03

文字数 9,407文字

ドン・ドニーノにはあっという間に到着した。パトカーや警察に遭遇しなかったのは幸運以外の何ものでもない。運転席を飛び出して行く前に、ディーノは僕たちに、絶対に出てくるな、と言い残して消していた筈の明かりが灯っているドン・ドニーノへ駆けて行ったが、彼の問題は僕たちの問題でもある。
罠であればディーノだって危険な筈で、そんなところへ彼を一人で行かせるわけにはいかない。じっとしてはいられず、車を降りて後を追いながら銃を抜いた。
 ドン・ドニーノに入ってすぐのところで、ディーノは肩で息をしながら佇んでいて、右手には銃を握っていた。僕たちの気配に振り向いた彼は険しい顔で、何故来た、と吠えて舌打ちをし、顔をまた正面に向ける。
 ディーノの視線の先では一人の男がワイングラスをテーブルに置き、腕時計から顔を上げるところだった。ジジのように両サイドの髪を刈り上げ、残した髪をヨキのようにオールバックにしているが撫で付けているわけではなく、毛先が逆立っている。髪を結っているディーノとはまさしく対照的で、それをいうなら肉体もディーノは肉付きが良く生命力に満ちているが、ホプキンスの両頬は髑髏のようにげっそりと病的に痩けていて、スーツの下の体躯もやせ細っているだろう。しかし、共通点が無いわけではなかった。
ホプキンスの双眸には未だ力強く肉食獣のような強い炎が轟々と燃えている。ディーノを獅子とするならば、ホプキンスは鷹や鷲などの猛禽を彷彿とさせた。
「ようやく来たな。八時っつったのに待ちくたびれちまったよ、ディーノ」
 聞き間違えでなければ今、確かにホプキンスは初対面である筈のディーノの名前を呼び、ディーノの顔を見上げると彼も、カレル、と恐らく、ホプキンスの本名を呼び返す。
「お前はここで……何をしている……!」
「誘ったのはお前らだろう? 銃なんて野暮なもんしまえよ。久々だな、元気してたか」
 テーブルのボトルを取り、席を立ったホプキンス、もといカレルは、ずかずかとカウンターの内側に入ると、ワイングラスを三つ取り出して鼻歌を歌いながら酒を注いで行く。ひとまず、二人が知り合いということはわかった。しかし友達ではなさそうで、だとするとマフィア時代のディーノの腐れ縁ということは直ぐに推測できた。
「エツィオんとこに乗り込んだんだって? あいつ、クソ馬鹿みたいにブチ切れてたぞ」
「二人を拉致したのはお前だったのか……?」
「俺じゃねぇ。が、関係はしている」
 得意げに言いながら、カレルは僕たちに飲まないのかと、ワイングラスを勧めて来たが、こんな状況で酒を飲める程、図太い人間は僕たちの中には存在せず、ワザとらしく肩をすくめながら、ドン・ドニーノを訪れた詳細を語る。
 カレルは僕とヨキが被害にあった人身売買の実行犯ではないが、攫う業者と売る業者の間に立って、受け渡し場所の確保や、受け渡しの際の周辺警備、トラブルが発生した場合の対処を行う仲介業者として、間接的に関わっていた。
 僕とヨキが逃げ出したのは商品の受け渡しが行われようとしていた時で、カレルの兵隊が警護に当たっていた。その場を仕切っていたカレルは逃げた商品の回収とは別に、双方からの責任を問われることになり、相応の詫び金を支払っただけでなく、警備責任者とその部下を関係者の目の前で始末したが、それだけでは納得を得られず、早急に商品の回収、もしくは口封じをしなければならなくなった。
「いや、笑っちまうよ。探していた商品を拾ったのがよりによってマリオのジジイなら、ジジイはジジイで、人が仕入れた商品を自分の店でコキ使ってんだもん。イかれてやがる。あれでよく、のうのうと生きてこれたもんだ」
