第1話

文字数 8,799文字

 大阪府某所。
俺はこの店ベルべレソンを営む店主、名前はまだない、ウソウソあるある、斗毛元だ。
高校卒業後専門学校に通ったのち、俺はこの業界に足を踏み入れた。
10年前に独立して開店したこの店を、俺は1人で切り盛りしている。
予約優先性のスタイルを取ってはいるが、いつ何時でも髪を切ることを求められれば、俺は客を選ばずただ切るだけだ。
己の美意識にのみ生きる、金では決して動かない、何故かって?
それはこの俺がハードボイルドだからに他ならないからだ。

 今日は朝からあいにくの雨。
平日の午前中ということもあり、予約客もなく店内はとても静かだ。
降りしきる雨粒を見ていると、何だかこちらの気分まで滅入ってしまいそうでいけない。
俺は憂鬱さを振り払うべく、入り口に外出中の看板を掛けて、3軒先のコンビニへと足を運ぶことにする。
コンビニの店内に入るなり、俺の足は一直線に進んでいった。
眼下に見下ろす棚には、紙パックの飲料がずらりと並べられている。
こんな雨の日には、乳酸菌飲料に限る。
500mlの乳酸菌飲料の奥から2番目を手に取った俺は、真っすぐにレジへと向かっていく。
何故手前の物を取らなかったのかって?
後ろの方が新鮮だからさ、そんなことは常識だぜ。
2台のレジが並んでいて、片方のレジには20代の男性店員、おそらく大学生だろう。
もう片方のレジには30代前半の女性店員、人妻でパート中といったところか。
俺は迷うことなく、人妻(想像)がいる方のレジに並んだ。
「ポイントカードはお持ちですか?」
「・・・・そんなものは持っちゃあいないぜ・・・!!」
「よろしければお作りになりますか?」
「いや、遠慮しておこう。」
ニヒルに答えた俺の内心、だって入会手続きって超面倒臭いし!!
「ストローはお付けいたしますか?」
「もらおう。おっと、長い方ね!!長い方のストローを付けてくれるかい、お嬢さん。」
「かしこまりました。」
「袋にお入れいたしますか?」
「愚問だな・・・・、もちろん入れてください、あっ、1番大きい袋にね!!」
「・・・かしこまりました・・・・」
例え買うものが1つだけだとしても、必ず袋に入れてもらうのが俺のポリシーなのさ。
「ありがとうございました!!」
「・・・どうも、お嬢さん!」
俺は哀愁を帯びた背中を見せつけて、コンビニを後にしていった。
「ちょっと、今宮君。」
「どうしたんですか、藤本さん?」
「今のお客さん、やっぱり変な人だわ~!!しょっちゅう来るけど、いつも何かちょっと気持ち悪いのよねぇ~!!」
「いろんな人がいますからねぇ~。あのお客さんは有名ですよね、この店の変な客リストナンバー1ですから。」
「だよねぇ~!!」

