第23話

文字数 2,008文字

 そうやって、今日も一日をやり過ごして、放課後がやってきた。どうせ俊の誘いにはついていかないことにしていたのだから、そのまま帰ってもよかったのだけれど、どういうわけかその日は何もせずに家路につくのが惜しく思えた。

 ふと秀治は、部活動の見学に行こうと雄樹にも誘われていたことを思い出した。そちらに行っても良かったはずなのに、秀治は記憶の中から立ち上がってきたそれを、意識的に忘れようと努めた。

 色々と騒がしい心を鎮めるために、秀治は学校の図書室に行くことにした。この学校の図書室を訪れるのは初めてだ。特別本が好きというわけでは無いけれど、落ち着けそうな場所を想像して、真っ先に思い浮かんだのが図書室だった。本音を言えば、そこに行けば三橋がいるかもしれないという下心があったからなのだけれど。

 高校の図書館は、教室の詰め込まれた校舎とは別棟になっていて、図書室と言う言葉では収まりきれない規模のものだった。上級生も教師も、ここのことを図書室ではなく図書館と読んでいる。それはあながち、ただの言い間違いでは無いのかもしれない。秀治の背丈の遥か上までそびえる書棚がいくつも立ち並ぶ本の森を前にして、秀治は自分も今日からここを図書館と呼ぼうと思った。

 図書室は、部屋全体のレイアウトも地域の図書館を連想させるもので、入り口付近のエントランスは比較的広く取られ、そこに円卓が四台配置されていた。それぞれに椅子は四脚ずつ。その向こうに六人程度が利用できる長方形の机が数台配置されている。手前の円卓は生徒のディスカッション用、奥の机は読書用だと、ガイダンスのときに説明を受けたような気がする。もう少しちゃんと聞いておけば良かったと少し後悔したけれど、それもすぐに記憶の川の流れに従って消えていった。

 円卓と長机の間には、二つの空間を仕切るように背の低い書棚が数台置かれ、両面に文庫サイズの本がぎっちりと詰め込まれていた。とりあえず手に取るには丁度いい大きさと内容の本ばかりで、お世辞にも読書家とは言えない秀治も手が出しやすそうだった。

 本の森は、部屋の奥の方に広がっていた。かなりの奥行きを持った空間に、詰め込める限りの本を詰め込んだ書棚が、計画的に植樹された木々のように整然と並んでいた。書棚と書棚の感覚は、人間同士が辛うじてすれ違える程度の狭いものだった。エントランス部分のスペースを広く取るくらいなら、書棚の間隔をもう少し広げた方が良かったのにと秀治は思った。

 部屋の右隅には、ほとんど梯子と言ってもいいくらいの急な階段があり、それを昇った先にロフトのような空間があった。下の書棚が配された部分を覆い隠すくらいまで張り出したロフト空間には、同様に書棚がいくつも置かれている。

 ロフトのような空間だから、正確には上の階、下の階と表現するのは正しくないのかもしれないけれど、それ以外に言いようが無い。その下の階部分に比べ、ロフトの上は天井ギリギリまで書棚が近づいていて、照明も電気代節約のため常時切られている。そのせいで、一層暗い森の奥を連想させた。

 見ているだけでも目が回りそうな本の数に、秀治は最初近づくことすら躊躇した。けれど、図書館の入り口で何をするでもなく立ち尽くしている秀治の方へ、数人ほどいた生徒達の訝しむような視線が集まり始めたことに気がついて、そこから逃げるように図書館の奥の方へ進んでいった。

 間近に見る書棚の構えは、少し離れた場所から見たそれよりもどっしりと幅広で、側板は床に向かってわずかに膨らんでいるように見えた。それらと、ロフトのように突き出した上部階の床部分との間には僅かな隙間しか無く、まるで書棚たちが宙に浮くように張り出した上部構造を支えているように見えた。

 書棚そのものは合板にニスを塗って仕上げただけの簡素な造りで、それほど値の張るような代物ではなさそうだ。ただ、大量の本をしまっておくには十分に信頼を置けそうな重厚さが頼もしかった。そんな書棚達が作る林の中を奥深く分け入り、秀治は一番奥まで辿り着いた。

 部屋の奥は壁一面に書棚が埋め込まれるように配置され、そこに収められているのは世界各国の文学作品やその評論に関する書籍だった。いずれにしても、秀治には縁遠い類いの本ばかりだった。それでもここまで分け入ってきたのは、他の生徒たちの好奇の眼を避けるためだった。

 自分はここにいるだけでも違和感を抱かれている。などと思うのは秀治の考えすぎかもしれないけれど、真面目に本を読んだり、勉強に励んだりしている連中の視線を正面から受けるのは、中々辛かった。

 壁伝いに配置された書棚と、それに対して垂直方向に置かれた書棚との間の狭い通路に入り込んで、秀治が一息ついていると、ふとその先に誰かがいることに気が付いた。

 相手も、秀治がいることに気が付いたのか、ゆっくりとこちらの方を向いた。三橋沙織だった。
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