 捜索に乗り出した数日後、カレルの部下がドン・ドニーノで働く僕とヨキを発見したが、カレルがすぐに回収するなり殺すなりしなかったのは、僕とヨキの後ろにマリオの存在があったからだった。
 本人は僕たちには片鱗を見せなかったが、カジノでジジに聞いた通りマリオは裏のコネクションを多数持っている。マフィアだったディーノを組織から引き抜き、自分の元で働かせられるくらいに、親父連中とも親密な関係で、マリオが何かを企てているとしたら、下手に僕とヨキに手を出せばいらぬトラブルを招きかねない。しかしカレルは商品を逃した責任を問われている最中で、うかうかもしていられない。自分たちと僕とヨキの間に膠着状態を敷いていたマリオが、疎ましくて仕方がなかった。
「だから、とっつぁんを暗殺したと?」
「事故だよ。その二人を狙った流れ弾が当たっちまったんだ」
 戦慄くディーノとは対照的に、飄々としているカレルはタバコを取り出し、余裕を崩さず火を着ける。たまらずと言ったように、ディーノはカレルに銃口を向けるが彼は、やめとけ、とタバコをくわえたまま紫煙を歯と口の間から漏らし、牙を剥くディーノを制す。
「せっかく抜けたマフィアを敵に回したくないだろう? 厄介なジジイがくたばって助かったぜ。何もできねぇままだと危うく、俺が商品にされて、出荷されちまうところだった」
 あれが、事故であってたまるか。僕とヨキがカレルに襲われた時、マリオは側にいた。殺す気が無かったら、発砲せず別の手段を使ったに違いない。僕たちではなく、マリオを狙った襲撃ではないのか、というヨキの推理は正しかった。
「商品が持っている情報なんて最低限以下だ。根回しは行き届いているし、少しばかり警察に話が漏れたところで簡単に破綻しちまう程、基盤は脆弱じゃねぇ。業者たちからはさらに反感を買っちまったが、所詮、共倒れを防ぐなんて名目で難癖を付け、搾取するってハラだ。大したことない」
 マリオが殺されたことにより、僕たちは警察に調書を取られることになったが、カレルは情報の漏洩をさして、重たく捉えていなかった。
 半分まで残っていた酒を飲み干し、カレルが店の奥に向かってひっ捕らえろと言葉を投げる。厨房の奥で何かが動いたと思ったらゆらりと、顔に長大な刃物傷のある男が銃を構えながら姿を現し、背後の開きっぱなしな出入り口から二人の戦闘員が踏み込んできた。
「武器取引事業が軌道に乗り始めてんだ。もう少しすりゃ、人身売買の中間管理なんてちゃちなシノギとは比べものにならねぇ金が、定期的に懐に入るようになる。もとより、ハイリスク、ローリターンの仕事だ。ここらで手を引きたかったから丁度良かったんだ」
 戦闘員たちは僕たちに銃を向ける隙を与えず、迅速に取り付いた。ヨキが戦闘員に肘鉄を食らわそうとするが、かわされた挙句に腕を捻り上げられたまま膝の裏を蹴られ、地面に倒されてさらに、後頭部に銃口を押し付けられる。
 やめろ、と叫んだディーノが戦闘員に殴り掛かるがそれよりも早く、厨房の刃物傷の男の銃が爆炎と轟音を上げた。巨体を大きく仰け反らせながら吹き飛んだディーノが僕とヨキの間に落ち、一部始終を目の当たりにしていた僕は、一歩も動けないばかりか、しっかりと握りしめていた筈の銃を取り落としていた。
 体良く、人身売買から身を引く為にカレルが考えたのは、昇格を画策していたエツィオに事業を押し付けるという方法で、エツィオに僕とヨキの始末を委託し業者に取り入るきっかけを与えるついでにマリオを殺した罪もおっ被らせ、自分は姿を晦ます算段だった。
 旅行者二人を殺すことなんて、同業者を殺すことより造作無い。サクッと仕事を終わらせ業者には平和を、エツィオには仕事と金を、自分は清々とする結末を迎えるつもりだったが、ディーノが襲撃を阻むばかりか、逆にエツィオがけしかけた襲撃者を返り討ちにして台無しにしてしまった。