 コンビニから店に戻って来た俺は、紙パックに入った乳酸菌飲料をストローでチュウチュウ飲んでいる。
未だ振り続けている雨、予報だと午後には上がるとのことだったのだが。
雨によって遠のいている客足が訪れなければ、今日は17時まで予約客もなしという閑古鳥状態だ。
俺は溜息を1つ吐き、ダンディズムを決め込んでみた。
じっとしていても始まらない、少し早いが昼飯にでもするかと、俺はレジカウンターの奥に立てかけてあったメニュー表を手に取る。
この店の左隣で営業している喫茶店に出前を頼むべく、ぺらぺらと何を注文したものかとメニュー表をめくって、ハンバーグセットにすることにした。
ちなみに昼飯にハンバーグセットを頼むのは、今日で5日連続である。
だって、ハンバーグ好きなんだもん!!
電話をかけるまでもなく、直接注文を伝えるべく店のドアを開けようとした時、親子連れの客がやって来た。
「すす・・すみません、予約してないんですけど・・・今からとか大丈夫でしょうか・・・?」
気弱そうにこちらの様子をうかがうように訊ねてきたのは、40歳くらいの中年男性で妙にあたふたしてやがる。
左手につないだ子供が見上げる目線の先、俺は極めて紳士的な笑顔をたたえて答える。
「大丈夫ですよ、今は見ての通り暇だったものでね。」
「良かった・・・・。」
髪の毛1つ切るにしては、少々大げさすぎる安堵に思えてならないが、俺は2人を店の中に招き入れて、準備に取り掛かった。
緩めてあったネクタイをきつく締め直し、ジャケットを羽織って臨戦態勢は整った。
俺は仕事中の服装は、スーツで通すことにしている。
うん?動きにくくないのか、作業に適さないんじゃないのかって?
ハッハッハッハ、何をおっしゃるウサギさん、ハードボイルドな男にとってスーツを着こなすことは必須だぜ。
だが、エプロンの着用を忘れちゃあいけねぇぜ。
せっかくの一張羅が髪の毛まみれになったりしたら、まったく笑えねぇからなぁ。
正面に猫ちゃんの顔がプリントされたエプロンを抜かりなく重ね着て、ハサミを素早く抜く動作を数回繰り返してみる。
おいおい、今日の俺の調子の良さも相変わらずだぜ。
 「それで、2人共ってことでいいのかい?」
「は・はい、よ・・よよ・・よろしくお願いします。」
「うむ、心得た。ではまず、坊ちゃんの方からやらせてもらおうかな。」
俺は父親を待合スペースの椅子に座らせて待たせ、子供の方から仕事に取り掛かった。
5歳か6歳くらいの男の子、この年頃は何かと厄介だぜ。
鏡を前に座った子供は、ピクリともクスリともしやがらねぇ。
俺は子供のご機嫌を取るなんてことはせず、父親に質問を重ねていった。
「今日はどのような感じで?」
「は・・・はい、そうですねぇ・・・・。どうしようかなぁ・・・・。」
考えをまとめてから来いや、こちとら遊びじゃないんだぜ。
「短め?長め?どうするんだい?」
「じゃじゃあ・・・短めで・・・・。」
「どれくらい?」
「え・・・えと・・・そうですねぇ・・・・。じゃあついでにバリカンでくりくりにしてください・・・!!」
一体何のついでだというのかわかりはしないが、俺はハードボイルドを崩さない。
「あいよ。」
俺は父親のご希望通りに、おかっぱ頭に近かった子供の髪を、まずハサミで大まかに切っていった。
結構思い切ったイメージチェンジが今まさに行われているのだが、当の本人である子供はまったくもって無関心で無表情を決め込んでやがる。
ひとしきり切り終えた俺は、手慣れた手つきでバリカンを手にした。
5ミリにセットされたバリカンがうなりを立てて、子供の髪を刈り取っていく。
床にはボトボトと髪が落ちていき、その様はさながら羊毛を収穫期に刈り取っていく、いつか目にした風景を思い出させて俺を懐かしい気分にさせる。(海外旅行経験なし)
おとなしい子供の頭を丸刈りにするなんて、俺にとっては造作もない仕事であり、顔面にシャボンを塗りたくってシェービングをするのと、シャンプーして洗い流す行程を含めても、あっという間に流れるように終わらせてみせた。
「はい、終わったよ!」
と、父親に向けてドヤ顔を決めて報告する、念のためもう1度ドヤ顔したりなんかして。
自分の髪が切られる一部始終の行為が終わるまで、完璧に無表情を貫いた子供を椅子から降ろして、続けて父親の散髪に取り掛かるその前に。
俺は整理整頓された用具置き場においてある缶の中から、飴玉を5個掴んで待合スペースへと向かった。
「坊や、親父さんの散髪が終わるまでこれでも舐めて待ってな。」
そう言って俺は子供に飴玉を渡すが、やはり無反応で無表情だ。
子供に渡した飴玉は、嫌がらせのように5個すべてがハッカ味だったけれどね!!
人生とはハッカのように辛く刺激的なのだ、甘えてちゃあいけねぇぜ。
 鏡の前では準備を終えた父親が座らされており、俺はヘアスタイルの要望を聞いてみた。
「では、どのように?」
「あっ・・・は・はい・・・・・、」
子供の時と同じように、どうせ日和った希望を口走るのだろうと俺は高をくくっていたのだが、父親が恐る恐ると口を開けば、
「では襟足の長さは7センチ流して、サイドはアシンメトリー、つまり左右非対称で右側を長く左側を短く。具体的には、右側は耳から3センチだけバリカンを入れて、左側は耳から8センチ刈り上げて、バリカンは右側5ミリ、左側は3ミリ、襟足は4ミリに。前髪は眉毛の上1.5センチの長さをキープして、仕上げにワックスを付けて左に自然に流して。」
「・・・・・・・・・・。」
「ま・・・まあ・・・、あえて言えばそれくらいですかね・・・・」
「十分すぎるぜ・・・。」
自分の子供の髪にはあれだけ適当だったのに、自分のこととなると豹変した細かすぎる神経質なのか、何にせよ面倒臭えぇーーーーー!!
仕上がりを丸投げされるのも面倒臭いが、ここまで細かく指定してくる奴は、これはこれで面倒臭いと言うか、軽く殺意が湧いてきやがるぜ。
「お・・・・お願い・・・・します・・・・」
「アイムッシュ!!」
俺は少しやけくそ気味だったが、すぐに心を立て直して仕事に取り掛かっていった。
自分の仕事には誇りを持ち、常に完璧なものを求める、それが俺って男さ。
俺は長年使い込んできた愛用のハサミを操り、丁寧かつきめの細かい仕事をすることに徹していく。
そうさせるのはもちろん俺のプロとしてのプライドもあるのだが、それよりも何よりもこの父親が俺が手を加える度にその箇所を瞬き1つせず、鏡越しに食い入るように見つめ続けてくるからだ。
何こいつ、ちょっと怖いんですけど!!
 
