第28話

文字数 2,751文字

「もう開けてる?」

 店の入り口の方から、女性の声がした。その後ろで、数人の男女が店の中を覗き込むようにしていた。

「開いてるよ、どうぞ」

 秀治達の注文を捌く傍らで、みのりは入り口でかたまる客たちを店の中へ招いた。

「何人?席足りないかも。空いてるところに適当に座っといて」

 客を相手に親し気に話しかける様子から、知り合いなのだろうかと秀治は客たちの方へ目をやった。

「ほんとにお店やってるんだ…」

 最初に店先から声を掛けてきた女性とは別の女性が、店内を見まわしながら感心したようにそう呟いた。

「みのりが経営してんの?」

 その後ろに続いて入ってきた男性客が、どこか探るような眼をみのりに向けながら、尋ねた。

「残念ながら、母親のやってるカフェを夜の時間に間借りしてるだけ。だから厳密にいえば、経営の練習かな」

「それでも経営の実践してるってことには変わりないよ。自分の店を持つのが目標って、みのり言ってたし、すごいなぁ」

 店の様子に感心していた女性が、少し高い位置に吊り下げられたミモザを指の先で遊ばせながら、ため息混じりに言った。

 店に入ってきた客は男女合わせて四人、大学生か、社会人か、見た目では判断し辛かったけれど、まだ夕方のこの時間に私服でいるのだから、たぶん学生だろう。

 最初に店の先で声を掛けてきた女性は、みのりと同じくらいすらりと背が高く、肩まで伸ばした髪の中に色白の顔が納まっていた。その細く切れた眉と力強い視線が、雄弁に彼女の芯の強さを物語っていた。

 その後ろから、もう一人、相変わらず店のインテリアに使われているドライフラワーを忙しなく触っている小柄な女性は、それにも飽きたのか、誰よりも早く秀治達の隣のソファ席に腰を下ろした。背が低く童顔なせいか、私服でなければ秀治達よりも年下に見えてしまいそうだった。

 残り二人はいずれも男性だった。経営の話を振ってきた男性の方は、さっきから店の内装や酒の品揃えまで、嘗め回すようにじっと視線を向けていた。残り一人の男性は、やや上背があるものの、穏やかな、悪く言えばどこか抜けたような表情で、ぼんやりと店やみのりたちのことを見ていた。

 店に最初に入ってきた気の強そうな女性が、みのりと何ごとか楽しそうに談笑し、他の二人が早々とソファに腰掛けているにもかかわらず、彼だけはみのりたちの話が終わるのを待っているかのように、その場でじっと立っていた。そんな彼と秀治は視線が合ってしまった。目を細めて小さく会釈した相手に、慌てて会釈を返した。

「あれ、高校生?」

 ソファに腰掛けていた方の女性が、秀治達の方へ何の気なしに視線を向け、少し驚いたように声を上げた。

「うん、私の従弟と友達、秘密にしててね」

 気まずそうにしながらも、それほど大したことではないかのようにみのりは言った。

「こいつらね、大学の友達。ゼミが一緒で、今日は時間があったから招待したんだ」

「こいつら呼ばわりですか」

 みのりと親し気に話していた例の気の強そうな女性が、苦笑しながらカウンター席に腰を下ろした。

「初めまして、玖村絵理沙です。みのりとは経営学系のゼミの仲間です。よろしく」

 玖村絵理沙は自己紹介した。気持ちの良いくらい良く通る声は、否が応でも耳に入り込んでくる。

「そっちにいる三人も、おんなじゼミの奴ら。もう座ってくつろいでる子が、西出優紀」

「よろしくぅ」

 絵理沙に紹介された優紀は、楽しそうにこちらに手を振ってきた。余計に子供っぽさが強調された。

「そのとなりにいる男二人、ちっちゃい方が野村律人で、大きい方が吉岡龍勢」

「絵理沙の紹介の仕方も大概だろ」

 そう言ったのは、小っちゃい方と紹介された野村律人だった。彼は、どうも、と言って小さく秀治達に手を振った。大きい方の吉岡龍勢は、何も言葉を発することなく、笑顔のまま黙って会釈をした。

「すごいね、学生なのに自分のお店持ってるなんて」

 無邪気に身体を揺すりながら、優紀はさっきから何度も店の中をきょろきょろと見まわしている。

「いやだから、さっきも言ったけど、ここは残念ながら私の店じゃないの。親の店を夜だけ借りて、お店の経営の真似ごとしてるだけ」

「それだけでも大したもんでしょ、自分の店を持つことが目標なんだし、着実にステップアップしてる」

 絵理沙がカウンター席のテーブルに寄りかかりながら言った。その手には、いつの間にかグラスが握られていた。

「で、今日高校生に酒を飲ませた罪で、その夢が脆くも崩れ去るわけね」

 律人がふざけたような、けれど冗談とも言い切れないような口調で言った。

「律人が言うと冗談にならないね。はい、メニュー、でも絵理沙はビールだよね」

 みのりがカウンターの向こうから差し出したメニュー表を、龍勢が何も言わずに笑顔のまま受け取り、テーブル席の仲間に手渡した。

「皆さん、大学生なんですね。大学名とか、聞いても大丈夫ですか?」

 梨沙が、すぐ近くにいた優紀に向かってそう問いかけた。まだ出会ったばかりなのに、しかも年上の人間相手に、梨沙は臆する様子もなくそう言った。秀治には決して真似できないし、理解もできない距離の詰め方だった。

「うん、全然大丈夫。私たちK大の経済学部経営学科」

 優紀の子供のように無邪気な応答に、梨沙や、好き勝手に喋っていた俊たちが色めき立った。自分達は一応は県内一の進学校に通う学生だ。多少なりともその自覚のある俊たちにとって、優紀の口にしたK大学はある意味絶対的な進学先であり、そこに合格できないことは大げさでなく一生の傷になりかねない。俊たちはまだ入学したばかりだけれど、すでにそんな意識を内面化していた。

「俺らも、君等と同じ高校の出身だよ」

 律人が会話に割って入った。

「あ、そうなんですね」

 いつの間にかイスを持ち込んで話の輪に加わっていた俊が言った。克己もその後ろで、会話の中に入ろうとしていた。健すら、気がつけば隣のテーブルに移動していた。

 秀治だけが、どこか他人事のように彼らの様子を遠巻きに見ていた。入学したばかりで次の進路の事など考えられないし、そもそも自分に次の進路なんてあるとは思えなかった。敢えて進路というなら、何か仕事に就くことだろうか。それにしたって、どんな仕事に就くのか、具体的なイメージがあるわけでもない。金を稼ぐしかないだろうと漠然と思っている程度だった。

 ただ、そうやって現状を遠巻きに見ているのは、どうやら秀治一人だけのようだった。梨沙をはじめとした女子生徒のグループ、そして沙織すらも、落ち着きなく学生たちの方へ目をやっていた。

 岸から離れる船を一人見送るような心持ちの秀治。離れゆく船を見送りはしないし、船からも誰も秀治に手を振りはしない。言うなればそんな状況だった。
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