02

エピソード文字数 5,088文字

 夕食を済ませる頃にはエツィオのスマートフォンに『電話じゃダメなのか?』というレスポンスと、数件の着信が入っていた。電話を掛け直すわけにはいかず、どう返答したものか思案していると、恋愛と同じだ、と銃の手入れをしながらディーノがウィンクする。
 押してダメなら引いてみろという言葉通り、大したことでは無いから無理をしなくていいと、気まぐれを装いつつ引き下がってしばらく様子を見ていると、数時間後にホプキンスは、『明日の夜の八時頃にいつもの場所』を指定してきた。ディーノが提案したスピゴーラというリストランテは、気に食わなかったらしい。
 ホプキンスの言い分を承諾しつつ、いつもの場所ってどこだよ、と辟易するヨキにスマートフォンの行動履歴を囁いてやると、気怠げな溜息を吐きながら仕事を一時中断し、一覧を開く。
 行動履歴をしばらく眺めているとふと、今僕たちは結構凄いことをしていることに気がついた。スマートフォンを開くことさえできてしまえば、個人が誰と繋がりを持っているかに留まらず、普段出入りしている場所を始めとした日常までもが筒抜けだ。
 しかもこのスマートフォンの持ち主はマフィアで、その行動履歴を見ていると言うことは、彼らが秘密裏にしている居場所や、取引場所も丸わかりということになる。メールも、詳しく調べれば表の仕事だけでなく、裏の仕事に関するものだってあるだろう。生活に密接なモバイルは、持ち主よりも正確に持ち主のことを反映していると改めて感じた。
 エツィオは物件の下見以外に、よく外食をしているようで、履歴にある店名らしき単語を検索してみると、大抵がリストランテか高級チャイナレストランが引っ掛かった。しかし、同じところを頻繁に利用しているわけではなく、あちこち散見している。
 いつもの、と言うくらいなのだから、よく足を運んでいるの場所なのは確かだ。しかし、電波が届かない地下ということも充分にあり得るし、そうだとしたら、いつもの場所を割り出すのはかなり面倒だ。
エツィオは数日前に、グランキオというカジュアルなバールに足を運んでいた。検索してみると暖色の照明や、打ちっ放しのコンクリートを敢えて見せるように張り付いている木板が洒落ていて、落ち着いた内装ではあるがどこか大衆じみている。
 履歴を遡ると物件や高級飲食店に混じって、グランキオの名前はよく出てきたが、落ち着いて話をするよりかは誰かと大声で会話を交わしながら酒を飲み、憂さを晴らす場所に思えた。裏を返せば静かな場所より騒がしい方が、居合わせた誰かに話しを聞かれる心配をせずには済む。ホプキンスの言ういつもの場所は、このバールなのかもしれない。
「なんでぇ。橋の下とか下水道とか、もっとそれっぽいところにしとけよ」
「そんなところで酒が飲めるか。どけよほら」
 冷蔵庫から勝手にビールを取り出したジジに、撃たれた右肩を軽く叩かれたヨキは大きく体を震わせると、患部を摩りながら文句を言いつつ、場所を譲る。ホプキンスが何者か知らないが、昼の仕事を掛け持ちしている筈で、暇ではないだろう。指定されるのは近々でも三日、四日後と踏んでいたのが、まさか明日とは僕たちも思ってはいなかった。
 心の準備を早急に済ませなければならなくなってしまったジジは、わかりやすくピリピリしていて、ソファーにどっかり座ってビールを一気に飲み干すと、気絶するように眠ってしまった。起きてからも始終ソワソワとしていて、見ているこちらが心配になってくる。ミスをして落ち込んでいるところに、次やらかしたら殺すぞと圧力を掛けられ、簡単な仕事を大ごとに捉えてしまい、完璧にブルってしまっている時の僕みたいで、胸が痛い。
 下手に声を掛けて欲しくなければ、放って置かれっぱなしなのも不安だろうし、ディーノやヨキが大丈夫かと変に気を使おうとする前に、馬鹿話をふっかけて餌にならなければならない、という意識からジジを遠ざけてやることくらいしかできなかった。
 それはある意味、ジジの出番が終わったら出張っていかなければならないディーノと、状況に応じて後に続かなければならない僕とヨキが抱えている、矢面に立つ不安から距離を置くということでもある。
