第11話

文字数 10,777文字

 「ねぇ斗毛元のおじ様。」
「何だい?」
俺はハサミを動かしていた手を止めて、少女の呼びかけに応じた。
店内の鏡を対面として、椅子に座ってカットの真っ最中の相手からの呼びかけに。
肩にかかろうかというくらいの長さの真っすぐな髪を艶めかせて、形の良い唇から俺に向けて興味を含んだ言葉が連なる。
「おじ様は、どうして奥さんと結婚したの?」
その言葉には純粋なる興味だけでなく、わずかに咎めてくるようなトゲを感じてしまうのは気のせいではないだろう。
やれやれ、まったく困ったものだぜ・・・。
 
 俺が経営しているこの店の利用客は95%以上が男性客だ。
幼児から小学生・中学生・高校生・大学生の学生諸君や、20代から30代の青年、40代以上の中年、果ては60代以上のシニア世代に至るまで幅広く多岐に渡ってはいるが、いずれも性別は男性に限定され、むさくるしさや彩に欠けている点は否めない事実だ。
では残りの5%程の利用客は女性であることに変わりはないが、ほとんどが兄や弟たちのついでに連れて来られたり、単体だどしても父親同伴でのお子様がほとんどであるから、早い話女っ気が不足していることには何ら変わりがなかった。
まあ年頃の女子や妙齢の女性たちはこじゃれた美容室を利用することがこの業界の常であり、ハードボイルド店主の俺としても、仕事場である店内に色気なんて必要ないと思っているので、仕方のないことだと割り切っている。
男の世界、それが理容室というものだ。
 
 だが物事には必ず例外というものが存在する。
その象徴たる存在の1人が、今目の前に座り俺に話しかけている彼女だ。
彼女の名はまゆ、16歳の女子高生だ。
彼女もまた幼き頃より父親に連れられて一緒に髪を切られていた口なのだが、他の多くの女児と異なるのは小学校に入学し女性という性別の意識が芽生えだしてからも、変わることなく今日まで未だ俺の店に髪を切るために通っていることだ。
別にその行動の是非を問うつもりもなく、1人でも多くの常連客を確保できることは店主としては喜ばしいとさえ言えるのだが、むさくるしく物珍しくも華やかでもないこの店にいおいては、やはり極めて稀有で異質な存在だった。
 そんな異質な存在であるまゆに、俺は何度かそれとなく真意を確かめようとしたこともあった。
「まゆちゃんももうすぐ中学生なんだから、もっとオシャレな美容院とかに行きたいとか思わないのかい?」
「俺はハードボイルドにしか生きられない不器用な男だ、いつまでも君の満足するヘアースタイルを提供できるかはわからないんだぜ・・・・。」
「ていうか、近頃まゆちゃんが話している内容に付いていけない俺がいるんだけどーー!!!」
いつの時代も女は謎多き魔性の生き物とはよく言ったものだ、時が経つにつれ、俺が年を重ねていくにつれ、当たり前だがまゆも子供から少女となっていて、もう間もなくれっきとした大人の女性へとなるのだ。
俺はそれらの未来を見越した危惧も踏まえて、まゆに別の美容院へ通うことを勧めたのだが、いずれも頑なに彼女は首を縦に振らなかった。
