第15話

文字数 6,809文字

 緑が目にも鮮やかに映えた広大な敷地内にて、自らの肉体の鍛錬に励んでいる屈強な体格の男が休む間も惜しみながら、自分を追い込み続けていた。
きれいに整備された芝生の緑にも視覚的に見劣りしない、真っ赤なパンツを身に纏い、隆起させた肩や腕、太ももから脛に至るまでの惜しみなく晒された肉体美が躍動している。
だが何より存在を主張しているのは、個性的なモヒカンのヘアスタイルと、胸に蓄えられた剛毛たる胸毛だろう。
蚊などが迂闊に胸毛の中に侵入しようものなら、その生い茂ったジャングルから脱出することは2度とかなわず、息絶えてしまうに違いない。
成人男性何人分かの見当もつかない重量のダンベルを使って筋肉を刺激しては、浮かび上がった血管が破裂しそうになって見える。
そのまま休息も満足に取ることなく、男はまるで生き急ぐが如く、1分1秒さえも惜しいと言わんばかりに、芝生の中央に設営されている巨大なプロレスのリングに、ロープを潜って上っていった。
準備運動としてスクワットに興じた後、胸毛を逆立てるように手櫛を通して吠えた男に、おずおずと対面から複数の男がリング上に上ってきた。
「お願いします!」
相対した数名のうちの1人が声を張り上げて挑もうとするが、赤パン一丁の男の気合に満ちた咆哮がその声を一瞬でかき消していく。
「ウオオオオォォォォォォーーーーーーー!!!!」
両腕を掲げて叫ぶ姿はさながら野生の獰猛な肉食動物そのもの、この時点で勝負は決したようなものだ。
案の定、代わる代わる男に向かっていく挑戦者たちは、ろくに技をかけることもままならず、次々にマットに沈んでいったのだから。
「どうした!!もっと本気で来い!!」
「はい!!」
挑発されて挑んでいく男たちは、1人として決して弱い相手ではなかった。
だがそれ以上に、軽々と薙ぎ払っていく赤パン一丁の男の力量が圧倒的過ぎるだけだ。
特に男が繰り出すラリアットの威力は尋常ではなく、常人レベルを超えた挑戦者たちをいとも容易く吹き飛ばしていくのだから恐ろしい。
「いつも言っているだろうが!!常に俺を殺す気でかかって来いと!!」
男は真剣勝負、否それ以上の命を懸けた極限の戦いを本気で渇望しているようだ。
しかしマットの上で伸びてしまった挑戦者たちにはその願望をかなえることは荷が重く、男は苦虫を噛み潰しながら虚しさに苛まれていた。
「ちっ!!貧弱なる者はいらない!!貴様らは今日限りでクビだ!!」
男はそう言い放つと、消化不良な熱情をぶつけるためなのか、自らの立派な胸毛を力任せに乱暴に引きちぎって後にしていった。
芝生の上に引き抜かれた胸毛がひらひらと舞い落ちていき、黒くシミを作っていく。
 頬を伝う汗など気にならぬ、大股で歩いていくこの赤パン一丁の男こそ、未来久留巣(みらくるす)。
斗毛元のかつての上司であり雇い主でもあり、時を経て今、悲願の斗毛元の抹殺を成し遂げようと全身全霊をかけているのだった。