「その上、カチコミまでかけられてエツィオの奴、もうマフィアなんかやってらんねぇよ。まぁ、子分も持てない三下なんざどうでもいい。俺は今相当、頭にきてる。何もかもがうまくいかなくて予想以上に遠回りをしちまった」
「殺すな、殺すな!」
 もはや話を聞くどころではなく激痛に喘ぎながらディーノは、ヨキを押さえつけ僕を拘束する戦闘員に向かって叫ぶが、戦闘員が背後で身じろぎしたかと思ったら地面に横たわったままの彼の顔面を蹴り上げ、追い討ちを掛けた。
「殺さねぇよ。ここではな。……そういや、俺は飲みに誘われていたんだったな」
 短くなったタバコをカウンターに押し付け、カレルはグラスの足を左手の指で挟み、三ついっぺんに器用に持って僕たちに歩み寄ると、ディーノの銃を蹴り飛ばし、グラスの一つを取ってせせら笑いながらディーノの頭の上で傾ける。
 空になったグラスを投げ捨てながら、今度は僕の前に立ったカレルは、同じように左手から二つ目のグラスを取り、唇と歯の間に無理やり縁の部分をねじ混んだ。
「飲めよ、最後の酒だ。店の奢りだ気にするな」
 苦味が容赦無く舌を刺し、アルコールの臭いに嫌悪感を覚える。流し込まれたワインはさながら小便みたいで、たまらず吹き出すとカレルが顔を拭ったかと思った次の瞬間、強烈な衝撃が頬に走り、意思とは無関係に顔が横に飛んで首が嫌な音を立てた。
「もうこのスーツ着れねぇじゃねぇか。グラスも落としちまうしよ」
 酒よりも濃い血が、舌に残るアルコールの苦味を鉄の味に塗り替える中、腹に、顎に、頬に、繰り返し殴打が弾ける。精神的な痛みよりも、肉体に直接叩き込まれる苦痛はわかりやすく、痛くて怖くて逆らうどころか、罵声も吐けず、なすがままに肉体とプライドを嬲られているよりなかった。
 気が済むまで僕を痛めつけると、カレルは僕の鼻血や唾液を満足気な表情を浮かべながら、ハンカチで優雅に手を拭う。そんなカレルの足首を、床に倒れたままのディーノが掴んだ。
「やめろ、連れて行くな。彼らは元々普通の旅行者だったんだ。難を逃れたのにまた回収されるなんて、可哀想だ! しくじったのはお前だ、お前一人でどうにかしろよ! とっつぁんまで殺しやがって! 僕らをもう、放っておけ!」
 鼻血で口元と髭を派手に汚し、背中の銃創から漏れるトマトソースのような鮮血がディーノの服を濡らしている。体の下に血溜まりができていないところを見ると、弾丸は貫通していないようだが、それでも痛みに意識が向いているのか、立つ気力を絞れていなかった。
「可哀想? こいつらが? じゃあ、俺たちの取り立てに病んで自殺した売女は可哀想じゃねぇと。年寄り共が気に食わねぇからって殺す羽目になった議員当選間近の若者には哀れみすら抱かねぇってか? そんなら、アル中の親父にボコられて育ち、それでも慕ってくれたお前を信じたがあっさり裏切られるばかりか、てめぇと一緒に組織からも捨てられた俺のことも、どうでもいいんだろうな」
 足を振ってディーノの手を払うだけでなく、カレルはさらにディーノの頭を踏みにじりながら、笑わせるな、と怨嗟を落とす。
「一度、悪に堕ちた人間が、あんまり真人間ぶるな。オメルタは残っているか?」
 料理人なんて似合ってねぇんだ、と吐き捨て、カレルは戦闘員に僕とヨキを連れて行くように指示を出す。ヨキが離せと喚いた端から顔を殴られあえなく閉口し、僕も両足をつっぱり体を振り乱して拘束から逃れようとしてみたが、戦闘員の力は強く、靴底がズルズルと床を滑るだけだった。
 ドン・ドニーノの前にはいつの間にか、飲料水メーカーから奪取しただろう、企業ロゴが入ったままの大型のバンが待機していて、スライドドアが開け放たれていた。
