の秘めておきたい事情まで嗅ぎつけてしまう俊の能力は、ある意味敬意を評したくなるほどだ。

「みんなでラーメン喰うの?」

 真顔で、少し戸惑った様子でそう尋ねた秀治の言葉に、俊は遠慮なく声を上げて笑った。

「いや、そんなわけないじゃん。何一つ楽しくないだろ、それ。とりあえずそこに集まるだけ、集まったら俺が連れてくから」

 そう言うと、俊は改めて、はみ出しそうなほど大きく目を開いて秀治の方に顔を近づけた。

「来るよな?」

 来ないなんて、言うわけがない、そんなことわかりきっている。そう言いたげな視線だった。

「あ、あぁ」

 ためらいがちに、秀治は中途半端な返事をした。俊の狙い通りに答えるのも癪だったし、それ以上に、三橋の話題を持ち出されたことへの恥じらいと苛立ちとが綯い交ぜになった感情を落ち着けることに集中しなければならなかったせいで、そんな応答になってしまった。俊はそれを了解と受け取り、遅れるなよと言い残して秀治のもとを離れていった。

 秀治の心は、まるで何かの暗示をかけられたかのように、治まる気配のないざわつきに支配された。友人と放課後どこかに、なんて経験は秀治の貧相な過去の中には見当たらなかったし、そこに女子が入ってくるなんて、想像したことすらなかった。まともに目を見て話す勇気もないのに、そんな場所に自分が入り込めるわけがない。

 鳥肌が立つような嫌な震えを胸や脇腹のあたりに感じながら、秀治は俊が撒き餌のように目の前に放り投げた三橋沙織の名を、喉から胸のあたりで反芻するように思い返した。

 俊の誘いを無視して逃げ出したい気持ちと、それに応じてみたい欲求との間で揺れる秀治を一層ぶれさせる変数。三橋沙織はそういう存在だった。

 二列前の左の窓際で、一人本を広げる三橋のすっと伸びた背筋は、しっかりアイロンがかけられた制服の白さと相俟って、騒々しい教室の中でそこだけ違う世界が存在しているのかと見紛うほどに、彼女の清々しい存在を顕示していた。

 こうして遠くから眺めるだけで十分だし、精一杯だ。いきなり会って話ができる機会が巡ってきたとしても、それは秀治にとってチャンスでもなんでもない。三橋の前で無様に黙り込んで、回らない頭を抱えるにちがいなかった。

 俊は秀治のそんな姿を見て、そしてそれをあざ笑いたかったんじゃないか。そんなことすら想像してしまった秀治は、とても今日の誘いにはのれないと確信して、黙って家に帰ることにした。未練は残るけれど、そう決めたら少し落ち着いた。
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