第8話

文字数 9,452文字

 大阪府の某所で、俺はベルべレソンという理容室を経営している。
従業員は俺1人だけ、文字通りの個人営業だ。
若い頃まだ独立をする前には、何名かの従業員を雇ってみようかと思っていた時期もあるが、俺の修業時代に経験した諸々の嫌な記憶がその発想を拒み、人間関係のしがらみを廃した現在のスタイルに至っている。
うん?たった1人で辛いことはないのかって?
ふっ、愚問だな。
ハードボイルドな男にとって、孤独であることは最高のスパイスなのさ!!
孤独が男を磨き上げ、強くハードな人生を築いていくからだ。
決して寂しさに耐え切れず、朝起きたら愛用の枕が涙でぐしょぐしょだった、なんてことはないんだからね!!

 なので、1人で切り盛りしているこの店では、俺の仕事に対する疲労や苦労は、来客する客の数によって如実に左右されることになる。
基本的に週末、特に土曜日・日曜日は休む暇もありゃしねぇ。
より質の高いパーフェクトな仕事に徹するために、この店では予約優先性のスタイルを取っている。
そうすると必然的に予約で埋まる曜日には偏りが出て来るというもの。
利用客の95%が男性客で占めるため、働くパパのサラリーマンたちの企業戦士の予約が休日に集中するのは世の理。
土・日などの休日は開店時間を平日よりも1時間早めて営業している。
それでも毎週開店から閉店まで、ありがたい思い半分、迷惑なうんざり気分半分の俺の精神状態を無視して、予約ですべての時間帯がほぼ埋まる。
世の中の動きとは反して朝から晩まで働き詰めの俺は、休憩を取る暇さえまともにありはしない。
時に長時間断たれてしまったニコチンに対する影響からか、気持ちぞんざいかつ荒々しく客の頭をシャンプーしてしまうこともままあるが、それはまぁご愛敬ってやつだ。
 地獄の予約客の来店ラッシュから一転、平日は緩やかな空気に店内が支配されている。
予約がないわけでもないが、埋まる時間帯は気まぐれにまばらで、1件も予約がない日も存在する。
そんな日は、予約なしに飛び込みで客が来ない限り閑古鳥が鳴く、ついでに俺もさえずり歌う俺の俺による俺のためのパラダイス。
1日中無人の店内にずっといると、全裸になってヨーデルでも歌いたくなる衝動に駆られるついつい不思議なテンションになってしまうくらい、俺の天下は泰平なり。
実際夏の暑い平日に客が来ないのをいいことに、上半身裸のパンイチで店内でタバコをふかしていたら、どっかのバカが警察に通報しやがり、駆け付けた警察官によって俺は自分の店で職務質問を受け厳重注意をされたことがあるので、なかなか全裸への道は険しい。
おっと言っておくが、俺には露出趣味はない。
どちらかと言うと完全な全裸よりも、制服など一部を着用したままはだけさせた異性の方が、エロスを感じるってなもんよ。
あっ、妻にはくれぐれも内緒ね、バレたら殺されるだけでは済まないものーー!!

