第9話 嫉妬

文字数 4,098文字

 メイファムの歌が終わったあと、四人で食事をしようとリアラが言い出したが、ユルはお腹がすいていないから、と断った。
 レイサルもリアラとメイファムに遠慮して、ユルと宿の部屋へと戻った。
 
 ユルは部屋に戻ると、ごろんとベッドへと寝転ぶ。
 なんだか、疲れた。ふうと大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせようとするけれど、頭の中では嫌な事ばかり考えている。
 リアラがメイファムと食事をしているということに、少し嫉妬も覚えるが、自分ではリアラを幸せにはできないことは分かっていた。ユルは占い師としての生き方しかできないし、それはこんな田舎の村では生活ができないからだ。
 でもそれはメイファムだって一緒だ。メイファムは吟遊詩人以外の生き方なんて、きっとできないだろう。
 それでも心は乱れて、リアラへの想いに苦しむ。

 メイファムがリアラと食事を終えて、部屋に戻ってきたころには、ユルはベッドに寝ていた。
 ユルが寝込んでいるのかと思って、メイファムは静かに寝間着に着替えようと荷物を解いていると、ユルは身体の向きをくるりと変えて、彼の目を見た。

「あ、悪い。起こしたか?」
 
 申し訳なさそうにユルに言うが、それさえも今のユルには癇に障る。

「別に。寝られなかっただけです」

 ユルの言葉には険がこもっていた。

「ベッドに入っても考えてしまうんです」
「何を?」

 何かただならぬものを感じて手を止めると、メイファムもユルを見た。

「わたしは貴方が羨ましい」

 ベッドから身をおこし、メイファムから視線をそらせた。
 メイファムは突然ユルがそんなことを言う理由が、さっぱり分からない。

「メイファム、貴方はいつもわたしにはとても手の届かない場所にいる。仕事だって半刻も歌えば一日仕事をしているわたしの倍はかせぐ」

 ユルの言葉にはくぐもった敵意があった。

「それは……」

 メイファムが何か言う前に、ユルはさらに声を大きくしてメイファムに言い募った。

「どうしてリアラが最初、わたしにパンをもってきたのか、分かりますか?」
「それは……お前の占いの礼だろう」
「いいえ、違います。あれは……私が最初に彼女を占ったとき、あの後に貴方がわたしのところに来たからですよ。リアラはここに来て最初に歌った貴方に一目ぼれしたんでしょう。貴方の歌が終わると、すぐにわたしの店にきて好きな人とうまくいくかどうか占ってくれと言いました。あのパンの本当の目的は……リアラの目的は……わたしに礼をするという理由にかこつけて、本当は貴方に近づきたかったんです!」

 悲鳴のようなユルの声にメイファムはたじろいだ。

「ちょっと待てよ。そんなの想像だろ? リアラがそういった訳じゃないだろ?」
「でもリアラは貴方が好きだ。それはそういうことです。わたしは……」

 そこでユルの声はさらに大きくなった。

「わたしは、リアラがお礼をもってきてくれたのは、わたしの占いが役に立ったからだって、そう信じていた!」
「おい……」

 いままで見たこともないほどユルは取り乱して、感情をメイファムにぶつけてきた。

「貴方はいつもわたしの欲しいものを持っている。人気、才能、人望、お金。わたしにはとても手が届かないものを持っている! どんなに苦労しても絶対に届かない場所ってあるんですよ。どうしても「そこ」にはたどり着けないという場所が。その場所に貴方はいつもいることが出来るじゃないですか! わたしは……」

 ユルはメイファムの目から視線を逸らせた。

「貴方が憎いくらいだ」

 どんなに働いてもユルにはメイファムのように「そこ」にたどり着けない。
 歌を歌えば途端にまわりに人垣ができるような、人気、才能。そして存在感。

 言いたいことを言ってしまった。感情のままにメイファムにぶつけてしまった。
 メイファムは怒っているだろう。気性の荒い彼のことだから、殴られるかもしれない。
 そう思ってユルは彼の顔を見た。
 しかし、ユルはメイファムの顔をみたとたん、言いようのない罪悪感に襲われた。

 メイファムは傷ついている。

 しばらく沈黙が続いたあと、メイファムがぽつりと言った。

「それを俺に言って、お前は俺にどうしてほしいんだ……。俺はお前に同情なんてしない」

 どうしてほしいか……。
 何が?
 本当にどうしてほしかったのか?
 分からない。

 メイファムの傷ついた顔を見ていられず、ユルは部屋を飛び出した。



 レイサルは大浴場で湯を浴びたあと、さっぱりした気分で自室へ戻ろうとした。
 大浴場は一階にあり、食堂の前を通らなければならなかった。
 そこでレイサルは意外なものを見てしまったのだ。

 黒光りした木でできた、四人掛けのテーブルと椅子、そこに見慣れた一人の影があった。
 他に人はいない。
 そして、その人物がくゆらす紙煙草の紫煙が、ゆっくりと立ち上っている。