 それでも順調に仕事をこなしていった俺は、作業量的にも折り返し地点を超えて、手応えと終わりが見えてきた。
そんな時だ。
これまで待合スペースの椅子に人形のようにじっと座って、俺が与えたハッカ味の飴玉を食べ続けていた子供が席を立って、父親の元へとやって来たのだ。
「ど・・・・どうしたんだい・・・・?」
俺にカットの指示を出すときはあれだけ強気にハキハキしゃべるくせに、それ以外の会話はしどろもどろな父親が尋ねる。
「うんこ!!」
尋ねられた子供が、羞恥の概念など一切なく堂々と言い放った。
「ひえぇぇぇーーーー!!」
突然の子供の便意の告白に、素っ頓狂な声を上げて驚く父親、何もそこまで驚かなくてもいいんじゃないのか。
「・・が・・・我慢できないのか・・・?」
子供は表情を崩すことなく、コクリと頷いた。
「お・・・お父さん・・・もうすぐ終わるから・・・・、家まで我慢・・・できないか・・・?」
そんなものは無理だと、子供は首が吹き飛ぶくらい激しく左右に振る。
その態度に回避不可能と悟った父親が、覚悟を決めるように俺に恐々尋ねてきた。
「あ・・・あの・・・、その・・・・、トイレをお借りすることは・・・で・・できますでしょうか・・・・?」
できるよ、できるからさ!!
「トイレは階段上った目の前に。」
「すすす・・すみません。・・ありがとう・・・ございやし!!」
噛んでやがるし、別にいいから。
「坊や、1人でトイレできるかい?」
俺はソフトに尋ねると、子供はできるとも答えず首肯することもなく、代わりに父親の前に開いた右手を差し出し、トイレへの付き添いをきっぱりと拒否してみせた。
そしてそのまま1人で階段を上っていき、トイレへと入っていった。