 ハードボイルドな俺としたことが少々取り乱してしまった。
そんなわけで平日の今日、俺は朝から暇を持て余している。
開店からお昼のワイドショーが始まろうかという今に至るまで、人っ子1人来やしねぇ。
愛用のハサミを、もう何度磨いたかもわからねぇ。
だが人間の生理現象は、自身を取り巻く状況に関係なくやって来るものだ。
さっきから俺の腹の虫は鳴り続けているし、客が来る気配もまったく感じられない。
そこで俺はレジカウンターの後ろに立てかけてある、数冊の冊子を手に取った。
冊子はすべて飲食店のメニュー表だ。
今日のように暇な平日、懐は潤わない代わりに、ランチを着の身着のまま思いのままに選択できることは、俺にとってのオアシスと言えるだろう。
忙しい日を筆頭に俺の普段のランチと言えば、この店の隣で営業している喫茶店に出前を頼んでは、急いでかき込んで済ませることがほとんどだ。
何せ隣なのだから、電話をかけるよりも早く直接メニューを注文を告げさえすれば、数分後にはご丁寧に届けられるので重宝していた。
だからと言って、毎日喫茶店のメニューばかりでは飽きもする。
なので俺にとって、暇な営業日のランチをどこの店の何にするのかという問題は、最上位の難易度を誇る極めて重要なものなのだ。
「中華・・・、ラーメンに餃子・・・、おっと理容師にとって餃子はご法度だぜ。」
どうでもいいことなのだが、中華料理屋の天津飯を天津丼と呼称している店もあり、器が違うだけで中身は同じなのではないかといつも思うのだが、俺の目玉が3つになり4人に分裂しても困るのでこの問題は置いておくとしよう。
いくつか興味をそそられるメニューもあったが、総じて何となく今日は中華の気分ではない気がする。
同時にラーメン屋の線も消えた。
やはりラーメンは店に出向いて、目の前で湯切りしているさまを見届けないといけない気がしてきたからだ。
「ピザ・・・・・、ワインが欲しくなるじゃねぇか・・・・。」
酒を飲んでも酔わない体質の俺だから、ワインの1杯や2杯飲んで仕事に取り掛かったところで、質を落とさない自信は多分にあるのだが、「酔拳理容師に髪切られ中ナウ!!」などといったお気楽な動画やつぶやきをネット上に挙げられたなら、投稿者への後始末に余計な手間が掛かってしまうので、これも却下だ。
 そうなるとここはやはり・・・・丼物だな。
俺は親子丼やカツ丼を食べる際は、決まって蕎麦屋で食すると己に決めている。
と来れば、俺はガラケーを取り出し電話帳を開いた。
長年愛用しているガラケーは、とっくに対応年数を超えた年代物だ。
角は削れ丸みを帯び、塗装も所々剥げた傷だらけの俺の勲章だ。
「は行」のページへ画面を移動させた俺は、「服部」という人物名を選択して通話に切り替えた。
呼び出しのコール音が鳴ること数度、尺八を基調とした和風な音楽がうっすらと背景に流れている中、男が電話に出た。
「はいよ!!」
「おう、服部ちゃん?」
「斗毛ちゃんか、毎度毎度!!」
プロ野球球団の元エース投手の決め台詞を連呼する、電話越しの相手の服部と呼ばれる男。
「出前を頼みたいんだけど、いいかい?」
俺がダンディズムにお伺いを立ててみると、愛想の良い返事が返ってくる。
「いいともいいとも、だってうちは蕎麦屋だものさ!!で、いつものでいいのかい?」
「ああ。頼む。」
俺の短い返答にもめげることなく、蕎麦屋の店主・服部が切符良く告げてくる。
「じゃあちょっと待ってて!!すぐに届けさせるから!!」
「いつも悪いな、服部ちゃん。」
「何をおっしゃいますのんやーー!!ほな、待っててなーー!!」
ガチャリという擬音が具現化してしまいそうな力強さで電話は切られ、俺はしばし待つだけだ。
俺とは旧知の仲の服部は同年代の中年男性で、この店から1キロほど離れた場所で蕎麦屋を営んでいた。
そんな服部が営む蕎麦屋の丼物を、俺の身体が定期的に欲するようになってどれくらい経つのだろうか。
あれはそう、俺がとある仕事をしくじってしまった雨降る夜に遡るのだが、今は野暮な思い出を懐かしむのはよすとしよう。
だって、ポンポンが超空いているんだもーーん!!

