人の期待に応えなくてもいいと思えるようになったこと

文字数 617文字

いつからか、人の期待に応えられないことが恐怖になっていました。
なんとしても応えないと、なんなら、期待を超えるぐらいのことをして喜ばせなければ!!と自分にプレッシャーをかけていました。

人ががっかりする顔を見るのが怖いのです。

自分はいつもがっかりしてきたのに……。
なぜなんでしょうね。

仕事でも、期待を越えなければ、という思いはありました。だから「できません」が言えないのです。がんばってがんばってがんばって、自分の力以上にがんばって、結果を出す!!と働いて、ボロボロになりました。

これは性格だから、一生直らないだろうなと思っていましたが、先日、些細なことで「期待外れでもいいか」と思っている自分に気が付きました。

驚きました。

そう考えたら、そもそもその人を喜ばすのはその人自身なんです。
たまには人のために、人が喜ぶためになにかをするのも素敵です。
でも、自分がボロボロになってまですることではない。それにもしかすると、人は人に対してそんなに期待していないのかもしれません。

母の日をスルーすることが、母の期待を無視するということでした。

そもそも母は、母の日のプレゼントなんて期待していたのでしょうか。
私が母と距離を取って、母も楽になったんじゃないかな、と思うことがあります。

何を必死になっていたんだろう。
求めれば求めるほど、そんな私が疎ましくて拒絶されていたのかもしれません。


今は「期待外れな私」というフレーズが愛おしくて、気に入っています。
 
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