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文字数 16,122文字

 ホテル・オラータは巨大なマンションのような外観をしており、一回はフロントの他にカフェ・テラスが併設していた。
 カーペットが敷いてあるラウンジへ足を踏み入れると、従業員がゲストの応対をしていたり、チェックイン待ちの観光客がソファでくつろいでいる。そんなガヤガヤとした喧騒に満ちた空間を、アンティーク調の照明やどこからか聞こえてくるカンツォーネが、厳かに彩っている。
 フロントを素通りしてエレベータのスイッチを押すもキーカードが必要で、諦めて内部を探索し始めるとすぐに、地下へ続く階段を見つけた。非常用の階段だったらしく、壁はコンクリートが剥き出して、金属の階段は一段降りるごとに軽音が鳴った。
 カジノに抱いていたイメージは、ド派手なネオンと照明で圧倒的な存在感を持っていて、ゲストは皆、高級なスーツやドレスで着飾り、リムジンやスーパーカーで乗り付けるものとばかり思っていた。
 ホテルオラータにはネオンやカジノなんて看板は無く、せいぜい窓の周囲が石組みの装飾がこしらえてあったり、壁面に模様を描いてデザイン性を向上していたりするだけで、建物も高さがあるわけでは無く、ホテルのグレードもそこそこと言ったところだろう。
 周辺の建物もホテルオラータが十分に溶け込めるくらいには大人しいし、果たして、こんなところにカジノなんかあるのだろうかと疑問を口にすると、ドアを開けてフロアに出たヨキから鼻で笑われた。
「お前が想像しているカジノって映画とかによく出てくるようなのだろ? 街の景観を見れば、そんなもん無いことくらいわかるだろ」
「と言われても、そういうイメージしかないんだからそういうもんだとしか思えないよ」
「なんだお前、行ったことないのか?」
「博打はやらない主義なんだ」
「かーっ、つまんねぇなぁ」
 渋い顔をしながらヨキはマリオのハンチグを目深に被り直す。幸い、僕とヨキの仕事着はワイシャツとスラックスに加え、貧相ではあるが革靴だった。ディーノのジャケットを着てしまえば、ブカブカなことを除いてさほど違和感は無い。
 問題は服装よりも顔の方にあり、得体の知れない敵に知られてしまっている以上、素顔のままというわけにはいかず。ヨキはマリオが置きっ放していた帽子と、ブラシの毛を切って作った付け髭で仮装し、僕はベースボールキャップとレンズの色が薄いサングラスを掛けてさらに、付け髭と同じ要領で揉み上げ作り、口の周りにも髭を生やしていた。
 完成した姿はだいぶ胡散臭くて辟易したが、僕は幼く見えるらしく、これくらいしないと怪しまれる、なんて脅し口調な割には始終、ニヤニヤとしたヨキから無理矢理施された。
 依然として僕のカジノ像は規模も設備も大きく、博打以外にもショウやダンスなどのパフォーマンスも楽しめる場所だが、人の流れに沿って廊下を進んでいるうちに見えて来た場所は、どことなくゲームセンターと雰囲気が似ていた。
 赤、青、緑以外に紫やオレンジのパネルが光る照明は若干時代遅れなのニュアンスだが、トランペットとサックスがゴージャスなスローテンポのジャズがそれっぽく、ゲストたちが並んだスロットマシンとにらめっこしている。
 ディーラーこそワイシャツとスラックスの組み合わせに、ベストとリボンタイを着用しているが、ゲストたちはラフなセットアップ姿だったり、ポロシャツを着ていたりと様々で、ドレスコードが設定されているわけでは無いようだ。
 こんなに気軽に遊べる大衆向けのカジノもあるんだなと思いつつ、早速フロアを物色し、マリオのギャンブル仲間の伊達男探しを始める。ゲストたちはディーラーからゲームの説明を受けていたり、仲間内で固まって談笑していたりと比較的大人しいが、薄暗がりの中では誰もが同じような顔に見えて仕方が無い。
 この中から今夜、姿を表すかわからないツーブロックの伊達男を探し出すのは、なかなか苦労しそうだった。それに、慣れない格好をしているせいか、妙に視線を感じて落ち着かない。そわそわしている僕とは対照的に、ヨキはいつの間にかドリンクを調達し、いくらか金をチップに交換して来ていた。
「おいヨキ……」
「ここは賭場だぞ。勝負していた方が、怪しまれねぇじゃん。なんか文句あっか?」
 などと言いながらヨキはさっさとフロアの奥へと歩いて行く。スロットマシン群を抜けた先では、いくつかテーブルが設置してあり、ゲストたちはポーカーやブラックジャック、バカラといったカードゲームや、ルーレットに興じていた。
 ヨキが目をつけたのはルーレットだった。群がる客たちに紛れてシートにチップを置き、ボールがどの数字のポケットに入るか、酒を飲みながら見守り始めた姿に半ば呆れながら、僕も見物客のふりをして、サングラスを鼻の半ばまで下げ、視線をフロアの端から端へ泳がせる。