 おかしい。
蕎麦屋の店主服部に出前の電話をかけてから、一体何分経った?
いつもなら出前を頼めば20分もかからぬうちに、注文の料理が届けられるというのに。
もうかれこれ小1時間が経とうとしている、なのに服部からは特にこれといった連絡もないのはあまりに不自然だ。
実におかしい・・・・、もしかすると、何かとてつもない陰謀の前触れだとでも言うのか。
本日の来客は0のままの店内のレジカウンターにて、両肘をついた体勢で考え込む俺の脳裏には、不吉な予感が漂い始めていた。
空腹感を訴えていた俺の腹は、いつしか不安で満たされそうになっていた。
とにかく、ここでこうしてじっとしていても何も始まらない。
業を煮やした俺はガラケーを左手で握りしめ、勢いよく席を立って店のドアをくぐった。
店先で周囲を見渡してみて、改めて蕎麦屋の出前がまだ来ないことを確認すると、折り畳まれたガラケーを開き、服部への通話を試みようとした。
・・・・うん・・・?ちょっと待てよ・・・・。
遠くの方で何かが聞こえる。
正確には何か言葉を発しながら、何者かがこちらに近付いてくる気配を確かに感じる。
俺は耳に意識を集中させて、聴覚の機能をフル稼働させた。
「・・・・~~~♪・・・・~~~~♪♪・・・・・・・みや~・・・!!」
何だ、この奇妙な言葉の羅列は?
さらに意識を集中させる俺の聴覚が捉えたそれは、やがて特殊なリズムを刻んでいることに気付く。
同時に耳に届けられるボリュームは次第に増していき、明らかに接近してきている。
遥か彼方の誰もいない景色の中に、豆粒よりも小さな黒点が現れ、耳朶を打つボリュームの増加に伴って人の影を徐々に形作っていった。
「・・・ウォウウォウ・・・・仮面松宮~仮面松宮~♪・・・・・特売の菓子パーン・・・♪!!」
なおも俺との接近が近付いてくるにつれて、わかってきたことがいくつかあった。
まず、自転車に乗っている男らしいということ。
次に、その男が口ずさんでいるものは歌のようであるが、メロディーラインと言うには程遠い不協和音の単音の羅列に過ぎないということ。
さらに、その歌もどきは既存のものでもなく、かと言って流行りの歌でもない聞いたこともない意味不明ソングであるのに、当の歌い手本人はたいそうノリノリであるということ。
ガラケーを握っていた左手から力が抜け、だらりと垂れ下がりながらも対象を見やっていると、ゆっくりとであるが確実にそれは俺の元へとやって来た。
そして呆然と店先に佇む俺の前に、1台のレース仕様のロードバイクが停車したのだった。

