第3話

文字数 4,022文字

 理容師のプロフェッショナルとして日々の激務に追われている俺にとっては、休むこともまた大切な仕事のうちだ。
プライベートな休日を有意義に過ごすことで心身をリフレッシュさせる、だからこそ休み明けにさらに完璧な仕事ができるってもんだ。
そんなわけで俺は今、昼下がりの公園で園内の湖面を見ながら、優雅にコンビニで買ったカウンターコーヒーを飲んでいる。
Mサイズのホットコーヒーに、スティックシュガーを2本、ガムシロップを3個、ミルクも4個入れたコーヒーを、湖沿いの柵に寄りかかりながら小指を立てて飲んでいる。
苦み走った表情を作りながら、ちびりちびりとコーヒーを口に運んでいく。
えっ?そのコーヒー全然苦くなんかないだろうって?
愚問だな、例えコーヒーがどれだけ甘かったとしても、眉間にしわを深く刻んで渋い魅力を崩さない、それがハードボイルドな俺にとってのトレンディーなのさ、ナウでヤングでオキャンピーな魅力ってやつなのさ。
自然はいい、常日頃大阪という都会の喧騒と闇の中に紛れて生きている俺にはな。
空は青く晴れやかで、風にそよぐ木の葉を見ているだけで、心が落ち着いていくったらないぜ。
おっ、あの群れを成して飛んでいる鳥は、シジュウカラだな。(正解はカラス)
鳥もまたいい、自由に空を飛びまわれるなんて、ちっぽけな俺という人間には夢であり憧れだ。
俺はしばし空を見上げたまま、大空を飛び交う鳥たちを目で追い続けていた。
ポトポトっ!!・・・・べっちゃり!!
突然そんな俺の目に口の中に顔面に、無数の落下物が降りかかってきた。
それらは上空からの自然の贈り物、早い話が鳥のフンだった。
「うわーーーーー!!あの鳥ども、俺に向かってフンを落としやがったーー!!」
俺の顔面は、果実などを消化した半固形物が入り混じった液状の鳥のフンで、ありえないくらい汚されていた。
「ぺっぺっぺっぺっぺっ!!」
口の中の唾液という唾液を総動員して、口内に侵入してきた鳥のフンを吐き出し、俺は吐き過ぎて少しえづいていた。
人間の物とは根本的に違うのだが、清潔かと問われればそうではなく、異なる類の悪臭も健在で俺の嗅覚に味覚に嫌でも嫌悪感を訴えてきやがる。
「臭えぇーーーー!!ばっちいーーーー!!これだよ!!だから自然は嫌いなんだよ!!夢のアウトドアライフだーー!?はっ、笑わせるぜ!!」
クールでダンディな俺にしては珍しく取り乱していると、その自然からもたらされた災難の一部始終を目撃していたカップルが、俺の方を指さしてゲラゲラ笑い転げていた。
そのまま追い打ちをかけるように、スマホを取り出した男の方が俺の鳥のフンまみれになった顔面にズームしてきて、動画を撮影し始めやがった。
きっとこの後動画投稿サイトにでも撮影した動画をアップして、「オッサンの災難(笑)」などというタイトルを付けて世界中に発信する気に違いねぇ。
ただでさえ恥ずかしい事態なのに、他人の不幸を笑うような輩には天誅を下すしかない、何が(笑)だ。
俺は気まずそうなそぶりを見せて公園から退散していくと見せかけて、このカップルから十分な距離を取って草木の茂みの中に身を隠した。
そして懐をまさぐった俺は、サイレンサー付きの拳銃を取り出して静かに構えた。
スマホをお互いに手にしながら、きゃははははとバカそうな笑いを振りまいているリア充共の手元を目掛けて、俺は素早く正確に連続して引き金を引いた。
するとカップルの手にしていたスマホは、どちらも見事に砕け散って修理不能のただの進化し過ぎた文明の残骸へとなり果てていったのだった。
何が起こったのか理解できなくて、スマホが急に壊れて大混乱なカップルの様子を目に焼き付けた俺は、空薬きょうを回収して公園を後にしていった。
ぎゃははははははは!!リア充め、爆発しろーー!!スマホなんて10年早いわ、新機種を買いに行った携帯ショップで、大混雑に巻き込まれてイライラしながら何時間も待たせれているがいいわーー!!
 公園を出てからも俺の全力に近いダッシュは続いた。
戦場を駆け巡るかの如く姿勢を低くした体勢で走り続けて間もなく、視界にコンビニを捉えた俺は神速で自動ドアをくぐった。
さらにそのまま店員に向けて店内に響き渡るような大声で、俺はこう叫んだ。
「すいませーーん!!トイレ貸してくださーーい!!ちょっと、顔面が鳥のフンまみれだもんでーー!!」
「・・・ど・・どうぞ、ご利用ください・・・・。」
珍妙な物を見る奇異の視線が店内の至る所から注がれているようだが、知ったことじゃあねぇさ。
俺はトイレの前までやって来ると、スライド式の引き戸を足で開けて、1つしかない男女兼用のトイレの内の洗面台の前に陣取った。
着用していたスーツのジャケットを脱いで、壁に取り付けられているフックにかけ、ワイシャツの袖を左右交互にめくっていき腕まくりして、水に濡れるのを防ぎにかかる。
休日であっても俺は常にスーツを着用している、何故ならハードボイルドに生きているからと、誰に聞かれたわけでもない問いに答えて鏡に向かって決め顔を作っては見たが、その顔面は鳥のフンまみれなわけで、おまけに直撃を食らってから少々時間が経ったせいで、水分が失われたフンがかぴかぴと固まり始めてやがるから厄介なことこの上ないぜ。
早速俺は蛇口から流れ出る水を両手のひらを合わせてためると、顔面へかけて洗い流そうと試みた。