 何回か勝負が始まって終わり、ヨキは微々たる量ではあるがチップを増やしていた。酒も入っていくらか気が大きくなっているらしく、ルーレット盤を見つめる視線も熱を帯びている。いくら声を掛けても、いいところだから黙ってろ、としか言わなくなっている。
 嘆息したところで、ルーレットの前に立つディーラーの肩越しに、カードのテーブルで拍手が鳴り響いた。誰かがディーラーを出し抜いたのか、それとも大きく張った勝負に勝ったのか、得意げな顔で野次馬を裂く男の姿が見えた。
 目にかかる前髪を掻いて背筋を伸ばし、颯爽とした足取りは何よりも得意気で一瞬、垣間見えた横顔は確かにいつぞや見かけた、かの伊達男だった。
「ヨキ、おいヨキってば! あいつだ、あの男だ! ジジだ!」
「うるせぇ! よし、よし……バカ、そっちじゃねぇってあぁー……」
 ラチがあかない返答に舌打ちを返し、ヨキの元を離れてジジを探すとスロットの合間を悠々と歩く後ろ姿を見つけた。勝負にも勝ったし今日は帰るつもりなのかと思ったが、彼が向かったのは手洗いで、用を足したらまた勝負に戻るようだった。
「しょ……勝負が長引くと、席って離れづらいもんだよな」
 彼が立った小便器の隣に立ち、ワザとらしく咳払いして声を掛けてみる。一瞬、ジジの目が僕を見たが彼は無視し、正面のタイルにまた顔を戻す。絶対、ヨキにやられた変装のせいだと思った。
「あんた、さっき取り囲まれてたな。どのくらい勝ったんだ?」
「あん……? あぁ、ざっと五倍さ。もっと張ればよかったよ」
「す、すごいなそれは、僕もあやかりたいよ……きょ、今日は、マリオの姿が見えないがどうしたんだ」
「どのマリオだ。マリオ・アポローニ? マリオ・カノッビオ? ごまんといるぞ」
「ど、ドン……ドナータ。マリオ・ドン・ドニーノ」
 緊張で、口元がムズムズした。顔の右半分に強烈なジジの視線を感じ、股座を下から鷲掴みにされているような気分のまま、出ているものが緩やかに止まって行く。会話が弾む前に本題を切り出してしまい、しまったと思った時にはもう遅かった。急いでチャックを上げ早々に立ち去ろうとしたが、後ろから肩に手を置かれ、振り返ると同時に伸びてきたジジの指が口の周りの付け髭を摘み、無遠慮に剥がされた突き抜ける痛みに思わず声が出た。
「あれ、お前……」
 鼻の下が痺れてヒリヒリする。続けざまにサングラスも奪ったジジは剥き出しになった僕の顔を覗き込んで顔をハッとさせる。
「爺さんの店の給仕じゃないか! なんでこんなところにいるんだ?」
「いてて……あんたを探してたんだジジ……」
「俺を? しかしなんでまた……そんなバカみたいな格好してんだ? ジャケットぶかぶかじゃん」
「聞きたいことがあるんだ。髭はもういいからサングラスを返してくれないか。場所も移そう……そこの個室がちょうどいい」
「なんでお前なんかと個室便所に籠らなきゃならねぇんだよ! 勝負の熱が冷めちまう、後から相手してやるよ」
「今じゃなきゃダメなんだ! なぁジジ、マリオから最近、何か聞いてないか? それと彼らは何者なんだ?」
「給仕をやってるお前の方が知ってるだろ」
「違うそうじゃない、いいから聞け!」
 去ろうとするジジの腕を掴んでこちらを振り向かせ、マリオが死んだことを伝えるとジジの顔色が驚愕に染まる。どうやらジジはまだ、マリオが死んだことは知らなかったらしい。面白い人間がまた一人、いなくなっちまったとぼやくジジの口ぶりはどこか軽薄に感じたが、目元にははっきりと寂しさが浮かんでいるから、彼の悲しみが決して嘘では無いことがわかった。
 さらにかいつまんで事情を説明してやると、深い嘆息をついて、どけよ、と言わんばかりに僕の体を押しのけたジジはカジノへ戻ろうと足を進める。
「なあ頼むよジジ! 君が知っていることを教えてくれ!」
「冗談じゃねぇ、お前といたら俺まで爺さんのご一行と勘違いされちまうじゃねぇか!」
 せっかく、直接言葉を交わせる距離まで近づいたんだ。振り切られるわけには行かず、ジジの衣服を掴んで食い止めるが、したたかに横っ面を殴られその場に尻餅をついた。
「やめろよ、なんで俺が……そんくらい、爺さんが死ぬ前に知っとけよ」
 何故探ろうとしなかったんだと、と痛いところを突かれて言葉に詰まる。何かに感づいていなかったわけではないが、なんと切り出しらいいかと逡巡している内に、仕事に追われて何をどう聞こうとしていたのかを忘れ、また思い出すを繰り返していたとは、あまりにもアホらしくて、正直に訳を話したくはなかった。
「面倒は嫌だっていうのによぉ……」