「メイファムさん……」
 
 以前、喉には悪いから煙草は吸わないって言っていたのに。
 その姿がなんだかいつもと違うと感じたレイサルは、食堂に入り、メイファムのもとまで歩いた。メイファムはレイサルを見とめると、視線を外す。

「どうしたんですか? 煙草は吸わないって言ってたのに。何かあったんですか?」
「まあな、泥棒にハープを盗られたり、他にも色々あったりしたからな、たまには気分転換だよ。ここにいたら偶然タバコを貰ったんだ」
 
 ユルと何かあったのだろうか。レイサルはとっさにそう思った。

「なあ、レイサル」
「なんですか」

 メイファムは短くなった煙草を灰皿でもみ消すと、もう一本の煙草を指でもてあそんだ。

「俺はあいつのこと、尊敬してんだ」

『あいつ』とはユルのことだろうとレイサルは察しがついた。
 何があったかは分からないが、自分からメイファムの元へきてしまった手前、引き返すわけにもいかない。

「どういうところですか?」

「そりゃ、俺にはないものをもってるからだよ。無駄に金は使わない、真面目で堅実。なあ、あいつの占いって外れないんだぜ。それってどういうことか分かるか? 不幸な未来が待っている相手だっているってことだ。そういうときでもあいつは客に嘘をついて心を軽くしてやる。気休めでもなんでもいいんだ。色んな人の話を聞いて、心を軽くしてやる。それってすごいよな」

 レイサルは黙って聞いていた。

「俺にはとても真似できない」

 メイファムは手でもてあそんでいた煙草にマッチを擦って火をつける。最初の一口を大きく肺に吸い込んで目を細めて紫煙を吐きだした。

「どうして伝わらないんだろうな。お互いに不器用すぎて笑える」

 そんなことを言うメイファムだが、ちっとも笑ってはいなかった。

「尊敬してる相手だから同情なんてしない。ユルの境遇が悪くても、あいつはそれで一生懸命生きているんだ。それを見て「かわいそう」って思うのって、失礼じゃねえ?」
「……そういう考え方もありますね」
「お前のこともな。最初はおしゃべりな変な奴だと思ってた。でも俺よりずっと若いのに芸で身を立てているんだ、尊敬するよ」

 煙草を灰皿に押し付けてもみ消すと、メイファムは席をたった。

「メイファムさん……」
「もう寝る。じゃあな」

 残されたレイサルは暫くそこにたたずんでいた。

 尊敬する――

 今までだれにもそんなことを言われたことがなかった。
 そして、その言葉は、何だかとても心地いい響きでレイサルの中に落ち、心を満たした。



 夜の街へ飛び出してきてしまったユルは、それから宿のそばの酒場に入った。
 安い酒を注文し、カウンターについて飲み始める。
 久しぶりに飲んだ酒の味は、苦くてちっとも美味しくはなかった。

『俺にどうしてほしいんだ』

 メイファムの言葉を思い出す。
 メイファムに何かしてほしいから言ったことではなかった。
 嫉妬だ。
 ただの嫉妬。
 何でもできて、人気があって、リアラさえ虜にした、自分には無いものをもっていたメイファムへの。

 メイファムは何故、あんなに傷ついた顔をしたのだろう。
 傷ついたのは自分のはずなのに。
 メイファムの方が自分よりも傷ついているのではないかと思った。
 もっとも、傷つけることを言ってしまったのはユルなのだが。
『憎いくらいだ』
 と。
 感情のままに言ってしまったことが、いまさらユル自身をさいなむ。
 メイファムは何も悪くないのだから。リアラだってただメイファムに恋しただけだ。

 安酒を飲みながら溜息をつく。そんな飲みなれない酒なんてのんだって何にもならないのだけれど、分かっていて飲んでしまう。
 そして、急にメイファムに向かって感情をぶつけてしまった自分が恥ずかしくなった。
 前にも思ったとおり。
 みじめになるだけだった。

 謝ったら。
 メイファムは許してくれるだろうか。
 でもどうして自分なんかに言われたくらいでメイファムはあんなに傷ついた顔をしたのだろう。何でもできるくせに。
 ユルには最後まで分からなかった。

 窃盗犯はまだみつかっていない。
 一応警備の役人には近くの酒場で飲んでくるといい、実際、見張られているのだが、もうそろそろ戻らないと面倒なことになる。
 ユルは席をたった。
 宿の前にたつ役人の目が自分に向く。
 帰らなくては……。と思うが、どんな顔をしてメイファムに会えばいいのか分からない。
 部屋は満室で変えられないし、窃盗事件のせいで宿も変えられない。
 メイファムが起きてたら部屋には戻りたくないけれど……と思うが、そこしか帰るところはなかった。

 宿に戻り、部屋の扉をそっと開けた。
 部屋に明かりはなく、静まっていた。
 ほっと息をついて、ユルは部屋に入る。
 寝間着に着替えると、メイファムを起こさないようにそっとベッドに入った。
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