 そんなバンが、大口を開ける得体の知れない怪物のように見えて仕方が無かった。さしずめ、僕とヨキは怪物に捧げられる贄だ。裏世界の住人である戦闘員たちは、長のカレルの安寧が自分たちの安寧と疑わず、贄がいくら、死にたくないと叫ぼうが、既に同じ人間には見えてはいなくて、ただ感情を殺し、怪物の口に放り込もうとしている。
 バンに乗せられたら、何もかもが終わりだとわかっていたが、元々戦闘能力が低い僕とヨキができることといえば大声を上げて助けを呼び、身をよじって乗せられるまでの時間を稼ぐことくらいだが、それも無駄な足掻きでしかない。
 先に放り込まれたのはヨキだった。中で待機していた大男が彼を引きずり上げて車の奥へと蹴り込み、次いで僕へ腕を伸ばす。ディーノ無しでは、僕たちは何もできなかった。ディーノに、役に立つと言ってしまったというのに、役立つどころか、彼の足を引っ張ったまま、カレルたちにとって都合が良い、なんて理由で殺されたんじゃ死んでも死に切れない。
 男の手がシャツを掴む。足が浮いたのがわかった。バンの中へと引きずり込まれる。解放と逃走は望まない。カレルたちに対抗しうる力が、ただ欲しかった。
 顔の横に強い光を感じた刹那、破砕音と共に男の手がシャツを離し、地面に尻餅をつくばかりか、コンクリートに思い切り頭を打って目の前に火花が散る。まばたきを繰り返しながら首を振り、明滅を収めながら顔を上げると、今までバンが鎮座していたところにはディーノのSUVが滑り込んでいた。
 車の中で火薬が爆ぜ、窓ガラスを突き破って飛んでくる弾丸に、動揺したカレルたちは散り散りになる。その隙に、後方部分がぺしゃんこに潰れたバンに駆け寄ると、頭から血を流したヨキが這い出てくるところだった。
「ヨキ、ヨキ!」
「バッキャロー! こちとら荒事慣れしてねぇんだ! 何だぁちくしょうめ!」
「ああ良かった、無事だ」
「ありゃ、ディーノ車じゃ……そうか、ジジか! あんにゃろう、ナイスなカマ掘りだぜ!」
 歓喜する側で唐突に後ろ襟を掴まれ、再び体がバンに引かれて振り向くと、立ち直った大男が僕を捉えていた。
 ヨキが慌てて僕の足に組みつくが、彼の細腕では明らかに力負している。僕を手繰り寄せた大男の腕が、首に巻きついた途端、呼吸ができなくなった。生命の危機と判断した脳が、身体中の神経を発火させて早く逃げろと、僕自身に訴えるが締め付けは固く、勝手に周囲を探り始めた手が何かを掴み、なりふり構わずヨキに放り投げる。
 僕が掴んだのは恐らく、大男が取り落とした銃だった。それを拾い上げたヨキは一瞬躊躇ったのち、バンに乗り込むと大男の額に銃口を突きつけ引き金を引いた。銃声が鼓膜をつんざき、横顔に男の血が掛かる。あれほどきつく締め上げていた男の腕は、僕の体を伝い落ち、驚くほど簡単に懐からすり抜けることができた。
「エイ……じょ……か」
 ついに人を撃ち殺し、一線を超えてしまったヨキが複雑な顔をしながら何か言っていたが、耳をやられたばかりでうまく聞き取れない。ありがとう、と言ってみても喉が声を発した震えしか感じ取れず、助けられてばかりの自分が惨めであまりにも情けないが、それを嘆いている場合ではなかった。
 カレルたちは一度、体制を立て直すつもりなのか、ドン・ドニーノの内部や近くに停まっていた車の陰に、身を隠してしまっていた。バンから飛び降り、ディーノの車に足早に戻る最中、人一人を撃ち殺しタガが外れてしまったのか、ヨキは車内から飛んで来た銃弾を食らって呻いている戦闘員にトドメを刺し、後部座席のドアを開け、早く乗れと身振りで示す。
「調理師は……どうし……」
「まだ中……」
 耳鳴りが落ち着くに連れてガンガンと車体を叩く鉛の音が鮮明になっていく。ドン・ドニーノに目を向けると、自分を盾にしようとしていた戦闘員の顎に肘を食らわせたディーノが、手から銃をもぎ取っているところだった。
