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文字数 10,767文字

「……なんで俺もお前らと一緒に行動しなけりゃならないんだよ」
「しょうがねぇだろ諦めろ、お前も首突っ込んだんだ。仲良くしようぜ」
 後部座席で投げやり気味にジジが、誰に言うでもなく呟いたボヤきに、暇つぶしがてら隣に座るヨキが応じる。二人の顔はしこたまドツかれたせいで二日、三日置いて容体が落ち着くのを待ったというのに、未だに絆創膏だらけだしジジに至っては、赤く腫れていた目元が青黒く変色していて、せっかくの伊達男が台無しになっていた。
「珍しく人様に親切にしてやったらこのザマだ。帰らせてくれよお……俺はアンタらのことには無関係だろ? なんでこんな酷い目に会わなけりゃならないんだ」
「なん度も言ってるだろ、カジノにも出入りしていて僕らなんかよりもよっぽどマフィアに顔も割れているから、向こうがその気になったらあっという間に君は殺される。それでも降りるなら止めないよ」
「とばっちりなんて冗談じゃない! マフィアなんかにどんな喧嘩売ったんだおたくら」
 運転席で時たまカーナビを確認しながら一人、冷静なディーノの物言いに、顔をピシャリと叩いたかと思ったら、背中を丸めて項垂れたりとジジの様子は見ていて飽きない。
「売ったんじゃないよ。押し付けられたから突っ返してやるだけさ。こっちだっていい迷惑だ。ギャンブラーなんだって? その割に、お人好しな性格をしているじゃないか。とっつぁんと馬が合うわけだ」
「助手席のちんちくりんが、自分から死のうとしてたんだぞ!?」
「エイジはこう見えて二十五歳の大人だよ」
「はぁっ!? 童顔にも程があんだろ! 顔面年齢詐称罪でしょっ引かれちまえよ!」
 どうしてもジッとしていられないのか、ジジは座席から腰を浮かせ後ろから僕の顔を観察し始めてとても鬱陶しい。車の持ち主であるディーノに断りを入れてタバコに火を着けると、自分もと言いながら窓を開け、ハンドルを片手に正面を向いたままケースを胸の前で振る。
 信じらんねぇ、と言う顔をしながらタバコを煙たがり、顔を引っ込めるジジはまるで、撃退される羽虫のようだと思っていたら、電話の着信音が鳴り、バックミーラーにポケットから時代錯誤気味のガラパゴス式携帯電話を開いたヨキが、着信に応じる。
「はい……あぁ、それなんですが、どうしてもエツィオさんじゃなきゃダメって聞かないんですよ。絶対に直に伝えろって言われてこっちも困ってるんすよぉ。え、俺? あー……舎弟みたいなもんです。とにかく今もう向かってますから、お願いしますよ。ほんじゃ」
 やや一方的に言い渡し、片手で器用に上蓋を閉じたヨキは得意げな顔をする。拉致された時にプライベート用のスマートフォンは盗られてしまっていたが、仕事用のガラパゴスは荷物に入れていて無事だったようだ。
 エツィオの不動産事務所は、ディーノが自分のスマートフォンで調べたらすぐに検索に引っ掛かった。富裕層向けの高級マンションやコンドミニアムを専門に取り扱っていて、事務所自体も小さくフランチャイズ化もしていない。
 アポさえ入れてしまえば本人と直接顔を合わせられるかもしれない、と踏んだヨキが早速電話し、ゴリ押し気味で交渉を進めた結果どうやら、向こうは不承不承ながら応じることにしたらしい。
「散々やられたからな、へへっ。今度はこっちの番だぜ」
 果たしてヨキは遊びではないことがわかっているのかと疑問に思ったが、彼のそんな能天気なところのおかげで、事を大ごとに捉え過ぎる心配をせずに済んでいた。
 僕らが乗っている車の後ろにつく車両は次々と車種が変わっていて、尾行をされているわけでもなければ、襲撃の気配も無い。念の為、拠点をディーノの部屋に移し、外出は最低限に留め、大人しくしていたのが功をなしたのか、懸念していた割には目的地には何事も無く到達できた。
 コンドミニアムの正面に車を滑り込ませ、ディーノとヨキと共に外に出る。俺は絶対に行かない、と言って聞かないジジを車に残し、自動ドアを潜った。コンドミニアムはまだ新しく、外壁は黒ずんでいなければエントランスはオフィスビルのようにだだっ広く、オーナーの趣味なのか一部分が欠損したアルファベットのような巨大なオブジェが鎮座していた。
 オートロックではないのかと思っていたら、エレベーターの隣にインターホンのパネルが佇んでいる。腕時計に視線を落としていたディーノが時間だと呟き、エツィオの事務所を呼び出すと、程なくしてマイクから女の声が聞こえてきた。