 「へい、お待ち!!」
「・・・・・・・・・。」
「松宮、俺参上!!」
某特撮ヒーローの決め台詞をまんまパクった男がポーズもしっかり決めて、のっそりと慎重な足さばきでロードバイクから降り立った。
「・・・お前・・・服部ちゃんところの蕎麦屋か・・・?」
「いかにもである!!」
薄っぺらい胸板を誇示するかのように突き出した男は、とても偉そうな態度だ。
「あんちゃんから出前の注文を授かり、はるばる愛車を飛ばして全速力で駆け付けました!!」
右手で敬礼のポーズを取って宣言したこの男、松宮と名乗ったか?
確かに服部ちゃんの蕎麦屋の制服を着込み、俺が注文した料理を運んでは来たのだろう、左手には岡持ちを持ってはいた。
ただ、この松宮という男を服部ちゃんの店で見た記憶が俺にはないことから、最近入った新入り店員だろうか?
「・・お前・・、新人か・・・?」
「えええぇぇぇぇぇーー!!何でわかるとですかーーー!?」
そんなものは決まっている、お前みたいないかにも変な店員が在籍していようものなら、プロである俺の記憶の片隅に残らないはずがないからだ。
「もしかしてエスパー!?あんちゃんは超能力者なんですかいーーー!?」
いちいちリアクションが鬱陶しい、俺に対する距離感と松宮が発する声のボリュームが、明らかに釣り合ってないほどにやかましかった。
「俺が何者であるか、そんなことはどうでもいい。」
「いや、あんちゃん理容師でっしゃろ!!」
「・・・・・・・・・・。」
ニヒルに答えてやった俺に対して正論で返してきやがったこの松宮、とりあえず1回死刑確定。
「それにしても、出前遅かったじゃねぇか?」
空気を変える意味でも俺は本題へ切り替えして、報復もとい反撃に転じた。
「えーーそうっすか~!?道が超混んでたんすよ~!!」
嘘つけ!蕎麦屋からこの店まで、渋滞に巻き込まれる道路になど1ヶ所も面していないだろうが!!
「これでも超絶急いで来たんすよーー!!音速を超えた超速、みたいな!!」
先ほど俺自ら目にしたあの鼻歌混じりのノロノロ運転で来やがったくせに、何を堂々とウソをのたまいやがる!!
こいつは決して急いでなどいなかった、俺がそう断言できるのは、何より目の前の松宮の行動そのものが証明していた。
乗ってきたロードバイクのハンドル付近に設置された、給水のためのドリンクホルダーに刺して固定していた物体を手に取り、ぺろぺろと舐め回し始めた。
「はああぁぁぁ~超ウマウマ!!」
と、とろける笑顔でソフトクリームを舐め始めたからだ。
そのソフトクリームは駅を挟んでこの店と正反対の場所に位置する、アイスクリーム屋で販売されている濃厚牛乳ソフトクリーム以外の何者でもなかった。
こいつ・・・俺への出前を運んでくる前に、迂回と呼ぶにはちゃんちゃらおかしい寄り道をして、ソフトクリームを買いに行ってやがった・・・・。
「あっ、クリームが垂れちゃう!!」
コーンから溶けて流れ落ちそうになったクリームに急いで口を付け吸引している、バカ面の松宮に怒りがこみ上げてきて仕方がねぇぜ!!
「そんなことより!俺が頼んだ代物を早く出してもらおうか。」
「はいはい、ちょっと待っててね!!」
蕎麦屋としての本分をすっかり忘れてしまっている松宮は、まるで犬や猫が舐めるのと等しく、舌をべローンと出しつつぺろぺろと、実に悠長な食べ方でソフトクリームを少しずつ食べている。
このままのペースを維持されては、いつまで経っても俺はランチにありつけはしない。
何より妙にブツブツしたザラザラでこぼこの汚い舌を駆使する松宮の食べ方が、俺の忍耐を刺激してやまなかった。
「おい!!あんまり俺を怒らせるもんじゃないぜ!!」
この状況でしびれを切らさない人間は、即身仏になれる者くらいだろうと理性でブレーキをかけつつも、俺はその範囲内で最大限の怒りの感情を込めてすごんでみる。
「もうあんちゃんのいけず~!!短気は損気だぞ!!」
最初から引っ掛かってしょうがなかったのだが、客である妙齢の俺に向かってあんちゃん呼ばわりしているこの松宮、どう見ても俺よりも干支1周分は若いだろう。
直前のギャルじみた言動も加味すると、松宮はもうすでに5回俺に殺されていることになる。
なおもソフトクリームを食すことに心血を注ぎもう夢中の松宮を力づくで促した俺は、店内のレジカウンターまで岡持ちを運ばせた。
ようやく大半のクリームを食べ終わり、コーンへと差し掛かった松宮がサクサクしだしながら、レジの横に岡持ちを乗せた。
コーンを最後まで食べる所は認めてやってもいいが、口の中に入るよりも店内の床に零れ落ちるコーンの食べかすの方が圧倒的に多いところで大量減点、切符を切って免停、お前の人間として生きる権利を停止してやろうか。
おまけに最後の一口を口に含んだ瞬間盛大にむせて、咳と共に松宮がコーンを俺の顔に吹き付けやがった。
タオルを手に取り無言で顔を拭いているが、その下の俺の表情ときたら子供が一生涯トラウマとして引きずるレベルだということを、こいつにわからせてやりたいぜ。
口の中がきれいになった松宮は、俺が電話で出前を頼んでから1時間20分経った今、ついに岡持ちの蓋を上に向かってスライドさせていった。
SF映画風なテーマを口ずさんでいるがBGMは頼んじゃいねぇし、音程が外れすぎて原曲がさっぱりわからない松宮は、さも大仰に開け放ちドヤ顔を決め込んだ。
その中には、俺の待望久しいカツ丼と親子丼の姿は・・・・、どこにもなかった。

