第5話

文字数 6,495文字

 今日がもうすぐ終わりゆこうとしている。
1日の仕事を終えて、俺は店内を見渡すようにして、椅子に深々と腰かけている。
缶ビールを片手にタバコをふかしながら、缶を傾けて飲み干していく俺の口内には、はじける感覚とホップの香りが存分に広がっていた。
苦みを噛み締める俺の眉間には深いしわが刻まれて、ニヒルかつダンディズムな表情が鏡に映し出されて、満足げに頷いてみせつつハードボイルドな夜が更けていく。
遠い目をして物思いにふける俺の脳裏には、先日の男子高校生の一件が浮かんでは消えまた浮かんできてを繰り返していた。
カットとヘアカラーを堪能していながら、所持金がないからコンビニで金を下ろしてくると言って出て行ったきり、戻ってこなかったトンズラこきやがったふてぇ野郎。
その後俺の鬼の猛追による取り立てによって、未払いだった代金は無事に回収することはできたのだが、その取り立ての最中に男子高校生が白状した真実が、あれ以来俺の心に引っ掛かり続けているのだ。
 「すべては未来久留巣(みらくるす)の仕組んだ俺の店への妨害工作」
衝撃的に語られた真実を反芻するにつれて、ビールの味とは異なる苦みが口の中に広がりやがる。
「未来久留巣・・・・あの親父め・・・、まだ俺にこだわってやがるのか・・・・・。」
思わず口からこぼれ出たその名前は、俺にとってはすでに決別した過去の日の記憶であったはずなのに、まだ忘れることを許さないとでも言いやがるのか。
もう何度目になるのかわからないため息を吐いた俺は、その反動を利用して立ち上がると、2本目の缶ビールを冷蔵庫から取り出し口に含んでいった。
何だか無性に飲みたい、酒が進む夜だぜ。
アルコールに耐性を持っている俺は、まだまだ全然酔ってなどはいなかったが、素面の時よりはわずかながら頬が火照っている気がするのは、気のせいというわけでもあるまい。
つまみにしようと店内の収納扉を開いてナッツを探してみたが、あいにくと切らしていることがわかり、痛恨の極みとまたため息を吐いた。
俺は仕方なくつまみなしでビールを次々と開けていき、タバコをふかせては紫煙をくゆらせ物思いにふけっていった。
それは忘れじの遠い記憶をたどる、俺にとってのタイムトリップを意味していた。


