ネイティブ「アイヌ」絵馬に隠してる名前を記す

文字数 1,867文字

第二話 カミングアウトはだって、ムズイ
 リエはアイヌだからと云って特段よい事はなかった。これを二年前に亡くなったお祖母ちゃんに云うと「今の子は差別も経験しちょらんし本当に幸せもん」と呆れた顔をされた。たぶん差別や偏見のない分、感謝せよと言うことだ。
 大学進学に当ってアイヌである唯一の恩恵、〇協会の奨学金制度を利用しようとして保証人の判を父親に貰おうとすると、「あそこは止めて置け」と拒否された。理由を訊くと「アイヌだと世間に分かる」から、だそう。
 うーん、父よ、本音はどっちなの?
 その心境を掘り下げると、ルーツには誇りを持ちながらも世間に晒すのは避けろと言うことか。ただ、これは父の人生経験から言わしめていることだとは分かる。
 世永家にはアイヌ民族の名残を感じさせるものは何もない。あ、「アイヌメノコ」(アイヌの娘を象った)木彫りの民芸品。それと母が造る「アットゥシ」(オヒョウ{樹木}など内皮の繊維を織ったもの。伝統柄が有名) この二つは別もの。
 あとは大抵の日本人の家庭と一緒。食べ物もアイヌ料理は出ない。アイヌ料理と云っても狩猟民族だから動物の肉を焼いたり煮たり。農耕は寒さに強い「ヒエ、アワ」のみあったようだが大概の植物は自然から採って来る。現在は動物の狩猟は禁止。鮭、鱒も漁業権が設定されている。勝手に捕ると法律違反。
 沖縄料理のようにバラエティーに富まない。アイヌ料理店も結局はジンギスカンや石狩鍋
(鮭鍋)が人気のメニューに替わってしまう。伝統の儀式も所詮は自然がすぐそこに無ければ出来ない。アイヌ文化とは「北の大自然」と共に在ったのだ。
 それでも自分はアイヌなのだとふと感じてしまう時もある。五月の半ばに遅い春が一斉に訪れる札幌中島公園を友人と散策している時のこと。急に青く染めだした丘のひと隅に(タラの芽、
こごみ、ノビル)を見つけた。
 
 天ぷらや酢の物にすると美味い。すぐに摘もうとロングスカートの裾を折ってしゃがむと、
「あれ、やだ、雑草じゃん。リエちゃんなにやってんのよ。桜見に行くよ!」
 女子ふたりに笑われた。そんなもんか。お祖母ちゃんには「食べられない雑草は無い」と教えられた。桜並木の向こうに池が見える。{中の島}に大型の鳥が居た。



「あれ、ハクチョウが居るよ!」と叫ぶ。そんな筈は(渡り鳥でシベリアに帰る)、と見ると「アオサギ」だった。アイヌは野鳥も食べる。熊が冬眠から出て来るまでの貴重な脂質、タンパク源だったと聞く。リエも何十種類の野鳥を言い当てられる。ただし、和名ではないと思うが。
 桜見物を終えて、ススキノでお茶しようと歩き始めた処で、
「あれ、これ神社じゃない? 今まで気付かなかった」
 友人のひとりが。
「ホンとだね。ちょっと入って見ようよ」
 真っ赤な鳥居をくぐると、拝殿と社殿。両脇には枝扇な大木が二本。これは「楡(ハルニレ)」の木だ。オヒョウと同種でアイヌには大切な樹木。
 神社の縁起が記された表札の隣には所狭しと絵馬が掛けられていた。縁起ではなく絵馬を眺めていた友人が、
「ねぇ、ここ縁結びの神さまだよ。私もお願いしよぅっと」
 社務所は無人で一枚五百円の絵馬が置いてある。サインペンも用意されていた。友人二人はスラスラと書き始める。
 リエは草の縁(エニシ)に大きな問題を抱えている。つまりカミングアウト。出自を相手に明かさなくてはならない。経験がないので分からない。未来のコイビトさんは一体どんな反応を示すのだろうか?
 両親はアイヌの男性と結婚することを望んでいるようだった。「樺太アイヌの後継」は冗談だとしても、たぶん和人との結婚に纏わるトラブルを見集んでいるからだろう。
 現にリエは同性の友人にさえカミングアウト出来ていない。必要がないから? でも、
する自信は在るのかと云われればそれはない。友人の反応が怖い。
 友人に「リエちゃんはハーフっぽい顔立ちだね」なんて言われるとそのつどドキリとする。バレたんじゃないか? と。(アイヌの男性は眉毛や髭が濃く凛々しい顔立ちに、女性は若い時ほど彫りの深い西洋人とのハーフっぽく見えたりする)
 リエは散々に考えて、絵馬に記す。
 いつか、わだかまりなく素直に、本当の名前を云えますように  
                        私のアイヌの名前 〇〇〇〇〇 
「アレ、あいつと付き会ってたんだ?」
 ゆかりがもう一人の絵馬を覗き見て茶々を入れる。そんな和気あいあいな会話が狭い境内に木霊する。リエは自分の(絵馬)を隠すかのように二三枚下に掛けた。

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