 徳島県で生まれた未来久留巣。
幼い頃より柔道・剣道・空手と、ありとあらゆる格闘技に熱中していく日々を送っていた。
学生時代にはボクシングやレスリングなどにも精通し、己の肉体の強さのみを追求することに捧げた青春だった。
将来の夢は世界各地を渡り歩き、ひたすら強い人間を倒していくことに決めていた。
そんな高校3年生のある日、将来の進むべき道について父親に真っ向から否定された。
父であり自身の師でもあった父にはさすがの未来久留巣も敵うはずもなく、これ以上ないほどに叩きのめされた結果、自身の未熟さを思い知ると同時に異なる道を進むべきだと考えざるを得なかった。
進学か就職か、悩みあぐねていた未来久留巣だったが、当時付き合っていた彼女の影響でこれまでの自身の生い立ちとはまるで似つかわしくない、理容師の道へと進路を決めて専門学校に進学したのだった。
というか、未来久留巣が通うことになった専門学校の目と鼻の先に、彼女が進学した大学があり、早い話離れたくないという若さと性欲に負けただけの選択だったのだが・・・・。
ちなみに当時付き合っていた彼女は、底なしの体力自慢だった若き日の未来久留巣が、毎夜1日最低10ラウンドに及ぶ身体の繋がりを求めてくることに付いていけなくなり、すぐに破局を迎えることになったのだった。
 進学した目的の大半を失った未来久留巣は、その後も専門学校に抜け殻になりながらも何とか通い続け、理容師として必要な技術や知識を習得してはいった。
だが、はっきり言って未来久留巣には、理容師としての飛び抜けた才は持ち合わせてはいなかった。
このまま順調に卒業したら、どこかの理容室に雇ってもらうことはできるだろう。
しかしその先はどうか?
独立して自分の店を持ち、一生食べていけるだけの理容師になれるのだろうか?
気が付けばいつも、未来久留巣はこの疑問の渦の中に取り込まれていた。
そんな未来久留巣はある日、自分が持つ別の才能に気付くことになった。
ギャンブルだ。
専門学校在学中から頻繁に通っていたパチンコを始め、競馬や競輪といったギャンブルにおいて勝負勘は冴えを見せ、大小の開きはあったが必ず勝ち、負けたことはなかったのだった。
その不敗神話を自覚した時、彼の中で違ったビジョンが一気に広がりを見せることになる。
「とにかくギャンブルで勝ち続け金を貯めて独立し、腕に覚えのある理容師を雇って店舗を拡大していけばいい」。
20歳を超えて大人になっていた彼は、人は金で動く生き物だということも少なからず理解しており、自分が理容師の世界でナンバー1の技量を持った理容師になれないのであれば、業界でナンバー1の経営者になればいいではないかと。
 決して美しくはない将来像が構築された未来久留巣のその後は、立ち止まることなく駆け抜けていった。
専門学校卒業後に勤め始めた理容室での勤務もそこそこに、暇を見付けてはありとあらゆるギャンブルに励み、錬金術のように金を得ていったのだ。
勤め始めて3年も経った頃には、小さな店なら十分に開業できるほどの資金を得ていたという。
それでも1度火が付いた未来久留巣の志は高く、格闘の道を究めんとするような情熱と執念で資金集めにさらに拍車がかかっていった。
並行して、専門学校での同級生や近隣の理容室に足繁く通うようになり、技術を持った理容師に目を付けていくことも怠らなかった。
 
 そしてついに時は満ちた。
数億を超える資金を手にすることに成功した彼は、勤めていた店をある日突然に辞めて、独立の準備に動き出したのだ。
大阪府内の某所に「ジャロブス」という理容室の開店準備が着々と進行していき、以前から目を付けていた腕利きの理容師たちをヘッドハンティングするために精を出してもいった。
大金を積み従わせた者もいれば、金で動きそうのない相手には鍛え抜かれた肉体を駆使してなぎ倒し、文字通り力づくで配下に加えていったのだった。
そのような金と力で屈した理容師たちを従えて、電光石火の如く開店にこぎつけた未来久留巣は、晴れて理容師業界に殴り込んでいった。
 未来久留巣が開いたジャロブスは、開店から順調に業績を上げていきすぐに経営は軌道に乗った。
店内では未来久留巣自らが客に対して腕を振るうこともあったが、どちらかと言えば経営者として店の運営に徹していった。
「利益至上主義」はすでにこの時から彼の座右の銘となっており、運営される店もその色に染め上げられていった。
理容師としての技術の提供よりも、利用客に1円でも儲かるサービスを選択させて利益を得ることをとにかく優先された店、そこで雇われて働いていた理容師たちも自らの理想やポリシーそっちのけで、未来久留巣の意のままに動く兵隊へと化してしまっていた。
中にはそのような姿勢に反感を持つ者もいたが、理容師と言えども職業であるため、他店よりも高く支払われる給与という報酬には抗い難くついつい従ってしまうのだから、その点未来久留巣はなかなかに策士の一面も持ち合わせていたようだ。
 
 経営が軌道に乗ったからと言って、未来久留巣には一切の満足はなく、あるのは業界を支配したいという頂への渇望だった。
なので2号店・3号店と、近隣に続々と店舗を生み出しては、勢力を拡大していった。
利用客の満足度など知ったことではなかった、肝心なのはいかに店に利益が出るように言葉巧みに客を誘導し、意識のすり替えの如きあくどい手段と方法を用いてでも、金を落とさせるかのみだ。
その結果として店は大いに潤い、潤えばまた理容師を囲って店舗を増やす。
彼の思惑通りの日々が数年間続いていき、業界内でも未来久留巣の名は知れ渡っていったのだった。