 専門学校を卒業した若かりし日の俺は、大阪府内のとある街角で営業しているジャロブスというヘアサロンで働き始めた。
今俺が経営している店、ベルべレソンから電車で3駅ほどの距離にあるこの店から、俺の理容師人生は始まったのだ。
もう何年前になるか、10年以上は軽く超えた昔々の遠い日々だ。
雑用から始めた新人の俺は、諸先輩たちのサポートに回るようになり、働き始めて1年も経たないうちに1人立ちを果たしていた。
徐々に俺を指名してくる客も増えていき、理容師としてはなかなか順調な船出だったと言えるのだろうが。
ただ1つの問題を除いては・・・・・。
 それはオーナーであり店長も兼ねていた人物、未来久留巣を置いて他ならない。
俺とは15ほど年の離れたオッサンで、モヒカン頭が強烈にパンチを放つ、格闘ゲームのキャラクターならば完全悪役のヒールキャラというフォルムを誇っていた。
赤パン履いて胸毛ボーボーからラリアットを繰り出してきそうなイメージが、まさにぴったりの人物だった。
当時2児の父であった未来久留巣は、すでに近隣に3店舗の店を併せて経営しており、傘下のフランチャイズを一手に束ねて取り仕切るなかなかのやり手でもあった。
その経営理念は、「利益最優先主義」であり、いついかなる時も1円でも多くの売り上げを目指し、悪く言うと悪辣な手段と方法を用いて客から金を巻き上げているようなスタイルだった。
当然そのような人物に雇われてこき使われる俺たち従業員は、有無も言えず従うしかなく、ワンマン経営者の機嫌を損なうことなく顔色を窺って働いていく日々だった。
客の希望に沿って仕事をするのではなく、客をおだてにおだてて上機嫌にさせより稼げる手段へ誘導させて金を巻き上げるようなスタイルには、働き始めてすぐに俺の美意識が反発を覚えていた。
だが当時の俺は経験に乏しく、かと言ってすぐに独立できるほどの資産など持っているわけでもなかったため、これも一人前の理容師になるための修行だと自分を偽って、数年間下働きのような形で不本意な時代を過ごしていた。
営業時間が終了してからの、全従業員を集めてのミーティングと称した未来久留巣主導の実質的サービス残業時間は、中でも特にひどい有様だった。
2~3時間かかるのは当たり前で、日付をまたいでも夜な夜な無意味と思える地獄の時間が延々と、毎日行われたのだからたまったものじゃあない。
その中身も、ひたすら未来久留巣による従業員1人1人に対する説教と、どうでもいいことこの上ない未来久留巣の昔話や野望に武勇伝と、内容はほぼ毎日同じものだった。
業務の中でミスを犯した者には、サバ折を中心に関節技を繰り出す肉体言語が待っていて、男女ともに幾人もの従業員が餌食になっていった。
胸の大きな女性従業員に技をかける時は、気持ち密着度アップで時間も長かった、下劣なセクハラ野郎だったことを補足しておく。
そんな環境下であったから、辞めていく従業員は後を絶たず、未来久留巣が経営していたどの店舗も、慢性的な人手不足だった。
かくいう俺も辞めようと思ったことは1度や2度じゃ数え切れないほどにあったが、それ以上にいつの日か未来久留巣を打倒せんとする反骨心が磨かれてもいった。
辞めていく従業員のしわ寄せに、俺の過剰な勤務時間の労働は続いたが、かなりあくどい商売をしていただけあって、給与は一般的な店と比較しても段違いに良かったため、すり減っていく肉体とは裏腹に、俺の貯金通帳には毎月信じられないようなスピードで金が貯まっていったものだ。
 未来久留巣が常駐する俺が勤務していたジャブロス本店で、あっという間に過ごした日々が7年になろうとしていた。