 上下の中間で仕切られた岡持ちの中、下段からカツ丼、上段から親子丼を取り出した松宮。
だが提供された俺にとっての定番メニューは、大惨事となっていた。
まず、出来立て作り立てで届けられるはずの2種類の丼物が、完全に冷め切っていて湯気1つ立ってはおらずもはや別の料理と呼ぶにふさわしい有様を呈していた。
カツの肉は熱を失って収縮していて、しなび切った衣はただの油のまだら模様と化していてぐちゃぐちゃ。
割下と合わさり熱を通された卵は未だかつて見たこともない色に変色し、固まるを通り越してコンクリートの塊みたいに固形化への独自進化を遂げていた。
親子丼の鶏肉もまた然り、創業から50年くらい経過したあまり流行っていない定食屋の店先に飾られた変わり果てた食品サンプルの方がまだマシとさえ思えるまでに、変色と変形を超越していた。
次に、それらの残念な姿へと成り果てた丼ぶりの中身が、すべて片側に寄ってしまっているのだ。
相当乱雑に岡持ちを扱い、中身のことなど気にも留めずロードバイクを走らせてきた松宮の姿が目に浮かぶようだ。
重心を誤って運搬したために、具材の下のごはんまでもが、きれいに片方に追いやられて丼ぶりの底が見えてしまっているじゃあないか!!
そして極めつけは、カツ丼を明らかに何者かが食べた形跡が見受けられることだ。
この場合の何者かとは、松宮を置いて他ならない。
こいつ・・・カツ丼をつまみ食いしやがって、そのデザートとしてソフトクリームを買いに行ったってか!?
出前途中にソフトクリームを買いに立ち寄った松宮の謎の行動には合点がいったが、謎が解けてスッキリするどころか俺はストレスフルだぜ!!
爆発寸前の俺の心などいざ知らず、松宮は何食わぬ顔でぬけぬけと代金を請求してくる。
「カツ丼と親子丼で1600円、俺が届けた運搬料は特別にサービスさせてもらいまっさ!!」
俺に向けて差しだされる松宮の左手の薬指の爪が、1本だけやたらと長かったことを目にしたその時、激情を遮る理性が「プツン」と音を立てて切れ、一気に取り払われた。
「貴様ーーーーーーーーーー!!!!!!」
「何ですのん!?」
「何ですのん!?誰だ、そんな舐めた口を俺に向かって叩きやがるのは!?お前か!!お前なのか!?」
松宮の長く伸ばされた薬指の爪をピンポイントで掴んだ俺は、そこを支点にして重力を無視して空中に放り投げるように、時計回りに持ち上げ投げ去った。
どすっと鈍い音を立てて背中から床にたたきつけられた松宮に向かって、俺は馬乗りになって完全にマウントを取った。
 「これのどこがカツ丼じゃあ!!親子丼じゃあ!!お前よくもぬけぬけといけしゃあしゃあと、そんなことが言えるなーー!!何自分はちゃんと出前の配達しました、だからお金ちょうだい、みたいな仕事やりました感出した態度を取ってんじゃあ!!!」
「だって・・・ちゃんと届けたんだもん・・・・。」
「ちゃんと届けたあぁ~ーー!?これのどこがちゃんとじゃあ!!だいたい貴様、出前1つ届けるのにどれだけ時間かかっとんねん!!貴様が働いとる蕎麦屋からこの店まで、直線距離でせいぜい1キロ程度やろうが!!それをちんたらぽんたら自転車こいできやがって!!」
「やだなぁ~あんちゃん。自転車じゃなくてバイクと言っておくれよ!!」
「じゃかあしいわ!!何で蕎麦屋の出前でロードバイクに乗って来るねん!!しかも一丁前にレース仕様にチューンアップしましたってか!?」
「風を感じてしか生きられないのが、僕ちんなのさ!!」
「じゃかあしいわ!!そんなに風を感じて走りたきゃなあ、蕎麦屋なんて辞めて〇ールド〇ランスにでも参戦してこいや!!それにな、やれレースだバイクだとこだわっている割には、ヘルメットの着用義務は怠っているっていうのは一体どういう了見なんじゃ!!」
「頭蒸れちゃうし~ハゲたら困るもん!!」
「意味わからんのじゃ、貴様のポリシーとやらがよう!!何ならハゲさせてやろうか!!この俺が直々にバリカンとナイフで貴様の髪を1本残らず削ぎ落して、貴様をスキンヘッドにしてやろうか!!」
「通報しますたww」
「何、人が説教している最中に、つぶやいてるんじゃボケ!!」
「だってさ~あんちゃんの説教長いんじゃけん。」
「そのあんちゃん呼ばわりはやめなさいよ!!お前いくつや、どこの子や!?」