 かっこ悪いことは承知で、いいからあの二人はなんなんだ、と開き直りながら彼の足に縋り付くと、うんざりした顔で、やめろみっともない、としゃがみ込んだジジは僕の手を剥がし、片手で顔を覆ってかぶりを振る。
 ジジとマリオが出会ったのは数年前だそうだ。ポーカーで互いに張り合ったことがきっかけで顔見知りになり共に打つ機会が増え、時たま、ドン・ドニーノで食事ついでに世間話をする間柄らしい。
「俺も詳しいことは知らないが、マリオの爺様は裏稼業、まぁ俗に言うマフィア連中なんかと接点を持っているっぽいんだ。カジノにたまに来るそれっぽい奴らは、みんな爺様と知り合いだ。だけど爺様自体はマフィアっぽくはないんだよなそれが」
 聞き慣れない単語にぽかんと口を開けたままジジの顔をただ見上げる。犯罪集団、法外な取引で大金を巻き上げ、社会の秩序を乱し福祉に反する輩共。マフィアという単語から連想できるものを可能な限り浮かべてみるが、僕とはあまりにも接点が無さすぎて、結局、おっかない連中という漠然としたイメージでしか把握できなかった。
「何者なんだマリオは……」 
「いい加減立てよ、汚ねぇだろ。そこまではおっかなくて首突っ込めねぇよ……ただ、多数のコネクションを持っているのは確かだ。んでまぁなんだ、俺は爺さんから頼まれてたんだよ。人攫って売っぱらってる奴がいるっぽくて、なんか小耳に挟んだら教えてくれって。もういいだろ? な? ……な?」
 とにかく、マリオは僕たちを攫った奴を独自に嗅ぎ回っていたことだけは理解した。しかし、突き止めてどうする。保護と見せかけ、そいつらの正体を掴んだら僕とヨキを売り渡すつもりだったのだろうか。ジジはそれ以上何も知らず、話すつもりも無いようで、愛想笑いを浮かべながら後ずさっているが、まだ話は終わっていない。
「じゃ、じゃあディーノは……ディーノは……」
「調理師のことは知らねぇよ! 俺ぁもう行くぞ!」
「ま、待ってくれジジ!」
 足を振り上げ僕の制止を払い、踵を返したジジは駆け足でトイレを出て行く。殴られた拍子に飛んでしまった帽子を掴み、その後を追いかけ……立ち尽くしているジジの背中に顔から突っ込んだ。
こんなに早く気が変わったとも思えず、面食らったまま何事かと顔を上げると、何やらカジノから客やディーラーが駆け足で立ち去っている。何か嫌な予感がして、できることならディーラーや客に紛れて外に逃げ出したかったが、ヨキを置きっぱなしにしたままだ。
 ジジの脇を通り過ぎようとするとすかさず、どこにいくんだ、と腕を掴まれた。仲間がいることを伝えると、彼は淡々とした口調で、やめておけと冷酷に首を振り、どうしてそんなことを言われなければわからず、彫刻のように整っている彼の顔をしばらく、呆然と眺めていることしかできなかった。
「厄介ごとに首をつっこむのはやめておけよ、俺たちもしれっと退散するんだ」
 そんな希望的観測を伝えられても、簡単には首を振るわけにはいかなかった。なぜならここでトラブルが起きるとしたら、マフィアに目をつけられている僕とヨキが主な原因で、僕が巻き込まれていないとしたら、騒ぎの中心になっているのはヨキしかいない。
「中にまだヨキが残っているんだ!」
「いくら何でも真正面からは無茶だ! 聞けってば!」
 ジジの制止を振り払い、カジノの奥へ戻るが嫌な予感がしてならなかった。ヨキを無理矢理にでも引っ張ってこないことを後悔した。顔を隠しているとは言えチープな変装に変わりはなく、ヨキは勝負に夢中になっていて周りが見えなくなっていた。何かの拍子で気づかれたのかもしれない。
 銃を使う以外にも人を殺す方法なんていくらでもある。後ろから刺されたのだろうか。それとも連れ去られたのか。騒ぎになっているくらいだ、ヨキがどんな目にあっているのか心配で心配で、彼の姿を一目見なければ気が済まなかった。
 ヨキが遊んでいたルーレットの前から彼の姿は消えていて、代わりにチップが置きっぱなしになっているシートや床に、血痕が点々と続いていた。幸い周囲に飛び散っているわけではないが、誰かが手負いなことには代わりない。先を追ってみると開け放たれた非常出口の扉が開きっぱなしになっていた。
 傷を負った誰かが逃げたのだろうが、問題はその誰かがヨキか否かだ。痕跡を辿ってみるとフェンスに囲まれたボイラーか発電機らしきものが、ゴンゴンと腹に響くような音を立てている。その上にはまた階段が伸びていて、佇まいの冷ややかさに生唾を飲んだ。
 そう言えば、僕は丸腰だった。この先にヨキがいたとして、彼の後を追った敵を素手で倒せるかどうか自信が無い。消火栓の中に斧かハンマーでも入っていればよかったのだが、あいにくとここはホテルの中だ。
「待てよウェイター! 修羅場だったらどうすんだ!」
「ジジ!? なんでいるんだよ」