 そんな順調過ぎる栄光の真っ只中に、だが1人の男が現れたことで運命は少しずつ変わっていくことになる。
1号店である「ジャロブス本店」に、理容師として専門学校を卒業して間もない頃の斗毛元が雇われたのだった。
本店には未来久留巣が基本的に常駐していたから、すぐに目に留まった。
斗毛元の持つ天性とでも言うべき理容師としての才能に気付いた彼は、今まで見て見ぬ振りをしてきた自分自身への皮肉めいた咎に思えてならなかった。
経営者としては確かに評価されてきたが、本業の理容師としては目立った功績を何1つ残せていなかった自分を、激しく糾弾されているかと錯覚するくらいに。
以来、日々の業務において斗毛元の一挙手一投足が、いちいち気になり癪に触って仕方がなかった。
その鬱憤を晴らすかのように、閉店後の店内ではミーティングと称して、延々と斗毛元を叱責したことも数え切れないほどあった。
並の新社会人ならば、逃げ出したくなるような避難や理不尽を浴びせられても、斗毛元は決してへこたれなかった。
備えられた強い精神力の正体は何なのか?
それは未来久留巣が1番最初に捨てた、純粋なる理容師としての技術の追求とプロとしての誇りに他ならなかった。
だからこそ斗毛元は屈しない、揺るぎはしなかったのだ。
自分の思い通りに行かないことが許せなかったし、癇に障って我慢がならなかった。
徹底的にいじめ抜きしごき倒して信念を曲げさせて、斗毛元を屈服させてやりたい、いつしか未来久留巣の脳内に芽生えた願望は鎖に縛られし呪縛へと化していった。
 斗毛元の未熟な点をあげ脚を取るように見付けては、完膚なきまでの指摘と叱責でもって追い込んでいく。
営業時であれば奥の休憩室に連れ込んでは、人格が崩壊してもおかしくはない罵倒を浴びせ、閉店後には他の理容師たちの前で、あえて見せしめの意味も込めた恫喝を繰り返す日々。
でも、斗毛元は折れない屈しない。
もちろんストレスや精神的な傷は少なからず負っていたことだろう、だがそれ以上に理容師としての技術を磨き頂を狙うハングリー精神が上回って、屈するどころか痛みを血肉に変えて強くなっていった。
一心不乱に前だけを見据えることに諦めない心、心に刃を内包していた斗毛元には、本物となりえる最も大切なものが備わっていた。
やがてめきめきと頭角を現した斗毛元は、名実共にジャロブス本店において未来久留巣に次ぐナンバー2の地位に君臨するようになる。
確かな技術と腕でたくさんの固定客を掴んでいた斗毛元だったが、仕事を遂行していく姿勢は入店した頃と何一つ変わっていなかった。
「理容師として、客の求める要望に最高の技術を用いて応える」
そのひたむきなまでの仕事ぶりに、斗毛元を指名する客は後を絶たず信頼関係は絶大に構築されていっていた。
同時にそれは、「利益至上主義」の未来久留巣の方針とは対極にあるものであり、ますます彼の反感を買い怒りを増幅させるものだった。
すでに一方的な高圧的な言動による暴力では斗毛元をねじ伏せられないと悟っていた彼は、どのようにして心を折るべきか再考を余儀なくされていた。
いっそのこと閑職に追いやったり、冷遇を徹底させて自分から辞めさせるよう仕向けることを考えなくもなかったが、その方法では決別には成功しても斗毛元を屈服させるという大前提の失敗を意味していたからできなかった。
「利用客最優先主義」と「利益優先主義」の相反する2つの信念が静かに店内で火花を散らす、冷戦状態の日々が幾日も流れていった。
 だがそんなある日、ついに長い時をかけてじわじわと真綿で首を絞めてきたダメージが蓄積し、ひょんなことから未来久留巣の信念に耐えられなくなった斗毛元は、彼を殴り飛ばすのと引き換えに店を辞めていったのだった。
予期せぬ一撃を食らってしまった未来久留巣は、去り行く斗毛元の後ろ姿を見つめながら、試合に勝って勝負に負けた屈辱感だけを感じていた。

