2021年 春

文字数 1,215文字

この春、息子が小学校を卒業しました。

本当なら、着慣れないスーツを着た息子を連れて顔を見せに行くところですが、息子はクラスのみんなと出かけると言うので、卒業式の写真を持って実家に向かいました。
両親は留守にしており、写真は玄関先に置いて帰りました。差し入れのデコポンも添えて。

写真の中の私は、母にもらったブローチをつけて笑っています。
母は気付くかな?あなたがつけていたブローチだよ。そのブローチをつけて、あなたの娘はあなたの孫と一緒に笑っているよ。

初めての子育て、悩みながら、失敗もしながら母親として必死にやってきました。
息子の小学校生活は、悩むことも涙することもありました。

そして今、こんなに大きくなったこと。笑顔でいられること。

一緒に喜んでほしい……。

母からは、父の携帯電話を借りて「みかんありがとう。いい写真ですね。」とメールがありました。
母は携帯電話を持っていません。束縛されるのが嫌だから、だそうです。不便だな、と思うこともありますが、それは母のポリシーなので母らしく貫いてくれればいいと思います。むしろ、そう言いながらも父の携帯電話でメールの送り方を習得して送ってみせる母が、ポップで楽しいなあと思うのです。

電話で折り返した私は、息子のことや卒業式のこと、ブローチのことなどをうれしい気持ちで伝え、「息子がかわいくて仕方ない。」と話しました。もちろん、いつもそんなふうに思っていたわけではありません。元気いっぱいな息子が手に余り、怒ってばかりだったこともありました。体の不調から、ままならないことも多い子育てでした。

しかし、それに対する母の一言は
「でも、中学生になったら変わるよ。」でした。

一瞬、目の前がグレーになるような気がして、でも、サッと心にふたをして、当たり障りのない話をして電話を切りました。

中学生のころからの親友にその話をすると「お母さん、なにか誤解してる。中学生のしおむすびはお母さんのこと好きだったし、尊敬していたよ。」と……。

寄り添ってくれる思いやりに涙がこぼれそうになりながら「あ、私は傷付いていいんだ。」と思いました。

あまり深く考えないように、傷付かないように、心にふたをする癖がついていましたが、母は「中学生になって変わったあなたをかわいいと思えなかった。」と言ったのでしょうか。それともただの一般論を、なんの気なしに話したのでしょうか。


4月に中学校に入学した息子の変化をどう受け止めればいいのか、ぶつかったり、折れたり、許したり謝ったりと模索しているうちに、ふと、母は私に対してこんなふうには考えてくれなかったんだと思いました。いら立ち、反抗する私を理解しようとはしてくれなかった。ただ、娘の変化を嫌悪したんだと。


自分が親になって親のありがたみがわかる、という話をよく聞きますが、私は、同時に親の弱さを知ることにもなりました。

あの人は、自分の弱さに向き合おうとしない。

もうしんどい、と思いました。

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