何故そうまで彼女はこの店で髪を切ることにこだわるのか?
まゆがまだ幼かった頃、父親と一緒に毎回通っていた頃の笑顔やはしゃいでいた心理は理解できる。
幼子特有の父親を好んでやまない心理に、物珍しく映った理容室という空間で体験する未知の物への好奇心が多分に影響していたのだろう。
小学生になっても通っていたのは、あまり数多きケースではないものの、稀にあるなし崩し的な幼少期の延長線上による行動としてなら合点がいく。
だが、中学生にもなれば事情は大きく変わってこようものだ。
精神的にも身体的にも、男子よりも成長が早い傾向にある何かと多感な時期に、何を好き好んで俺の営む理容室に通うのか?
思春期真っ只中の花も恥じらう乙女が、誇りと己のプライドと戦いの中にしか生き甲斐を見いだせない、ハードボイルドな男の戦場に通い続けなければならないのか?
 思い起こせばまゆが初めて父親に連れられて来た時、彼女は俺のことを親しみを込めた「おっちゃん」ではなく、「オッサン!!」と開口一番言い放ったことは忘れようにも忘れられない。
月1回のペースで父親と一緒に来店しては、まるでこの店が遊び場であるかのように走り回っては、「オッサン!!」「オッサン!!」と言っていたっけなぁ・・・。
そんなまゆの「オッサン」呼びが、いつの間にか「斗毛元のオッサン」になり、さらにいつしか「斗毛元のおじ様」という変遷をたどって今に至っている。
どうでもいいことだが、「斗毛元のオッサン」から「斗毛元のおじ様」に変わる間に、明らかにこの子の中で劇的な人格改造が行われているよね、その天と地がひっくり返るほどのきっかけとは何だったのだろう?
 だがそのような歴史を築いてきた俺とまゆ、理容師の店主と奇特な女性客を繋ぎとめているものの正体に、薄々気付き始めている自分もいた。
店主と利用客と考えるから、秘められた本質に気付けないでいたのだ。
言い方や考え方を少し変えてみよう、1人の男性と女性と言えばわかりやすいだろう。
そう、まゆは俺のことを慕っているのだ。
それも単なる昔なじみの理容師としてではなく、1人のハードボイルドな大人の男性として見てしまっているのだ。
自我がまだはっきりと芽生えていなかった幼少期から、少女、大人の女性に近付いて来て、かつては親近感や親しみに過ぎなかった感情に愛するという感情が入り込み始め、浸食を重ねて愛が占めるウエイトがどんどん大きくなっていったのだろう。
やがてそれは紛れもない深く抑え切れない愛情へとはっきりと自覚されるようになり、つたないながらもいつの日か秘めたる愛を伝えたいと、まゆは思い至り今日もまたやって来ているのだ。
はあぁぁ~、まったく罪な男だぜ俺は・・・・。
ハードボイルドな男には、女という異性を惹き付ける魅力が備わってしまっているのだから、何とも罪作りなことだ。
また1人、俺の隠しても隠し切れない全身から醸し出される魅力が、子猫ちゃんを虜にしてしまったのか・・・・。

