第5話

文字数 2,334文字

 舘岡先輩が搬送されたのは、高校の近くにある総合病院だった。

 杏との会話の中でそれとなく口にした病院のことを、彼女はいつの間にか同級生達に聞いて周り、回答を私に持ち帰って来てくれた。純季も最初から杏に頼めばよかったんじゃないかと不満に思いながら、私は放課後の生徒玄関で純季に病そのことを伝えた。

「その病院なら、ここからでも歩いて行けるな、ありがとな」

 そう言って、例のごとく彼はあっさりと私の前から退散しようとした。

「待ちなさい、それだけ?結構大変だったんだよ、この話聞きだすの」

 私が聞きだしたわけじゃない、殆ど杏の手柄だ。でも純季のあまりに素っ気無い態度に軽い苛立ちを覚えた私は、もっと他に言うことはないのと彼に詰め寄った。杏だって、こんなおざなりな返事では浮かばれないはずだ、なんて理屈で自分を正当化した。

「あぁっと、そうだな・・・、うん、何ていうか、ありがと」

 純季は気まずそうにしながら、短くお礼を言った。彼が自分の気持ちを表に出すのが極端に苦手であることを、私は知っている。知った上で、それでも容赦せずに彼の次の言葉を待った。白状すれば、いつも冷めている純季の困惑顔を見るのが愉快だった、という気持ちも少しだけあった。

 案の定、純季は私が不満そうな表情を見せているのに気付いたのか、切れ長の目の奥で、アンバーに近い薄茶色の瞳が不規則に泳いだ。彼は酸素を求めて水面に浮き上がる魚のように口を動かして、弁解の言葉を吐いた。

「いや、そのなんていうか・・・。世話掛けたなっていうか、面倒な事させて悪かったと言うか」

「うん、確かに面倒だった。私だって、あんたと同じ位人付き合い苦手なんだよ。知ってるでしょ?」

 人付き合いは苦手だ、だが今回は何もしていない。全て杏に任せて、私は彼女から情報が上がって来るのを待っていただけだ。

 でもそのことは敢えて伏せ、もう少しだけ純季で遊ぼうと思った。彼はいよいよ困惑した様子で、時折顔を横に向けながら、必死に言葉を探しているようだった。段々とその様子が気の毒に思えてきて、私はここらでやめてやろうと思った。

「いいよ、冗談。怒ってないから安心して」

 早良総合病院でしょ、早く行こう。そう言って、私は上履きから靴に履き替え、校舎から出た。そのあとをカツカツと純季がついてくるのがわかった。地面と靴底が擦れる音が、普段より心なしか大きい気がした。

 正門で弓道部の生徒達に出くわし、私は無意識に身を隠す場所を探した。残念ながらそんな場所は、正門前の広場にはなく、私の周りには教員のものと思しき数台の自動車と、少し離れて私の後を追う純季しかいなかった。

 仕方なく、私は出来るだけ注意深く弓道部員達を観察したが、幸いその中に杏の姿はなかった。後ろから付いてくる純季の姿を見られでもすれば、明日は学校で何を言われるかわかったものではない。

 ただ、杏は噂好きではあるけれど、自分から不用意に噂を広めることはしない、私に関わる事なら尚更だ。そう信じている。

 学校の正門を左へ出て、私は海の見える方角へ向かって歩きだした。その後ろを少し離れて、純季がついてくる。

 数人の生徒が固まって私の前を歩いている。歩道いっぱいに広がって駄弁っている連中の隙間を縫って、私は彼らの前へ出た。そこでちょうど、隣接する大学の正門から吐き出される学生の群れとかち合った。私は数人の学生とぶつかりながらどうにかその波をやり過ごした。

 一旦道の端へ避け、後ろを振り返ると、純季が人の波を分けいって進む姿が見えた。思いのほか不器用に人と人の間で右往左往する純季の要領の悪さに、私は笑いを堪えて顔を逸らした。

 それからしばらく、進行方向へ目をやって林立するビルやマンションを見ていた。育ち過ぎた雑草のような高層建築の連なりが、その先に広がる空を私の視界から奪っていた。

 純季がその視界の端から少し疲れた様子で現れた。私は彼が追いついて来た事を確認すると、何も言わずまた歩き出した。その時何故だか、さっき見た人混みの中での純季の姿が目に浮かんだ。

 いつも通りの仏頂面のくせに、人間の波に呑まれそうになっている時のその目線のうろたえようは、別人のようでなんだか滑稽だった。私は笑みを殺すように俯いた。

「ん?・・・」

 純季が私の顔を覗き込むようにしてこちらを見たが、何でもないと誤魔化した。純季は少し気にするような顔をしたけれど、無視した。

 大学の側を通り過ぎたところで、私達は広い交差点に出た。横断歩道の向こうには、やや割高な値段設定のスーパーマーケットが見える。海岸沿いのこの地域には、高層マンションや高級な一戸建てが立ち並び、市内でも比較的所得の高い人達が住んでいる。小洒落た家々の立ち並ぶ様は壮観ですらある。

 純季と私は横断歩道を渡り、街のシンボルである巨大なタワーの聳える方へ向かって歩いた。

「あの病院・・・」

 純季は向かって斜め前に見える、5階建てで清潔感のある白壁の建物を顎で示した。

「早良総合病院、壁を塗り替えたんだな」

 独り言のように純季は言った。彼の視線は私の方へ向けられていた。今の言葉になにかしらの応答を求めているようだった。

 そんなことを求められても、私の普段の通学路はこちら側とは正反対の方向だし、この近くにある大きな図書館に立ち寄る時ぐらいしか海の方角へ歩くことは無かった。だから早良総合病院がどんな建物であったのかもあまり記憶にない。

 色を塗り替えようが、建て増しをしようが、私にはそれ以前の建物の記憶すらおぼろげで、感想を求められても困る。けれど純季は中々その視線を外そうとはせず、私の応答を待っているようだった。仕方なく私はそうだねとだけ答えた。
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