「おい、見ろ見ろディーノが起きてる! ジジ、エンジン!」
「早くしろ、弾がねぇんだ! 数発じゃ援護にもならねぇ!」
 僕とヨキが揃ってどやすと、運転席で頭を低くしながらシリンダーに弾を詰めなおしていたジジはそれを放り出しキーを回すが、この車は今しがた鼻先でカレルたちのバンをドツき、数メートル先へぶっ飛ばしたばかりだった。
「エンジンが掛からねぇ! イかれちまったか!? 突っ込むなら人の方に……掛かったぁっ! 俺はまだツキに見放されてねぇ! アーメンハレルヤボロネーゼ!」
 窮地を脱する手段が未だ断たれていないことがわかるなり、栄光は父と子と聖霊に初めのように今もいつも世々に、と場違いな讃歌を口にして胸の前で手を組むジジの隣へ、ドン・ドニーノから歩道を挟んで車までの、銃弾が撃ち込まれている約五メートルの間を突っ切ったディーノが転がり込んで来る。
「大丈夫かディーノ、さっき撃たれた場所は……」
「いいから出せ、出せっ! 行け行け行け行けっ!」
 ディーノがドアを閉めるのも待たず、ジジはアクセルを踏み込んだ。フロントガラスに加え、車の左側の窓が全て割れてしまっているせいで、吹き抜ける夜気を孕んだ空気が髪を盛大に乱していく。
「ああ痛いな、イライラするよ! 酷い有様だ! 車、高かったんだぞ! 新車だったのに!」
 持ち主のディーノがそうであるように、自身も顔と体に傷を負った手負いの獣は、僕たちを乗せて石畳の街中を疾駆する。咳き込みながらディーノは口元の血を拭い、取れ掛かっているバックミラーに手を伸ばすと、ひび割れた鏡面が後続車の白いヘッドライトを反射した。
「やっぱり追って来やがるか。で、どこまで運転すりゃいい? 俺ん家って言われても絶対上げないからな!」
 篭城なんてとんでもない、とジジに言い放ったディーノは銃から弾倉を取り出し、残弾を確認してまた戻す。声はありありと怒気を孕んでいた。
「兄貴分のカレル本人が出張ってきたのは、今日でケリをつけるつもりだからだ。向こうがその気ならこちらも打って出る。ジジ、そこを右だ、大通りに出るんだ! 街中は路駐が多いから逃げ場が無い!」
「んなこと言われても……つーか、打って出る前にお前の傷の手当てが先だろ!」
「そんなもの後でいい! カレルは、僕たちのことを絶対に逃さない。奴が今夜中に、僕たちを殺すつもりなら、こちらもその気じゃないと、今度こそ本当に死んでしまう!」
 運転席と後部座席の間で縮こまっていても、銃声と共に鉛がボディを穿つ度、嫌な汗がどっと吹きだし、短時間で強烈なストレスを溜め込んだ体から漂ってくる自分の体臭が、異様に鼻に着いた。街中で他にも通行人がいたりするのに、正気じゃ無い。ディーノの言うようにカレルは今夜、僕とヨキを始末するつもりだからこんな思い切ったことができるのだろうか。
「カレル、カレルってさっきから何なんだよ一体……」
 ヘッドライトが割れているせいで進行方向の視界の確保が難しくても、ジジの運転は的確でディーノの指示通りに車を操っているが、ある意味、僕たちの命運は全て彼に掛かっていた。ジジが不安を抱くのも当然で、少しでも気を紛らわしたくて口にしたのだろう疑問は、僕も、恐らくヨキも気になっていたことだった。
「従兄弟だよ、話しただろ? 僕をマフィアに引き込んだ幼い頃の、唯一の友達だ」
「従兄弟って……身内じゃねぇか! お前はもう母親を殺してんだぞ! 今度は従兄弟まで殺すつもりか!? 正気かお前!」
 ヨキが驚愕を叫ぶ中、バックミラーが根元から捥げて何処ぞへと飛び、それに驚いたジジが急ハンドルを切って車体が大きく尻尾を振る。