 「ねぇ、聞いてるの?斗毛元のおじ様?」
「もももももちろん聞いているとも!!」
「?」
いけねぇ、回想にふけっていたせいで取り乱してしまったぜ。
「えっと・・・何の話だったっけ?」
「ほうら、やっぱり聞いてないじゃない!!斗毛元のおじ様と奥さんが結婚した理由よ!!」
頬をぷくっと膨らませて抗議するまゆが、俺に問いかけの答えを急がせてくる。
「そんなこと、聞いてどうするんだ?」
俺はダンディーに切り返し平静さを取り戻して応じているが、おおよそ質問の意図は察していた。
妻とのなれそめを聞く体を装って、その実俺の恋愛観や自身の恋の成就を叶えるべくの突破口を見付けたいんだろう、わかっている、俺にはすべてお見通しさ。
「だって・・・気になるんだもん。」
少し拗ねるように口ごもるまゆ、なかなかに憂い奴ではないか。
「俺の話はさておき、君の方はどうなんだい?」
真実を知ってしまった強みなのか、俺は話の矛先を彼女にすり替えたいいたずら心を具現化させていく。
「私?」
「そう、まゆちゃん可愛いし、モテるだろう?」
「そんなこと全然ないよ~!!」
照れるように否定する彼女に、おじさんは何だか楽しくなってきて調子にも乗ってしまう。
「本当かい?そう言って、とっくに彼氏とかいるんだろう?」
酒の席で部下の女性社員に酔ってセクハラめいて絡む上司のような、エロ理容師が滑らかに舌を滑らせていく。
「いないよ~!!」
笑いながら否定していたまゆだったが、それに続く言葉を口にする前に真剣な表情を見せたのだった。
「彼氏なんていないよ・・・。でもね、昔からずっと憧れている人なら、1人いるんだけど・・・」
最後の方は恥ずかしさに耐えられなかったのか急激に小声になりよく聞き取れなかったが、大丈夫、俺には彼女の言いたいことはわかっているから。
「憧れている人?」
なのに俺はあえて聞き返すことで、焦らすように彼女の反応を窺ってみた。
焦らしプレー、楽すいぃぃーーー!!
「うん・・・、私がまだ小さかった頃から、ずっと憧れている・・・素敵な人・・・・。」
 はい来ました、来ちゃいましたーー!!
俺の推理正解確定ーー!!
もう俺しかいないじゃん!!
その条件に合致するのって、逆に聞かせてもらいますけど俺以外にいます~!?
いないいないいないよね~、いるわけないじゃない!!
もう完全に俺じゃん、やべぇな~まゆに惚れられちまったか~!!
ていうか、もうある意味今の発言って、俺への愛の告白じゃん!!
ほら、言ったっきり顔を赤らめて俯いているし、もうバレバレ~~!!
やべぇーー、そう思ったら何か急にこっちが緊張してきたぞい!!
こういう時、ハードボイルドな男としては何て答えたらいいんだ!?
俺には妻がいるしな~!!妻を裏切ったら確実に殺されるしなぁ~!!
そもそもまゆはまだ16歳でしょう!!
じゃあ、うれしくないのかって!?
バカを言え、そんなのうれしいに決まっているじゃあないか!!
俺は声を大にして、断崖絶壁の崖の上から世界に向かって叫びたいね!!
俺、超うれしいです!!とね!!
JKに告られちゃって、感無量であります!!とね!!
でもでも~僕ちゃん、とってもとっても困っちゃうなぁ~!!
とはいえとはいえ、顔のにやけが収まりそうにない、ついつい頬が緩んじゃうでしょう!!
禁断の愛のカタチ・・・いいじゃない、いい響きじゃない!!
禁じられていると理性で押さえようとすればするほど、全身を走り抜けてくるこの背徳感、うううぅぅぅ・・・、最高じゃあないか!!
今すぐお立ち台に上がって叫びたいわ、「最高でーーーす!!!」とね!!
まゆ16歳、俺4〇歳、30歳以上の年の差カップル爆誕ですかーー、かーー、まいったなーー!!困っちゃうなーー!!
世間でもたまにいるよね~そんな年の差カップルや年の差夫婦、ヤバいわ~、同年代の男連中に羨ましがられちゃうわ~嫉まれちゃうわ~!!
ええい、待たれよ待たれよ!!俺ってば待たれよ!!
今すぐにこの愛に応えなくてもだ、もう2・3年待てばまゆはれっきとした、まごうことなき大人の女性になるだろう。
現在でさえ十二分にきゃわいいカテゴリーに分類される青い果実が、その頃になれば数倍美しくきれいになっていることは請け合いだ。
そのタイミングでいっそ海外にでも渡り、一夫多妻制の国の国籍を取得して妻共々正式な夫婦としてまゆを迎えるのもありじゃな~い!?
うん、ある、あるな!!全然あり!!
では俺は明日の早朝、早速切れかけているパスポートの申請に出向くとしようではないか!!
いざ、来るべきハーレムの日々を目指して!!