 自分の息子が無事に1人で用を足せるのか気が気ではない様子の父親だったが、俺に対してはカットにシェービングにシャンプーに至るまで、事細かにチェックを入れてきて口を挟んでくることは忘れていなかったから、鬱陶しいぜ。
本当に面倒臭い親父ったら、ありゃしねぇぜ・・・・。
それでも俺はプロであるわけだから、目の前の仕事を確実に遂行するだけさ。
父親から注文を受けたしっとり目のシャンプーを使って、備え付けのシャワー台で髪を洗っていると、用を足し終えた子供が階段を下りて戻って来た。
不遜な子供は父親にも、もちろん俺にも目を向けることなく、待合スペースの椅子に腰を下ろして絵本を手に取り読みふけりだす。
「かゆいところは?」
と、俺は手を止めずに父親に問う。
「つむじの中心と、左側頭部にいかんともしがたいかゆみがある!!」
と返されたので、俺はポケットに忍ばせていた通称鉄たわしで、父親の指摘箇所を中心に力の限りぐりぐりこすり続けてやったぜ。
無数の突起が患部を刺激していくと、父親が恍惚の表情を浮かべて身悶えだす。
「オウ!!オウ、イエス!!カモン!!」
言っておくがこれはプレイじゃない、単なる洗髪だ。
初めての刺激に昇天した父親のシャンプーを洗い流し、タオルで水分を拭きとってドライヤーで乾かしにかかる。
仕上げにこれまた父親のご所望通りにワックスを手に取った俺は、寸分違わず髪をセットしてこれで完成だ。
椅子から店内の床に足を落とした瞬間、父親は背骨を抜かれたように猫背になり、急に低姿勢に戻った。
何この親父、ジキルなの?ハイドなの?
刷毛を使って服に付着していた髪の毛を払い落として、この親子をレジへと誘導する。
「あ・・・あの・・・おいくらでしょうか・・・・?」
代金を払うために手にして広げられた父親の財布の札入れの部分は、レシートが100万円くらいの厚さで収められており、領収書の数だけならちょっとした成金野郎だ。
「大人カット3500円、子供2000円、合計で5500円。」
と俺が告げると、父親の顔に動揺が広がった。
「・・・・・・!!」
取り乱して財布をいじりまくっている父親に、俺は怪訝な顔を向けた。
「・・・あ・・あの・・・、4800円しか・・・・その・・・持ち合わせが・・・・。」
やっぱり足りなかったのか、俺の仕事に対する代金を踏み倒されることがあってはならない。
だが俺は、どっかの帝王とは違ったし、何より一仕事したことで空腹だった。
仕方なく俺は1枚の用紙を取り出し、父親に記入を促した。
「これ、この店のメンバーカードの申し込み用紙なんだが、住所と氏名と電話番号を記入してくれるかい?」
「は・・・・はい・・・・。」
「足りない分は次回の来店時に払ってもらうか、日を改めてこちらから自宅まで取りに行く形でよろしいか?」
「は・・・はい・・・・、もちろん結構であります・・・・。」
「ただし、ウソの住所や電話番号を書いたら、その時はただでは済まないがな。」
俺の目と声音が鋭くなったことで、この父親は震えながら住所氏名連絡先を記入していった。
それを確認した俺は、とりあえず父親の有り金のすべて4800円をいただき、事を収めたのだった。
会計を済ませた父親は、俺に借りができたことでさらに小さくなって、何度も何度も頭を下げながら、子供の手を引いて店を後にしていった。
 何だか少し疲れた俺は、タバコに火を着けて一服して気分を落ち着ける。
紫煙をくゆらせながら、俺は盛大にため息をつき苦みを噛み締めて、う~んダンディ。
しばしの静寂の後、灰皿にタバコをもみ消した俺は店のドアに手をかけて、左隣の喫茶店に入っていきマスターに昼飯の出前の注文をいつものように済ませて、すぐに戻って来た。
飯を食う前にトイレにでも行っておくかと、俺はじきに届けられるハンバーグに思いを馳せて、階段を上がっていった。
が、トイレのドアを開けた瞬間、俺の高揚感も食欲も一気に吹き飛んだ。
「何やねんなーー、これはーーー!!!」