「身内がどうのと言ってる場合じゃない! とっつぁんが僕をマフィアから引き抜いたと言っても。そう穏やかなものじゃなかった。組織から脱退して服役するということは、組織の情報が敵である警察に知れ渡ってしまうということでもある。だけど親父はそんなことよりも組織の時期後継者を巡る派閥争いで、誰が自分の命を狙っているかで頭がいっぱいだった。何もかもが丁度良かったんだ! 僕が抜けたことでカレルと兄貴分が秘密裏に自分を裏切っていたことが明るみになり、反対一派のカレルたちを部下に襲わせたんだ。その襲撃で兄貴分と仲間は死に、一人で逃げ果せたカレルは捕まって、組織から追放された」
「奴はお前のせいでとばっちりを食ったから、お前を恨んでいるってか?」
「そうだ。僕のせいで何もかもを失ったカレルは、僕から何もかもを奪わなければ気が済まないんだ。奴の目的は、ドン・ドニーノを潰すことだ。仮に、君たちを渡して、新しく人を雇ったとしても、カレルはきっと離反するように仕向ける。僕の安寧が脅かされることになる! だからホプキンスがカレルだった以上、殺すしかないんだ!」
 ディーノは本来尊重するべき血族であるカレルを、手に掛けなければならない理由を論理的に語ることで、正気であることを僕らに示すが、彼が正気か否かや、カレルの間にある因縁なんてどうでもよかった。
 料理はともかく、裏社会とは無縁の環境で育った僕は、あまりにもディーノからは遠すぎるところにいて、僕の物差しでは料理長である彼を理解できても、裏社会で生きた過去を持つ彼のことは理解し切れない。
「マフィアを辞めた時からもう、カレルとは身内ではいられなくなっていたんだ。もう、いいんだよ。今はどうすればカレルを倒せて、君らを守り通せるかということしか考えられない! ドン・ドニーノとそれを構成する君たちの方がずっと大事だ!」
 だからマフィアを辞めて罪を償い、トラットリアの料理長となってなお、襲撃者をいとも容易く撃ち殺し、敵に変わって襲ってきた相棒であり血族をも排除するという決断が、迅速にできてしまうディーノは心強いはずなのに、やはり、狂うとまではいかない程度に壊れたままだとしか思えなくて、悲しみとも、恐れとも言えない何か、苦しいものを感じてならなかった。
 鉛弾ではとても起こせない衝撃に、車が大きく跳ねる。真っ先に動いたのはヨキだった。シートの座面に膝をつき、背もたれに体を預け、発砲しはじめた後ろから顔を覗かせると、カレルたちの車が間近にまで迫っている。追いつかれた!
 銃弾を浴びせながらカレルたちは何度もアタックを仕掛けてきた。ディーノも窓から腕と顔を出して応戦に加わるが、前後不覚でさらに、車体までこうも激しく揺さぶられては、ジジが運転を誤るのも時間の問題だった。
 角から飛び出してきた何も知らない民間人が運転する車の鼻先は避けれても、その先に路上駐車されていた車までは避けきれず、フロントの一部が掠ったことで意図しない制動が掛かり、スピンしたボディの横っ腹目掛けて、カレルたちの車のフロントが突っ込んできた。
 きっと、フードプロセッサーの中に放り込まれたナッツはこんな気分なんだろう。何もかもがわからないまま激しく転がされ、あらゆる感覚に暴行を加えられながら壁面や互い同士でぶつかり合い翻弄され、砕け散るよりない。
 揺れと騒音が治ると激しい耳鳴りがして、恐る恐る目を開けると上下逆さまになっているシートの座面がぼんやり見えた。ひとまず、まだ生きているようだがしかし、身体中に痛みを感じるあまり、どこがどう痛んでいるのか全くわからなかった。他の三人は無事だろうか。体を起こす前に、どこからか伸びてきた腕と手に捕まれ、車から引き摺り出されて見えたのはカレルの戦闘員の四角い顔だった。
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