 「・・・おじさま・・・斗毛元のおじさま・・・・」
はっ、いかんいかん!!またしても意識が飛んでしまっていたか。
こんな時こそ、ハードボイルドな男には冷徹なまでの冷静さが要求される。
されるのだが・・・、俺の名を呟くまゆの表情は紅潮していて、熱っぽいたらありゃしないから、またぞろ妄想という思考の中に引きずり込まれそうになってしまう。

 「・・・・・・・・・。」
だがそんな俺であろうとも構わないと、まゆの瞳には強く宿るものがあり無言であるけれど、言葉などもう不要という覚悟が捉えてきて離してくれそうもなかった。
「・・・・・・・・・。」
潤みゆく瞳には真摯な思いが、何より真っすぐ過ぎるくらいで。
「・・・・ふぅ・・・・。」
そこまでされては俺も応えるほかあるまい、1人の男として。
「まゆちゃん・・・・、皆まで言うな。もういいんだ、何も言わなくとも。」
「・・・・・・・・・。」
色に例えるならセピア色がふさわしいだろうか、理容師と少女との愛の終着点が結実してピンク色になる、その瞬間までは。
「君の気持ちも、君の言いたいことも、俺にはすべてわかっている。女の子にこれ以上言わせて、恥をかかせるわけにはいかないしね。」
俺は少し黄昏るような味わいを出して、手にしていたハサミをいったん腰のホルスターにしまって続ける。
「君の俺に向けての気持ちは、素直にうれしいよ。」
「・・・・・・・・・。」
「だがな、まゆちゃん。よく聞いておくれ。」
「・・・・・・・・・。」
「俺には妻がいることは、もちろんわかっているよね?」
「・・・・・・・・・。」
俺の確認の意味を込めた問いに、まゆは言葉ではなく首肯で返してくる。
「それにだ、君はまだ若い。若過ぎる少女だ、君の若さは眩しくてたまらないけれど。」
「・・・・・・・・・。」
「正直に言おう。俺には君をこれから先守り抜いていくことも、幸せにしていける自信ももちろんある。」
「・・・・・・・・・。」
「だがな、そんなに慌てて今すぐに答えを求めなくてもいいんじゃないかい?」
「・・・・・・・・・。」
「いや、わかってる!!君の気持ちは痛いほどわかっているさ!!その気持ちは俺にとってはとてもうれしいものだし、真剣かつ前向きに応えたいとも思っている。」
「・・・・・・・・・?」
気のせいだろうか、わずかにまゆの瞳に宿っていた情熱の炎が揺らいだ気がした。
だが俺はなおも熱弁を振るった、その場限りの演劇のように全身を使って舞い踊る。
「だから、だからね!もう2年待とう!!その間に俺も準備をしっかり整えるから!!」
「・・・・・・・・・。」
「とりあえず明日の朝一でパスポートを更新しに行って、俺死に物狂いで働くからーー!!2年間金をがっぽり稼いで、資金を作るから!!」
「・・・・資金・・・・?」
「そう、俺と君との新生活に向けた資金さ!!」
「・・・・・・・・・。」
「それから妻と話をつけて別れるか、もしそれが上手くいかなかったらば、外国籍を取得して一夫多妻制を敷けるようにするから!!」
「・・・・・・・・・。」
「晴れて入籍して夫婦となったらば、狭い日本を脱出だーー!!」
俺は壁に貼ってある世界地図を指さし、飛行機が飛び立つ擬音を奏でて野望を語り続けていく。
「南の海で小さな無人島を買い取ろう!!そしてその島で僕と君との家、スイートなホームを建てよう!!あっ、大丈夫大丈夫!!おじさんこう見えて、日曜大工とか工作とか超得意だから心配ご無用!!」
ポーズを決めながら続ける俺に、まゆは聞き惚れているようだ。
「子供は何人欲しい!?とりあえず、俺は女の子が欲しいです!!」
気を付けの姿勢で伸び上がるように俺は宣言するが、ちょっと恥ずかしい。
「やがて俺たちの子供もすくすく健やかに育っていき、幸せな日々を送ることだろう!!ほいで俺たちは、いつまで経っても仲良しのおしどり夫婦として暮らしていく。おっと、それでもやがて俺の方が先に死に行くことになろう。その時は・・・・、まゆ、君の腕の中で死なせてくれるかい?それが叶ったならば、俺の生涯には何1つ悔いなんて残らないだろう・・・・。」
かくしてひとしきり俺の1人演劇を伴った未来願望語りは終わり、存分に満足した俺は最後の一言を囁くと、自分で言うのもなんだがすごく良い顔になっていた。
「・・・・・・・・・。」
まゆは感動にひれ伏しているのか、絶句したまましばらくの間俺を見つめたままピクリともしなかった。
 だが程なくして、あれだけ俺に愛を向けていた愛おしくなるまゆの表情は一変した。
「はあ!?」
「うん?」
「はあ!?」
突然まゆは自分の左耳に右手を当てる仕草を見せ、怪訝な表情を向けてきた。