 てっきり、逃げたと思っていたのだが、追いついてきたジジはジャケットのポケットにくすねたチップを突っ込むと、背中に腕を回し銃身が短い銀のリボルバーの撃鉄を上げた。
「逃げちまったら見殺しにしたみたいで後味が悪いだろ! ツキを落としたくねぇんだ。上に行けばいいんだな?」
 言うなり、ジジはさっさと階段を登り始めてしまう。自分の手に武器が無いのはやはり不安だが、武器を持った味方が一緒なのは正直、かなり心強い。黒ずんだ階段の上に落ちた血痕は全くと言っていいほど見えなかったが、階段は上層まで続いているわけではなかった。
 金属ドアの手把に血が付着しているのをジジが見つけ、向こう側に出るととその先はすぐ外になっていた。ホテルの裏手は表通りとは違って空気が冷たく、近くにゴミ箱でもあるのか、生臭い臭気が停滞していた。
「ヨキっ! どこだヨ……!」
「お前ぇっ、いい加減にしろ声が響くだろうが! 次大声を出したらお前を殺して俺は帰るからな、いいな、わかったな、わかったな?」
 背後から伸びてきたジジの手に鼻と口を同時に塞がれ、さらにこめかみに銃口を押し付けられては頷くよりない。カジノの中から続いていた血痕は、隣り合う建物の間にできた深い影と、石畳の粗い目が跡形も無く消し去っていた。
 右に目を向けると表通りの方に続いていて、なるべく人目につく方に逃げたのかと思ったが、左側の暗がりの方に何かが落ちているのをジジが見つけて、拾い上げる。
「ダセェ帽子だな……ん、なんか見覚えあるなこれ」
 ジロジロと眺め回すジジに、マリオの帽子だよと教えてやる。ヨキは地上に出て、表通りでは無く裏通りの奥へ逃げたようで、僕も暗がりを、おっかなびっくり進んでみる。まだ、そう遠くには行っていないはずだが、ぼんやりしている間にその距離はきっと、詰められないくらい開いてしまうだろう。
 そう思えば思う程、気が急っていく、しジジが言うようにヨキの近くにはまだ邂逅したことが無い敵がいる可能性も高く、大声で呼べないことも逸りに拍車が掛かる。足は自然と早くなり、鬱陶しいつけ髭と揉み上げを剥がして、サングラスもジャケットの内ポケットへしまう。
 頼む、頼む、どうか生きていてくれと繰り返し、腹の中でヨキの無事を祈りながら、暗闇の細部まで気を巡らせる。敵はヨキだけでなく僕のことも狙っている。今もどこからか見られているのではないのかと考えるのを辞められず、全身の毛という毛の先まで神経が通っているみたいに、肌の表面がピリピリと痺れていた。
 さして時間は経っていないはずだが、途方も無い時間が過ぎ去ったみたいな感覚の中、建物の角を曲がると路地の真ん中にポツンと、背後の表通りから注ぐ光を背負った影が浮いていた。地べたに膝をつき頭を垂らして、腕と胴体の間に隙間ができていることから、両手を背中で拘束されているのがわかった。
 また、ヨキの名を呼び走り寄りたい衝動に駆られたが一度物陰に身を隠し、建物の角に掛けた指に力を込めて踏み留まると、陰から顔半分を出して様子を伺ってみる。すぐ近くでジジが、どうした、と小声で囁き身振り手振りであれを見ろと影を指差すと、あー、だの、うー、だの、なんと言おうか逡巡し、めんどくせぇな、と気だるげに呟いた。
「ジジ、頼む。銃を貸してくれないか?」
 幸い僕たちの背後は壁に塞がれ、ヨキに駆け寄っても後ろから不意打ちされる心配は無いが、このまま近づくのは気が引けるし部外者のジジを先に行かせるわけにも行かない。
「やめておけよ……お前も俺も何も見なかった。仲間なんて最初からいないし、お前はずっと一人だった。そう強く思い込むんだ。あれにノコノコ近づくなんて自殺行為だ」
「消そうにもきっとあのバカは消えてなんてくれないよ……ヨキは友達なんだ」
 言いつつリボルバーの銃身に手を置くと、じっくり煮た肉から簡単に骨が外れるように、いともたやすくズシリと重たい凶器が手に落ちた。撃鉄は起きていたから手元で操作するのは引き金だけでいい。握り慣れてない銃の、つるりとした木製の把手は手のひらに滲んだ汗で滑って落ちつかず、もう片方の手を添えていなければ取り落としてしまいそうだった。
 顔の正面に銃口を置いてもぼやけてよく見えず、視線がサイトと一直線になるように顔をやや。横に捻りながら影ににじり寄る。いつになく心臓がドキドキとしていた。ヨキは背中に光を背負っている上に顔が隠れてよく見えないが、微かに聞こえる呻き声でまだ生きていることがわかった。
 ヨキだけでなく僕をも狩ろうとしている敵はどこに潜んでいるのだろう。ヨキのすぐ後ろにある車か、それとも、建物内に侵入して接触するのを待っているのか。できることならば来ないで欲しいのだが、そういうわけには行かないだろうし、敵が姿を現したとして、僕に引き金が弾けるのか? 怪我を負わせたり、殺して排除することができるのか?