 目星をつけたグランキオというバールはエツィオが個人的によく利用しているのであって、ホプキンスと会う時は別の場所を使っているかもしれない。仮に、いつもの場所がグランキオだったとしても、ホプキンスは単独とは限らず、兵隊を連れている可能性もある。
ディーノがエツィオのスマートフォンから送ったメッセージも、普段のエツィオの語り口調なわけがなく、訝しんだホプキンスが別の人間を送って寄越すかもしれないし、既に怒らせているエツィオだって何をしてくるかわからない。
 僕とヨキはこれまで裏稼業の人間とは無縁の世界で生きている。荒事は専門外だしどちらも肩を負傷していて、元マフィアのディーノからしてみれば赤子も同然だ。そんなディーノも一線を退いた身で、全盛期に比べたら感も体のキレも鈍っているだろう。
 状況は圧倒的に僕たちが不利だ。依然として周囲を不確定要素の火薬箱で囲まれていて、火花どころか静電気でも走らせれば骨すら残らないが、素人が各方面に注意を払ったところでタカが知れている。
かような状態で黙ってジッと耐え忍んでいられないのであればせめて、笑っていたかった。現実など無い風を装いつつも現実から離れ過ぎない距離を保ち、目の前のことに押し潰されないように固まっていたかった。
 グランキオに電話すると当日でも席を予約できた。ホプキンスには一番奥の席を取ってあると伝えたが、スマートフォンには未だ返信が無い。
 約束の時間になる頃にはグランキオの程近い場所に停めた車の中からでも、店内が賑わっているのが見て取れた。奴は来るのかねぇ、とヨキが、ディーノが夕食としてこしらえた鶏肉とトマトとレタスがぎっしり詰まったパニーノを齧りながら、グランキオの入り口から視線を外さずに呟く。
 ジジは既に店内に入っていた。ただし予約客ではなく一般客として別の席で待機して、自分たちが予約した席に誰かが座ったら接近を試みる手はずになっている。
 いつだって何かや誰かを待っている時間は長く感じる。タバコが吸えれば多少なりとも気が紛れると思ったが、煙を吸う度に暗がりの中で赤く光る火種は特に目立つ。代わりに、シートに座り直すと、腰の辺りに硬くて冷たいものが触れた。出発する前に念の為と渡された銃はディーノが整備したばかりで、新品とまではいかないものの、それに値するくらいには完璧な状態になっている。できれば、事が済むまでこの状態は維持したい。
 脅しや交渉に使えても、僕はディーノのように引き金を引ける気がしなかった。こんなところにまで来てそんなことを思っているとは、つくづく考えが甘いと自分でもわかっているが、銃が火を吹く状況とはつまり敵、味方問わず、その場に居合わせた誰かが血を流すということでもある。
 ただでさえ僕とヨキは撃たれたばかりだ。傷の痛みは和らぎつつあるが痛まない訳ではないし、活きのいいミミズが縫い糸の間に頭を突っ込み、尻尾を激しく振りながら傷口に入り込もうとしているような疼きには、嫌悪感しか抱かない。何事も、穏便に済ませられるのであればそれに越したことはなかった。
 何時になった、と言いつつ、ディーノは液晶の光が漏れないように体を丸めてスマートフォンの画面を起動する。僕もそれにならって全身を使いながらエツィオのスマートフォンを点けると、約束の時間はもう二十分もオーバーしていた。
 ディーノのスマートフォンには未だにジジから連絡が入っていないし、エツィオのスマートフォンにもホプキンスからのレスポンスは無い。ジジに何かあったのか、それとも、やはりグランキオは、プキンスが指定したいつもの場所ではなかったのか。不安が鎌首をもたげ、むくむくと膨れ上がる。
「ホプキンスに、もう一度メッセージを送ってみようか?」
「もう少し待とう。何か用事が入って遅れているのかもしれない。パニーノちょうだい」