 それから何年も過ぎたある日、斗毛元のことを忘れてしまったわけではなかったが、強引な経営手腕が発揮された結果フランチャイズ化は猛烈に進み、未来久留巣は理容師業界での巨大勢力に進化を遂げていた。
溢れる富を手にした彼は、世間一般的に見れば人生の成功者として認められるはず。
しかし店舗を拡大すればするほど、売り上げの増加に利益の急上昇をもってすればするほど、空虚な心が穴を開けていくように、逆に自分という人間から大切なものが零れ落ちて行っているどうしようもない闇が、未来久留巣を捉えて決して離そうとしなかった。
闇の元凶は紛れもなく、自らの人生での唯一の汚点と言える、15歳年下の理容師斗毛元だ。
情報網から得た情報では、ジャロブス本店からそう遠くない場所にて、独立した斗毛元が自分の店を持ち理容師として生きていることを掴んではいた。
けれども年を取ったせいもあるのか、今や大規模なチェーン展開をしている成功者の自分が、しがない小さな店を経営しているに過ぎない斗毛元に対して、意識してみたとて何だというのか。
すでに理容師としての成功度合いも、戦力差も圧倒的に歴然としている。
そんな自らの成功が仇となって、いつしか斗毛元に対する思いもどうでもよくなっており、したがって闇を振り払うことも受け入れてしまっていた。

 漠然と人生のゴールが見え始めてきた未来久留巣、1年前のあの日を迎えなければ、何事もない終焉を迎えられていたことだろう。
体力自慢で身体の強固さや頑丈さには、年を重ねてもなお誰にも負けない自信があった。
それゆえに長年受診していなかった健康診断に、暇ができた気まぐれに参加したことがきっかけだった。
自分の身体のことは自分が1番わかっている、昔気質の考え方かもしれないが。
彼には自覚など皆無だった、が、恐ろしき病魔は限りなく進行した状態で蝕んでいた。
診断結果を医師から聞かされた時、蝕む病は完治不可能な悪性であると断言された時、彼は動揺するよりショックに打ちひしがれるより何よりも、やり残したただ1つの汚点に向き合い叩き潰してやらなければと、忘れかけていた闘志がメラメラと湧き上がってきたという。
 
 「理容師としての抹殺 1人の人間としての斗毛元の消滅と敗北を見届けること」
決意が宿れば果たすのみ、未来久留巣は自身の病を克服するためではなく、たった1人の憎い理容師を亡き者にするために立ち上がり動き出した。
日課として行っていたトレーニングの量と強度を極限にまで上げ、格闘技に打ち込んでいた若かりし全盛期をも凌駕する肉体を鍛え作り直していった。
加えて全財産を投げうってでも積み上げてきたすべてを失ったとしても、引き換えに斗毛元に引導を渡す。
理容師の業界内外で培った人脈やあらゆる権力を用いて、手段も方法も生死さえも問わない、命の駆け引きをしてやると。
憎しみと執念は実を結んで形を成し、「斗毛元抹殺作戦」の火ぶたは切って落とされたのだった。

 かくして、斗毛元と未来久留巣の壮絶なる戦いの日々が始まった。
未来久留巣にとっては、人生での最後の戦いを意味する。
腕利きの殺し屋のプロを雇い、法律など無視して大量の兵器に最新鋭のハイテク機器も導入し、相応の戦力を備えた物量でのなりふり構わぬ戦い。
ここまで、そのいずれの戦いにおいても斗毛元の前に敗れている。
怒りが湧き屈辱を味わう度に引き裂かれる思いになるが、それらすべては何よりの生きているという証そのもの。
だからまた、何度でも戦いを挑んでいくのだろう。
屈辱にまみれた中に見出した高揚感が突き動かし、命の最後の火が燃え尽きるまで未来久留巣は、斗毛元の命を狙って暗躍し続ける・・・・・。
取り戻した因縁の相手との極限の戦いの先に、生きた証を刻まんとする勝利への渇望のままに、未来久留巣はもう決して止まることはない。
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登場人物紹介

斗毛元 40代の中年理容師

大阪府内某所にベルべレソンという理容室を営んでいる。

ハードボイルドに生きることを生業として、様々な客や困難に立ち向かっていく。

妻・・・30代後半、斗毛元の意向によりバーを経営しているが文句タラタラの恐妻。

シュウさん・・・武器や様々な器材を調達してくれる斗毛元の強い味方。

服部・・・斗毛元馴染の蕎麦屋の店主。

上松瀬警部・・・斗毛元とは旧知の間柄であり相棒の敏腕警部。極度の熟女好き。

米谷・・・ベルべレソンの常連客。常にしゃべり続けて絡んでくるウザい芸人顔負けの一般人。

未来久留巣・・・かつての斗毛元の上司であり、理容師業界に一大勢力を築いている。斗毛元抹殺を誓い、手段を選ばずに襲いかかってくる。

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