 様々な疑問が頭と胸の内で交錯していて、口の中が異様に乾いている。いつぞや、ドン・ドニーノで給仕をしている最中、ヨキを経由して差し入れられたマリオのリンゴジュースが、とてつもなく恋しい。
 靴底を地面にこすり付けながら、影まで約十メートルのところまで近づくと、影が漏らす荒い息遣いが聞こえた。恐る恐る、ヨキの名を呼んでみると、重たそうに頭を上げて僕の存在を確かめようとしていたがすぐにまた、俯いてしまう。
「え、エイジか……? 嘘だろ……右腕をやられた、撃たれた……こっちに来るな! お前までやられちまう!」
「ゲームになんか夢中になりやがって。だから僕は博打なんか打たないんだよ」
「何も言い返せねぇ……悪かったよ。とにかく引き返せ、お前まで死んじまうぞ」
「ここまで来て引き下がれるか。また縛られてるのか? 学習しない奴だな本当に」
 何が死んじまうぞ、だ。そんなの承知の上で追ってきたというのに。素直に助けてくれと言えばいいだろう、という苛立ちを押し殺し、もう一度周囲を警戒しながらさらに距離を詰めると、ヨキの背後に停まっていた車のドアが開き、誰かが降りてきた。
 一人は足が長くてスマートだが、もう一人はずんぐりと肥え、直立で立つカエルのようなシルエットをしている。スマートな男が服の内側を探る仕草をしたかと思ったら、金属同士が擦れる音が鳴り、曝け出した手には不自然に銃身が長い銃を握っていた。俗にいう、抑制器という奴だろうか。ゲームや映画で見たままの円筒形を成していた。
 肩幅に足を開き、銃口をスマートな男と太った男の交互に向けると、何もしない方がいい、という野太い声が、建物と建物の間に立ち込める空気を震わせた。
「こちらは二人だ、勝ち目は無い。……銃なんか持ってんのか? こりゃ丁度良い」
 何が丁度良いんだよ、とどちらのものかわからない声に言い返すと、スマートな男がヨキの頭を抑制器が延長した銃口で小突くのが見えて、カッと頭に血が昇るのがわかった。
「だいぶ、仲が良いようだ。まぁ無理もあるまい。揃って逃げ出し、苦楽を共にしたのだから多少なりとも、親密にはなるだろう。男同士でもな」
 嫌味な言い方でさらに怒りを煽られるが、取り乱しては僕とヨキ、どちらの命も危険に晒してしまう。感情的になる前に一呼吸、間を設けひとまず、何も持っていない太った男は無視して、スマートな男に銃口を固定して引き金に指を掛けた。
「おいお前、こいつを助けてやってもいいぞ」
「なら早くやれろよ……でないとお前たちを殺すぞ!」
「おおっ怖っ、へへっ。それじゃあ、その銃口を自分の口に咥えて引き金を引いて貰おうか。それができなけりゃ、俺たちの代わりにこいつを殺してくれよ」
 至極当然のように言い渡された恐ろしい要求に何かを言い返そうにも、言葉に詰まりディーノの、行くな、と言う忠告が今更ながら身に染みた。
 あちらは僕とヨキを殺すのが目的で、今はその前に嬲って苦しみを味わわせ優越感に浸りたくているのだがから、喚いても叫んでもそんなものは奴らの気分を助長するだけだ。奴らにとってこれは、ほんの余興に過ぎない。同業や、プロの殺し屋や、敵である警察相手ではないからこそ醸せる余裕という奴だ。
「どうした? 早くしろよ、できないなら俺たちが代わりに……」
 相手は世の理の外に身を置いている。ということはつまり、一般的な人間が本来持っている道理や常識から外れていて、規律の基盤となる法を説いても意味が無い。彼らが従うのは絶対だと信じて疑わない自分自身の胸に秘めているねじ曲がった価値観と大金だけだ。
「ま、待ってくれ、待ってくれ。わかった……わかったよ……ぼ、僕が、ヨキを殺す。ここまでずっと一緒だったんだ。何処の馬の骨かわからない奴らに、そいつが殺されるのを見ているくらいなら、僕が殺したほうがマシだ。……いいだろ、ヨキ」
 不承不承に頷き震える声で呼び掛けると、ヨキは一層唸り声を大きくして目で何かを堪えていたが、我慢できずに、いいわけねぇだろこのボケッ! と、大声で腹の中に溜めていた悪態を吐き捨てた。
「何勝手に決めてんだ! なんで俺様がてめぇみてぇなしょーもねぇ無職から殺されなきゃならねぇんだよふざけんな!」
「こっちだってやりたくないし、お前を殺したら僕だってこの下衆野郎に殺されるんだぞ!? ちょっとは人の気持ちも考えろよ! そういうところだぞ!」
 ヨキの後ろの男たちに何かを言う気配は無く、かと言って止めるわけでもなく、代わりに互いの顔を見合わせて肩をすくめていた。辛気臭くなりがちな余興が、多少なりとも盛り上がりを見せているので、もう少し静観していようという腹づもりなのだろう。
「やめろ近づくな、こっちにくるんじゃねぇっ! お前なんかに殺されるんだったら、こいつらにやられたほうがまだマシだ!」
 平々凡々に生きてきて一般人の域を出ない僕たちは、ヨキの後ろの二人にどこまでも舐められている。それだけでも腹立たしいというのに、自暴自棄になって興奮しているヨキの悪態が耳につき、どうにかこの状況を打開する手立てがないかを考えたいというのに、何も浮かんで来なくてもはや、どうしたらいいのかわからない。