「えっ、斗毛元のおじさま・・・・今の本気で言ったの!?」
「?もちろん本気だけど、心の底から本気で君の愛に応えたつもりなんだけど?」
「ごめん!!意味わかんない!!」
「う・・うーーーん!?」
意味がわからないとまゆは言った、その発言に続くように俺も意味がわからなくなってきた。
「はあ!?私とオッサンが結婚!?何言ってるの!?本気で言ってるの!?」
「ヤー!!」
「いやいやいやいや!!ありえへんありえへん!!何を言うてはるのや!?」
右手をちぎれんばかりに高速で全力で振りながら、まゆが必死に叫んでいる。
「何で私とオッサンが結婚することになるん!?どうして私がオッサンに好意を持っていることになるん!?」
いつの間にか俺の呼称が、かつてのように「オッサン」に戻っている。
「だって、小さい頃からずっと憧れている人がいるって言ったじゃん。その人って、つまり俺のことなんだろう?」
「えっ、マジで言ってるの!?超引いちゃうんですけど・・・・、何自惚れてるの・・・超きしょいんですけど・・・・・。」
「え、いや、あのその、だってだってさ、さっきの君の話していた内容から言って、その条件に当てはまるのって俺しかいなくない!?」
「それ、超自惚れの勘違いだから!!マジありえないんですけどーー!!」
慕ってやまない親愛のまなざしに見えたまゆの視線が、今はもう害虫やごみを見るよりも何倍も冷ややかでドン引きなものへと変貌していて、俺のことを全力の拒否権を込めて射貫いてくるのだった。
「この私が~?こんなしけた店の理容師の中年のオッサンに~?憧れていて恋しちゃってる~?はっ、まじありえへん!!」
俺の存在そのものとこれまで積み上げてきた理容師としての人生までをも、即座に全否定しながら一蹴したまゆは、店内の床につばとタンを「カー、ペッ!!」と吐き捨てた。
「しかも私と結婚したいって・・・・・、ドン引き過ぎて言葉も出ないわ、オッサンってロリコンでっか!?」
「・・・・・・・・・。」
「ほら言うてみろよ!!俺はロリコンの痛い勘違いブタ野郎ですってよ!!」
完全にキャラが崩壊して、昔で言うスケバンよりも粗野で粗暴で暴力的に、俺の勘違いによって出た発言をまゆは1つ1つ拒絶し否定しては、口汚く罵ってくる。
「いや、俺は別にロリコンでは・・・・・」
「はあ!?誰が勝手に発言していいって言った!?そんな言葉は求めてへんねん!!」
「・・・・・・・・・・。」
「40代のオッサンが、女子高生を妻にするって・・・・・、ドン引きもするけど1周して笑けてきたわ!!ぷー、くすくすくすくす!!何それー、どんだけ夢見てるんーー!!」
やめて!!もう笑わないで、俺の発言を掘り起こさないでーー!!
自分の勘違いが招いた事態とはいえ、まゆの豹変っぷりと容赦のない罵倒が心に傷を幾重にも作り、抉られ続ける痛みと感触に俺はとてもではないが耐えられない。
「お金を貯めて~、海外で国籍取得して~一夫多妻制って・・・、頭湧いてんのかオッサン!!」
「・・・・・・・・・。」
「しかも小さな島を買い取って、一緒に暮らそうって・・・・、どこの国のいつの時代のおとぎ話ですか~~!!」
脳内がお花畑な傾向のある世代の女子高生に、自分が語った夢を一刀両断にされ、俺のHPは減少の一途で、誰か今すぐ俺に回復ポーションを!!
「おまけに~死ぬときは私の腕の中でって・・・・、やすらぎながら死なんと死ぬ寸前まで馬車馬のように働けや!!」
「・・・・・・・・・。」
恥ずかしい、あれだけ自分本位に語り尽くしていた俺の展望が。
いっそ、今すぐにもう死んでしまいたくなってきた俺の頬に、堪えても堪えても涙腺のダムは決壊し涙を抑え切れない。
「う・・・ウソだったって言うの!?今まで俺と過ごしてきた時間も、君の僕に向けてくれた笑顔も好意も、全部俺の勘違いで間違いだったって言うの!?」
こうなると完全に、俺は昼ドラで夫に裏切られた妻のようであった。
「そんなもん、子供なりの処世術に決まってるやん!!ていうかさぁ・・・私がオッサンのこと裏切って捨てたみたいなその言い方、超心外なんですけどーー!!」
「ウソだ・・・ウソだ・・・・ウソだウソだウソだウソだウソだーーーーー!!今までの君の尊敬を込めた好意だと思っていた行動のすべてが、計算された演技だったというのかーーーーー!?」
膝から崩れ落ちて泣き叫ぶ俺に、しかしなおもまゆは辛辣だった。
「ほたえなやーーー!!!そういう勘違い、ホントウザ過ぎてありえなさ過ぎーー!!」
別に暴れてはいないのにまゆは一喝した後、少し温度を落としてからの静かなる罵倒によって俺の傷には塩や香辛料が丹念に塗り込まれ、さぞやおいしい漬物ができそうでさえあった。

