天才の送ったラブレター

文字数 1,046文字

私の古くからの友人で、いわゆる『天才』と呼ばれる人間がいた。
彼は勉強も運動もできたが、特に才能を発揮したのが音楽の分野だった。

幼い頃から一緒に育った私が、彼のことを一番よく知っていた人間だったのかもしれない。
天才は変人と紙一重だというが、彼もそのひとりだ。

特に女性に対してはシャイすぎて、いくつになってもろくすっぽ話ができないという情けなさ。
私は早々に結婚した。
お祝いに私たち夫婦のために楽曲を作ってくれたほどなのに、彼自身の恋愛事情といったらさっぱり。
さすがに20代後半になっても相手ができないので、同性愛者かとたずねたが、そうでもないという。
余計なお節介だとはわかっていたが、私はある日彼にひとりの女性を紹介した。

彼はその彼女をたいそう気に入り、恋慕の情を抱いたと思う。
毎日のように彼女へのラブレターを書いていた。
とても詩的で美しい文章。彼の楽曲と同じような、女性でなくともうっとりしてしまうようなものだ。
送られた彼女も嬉しかっただろう。そう、確実にふたりの距離は縮まっていたはず。
お互い意識し合っていると、私も感じた。
なのに彼は、私にラブレターの代筆を頼んできたのである。

「私には君以上の文才もセンスもない。そもそも好きな相手に贈るラブレターだ。代筆なんて……」
「文才もセンスも関係ない。内容はできるだけ下品なものを頼む」
「は!? どうしたっていうんだ? 下品な内容のラブレターなんて書いたら、君は嫌われるぞ」

私が彼に向かって叫ぶと、彼は静かに言った。

「私は今まで天才だと言われていた。天才だからこそ、ずっと仮面をかぶって生きてきたんだ。だから、思いっきりバカらしく、頭の悪い下品な内容を書きなぐって、私の印象をすべて変えてくれ!」

正気か!? 彼は本当に天才を通り越してイカれている。
それとも天才が故の葛藤でもあるのだろうか。
彼は私に何度も頭を下げる。仕方なく私は、彼が指示したように、めちゃくちゃな手紙を彼女へ送った。

その結果、彼女は当然ながら彼のそばから去って行った。

数日後、彼は急死した。
もしかしたら、自分の死を予感していたのかもしれない。
彼の職業柄、朝も夜もなく食事も睡眠もとらず仕事を続けていたから。

「だからと言ってわざわざ嫌われるような真似をするとは……あの下品な手紙を出せと命令したのは、君の優しさだったのかもな」

相手が自分を嫌っていたら、きっと死んでも悲しまないから。

だったら私もこの秘密を墓場まで持っていこう。
私しか知らない、彼の優しさを。
彼女が後悔しないように――。
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