「お前は僕のことをなんだと思っているんだ!」
「博打も打たねぇお前が銃なんか撃ったことあるのかよ? 撃ったことないよな、なあ!? 頼むぜエイジ、余計なこと考えずに一思いに死にてぇんだ俺は! ただでさえ撃たれたところが痛ぇってのに死にぞこなったらもっと痛ぇじゃねぇか!」
「それなら確実に死ねるように……口の中でぶっ放してやるよ……!」
 暴言を吐き続けるヨキに最後の言葉を言い渡し、生唾を飲む。ヨキと友達になれて幸運だったと思っていたがどうやら、買いかぶり過ぎていたのかもしれない。とは言え、殺さねばならないほど憎くいかと言われたらそんなわけがなかった。
 しかし、あいにくと僕に策が無いまま、とうとうヨキの眼前に到達してしまった。下ろしている前髪は皮脂で不格好にまとまり、殴られたのか左の頬を晴らしている。シャツは自身の血で赤く汚れ、負傷している右腕からはなおも緩やかに鮮血が漏れ出していた。スラックスも砂埃で薄汚れて身動きも取れず、惨めという言葉を全身で体現しているヨキに銃口を向けると、血走った目がありありと怯えに変わる。
「おいマジかよエイジ……後生だ、頼むから……」
 命乞いをするヨキの口の中に銃口を差し入れつつ、二人のマフィアに目を配る。どちらもシャツをラフに着こなした私服姿だが、スマートな男の時計や、太った男の金無垢のネックレスは脂ぎった存在感を放っている。口元に笑みを湛えているにも関わらず、目元にはシワすら寄っていなくて、騙し討ちが通じるような隙は一つも無かった。
 こんな取って着けたような顔で笑える人間が、躊躇いもなく人を殺せる人間なのかと思った。それに、どこか見覚えがあるなと思ったら、地位を確立して何を訴えても聞き流す割には、自分が強いる理不尽には鈍感で、気持ちの良い言葉しか受け入れず、平気で人の成果を横取りして行く上司の顔と被った。
 こんなところに来てまで、そんな奴の掌の上で踊らなければならないのが悔しければ、負けっぱなしの過去にケリもつけられていなくて、否応無しに己の弱さを痛感する。すでにマリオを失っているというのに、このままヨキを殺してしまえば僕は人ではなくなってしまいそうな気がしたし、人でなくなった自分に後ろめたさを感じる間さえも無く殺されるのも、納得できたものではない。
 助けて欲しかった。自らの意思で渦中に飛び込んだくせに身勝手なことを言っているのは承知の上だ。だけど、この状況は自分一人ではどうすることもできない。直に助けてくれなくてもせめて、程近い場所にいるだけで、心に勇気が湧いてくるような存在が現れてくれることを願いつつ、銃把を握り直し人差し指を引き金に掛ける。
 本当に俺を殺すのか、というヨキの視線がザクザクと刺さる中、二人のマフィアがとっとと殺せと拍車を掛ける。起こした撃鉄が半ばまで後退させた引き金の沈みを、どうにか押さえ篭めるのに必死で手元がガクガクと震える。
「……ふぁ……ダメだやっぱり怖ぇっ!」
 計り知れない痛みと死の恐怖に負けたヨキが、銃身を吐き出すばかりか頭を横に大きく振って拒絶する。その拍子に手元も引っ張られ、咄嗟に元の位置に留めようと力を込めた刹那、引き金を引き切った確かな手応えと共に、ヨキの口から外れてどこぞへと逸れた銃口が火を吹いた。
 ジジの銃は大きな物ではなく、反動は思っていたよりも大したことがなかったが、轟いた銃声が何か、取り返しがつかないことをしでかしてしまった感覚を想起させる。
 ぎゃっ、という潰れた悲鳴を上げ、ヨキに銃を突きつけていたスマートな男がその場にひっくり返るなり、足首からスネのあたりを空いている手で庇う。その姿を見て、たった今発砲してしまった銃弾が当たったことに気がついて背筋が冷たくなった。
「てめ……やりやがったな!」
 太った男が予想しなかった反抗に取り乱しながらも、自身も銃を抜く仕草にハッとする。ヨキの体なり服なり、どこかしらを掴んで横に飛ぶと、今まで僕がいたところを鉛が突き抜けていく気配を感じた。
 石畳の上に二人揃って倒れこむが幸い、僕の手は握りしめた銃を取り落としてはいなかった。半身を起こしつつ、一瞬見失ってしまった太った男に銃口を向けるが、それよりも早く相手の銃が僕を捉えていて、今まさに第二射が放たれようとしている。ヨキの背中を蹴り飛ばした反動で上半身を反らすと、穿たれた石畳の破片が額やら目元やらを掠めて飛び散った。
 地面を無様に転げまわり、なるべく一箇所に留まる時間を減らすことに専念していてもなお、銃声が響く度にその場に膝を折ってうずくまり、嵐が過ぎ去るのを待ちたくなった。太った男は、明らかに動揺している。僕に定められた狙いは右や左に逸れているようだったが、それでもいつ、弾が当たってしまうかわからない。太った男は何発撃って、銃の中にはあと何発残っているのだろう。頼むから早く終わってくれと願う一方で、いつの間にか左腕の感覚は消失していた。
「ああもう俺は、なんて馬鹿なんだッ!」
