妹に対する不信感がなくなったこと

文字数 1,517文字

妹はとっとと結婚して、同じ県内の実家から少し離れたところに住んでいます。
私よりずいぶんあっさりした性格で、実家と離れたところに住んだことを「母がああいう人だから」と話していました。
「そう言えるあんたが羨ましい」と、私は心の中で呟きました。

私は結婚して、実家と目と鼻の先に住んでいます。
三度の一人暮らしをして、徐々に実家から離れたのに、です。

それが親孝行だと思っていました。
「結婚した娘が近所に住んでいて、しょっちゅう行き来している。」
「孫がよく遊びに来る」
ということが母の自慢になるだろうなあと。
喜ぶだろう、ではなく、母の人生を肯定するために、と思っていました。

母はそんなに喜んではいないのです。
人が好き、こどもが好き、と単純に言える人ではないし、あっけらかんとその場を楽しむ人でもない。いつもこうするべき、という自分の道徳に従って行動しているのだと思います。
だから、自分を肯定されることを喜び、否定されることは1ミリたりとも受け入れない。鬱陶しい……。面倒臭い人です。

実際、傍目には仲良さそうに暮らしていました。
食材やおかずを差し入れてくれたり、たまには差し入れたり、一緒にスーパーに行ったり、息子たちもしょっちゅう遊びに行きました。たくさん買い物がある日には私が車を出したり、遊びに行く父を送ったり。

傍目には、素敵な親子です。

でも、私は何度も傷付けられました。言葉で、態度で。

母から見ても、私は理想の娘ではなかったのでしょう。外向きには理想的に装うことができても、実際は母のお眼鏡に適う娘ではなかったのだと思います。

要するに、相性が悪いのです。

それでも母親なら、娘にそれを悟られないようにしてよ……と、親になった今は思います。

私は「いつかきっと」「本当はきっと」と無駄な期待をして、何度も何度も母にアプローチしました。
悩みがある時は母に話したくなり、電話をしました。聞いてなんかくれないのに。

ここ数年で、母が大きく体調を崩したことが二度ありました。
その度に、私は病院に付き添い、あちこち走り回りました。手術が必要だった時には、同意書にサインし、手術が終わるまで一人病院で待ちました。
父はゴルフに出掛けていました。

妹にそのことを報告すると、ラインで「ありがとう」とだけ返事がありました。

私は母との関係が良いわけではないのに。
こんなに色々尽くしても、結局傷付けられるのに。
妹はどう思っているか知りませんが、私には、無条件で母に好かれているように見えました。
私は、母の期待に応えなければ好きになってもらえない、と感じていました。

いつまで、私は母に好かれたくてこんなことしているんだろう……。
先のことを考えると、はらわたが煮えたぎるような気持ちになりました。

その気持ちを妹にラインで伝えました。
母との関係が良くないこと。何度も傷つけられたこと。必要最低限の関わりにしたいこと。今後なにかあったら、ちゃんと協力してほしいと。

返事はラインで「そうですよね。わかりました。」とだけ。

きっと、妹は妹で思うところがあるのでしょう。
でも、私の憤り、虚しさはドロドロと沈澱していきました。

ところが、母と距離を取ってから、妹に対するドロドロとした気持ちがなくなりました。どこかにあるのかもしれませんが、もうどうでもいい。

母の日をスルーしたことで、私もやっと「母はああいう人だから」と表現できたのだと思います。

よくわかりませんが、もしかしたら、私と母の距離と、妹と母の距離が同じくらいになったからかもしれません。
同じくらいの距離から母を見られるようになった。

今後、本格的に介護が始まったらどうなるのでしょう。

それは、私の「親離れ」の第何章になるのでしょう。

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