 後ろからヨキが突き出したパニーノを受け取るなり、ディーノは半口ほど齧り、ゆっくりと時間を掛けて味わいながら咀嚼し、また同じ量を口に入れる。食べ終わるまでに次の行動を考えるつもりなのだろう。僕以外の二人も、グランキオは指定された場所と違うことに薄々気が付いているようだが、他のアテと言えばグランキオの次に、エツィオが足を運んでいたローンボと言うバールくらいしかない。
 リストランテや高級中華を一つずつしらみ潰しにする時間は無く、ホプキンスからの連絡が入らない限り、僕たちは動きようがなかった。エツィオからスマートフォンは奪ったが、エツィオがホプキンスの連絡先を別に控えていたとして、僕たちのことを伝えられていたらそれこそ、次の手掛かりであるホプキンスを燻り出すことはできなくなる。
 後ろ向きなことは考えたくなかったが、最悪は常に想定しなければならない。ディーノがホプキンスへの追撃に待ったを掛けたのも、ただでさえ少ない手段を安易に潰さない為だ。ここは焦るべきところではない。
 パニーノを食べ終わったディーノはジジを呼び戻した。グランキオが違うとなれば、こんなところにいつまでもいる必要は無い。肩透かしを食らったジジは後部座席へ戻るなり、何なんだよと嘯くが、それには返答せずディーノは車を出した。
「一応仕事はやったんだ、報酬は貰うからな」
 備えていた嵐には幸運にも当たらず、用が無くなった自分は帰れると思っているのだろうか。胸を撫で下ろしたジジが、どこか悠々とシートに背中を預けるのを見届けてからしばらくして、ポケットの中でエツィオのスマートフォンが震えた気がした。
「ホプキンスから連絡が返って来た!」
 取り出したスマートフォンは弄ってもいないのに画面が光っていた。滲ませていた余裕を一瞬で苦渋に変え、不穏な気配を感じ取ったジジは、俺はもう関係無いからな、と声を怒らせたがひとまず、それは無視する。
 顔も見えないホプキンスは画面の向こう側から『まだ着かないのか』と、問い掛けていた。ヨキが文句でも言ってやれよと後ろから喧嘩腰で言うが、挑発なんかしたら台無しだ。端的に、簡潔に、『すまない、考えていた場所と違っていたようだ。どこにいる?』と素直に詫びを入れつつ、ホプキンスに現在地を教えるように促してから約一分後、文章の代わりにたった今撮影しただろう写真が送られてきて、心臓が大きく跳ねた。
「でぃっ……こ、これ!」
 思わず、運転中だと言うのにディーノに画面を突き出してしまった。スマートフォンを取りつつ、道が真っ直ぐで障害物が無いことが確認できると即座に、ディーノの目が画面を見たかと思ったら、ハンドルを左に切って車を路肩に滑り込ませる。太い指で写真を拡大し、細部まで見渡すとディーノはジジを呼んだ。
「報酬はきっちり渡すから別のことを頼みたい! 二人を、君のところで匿ってくれ!」
「あぁ!? なんだ、何を見てんだお前ら!」
 面食らったジジを押し退けたヨキが顔を突き出し、ディーノからスマートフォンをひったくると、どう言うことだこりゃ、と困惑する。ホプキンスは確かに店に着いていた。恐らく壁際の席で、出入り口の方に体を向けながら、白ワインをグラスで飲んでいる。テーブルにあるのは口が開いたワインボトルだけで、料理が無ければ店にホプキンス以外に客もいない。それもそのはずでこの店は今、オーナーがマフィアに暗殺されて休業中だった。
「これは罠だ! みすみす、君たちが飛び込む必要は無い!」
 どうりで、グランキオに現れないわけだ。いつもの場所とは、エツィオのでも、ホプキンスのでもなく、僕たちにとってのいつもの場所だ。ホプキンスがいる店は、ドン・ドニーノだった。
「あいつ、あと十五分以内に来ないと帰るって言ってんぞ! ジジの家に寄ってる時間なんてねぇ! つべこべ言ってねぇ急げ、ディーノ!」
 ディーノが奥歯を噛みしめる音がここまで聞こえた。獅子のように一度吠え、纏わり付く雑念を全て払った彼は、車を再び走らせる。スピードがぐんぐんと増していた。法定速度と交通ルールをぶっちぎり、車を次々追い越しながら走る様は、まるでアクション映画さながらで、こんな時だというのに気分が高揚するのがわかった。
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