 軽音と共に降り注ぐ銃弾が止んだことに気づいて恐る恐る顔を上げると、後頭部を抑えて膝を着いた太った男の後ろで、鉄パイプを携えたジジがスマートな男の顔面を、青ざめた表情で蹴り上げていた。
「おたくら見ちゃいられない! 止めとけっつったのに! ツキが落ちるだろうが!」
 太った男が取り落とした銃を拾い上げたジジは、ヨキの背後に回ると手錠の鎖に銃口を押し付け、引き金を引き拘束を解く。しかし、さぁ逃げるぞ、と叫んで僕とヨキに逃走を促した矢先、立ち直った太った男の両手がジジの足をがっしりと掴んだ。地面に倒された挙句マウントまで取られ、ジジの顔面に握りこぶしの殴打が振り下ろされる。
 片方の鼻の穴を抑えて溜まった鼻血をかみ、ふらふらと立ち上がったスマートな男の顔は、汗と血で汚れているだけでなく怒までもが充ち満ちていた。僕が撃ってしまった方の足はまともに動かせなさそうではあるが、それでも無事な足を支えに背筋を伸ばし、僕が銃口を突きつけているというのに毅然とした歩調で距離を詰めてくる様子は、どこか異形じみている。
 撃鉄が倒れている銃の引き金はより重みを増していた。すでに収拾がつかない状況だというのに、自分の命を守ることよりも他人の命を奪うことへの躊躇で、反応が遅れている隙に目前まで迫ったスマートな男は、銃創を負った方の足と振り上げ硬い靴底を僕の左肩に押し当てた刹那、突き抜けた痛みに自分のものとは思えない絶叫が喉を震わせた。
 ジャケットの下でワイシャツがじわじわと生ぬるく濡れていく。地面を転がっている時に、太った男が放った銃弾が当たったに違いない。撃たれたという事実にパニックを起こすだけでなく、傷を負ったことを認識した途端にさらに痛みが増して、男の足の下で涎と鼻水を撒き散らしながら身悶えしているよりなかった。
 ジジの鉄パイプを拾い上げ、ヨキがスマートな男に殴り掛かるが、彼は僕とは真逆の右腕を負傷していた。使い慣れていない左手では思うように力を篭められなかったのか、振り下ろされる鉄パイプを軽々と受け止めるばかりか、握り返したスマートな男は思い切り自身に引き寄せ、それに引っ張られたヨキの腹に拳を見舞う。
 銃弾を足に食らっているというにこうも動けるのは、場慣れをしているからなのか、それともスマートな男の精神力なのかは知らないが、二人掛かりでもまるで歯が立ちそうにない。
 ジジは太った男と取っ組み合い、ねじ伏せることで手一杯になっている。ターゲットを僕からヨキへ移したスマートな男は、えづいているところへさらにもう一発腹に蹴りを見舞っていて、僕だけが座り込んだまま、負傷箇所の痛みに憔悴して何もできていない。
 無力感に泣きたくなった。その場から遠ざかりたくて、傷を負った肩を庇いながら後ろに伸ばした手に何かが当たって振り向くと、取り落としたジジの銃が転がっていた。武器を再び手に入れられたが、こいつを持ったところで使えないのでは意味が無い。
 安堵したつかの間、なんでこんなところにまだあるんだと思った。ヨキなりジジなり、もっと有効に使えるはずの男が二人もいるというのに。持ってしまったら撃つ以外の選択肢が無いじゃないか。
 撃鉄はいとも容易く起きた。連動しているシリンダーが回り、引き金が半ばまで後退する。銃はいつでも撃てる状態だというのに、僕の心理的な安全装置は強固にロックされているままで、構えようとしても腕が重たくて上がらなかった。
 ヨキを痛ぶっていたスマートな男が僕を振り向く。視線が一度、ジジの銃に落ち、次いで僕と目を合わせると口角をわずかに上げた。僕が撃てないと確信している目だった。懐からまた何かを取り出したかと思ったら、スマートな男の手には折りたたみナイフが握られていた。
 ディーノの牛刀に比べたら短くて刀身も細く、簡単に折れてしまいそうではあるが、人の肌と血管くらいなら簡単に切断できてしまう鋭利な光を放っていて、虚ろな目をしているヨキの前髪を掴んで喉元を晒し、喉仏にナイフの刃を添えたスマートな男は、撃てるものなら撃ってみろと表情で訴えかける。
 やめろ、やめてくれ。それが引かれたら、ヨキは死んでしまう。僕の友達が死んでしまう。
 スマートな男の腕に僅かに力が篭る。わざわざ僕に、引き金を引くきっかけまで与えたというのに、それでも動かせないままでいる腕に、動こうとしない自分自身に、何故だと問わずにはいられないばかりか、決定的な瞬間を見てしまったらいよいよ立ち直れなくなりそうで僕は、硬く目までも閉じた。
 もはや一般人でもただの旅行者でもないのに、そうあれかしという願いを、恩人だけでなく友の死に目にあってもなお、捨て切ることができなかった。……負けた。敵である二人の男だけでなく、自分との戦いにまで敗走を期した。完膚無きまで僕は敗北した。自ら落ちた暗闇の中でスマートな男の、悪魔のような嘲笑が聞こえていた。
 それをかき消し、打ち崩したのは一発の銃声だった。なんだ、誰が撃った。誰の銃が火を吹いた。ジジを満足がいくまで弄んだ太った男が、トドメを刺したのか!? 