 トイレの扉を開け放った俺に、まず強烈な悪臭が襲いかかってきやがった。
その強烈さに、思わず目をつぶってしまった俺は、意を決して瞼を開いたが、飛び込んで来たのは便器の周りにまき散らすように脱糞された無数のうんこだった。
あえて便器を使って脱糞することを拒否したとでも言うのか。
便器の周りを取り囲んで、10センチ間隔でうさぎの糞のサイズのうんこが床に転がっている。
それだけではない、コロコロうんこで見事に便器の周りを1周分取り囲んだだけでは飽き足らず、閉じられたままの便器の蓋の上に残ったすべての脱糞を果たしたのか、盛大に放出されたうんこが溢れんばかりに盛られてとぐろを巻いていやがる。
一体どのような方法を取ればこのように用を足せるのか正解が見付からず、甚だ疑問ではあるが、目の前に広がる惨劇の痕跡は紛れもない現実だ。
「さっきのガキだな・・・・!!あのガキ、よくもやりやがったな!!絶対に許さんぞ!!」
俺はさっきのふてぶてしいガキの顔を脳裏に浮かべながら、用具入れからトイレ掃除道具一式を持ってきて、ビニール手袋を厳重に3枚重ね、口にはマスク、目にはゴーグルをはめ、鼻は洗濯ばさみで止めた状態で、トイレを掃除するしかなかった。
黙ったまま黙々と掃除をしている俺は、出前を運んできた喫茶店のウエイトレスの呼びかけにもぞんざいに上階から返事のみで応じただけで、掃除する手を止めることはなかった。
あのガキが産み出した転がるうんこを1つ1つ、トイレットペーパーで掴み取っては流して、便器の蓋の上の塊は3度に分けて流し去った。
その後はひたすらトイレ用洗剤とアルコール消毒スプレーを駆使して、何度も何度もモップをかけ便器を拭いて磨き上げ、気が付けばすっかり雨も上がり、トイレの小窓からは夕陽が差し込んできていた。
17時からの予約客が来るまで、何時間も俺はトイレ掃除をこなしていった。

 21時過ぎ、この日の最後の客を見送った俺には、まだしなければならないことがあった。
店の電話の受話器を手に取り、ある男に電話をかける。
コール音が鳴り始めたと同時にすぐに電話に出た相手に、俺は静かに怒りを宿した声で問いかけた。
「シュウさん、調達してほしいものがあるんだが・・・・・。」

 
 数日後、大阪府内の住宅街。
深夜の暗がりに紛れて、住宅街を静かに移動する影が1つ。
全身黒のウエットスーツに身を包んだ男が、辺りを警戒しながら移動している。
周囲を用心深く警戒しながら物陰から物陰へと、素早く移動していくその男の身のこなしは、しっかりとした訓練を受けた軍人のように一部の隙もなく、洗練されている。
やがてその男はとある1軒の家の前までやって来ると、立ち止まってより一層の警戒を強めた。
周囲に人の気配が何もないことを確認した男は、軽々と塀を乗り越えると、背負っていた荷物の中から道具と紙切れを取り出した。
紙を開いた男がそれに目をやる、どうやらこの家の見取り図のようだ。
獲物を狙う凶悪な肉食獣の目つきが、黒く覆われた顔の隙間からわずかに覗いていた。
男は見取り図を折りたたんでしまうと、瞬く間にガラス窓の前に移動した。
その頭上には警報装置が取り付けられている。
男は懐をまさぐり、小型のスプレー缶を取り出して、警報装置に向かってスプレーを噴射した。
警報装置は白く凍っていって、もはや侵入者に対しての役目を果たせなくなっていた。
男は立て続けに、今度はガラス窓に道具を押し当てて使用し、カギの部分に外側から円形の穴をあけることに成功する。
開けられた穴に右手を入れた男が、内側からロックを解除して窓を静かにスライドさせて、室内へと侵入成功。
電気の消えた廊下だったが、男の足取りには一切の迷いがなく、一直線に目的の地点へと足音1つ立てずに到達していく。
男がたどり着いたのは、突き当りの部屋の前だった。
ドアを開けて侵入し照明をつけることなく、男は口にくわえた懐中電灯のわずかな灯りだけを頼りに、手際よく何かを取り付けている。
1分もかからずに取り付けが完了すると、男は装置の電源を入れて、忍者のような素早さでこの家から脱出したのだった。