「27ちゃい!!ひばりの子!!」
「じゃかあしいわ!!20近くも俺の方が年上やないかい!!気安い口を利きやがって!!」
「byゆとり世代」
「貴様ーーーーー!!!だいたいなーー、お前岡持ちをどれだけ乱暴に扱えば丼物があんなに変わり果てるんじゃい!!完全に傾いてしまってるやないかい!!相当長時間重心を傾けて扱わん限り、なかなかこうはならんぞ!!」
「少子化と高齢化の偏りを風刺して、丼ぶりの中に表現してみました!!」
「表現すなーーー!!!!普通に運べ普通に!!!しかも貴様、俺のカツ丼途中でつまみ食いしやがったやろう!!明らかにカツの形がおかしくなっとんじゃい、何切れ食べたんじゃあ!!!」
「3切れほど、大変おいしゅうございました。」
「貴様は高名な料理研究家かーーー!!!よくもそんなことができるな貴様!!!!挙げ句の果てにカツのつまみ食いのお口直しに、デザートはソフトクリームってか!?」
「拙者、食後のデザートは欠かせないのでござる!!」
「じゃかあしいわ!!貴様の食のこだわりなんて、どうでもいいわ!!!」
「食は人の心を豊かにするのですよ。」
俺の怒りの叫びもまるで届かず響かずといった具合の松宮に、呆れ果てるばかりだ。
 世代間の違いだけでは往々に言い切れない社会人としての常識の欠落に、俺は言葉での訴えを断念して実力行使に打って出ることにした。
腰にぶら下げたホルスターから、愛用のハサミを手にした俺は、押さえつけたままの松宮の眉毛に狙いを定めた。
自分に向けられた刃先を目にした松宮は、ようやっと危機的状況に陥っていることを理解したのか、ジタバタしだした。
「何ですのん!?何しますのん!?人権の蹂躙でっせ!!」
この期に及んで基本的人権を盾に抵抗する松宮に対して、俺は一切のヒューマニズムを捨ててハサミを動かし続けた。
そうして程なく、平安時代のマロみたいな眉毛になった松宮が爆誕した。
さらに注文した丼物2品に口を付けることなく岡持ちの中にしまい直した俺は、投げつけるように松宮に突き返した。
「あの~お代まだもらってませんけど~。」
まだ言うか、俺はシッシッと手で払う仕草を見せて、松宮の早期退却を言明する。
「帰れーー!!!もう地獄へお行き!!!服部ちゃんには、代金はお前の給料から天引かせるよう言っておくからな!!」
そう告げられて追い払われた松宮は、「甚だ遺憾であります!!」と言いたげに肩を強張らせたまま、渋々ロードバイクに跨ってこぎ始めた。
その様子をブラインドを上げた店の窓から目にしている俺は、40メートル松宮が進んだタイミングで、静かにライフルを構えてロードバイクの両輪を完全に撃ち抜いてやった。
銃口から漂う硝煙に見事な弾道、さすが独自に調整し新調したライフルだ、性能は申し分ないぜ。
ライフルを素早く分解して収納した俺は、続けてガラケーを手に服部ちゃんに抗議の電話をかけたのは言うまでもない。

 俺にとっての暇な理容師のとある平日は、こうして予想外の騒乱を呼び起こしつつ暮れていった。
翌日、松宮はクビにしたという報告が、服部ちゃんからお詫びを込めた差し入れと共に届けられた。
どうして愛車であるロードバイクが破壊されたのかという、松宮にとっての謎を残したままに。

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登場人物紹介

斗毛元 40代の中年理容師

大阪府内某所にベルべレソンという理容室を営んでいる。

ハードボイルドに生きることを生業として、様々な客や困難に立ち向かっていく。

妻・・・30代後半、斗毛元の意向によりバーを経営しているが文句タラタラの恐妻。

シュウさん・・・武器や様々な器材を調達してくれる斗毛元の強い味方。

服部・・・斗毛元馴染の蕎麦屋の店主。

上松瀬警部・・・斗毛元とは旧知の間柄であり相棒の敏腕警部。極度の熟女好き。

米谷・・・ベルべレソンの常連客。常にしゃべり続けて絡んでくるウザい芸人顔負けの一般人。

未来久留巣・・・かつての斗毛元の上司であり、理容師業界に一大勢力を築いている。斗毛元抹殺を誓い、手段を選ばずに襲いかかってくる。

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