第四十話 初めの過ち

文字数 2,003文字





秋夫が八つになる頃、おかねはもう一人子を産んだ。女の子だった。

俺達はその子に、「おりん」と名前を付け、育てた。

おりんは、おかねに似て大層美人なのが、赤ん坊の頃からよく分かった。

丸い頭を薄く覆う、茶色っぽく細い髪の毛、長いまつ毛、くりくりの大きな目は少し吊り上がり気味だけど、赤ん坊だからか、まだ柔らかい印象だった。つまんだらなくなってしまいそうな小さな鼻、それから、唇も桃色で小さい。

おかねが三味を引くと、おりんは体をパタパタと動かして、喜んでいた。

秋夫ももう八つだし、おりんの世話をよく手伝ってくれたが、いつも渋々とおりんを抱き、あまりおりんを可愛がっているようには見えなかった。

おりんは赤ん坊だから仕方ないのだが、秋夫からしてみれば、両親が急に赤ん坊にばかり構うようになったのが、寂しかったのかもしれない。

だから俺は、おかねがおりんを抱いてあやしていたり、お乳をあげたりしている時に、秋夫に本を読み聞かせたり、おやつをやったりしていた。

でも、秋夫はおやつをあまり食べたがらず、本を読んでやっても、退屈そうに、疑わし気な顔をしていた。

そして、俺達がおりんに掛かり切りになって少ししてから、秋夫がとんでもない事をしでかした。



秋夫は、指南所をとっくにやめていた。

手習指南所は、就学期間などは定められておらず、本人が通いたがれば、十年だってそこに居られる。逆に言えば、十日でだってやめられる。秋夫は読み書きを学び終わるくらいの一年半で、「飽きたからもう行かない」と言い、それっきり行かなくなってしまった。

秋夫は、小遣いをもらうと家を出て行き、日の暮れ方には家に帰る。だから、外で何をしているのかは、俺達夫婦はそんなに詮索はしなかった。おりんの世話もあり、俺達は忙しかった。

でも、ある晩におかねがはばかりへ行きたくて目が覚めた時、秋夫が布団から居なくなっていた事に気づいて、俺を起こした。


「どうしたんだ、いつ居なくなった?」

「わからないのさ。あたしが起きたのはついさっきだから、はばかりへ行ってるのかと思って、待ってたんだ。でも、それからもう小半刻は経つからねえ…」

「じゃあ俺が探しに行って来よう。お前はおりんを見ててくれ」

そう言って俺が戸を開けた時、ぴゅうと北風が吹いた。

「ううっ、さみいなぁ…」

「気ぃつけなお前さん。ほら、羽織を着て」

おかねが後ろから羽織を着せてくれて、俺はそのまま、どこへ行ったかも分からない秋夫を探しに、外へ出て行った。


結局朝になるまで秋夫は見つからず、俺は追い詰められていく気持ちで、家に帰った。でも、家には秋夫が帰って来ていたのだ。

「秋夫!帰ったのか!」

でも、すぐに俺は、秋夫の様子がおかしい事に気づいた。秋夫と向かい合って座っているおかねも、様子がおかしい。

「ど、どうしたんだ、二人とも…」

俺は、朝日が眩しく照り付ける戸口を閉めて、足を拭いてから畳へ上がる。その間も、おかねと秋夫は黙りこくって睨み合っていた。

俺が二人の傍へ行ってみると、おかしな事に気づいた。秋夫から、酒の臭いがする。

そんなまさかと思って秋夫の顔を見てみると、頬を真っ赤にして、目が据わってしまっていた。明らかに酒を飲んでいる。

「秋夫。お前、どこに行っていたんだ」

俺はそう言い、秋夫の肩を揺らした。そこで、おかねが「フン」と鼻から息を吐く。そして、秋夫の着物を掴んで、袂を揺すぶった。なんとそこからは、ジャラジャラと銭の音がしたのだ。

俺は訳が分からなかったけど、おかねがこう言った。

「賭けだろ」

おかねのその言葉を聞き、俺はショックで何も言えず、体も動かせなくなってしまった。でもすぐに、ある事に気づく。

「そんな…こんな子供が賭け事なんか…親分達だって、許すはずがねえだろ?」

俺達は小声でそう話し合い、秋夫は黙って酔っぱらっていた。

「近頃は悪いのがいくらでも居るんだよ。親分達が取り仕切ってる場じゃない。それなら確かに、子供なんか入れやしないよ。多分、素人が勝手にこさえてる所だろ」

俺はそう言われて、秋夫を見た。秋夫は、面倒そうに呆れたような顔をしていた。おかねは秋夫の袂に手を入れ、銭を全部出させた。でも、それは「銭」ではなかった。

ほとんどが一分金で、二分銀も混じっていたけど、それは大層な金額の、「お金」だった。俺はびっくりして、ちょっと後ずさる。

「お前さん、何度目だい」

おかねがそう聞くと、秋夫はここでだけ答えた。

「初めてでぃ」

おかねはそれを聞くと、合点がいったように頷き、いきなり片手を大きく振り上げて、秋夫の頬を打ち張り倒した。後にも先にも、おかねが秋夫をぶったのは、この時だけだった。

「…次は行くんじゃない。賭場はね、最初に儲けさせておいて、通ってくる奴を身ぐるみ剝ぐんだ。そういうもんだよ」

秋夫は叩かれて転がったまま、ごろりごろりと布団へ転がり、掛布団に包まると、そのまま昼までふて寝をしていた。




つづく
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