この頃には俺の地位は完全に確立されており、自分で言うのもなんだが仕事の腕は誰も右に出る者がいない完璧さで、指名客にも恵まれて気が付けば店のナンバー2にまで上り詰めていた。
だが、いくらこの店でキャリアを重ねて信頼と地位を得ても、未来久留巣に対する感情のわだかまりと価値観の相違は変わることなく耐え難いものだった。
俺はやはり、客の望むものを最高の仕事をもって形にして与えたかったからだ。
一方未来久留巣の求めるもの、目指す道はそれとは明らかに違っていた。
この頃になると、未来久留巣のフランチャイズ化はさらに進んでおり、経営する店舗の数は倍増していた。
「理容師は客の髪を切るのではなく、客からより多くの利益を奪い取るもの」
毎日の開店前の訓示として未来久留巣の口から発せられる、もはや呪術じみた信仰心の塊の信念には、今思い返してみても反吐が出るったらないぜ。
 そんな中で訪れたある秋の日だった。
いつものように自分が担当する客に向かって、未来久留巣が利益のみを追求した無茶な提案を勧めていた。
言葉巧みに褒めちぎり、誘導尋問の如くより料金が発生する方法を選択させていた。
だが隣で客の髪を切っていた俺は知っていた、その提案が客のためなどではなく、自分の懐を潤すためだけに出る口八丁な出まかせなことに。
未来久留巣が提案するヘアスタイルもヘアカラーも、端から見聞きしている限り、どう考えてもその客に似合うとは俺には思えなかった。
そしてその俺の危惧は客にとっても同じだったようで、何度も断ろうとしては、未来久留巣に強引に押し付けられていた。
笑顔を浮かべる表情の下に、強欲な魔物の本当の顔を携えて、なおも客に迫る未来久留巣。
そんな時だ、俺がカットの合間に何げなく隣の席の鏡に目をやった。
未来久留巣に迫られている客が、助けを求めてすがるような目で鏡越しに俺を見つめていて、その視線同士が重なった。
次の瞬間、俺はこの店で働きだして以来、ずっと目を逸らして蓋をしてきた自分自身の心がひどく痛むのを感じた。
痛みは鼓動へと変わり、鼓動は産声を上げるみたいに俺の中ですべての思いがはじけ飛んだ。
俺は今まで何をしてきたのだろうか?
修行と偽り、いつの間にか美意識に反する理念に屈してしまっていた自分のこれまでのキャリアを、たまらなく恥じた。
理容師を志した頃の純粋だった自分、金や利益を考えず、自らの信念に真っすぐと生きていこうと誓ったあの頃の自分が、魂の中からこみ上げてきて爆発した。
金や地位はもういらない、肩書なんてくそ食らえだ。
俺の中で新しくも本当の自分へと生まれ変わったような感覚を味わい、抑え切れない衝動のまま、気が付けば未来久留巣を殴り飛ばしていた。
俺の一撃で気を失った未来久留巣が、だらしなく完全に伸びていた。
その残骸に目もくれることなく、俺はその客と自分の担当した客の髪を、続けざまに利益を無視して希望通りに仕上げていき、意識を取り戻した未来久留巣に向けてエプロンと辞表を叩き付けて、ジャロブスを辞めた。
その去り際に未来久留巣が吐いた言葉、「いつか必ず後悔することになるぞ!!たとえ何年かかってもな・・・・!!」。
まさか未だに奴が根に持っていようとは、さすがにこの時の俺は思いもしなかったが。
 それからの日々は、まあ色々と苦労することもあったが、別の店で働く傍ら並行して独立のための準備を、俺は着々と整えていった。
そして大阪府某所でベルべレソンを経営している今へと至るわけだ。
客の希望を叶えて、自分自身の信念にウソを吐くことなく、己の美意識に従って生きるハードボイルド理容師として。