だが、このコンビニのトイレに備え付けられている水道はセンサー式で、1度水を顔に持っていくと停止するもんだから、同様の手順を繰り返すのにはタイムラグが発生して、変な間ができて効率が悪いったらありゃしねぇ。
仕方なく俺は、右手をずっとセンサーが感知する位置に固定させて水を流し続け、左手だけを使って顔を洗うことを強いられる羽目になった。
おかげで時間はかかるわ洗いにくいわで、仏の心を持ったさすがの俺も、ストレスを感じずにはいられなかった。
「ああああああああーーーーーーーーー!!融通が利かないセンサーだぜ、ちくしょーーー!!!」
いいかよく聞けよセンサーちゃんよ!!
たまの休日にリフレッシュするために公園へとわざわざ足を運んでみたらだ!!
こちとらただコーヒーを飲んでただけで何も悪いことしちゃいねぇってのに、鳥から鳥フンの洗礼をこれでもかと顔面に食らわされてだ!!
ただでさえ恥ずかしいのに、その様子をバカップルに動画撮影されてだ!!
顔を洗おうとワラにも縋る思いで飛び込んだトイレの水道、お前だよお前!!
センサー式なのはまあいいとしてもだ、水はちょろちょろとしか出ない、おまけに少しでも手を動かそうものならもうセンサーが感知しねぇだとーー!!
ほわあぁぁぁーーーーーーーー!!ふゅわあぁぁぁぁぁーーーーーーーーー!!
沸騰した頭の中はごちゃごちゃしてきて、それでいて顔にこびり付いた鳥のフンはなかなか落ちない、湧き上がってくるこの胸の高鳴りをどこへ誰にぶつければいいというのか。
わからないまま答えが出ないまま、時間だけがいたずらに過ぎていった。
そうしていつの間にか、コンビニの店内にはトイレの順番を待つ人の列ができあがり増殖していったのだが、俺の眼中にはまるで入っていなかった。
「ああもう!!よく見たら髪にまでフンが絡みついているじゃないのよ!!」
俺が顔面と髪をなおもこすり洗い続けていると、遠慮がちにトイレのドアがノックされる音が聞こえてきた。
「入っている!当分出る予定もない!!」
無駄に尊大になってしまった態度で俺が答えると、今度は声を掛けられた。
「あのーー・・・お客様・・・・。大変申し訳ないのですが・・・・、他のお客様も・・・・待っておられますので・・・・・・。」
「おだまり!!」
あれ、俺ってばお〇ぎさん?それとも美〇さん?
反射的に出た自分自身の返答を脳内リピートしていると、店員と思しき声の主に続いて、その後ろから男女混合の様々な声が入り混じって、不満を乗せたボリュームがだんだんと上がって聞こえてくる。
「おい!!いつまで入っているんや!!」
「早よ出て来んかい!!」
「いい加減にしてよね!!」
「うんこ!!」
無視を決め込んで洗顔を続行するには耐え難いくらいに、激しさを増す一方の店員や客たちの罵声・怒声に、今日1日でたまりにたまった俺のストレスは限界突破してスパーキングした。
俺は顔を中心にずぶ濡れのまま、トイレの扉を開け放って店内へとなだれ込んで叫んだ。
「だから今!鳥のフンを洗い流しているって言っているでしょうがーーーーー!!!!!」
俺の左手から顔面から滴った水滴が店内の床にぽたぽたと落ちて、小さな水たまりが出来上がっていく。
俺の魂の叫びに気圧されたのか、口々に不平不満を吐き出していたトイレの順番待ちの客たちが、一同に押し黙って言葉を失っている。
だってそうだろう、ものすごい勢いでまくし立てて怒り狂った男の顔に、鳥のフンがあちこちこびり付いているのだから。
激しく啖呵を切った俺は無言でトイレの中に戻り、トイレットペーパーを何重にも厚くぐるぐる巻きに手に取って、乱暴に濡れた顔や髪を拭いていく。
そしてかけてあったスーツのジャケットを手にして、ずかずかとトイレ前の群衆の中心を割って歩き出した。
「ごめんなさーい!!お待たせしちゃって!!」
と何だかこのコンビニでの滞在時間の後半はおねえになっちまったが、最後はスマートかつダンディな脚運びで俺は出て行った。
 
 うん、とりあえずいったん帰って風呂に入ろうか。
夕げの匂いがあちこちで漂い始めた街の中を、俺はこんな時こそ雨でも降ってくれ、そぼ降る雨に打たれて顔面の汚れをきれいさっぱり洗い流してくれと思いながら、スキップしながら家路をたどっていったのだった。

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登場人物紹介

斗毛元 40代の中年理容師

大阪府内某所にベルべレソンという理容室を営んでいる。

ハードボイルドに生きることを生業として、様々な客や困難に立ち向かっていく。

妻・・・30代後半、斗毛元の意向によりバーを経営しているが文句タラタラの恐妻。

シュウさん・・・武器や様々な器材を調達してくれる斗毛元の強い味方。

服部・・・斗毛元馴染の蕎麦屋の店主。

上松瀬警部・・・斗毛元とは旧知の間柄であり相棒の敏腕警部。極度の熟女好き。

米谷・・・ベルべレソンの常連客。常にしゃべり続けて絡んでくるウザい芸人顔負けの一般人。

未来久留巣・・・かつての斗毛元の上司であり、理容師業界に一大勢力を築いている。斗毛元抹殺を誓い、手段を選ばずに襲いかかってくる。

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