 作戦を完遂させた男は、人気のない離れた場所で黒いウエットスーツを脱ぎ捨てている。
荷物の中から取り出した着替えの服に着替え終わると、代わってウエットスーツを素早くたたんで収納していく。
ここは見晴らしのいい高台の上、先ほどの住宅地からは少し離れた距離にある場所だった。
男はそこから一望できるそれなりに美しい景色には興味を示すことなく、望遠鏡を手にしてのぞき込んでいる。
捉えた視界には、あの家がピントを合わせられて映っていた。
男はじっと視線を動かさず、しばらく見つめ続けていたが、右手で小さな装置を手に取ってニヤリと笑った。
「グッバイ!!」
と呟くと親指でその装置のボタンを押して、何かを起動させた。
すると時間差はほとんどなく、望遠鏡で捉えている家から爆発音が聞こえ、悲鳴が聞こえだした。
「どどど・・・どうしたんだ・・・何が起こったんだ・・・・!!」
「あなたトイレが!!トイレの水道管が破裂して、水が噴き出して止まらないのーー!!」
「ななな・・・なん何だってーーー!!」
「うんこ!!」
「い・・・・今はちょっと我慢しなさい・・・・・!!」
家族の悲鳴と叫びが鳴り響き、トイレを中心とした室内が水浸しになっていく中、その混乱の波は周囲の住人にも伝播していき、ちょっとした事件発生の様相を呈している。
男はその様子を望遠鏡で見届けると、荷物を抱えてその場をゆっくりと後にしていった。
 
 店のトイレをうんこまみれにした子供の一家に復讐を果たすべく、一家の家のトイレに小型爆弾を仕掛けて水道管を破裂させ、トイレを使用不能にしてみせたのだった。
ちなみに、その後警察が乗り出すこととなり捜査が行われたが、付近の防犯カメラや事件現場となった家のどこからも、犯人に関する何の証拠も痕跡も発見することはできなかったという。
 彼の名は、斗毛元。
普段は小さな理容室を営む、ただの理容師なのだが・・・・・・・。
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登場人物紹介

斗毛元 40代の中年理容師

大阪府内某所にベルべレソンという理容室を営んでいる。

ハードボイルドに生きることを生業として、様々な客や困難に立ち向かっていく。

妻・・・30代後半、斗毛元の意向によりバーを経営しているが文句タラタラの恐妻。

シュウさん・・・武器や様々な器材を調達してくれる斗毛元の強い味方。

服部・・・斗毛元馴染の蕎麦屋の店主。

上松瀬警部・・・斗毛元とは旧知の間柄であり相棒の敏腕警部。極度の熟女好き。

米谷・・・ベルべレソンの常連客。常にしゃべり続けて絡んでくるウザい芸人顔負けの一般人。

未来久留巣・・・かつての斗毛元の上司であり、理容師業界に一大勢力を築いている。斗毛元抹殺を誓い、手段を選ばずに襲いかかってくる。

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