 ぬるくなって水滴が滴っている缶ビールを握りしめた俺は、柄にもなく昔のことを思い出してしまったぜ。
未来久留巣との、時を超えた因縁にケリを付けなければならないのかもなと、心に闘志をたぎらせながら。


 翌朝、自宅から店へとやって来た俺は、いつものように開店準備に取り掛かっていた。
自分の庭というホーム感と培ってきた経験がものを言い、その手際の良さは我ながらうっとりとろりん。
平日は午前10時から営業している当店に、今日も最初の予約客が来店してきた。
「いらっしゃい。」
渋く重低音で奏でられた俺の声は、どこをとってもハードボイルドったらありゃしないぜ。
今日も今日とてスーツの上から、猫ちゃんの顔がプリントされているエプロンを装着した俺は、客のわずかな異変さえも見逃しはしない。
「左肩の筋肉が、若干こわばっているな。」
「そうなんですよ、昨日会社の運動会でハッスルし過ぎちゃいまして・・・。」
「パン食い競争だな?」
「さすが斗毛元さん、よくおわかりで!!」
何の競技に出たのかは割とあてずっぽうで言ってみたのだが正解だったようで、あぁ良かった良かった。
一体どうやったら、パン食い競争で左肩を酷使するのだろうか・・・・?
「あんパンか?」
「はい。」
「粒あん?こしあん?」
「粒あんでした。」
何てこった、俺はあんパンと言えばこしあんオンリーだというのによ!!
 そんなとりとめもない会話をしながら客の髪をカットしていると、店のドアが開かれた。
「こんにちはー!!宅配便でーす!!」
タイミングの悪いドライバーだぜと、俺はハサミを腰にぶら下げているホルスターにしまうと、客に一言詫びて受け取りに行った。
「ごくろうさん。」
レジの引き出しを開けて印鑑を取り出した俺は、宅急便のドライバーが差し出している伝票に捺印した。
「毎度どうもーー!!」
帽子を取って一礼しながら、颯爽と店を後にしていくドライバーに人差し指と中指を立ててあいさつした。
それにしてもこの荷物は何?
やけに大きくて厳重な物々しい装いの箱に梱包されており、箱の表面には「要冷凍」だの「生もの」だののステッカーが貼られていて、そのくせ伝票の送り主の欄には「同上」と、この店からこの店へ、つまり俺が俺自身に送ったことになっているので、謎は深まる。
得体のしれない送り主から届いた謎の大荷物、これだけ不確定で不安な要素が集まれば、嫌でも俺の危機管理能力が触発されるってもんだ。
直ちに中身を確認したい衝動に駆られはしたが、念には念を入れるに越したことはないと、俺はカットの途中だった客に向けて、「申し訳ないが、ほんの少しだけ店の外に避難していてくれるかい?」と願い出て、お詫びの印として缶コーヒーを手渡して店の外で待ってもらうことにした。
俺も俺でヘルメットにゴーグルを装着して、特注の厚い皮手袋をはめてカッターナイフを構えて、慎重に荷物の梱包を解きにかかっていった。
首や額から脂汗が流れ落ちる感触を味わいながら、まるで爆発物を解体している爆発物処理班かと見紛うばかりに、俺は全神経を研ぎ澄ませていった。
びっちり隙間なく何重にも貼られたテープをカッターで切れ目を入れていき、それが1周してあとは蓋を思い切って持ち上げるのみだ。
俺は呼吸を整えて肺の中からありったけの二酸化炭素を吐き出すと、蓋に指をかけてそーっとそーっと持ち上げていく。
鬼が出るのか蛇が出るのか、どちらも本当に出て来られたらそれはそれで厄介だなぁと呟き、半分くらい持ち上げられた蓋の残り半分を一気に持ち上げた。
・・・・・・・・・。
どうやら開けた瞬間爆発するというトラップは仕掛けられていないらしく、閉じていた瞼を恐る恐る開けた俺の目に飛び込んで来たもの・・・・・、それは鯖だった。
正確に言えばカッチカチに冷凍されて真空パックに入れられた、しめ鯖が大きな箱の中にこれでもかと敷き詰められていた。
疑問符しか浮かんでこない俺だったが、無数のしめ鯖の影に1枚の紙が同封されていることに気付いた。
すっかり拍子抜けしてしまった俺は、今度は躊躇いもなく紙を抜き取って広げてみた。
白い紙を縁取るように黒く塗られているそれは、遺影を連想させてきたが。
中央に簡素かつ冷酷な文字が、したためられていた。
「先日はよくもやってくれた。とりあえずさすがだと言っておこう。貴様の能力を称賛して、サバを送ってやる。せいぜい感謝して鯖に当たって腹を下せ。だが、貴様の最期の日は近い。」
といった電報のような文言と共に、最後の1行に差出人の名が生臭く書かれていた、鯖だけに生ものだけに。
「未来久留巣より 殺意を込めて」と。
その名を目にした瞬間、俺の身体は大きく震え出した。
奴の殺意を受けて立とうというだけではなかった、もっと重要な俺にとっての死活的問題に対してだ。
「俺は鯖アレルギーなんだーーーーー!!!!あのオッサン、知っているくせにこれ見よがしに俺に鯖を送って来やがってーーー!!何て陰湿な嫌がらせ!!何て嫌な奴なんだーー!!ああ上等だよ!!かかってこいやーー!!いくらでも受けて立ってやろうじゃあねぇかーーー!!!」
俺は無数に送られてきた真空パックに入ったしめ鯖を、札束を放り投げるように空中に投げ出していたが、我に返り何事もなかったようにしてすべてのしめ鯖をキャッチすると、ハードボイルドに決め顔を作って、わずかに口角を上げていたのだった。
「あ・・・あの・・・斗毛元さん・・・。そろそろ入ってもいいですか・・・・?」
「ああ、待たせてしまってすまなかったな。」
店外へと避難させていた客を招き入れた俺は、椅子へと誘って中断していたカットを再開した。
「それで、一体何がどうなったんですか?」
「なぁに、たいしたことはない。気にするな。」
不安がる客に向けてニヒルに笑い白い歯を見せた俺は、何事もなかったように仕事に徹していく。
「・・・鯖いらん?」
「は!?」
「頼む。何も聞かずに、鯖を持って帰ってはくれまいか?」

 俺と未来久留巣との戦いの日々が、本格的に幕を開けた瞬間だった。

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登場人物紹介

斗毛元 40代の中年理容師

大阪府内某所にベルべレソンという理容室を営んでいる。

ハードボイルドに生きることを生業として、様々な客や困難に立ち向かっていく。

妻・・・30代後半、斗毛元の意向によりバーを経営しているが文句タラタラの恐妻。

シュウさん・・・武器や様々な器材を調達してくれる斗毛元の強い味方。

服部・・・斗毛元馴染の蕎麦屋の店主。

上松瀬警部・・・斗毛元とは旧知の間柄であり相棒の敏腕警部。極度の熟女好き。

米谷・・・ベルべレソンの常連客。常にしゃべり続けて絡んでくるウザい芸人顔負けの一般人。

未来久留巣・・・かつての斗毛元の上司であり、理容師業界に一大勢力を築いている。斗毛元抹殺を誓い、手段を選ばずに襲いかかってくる。

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