 我に返った太った男がジジのマウントを奪ったまま、何事かと周囲を見渡している。こいつじゃないとしたらヨキの仕業だろうかと思ったが、地面に倒れ伏し両目を見開いたまま、鼻とコメカミから血を垂れ流して死んでいるスマートな男の側で、彼はぐったりとしている。
「誰だ、どこのどいつがやりっ……」
 ようやく言葉を発せられるようになった太った男が、姿を隠している襲撃者に向けて罵声を吐きかけたが、最後まで言い終える前にまた銃声が轟き、脇腹の辺りから血飛沫を吹いて地面の上に転がった。
「ひ……ひゃあぁ! 汚い、汚い! うぇっぺっ、おえっ!」
 返り血をまともに浴びたボコボコのジジが女の子のような悲鳴を上げ、四つん這いに体を翻して口に入った太った男の血を唾液と共に吐き出す中、石畳を擦る足音に暗がりを振り向くと、陰りの中から一人の大男が光の下に顔を覗かせた。本来であれば調理器具を握っている筈の右手に、ディーノは大きいとも小さいとも言えない拳銃を携えていた。
 激しく咳き込み、車まで這っていこうとする太った男に、ディーノの足はたやすく追いついただけでなく、スマートな男が取り落とした抑制器がついた銃を拾い、ベルトとズボンの隙間に差し込む余裕さえ持ち合わせていた。
「おい聞け、こっちを見ろ」
 首根っこを掴んで太った男を振り向かせたかと思ったら、ディーノは容赦無く頬を殴りつけ、無表情のまま慣れた手つきで太った男の口の中へ、自分の銃の銃身を捻じ込んだ。平静を保ったまま端的に発した唸るような物言いは、人を強烈に上から押さえ込み、否応無く従わせてしまうようなただならぬ威圧感が篭っていた。
「喚いたり抵抗したら膝を撃ち抜く。質問に答えなくても撃つ」
 怯え切った顔で何度も激しく頷く男に、わかったな、と念を押し、ディーノはそっと唾液で濡れた銃を引き抜く。
「あんた、名前は? 誰の差し金だ」
「マ、マヌエル・タレンギ……雇い主なんか言えるわけねぇだろモグォッ!?」
 口答えをしかけた太った男の口の中に再び銃身が差し込まれ、ディーノは太った男の腹の上に馬乗りになりつつ、ベルトに差したスマートな男の銃を抜くと、軽く背後を見返りながら宣言通り、銃口を膝に押し付け引き金を引いた。
 太った男の顔が悲痛に歪み、前歯が銃身を噛み締めてガリガリと嫌な音を立てる。銃身が舌を抑え込んでいるせいで絶叫を上げられない男は、全身を振り乱してディーノの下でただ踠いているよりなかった。
「もったいぶるからだ。さっさと吐けよ」
「え……エツィオ……エツィオ・ファルコーネ……」
「偽名じゃない、本名の方だ。煩わせるなよ」
「他の名前なんて俺ぁ知らねぇっ!」
「二人を襲ったのは組織の意向か? それとも、そのエツィオって奴に雇われたのか?」
「や、雇われだ……エツィオの表向きは不動産屋だ。女と住む部屋を探していて、世間話ついでに俺に裏の繋がりがあると話すと、餓鬼二人を殺せば半値にしてやるって言われたからのった……不動産屋の事務所は五番街のカーサ・デ・ラ・オーレリアってコンドミニアムだ! 一五◯五号室! ここまで言えば満足だろ!?」
「まだだ。お前は最近、老人を殺したか? マリオっていう年寄りだ」
「マリオ? 誰そ……」
 太った男が最後まで言い終わらないうちにディーノの銃が爆煙を吹き、弾丸が太った男の前歯を砕いて脳幹をぶち抜き、頭部を地面に叩きつける。絶命し、ズタボロになった太った男の口内に溜まった血が、口角から漏れて頬を伝い石畳に滴った。
 銃身についた太った男の唾液と血を拭い、安全装置をかけてズボンとベルトの間に二丁の銃を戻したディーノは、振り切ったような、何もかも諦めてしまったような一瞥を僕に向けると、側に来て顔を覗き込んだ。前髪を避ける彼の指先からは血と硝煙の臭いに混じり、染み付いてしまっているニンニクとオイルとブイヨンの優しい香りがした。
「嫌なところを見せたな……すまない」
 無事が確認できると口元がふっと柔らかくなり、紡がれた、帰ろう、という呼び掛けに張り詰めていた緊張が端から解けた。相変わらず、焼けるような痛みを放っている肩の痛みに呻きながら体を起こすと、ディーノはグロッキーなヨキに肩を貸し、身体中が痛いとボヤくジジと共に来た道を戻って行く。
 立ち去る前に背後を振り向くと、二人のマフィアの死体と薬莢がいくつか転がっていた。その光景を脳裏に焼き付け、僕は来た道を戻る三人の後を追った。
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