 「だいたいさ~、オッサンいつもハードボイルドとか言っちゃってるけどさ~、ただの中年の理容師やん!!何すかしてるん!?そんな要素皆無やで、実際!!」
いつの間にかまゆによって店内の床に正座させられた俺は、沈黙を貫き女子高生による説教を受けるしかなくなっていた。
大の大人が、それも40を過ぎた中年男性が、2周りも年齢の離れた女性というか未成年女子に説教されているのだ。
その手の趣味の持ち主ならば、お金を払ってでも激しく罵られたいのだろうが、あいにくと俺の性癖はノーマルだから生き地獄でしかなかった。
「そんなオッサンがやで、ええか!?そんないかれたおつむをしたオッサンがや、まさかまさか私に性的な愛情を注いでるなんて、どんだけ気色悪いかわかるか自分~!?」
あれ?何だがだんだんまゆの姿に妻の姿がダブって見えてきたぞ。
「私と子供作りたいって正気ですか!?加齢臭が漂うオッサンに、私が抱かれろってか!?」
そこだけ切り取って聞くとヤバいけれども、ちょっと勘違いしただけじゃん!!
もう充分にわかりましたから、いい加減勘弁してくださいよ~!!
俺の心が切ない中年心理を叫びたがっているんだ!!
それにそろそろこの状況を打破しないと、次の予約客がやって来てしまう。
何も知らずに訪れた客が今の俺の姿を見たらどう思うか、想像するだけで足腰はガクブルだぜ。
ハードボイルドな俺のイメージが崩れてしまう危機だけは、何が何でも回避しなければならない。
この業界イメージというものは極めて重要だ、信用を損なうことつまり、理容師としての俺の死を意味している。
 「あの~まゆさん・・・・・」
「何じゃい!?」
「じゃあどうして、まだこの店に通ってくださっているのですか・・・・?」
恐る恐る口を開いた俺の質問に、まゆは一瞬虚を突かれたようになった。
「そ・・それは・・・・」
「俺のことをそんな風に思っているのなら、今風な美容院にでもお通いになられた方がよろしいのでは?」
「だって・・・だって・・・・・」
豹変しキャラ崩壊を起こしていたまゆが、来店時の俺が知っているおしとやかな表情と口調に戻り、恥じらうように言葉を濁してもじもじしだした。
「お・・・お父様・・・との・・・、思い出の場所なんですもの・・・・・。」
途切れ途切れに一言言い終えた途端、まゆは両の掌で顔を覆って羞恥に満ちた告白に悶えている。
「やだやだ・・・言ってしまいましたわ・・・・!!」
キャラが戻るどころか、通り越して箱入りお嬢様キャラになっているのは何故?
はは~ん、でもこれですべての謎は解けた。
俺は正座させられたままだった痺れた脚を鼓舞して勢い良く立ち上がると、形勢を逆転させるべく、まゆの前に立ちはだかった。
「まゆ~、君は・・・・ファザコンだな!!」
左手の人差し指を突き出して断言する俺に、まゆは絶句して激しい動揺を見せる。
「しかも、超が付くほどのファザコンなんだろ~!!」
見下ろして挑発する俺の表情は、さぞかし悪人じみてしまっていることだろう。
だが構わない、今は俺の勘違いが巻き起こした危機をいかに脱出するかということが、何よりも最優先されるからだ。
「ううぅぅぅ・・・・・・!!」
真実を見破られ顔を真っ赤にしたまゆは、まさかの仕返しを食らったショックも合わさって恨みがましく唸るしかできないでいる。
「はっはっはっはっは!!つまりだ、お前の憧れ続けている人というのは自分の父親だーーー!!」
そして核心を突いた俺の正解を導き出した断言によって、しなしなとまゆは力なくへたれこんだのだった。
「わかってるわかってるって、このことは誰にも言わずに内緒にしておいてやるよ!!なんせ俺は加齢臭が漂うただの中年の、大人のオッサンだからさ~!!」
「くっ、今に・・・今に見てなさいよ・・・・・!!」
まゆはそれはもう大変悔しそうに歯を食いしばって、俺に真実を握られた立場の逆転に敗北感を感じながら、負け惜しみを捻りだしていた。
 
