服を処分できたこと

文字数 1,145文字

母の日の一週間後に、先程の「出すことのない母への手紙」を書いたのですから、その頃はまだ、母への憎しみ、恨み、不満のようなドロドロとした気持ちが渦巻いていました。

それから数日後、今までどうしてもできなかった、服の断捨離を決行することができました。
母の日をスルーしたことと、服を処分できたこと。ただそのタイミングだっただけかも知れませんが、因果関係があるようにも思うのです。

服を買うたびに「また服を買ったの」と母に非難されました。また、と言われるほど買っていなかったころからです。

そう言われるたびに「あなたなんか嫌い」と言われたような気がして。

その反動か、30代、激務に追われ上手にストレスを発散することもできず、仕事終わりに夜遅くまで開いているショッピングモールの服屋さんに飛び込んで服を買う、ということを繰り返していました。

その頃に買った服や、育児のストレス解消で買ってしまった服でクローゼットはパンパン。入りきらない服が他の部屋を侵食する始末。

息子が「自分の部屋が欲しい」と言い始め、いよいよこのままではマズイと感じながらもなかなか取りかかれずにいました。

それが、やっと動けたのです。

「母を断捨離したら、服も断捨離できた!」などと夫にのたまっていました。
(本当に親不孝の罰当たり者で申し訳ありません。)

「服を買うこと」

私にとって、どういうことだったのでしょう。

母に嫌われる自分を認めたくなかった?
変身願望?
母に対する反発?

純粋に、服が好き、ということもあると思います。
服が好きって、ダメなことですか?
今なら普通に聞けるでしょうか。

そして、母の「もったいない」
その言葉が頭の中でワンワンと鳴り響いて、何が何だか、判断がつかなくなっていました。
 
物を大切にすることは素敵なことで、母はそれを実践してきました。
お金の使い方、日々の生活、そして今手にしているもの、全て尊敬できます。

私もそうなろうとしてきました。

でも、母と私は違う人間なんです。
生きる人生も、心動かされるものも、大切にしたいものも、同じではないのです。

母が悪いのでも、私が悪いのでもない。
距離が近過ぎたんだと思います。

母のようにできない私は、ダメ人間だと思ってきました。
それがしんどくてしんどくて……。

でも、よく考えたら、母ができないことで私ができたこともある。

母と違う人生を、私は私で生きていると思えたんです。

だから、離れても大丈夫って。

母の判断基準で、物事を間違えないように判断しなければ……と、ある時から強く思うようになりました。

でも、私という人間を操縦するのは、私じゃないとやっぱり上手くいかないんです。

例えその判断が失敗でも、そこから何かを学んで生きていくしかないんです。

そう思えたことで、服を処分できたんだと思います。
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