 その後は実にスムーズだった。
中断していたまゆの髪のカットを再開した俺は、逆境を覆した気分の高揚するままに、ハサミを動かし続け瞬く間に仕事を終えていた。
その間、仕事に徹する俺と椅子に座って身を委ねるまゆの両者共ずっと無言ではあったのだが、それぞれが生み出している沈黙の意味はまったく真逆なものだった。
俺はといえば、少々言い方は悪いがまゆの秘密を知ったことと、その内容を現在も通い続けている父親に決してばらさないでおいてやるという、これ以上ない貸しを作れた上に最強の切り札を手に入れたことによる、圧倒的な勝者としての余裕からくるもの。
対してまゆはというと、俺を一時的に追い詰めた時に見せた自分の素の姿を知られたことと、自身の父親への常軌を逸した1人の男性として愛してやまない好意まで知られた挙げ句、俺に弱みまで握られてしまったという屈辱的な敗北感に苛まれたもの。
そんなまゆが時折鏡越しに俺の様子を窺う度に、俺は言葉さえ発しなくとも、これ以上ない優越感に溢れた笑顔でニヤニヤと応じてやった。
 
 レジで会計を済ませる間中も、ずっとまゆは不機嫌に複雑な表情のままだった。
もしかしたら、今日を最後にもう2度とこの店にはやって来ないかもしれない。
だが俺から釣り銭を受け取ったまゆは、ドアの前で足を止めるとくるりと振り向き、こう言い残していった。
「仕方ないから・・・、また髪を切りに来てあげるんだからね!!」
ぷりぷり肩を怒らせつつも、どこか楽しそうにまゆが店を後にしていった。
え~最後の最後でツンデレ・・・・・・。
おじ様と慕っていたかと思えば怒ってキャラ豹変後の鬼女キャラ、極度で重度のファザコンにツンデレとは、設定が過剰過ぎるぜ。
女っていう奴は、つくづくわからない謎を秘めた生き物だ・・・・。


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登場人物紹介

斗毛元 40代の中年理容師

大阪府内某所にベルべレソンという理容室を営んでいる。

ハードボイルドに生きることを生業として、様々な客や困難に立ち向かっていく。

妻・・・30代後半、斗毛元の意向によりバーを経営しているが文句タラタラの恐妻。

シュウさん・・・武器や様々な器材を調達してくれる斗毛元の強い味方。

服部・・・斗毛元馴染の蕎麦屋の店主。

上松瀬警部・・・斗毛元とは旧知の間柄であり相棒の敏腕警部。極度の熟女好き。

米谷・・・ベルべレソンの常連客。常にしゃべり続けて絡んでくるウザい芸人顔負けの一般人。

未来久留巣・・・かつての斗毛元の上司であり、理容師業界に一大勢力を築いている。斗毛元抹殺を誓い、手段を選ばずに襲いかかってくる。

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