「さっき電話したもんです。ほら、マヌエルさんのお使いの」
「い……今エレベーターを降ろします」
 応対した女の声音はセリフとは裏腹に、踵を返してお引き取りください、と言わんばかりに引きつっていたのは、ヨキがカメラに思い切り顔を近づけ、眼球以外の情報を相手に与えなかったからだろう。変にカメラに顔を映らないようにするのも不自然だがこれでは、もっと不自然ではないかと思ったが、ディーノはどこか楽し気にエレベーターへ乗り込んで行く。
 とても、彼らのようになれる気がしないのは、そこまで自分の可能性を過信していないのと同時に、彼らのような人物に自分がなっているところが全くイメージできないからでもある。
 しかしディーノはディーノであり、ヨキがヨキなのと同じように僕は僕だ。育った環境も違えば考え方も、価値観も違う。どう頑張っても僕はディーノやヨキのようにはなれないけど、僕が僕らしくあれるようにならなければ、結局どこで何をしていても同じなように思えたからせめて胸を張り、エレベーターの扉を閉ざして二人の間に立った。
 ドアベルを鳴らし、どうぞという声に従い事務所の中に入ると、ジャケットを着たパンツルックの女が出迎えた。ディーノと同じように髪を後ろで束ね、縁なしのメガネが知的な印象を強めている。顔には血の気が無くどこか気疲れしているように見えたが、そんな儚げなところが庇護欲を掻き立てる美しい女だった。
「どうも……えぇと、マヌエルさんのお知り合いということでしたが……?」
 声には覇気が無く、僕たちに不信感をありありと抱いている様子がわかる。それもその筈で、ヨキは彼女に三人で行くとは一言も伝えていなかった。
「あぁそうさ、この二人はツレ。で、エツィオさんはいらっしゃるのかい?」
「えぇはい、奥の書斎に……申し訳ないのですが、大人数でのご来訪は……」
「そこまでで充分だ、それ以上は何も話さなくてもいいぜ」
 へっと不敵に笑みながらヨキは無遠慮に女の口を掴んでさらに、腹に銃を押し付ける。
「ジッとして黙ってりゃ危害は加えねぇよ。……なに見てんだお前ら、さっさと行けよ。この役回り、めちゃめちゃ気分が悪ぃんだからな」
「あ、あぁごめん、なかなか絵についていたもんで……」
「見事なヤンキーっぷりじゃないか。それはともかく、婦女暴行って最低だと思うんだよね」
 ぶち殺すぞ、と小声でドスを効かせながら犬歯を剥き出しにするヨキに女を任せ、事務所の奥へ踏み込んで行く。
 あの晩、僕たちを襲ったスマートな男と太った男を差し向けたのは他でも無くエツィオで、この事務所は言わば本丸だ。さっさと用事を済ませて、とっとと退散するのが身の為なことは明白で、お行儀良く物件の取引をするフリなんて悠長なことはやっていられない。
 ディーノが木ドアを蹴破ると、書斎机に向かっていた中年の男の顔が、弾かれたようにこちらを振り向く。僕たちが銃を持っていることがわかるや否、自身も武器を取ろうと引き出しを弄るが、ディーノが動くなと命令すると、それに従うだけでなく両手を顔の横に上げた。なかなか物分かりが早い男だった。
「なるほど、連絡が早いと思ったらそう言うことか……用件は何だ、金か? いくらだ」
「マフィアから金をせしめる気は無いよ。エツィオだな? 彼の顔には当然見覚えはあるよな。残念ながらこの通り健在だ。エイジ、彼をこっちに連れて来てよ、声を張らずに喋りたい」
 エツィオから視線と銃を外さず、ディーノは顎で示す。わかったと返事をしたものの、人様の会社どころかマフィアの事務所に乗り込むのは初めてで、口の中はカラカラに乾いていたし心臓はドキドキしていて、一キロにも満たない火砲は両手で支えていても手に重たかった。
「椅子から立て! こっちへ……体を、改めさせてもらう」
 なるべく毅然とした態度で口調は強くと、ディーノには言われていたが僕は素人だし、こうして銃を突きつけて行う要求とボディチェックなんかもやったことが無い。脇の下から脇腹、両足の側面にジャケットの中と念入りに確かめていると、触り過ぎだと逆に、エツィオからたしなめられてしまった。
「危ないものは何も持ってはおらんよ、まったくマヌエルの野郎……役立たずめ」
「チンピラに殺しを唆かすからゴロツキに押しかけられる羽目になる。見た所、兵士を従えられるような身分じゃなさそうだし、お抱えの殺し屋なりなんなり、他にも手段はあっただろう。なんで素人を使った」
「相手が旅行者だと聞いたから、そんな必要はないと思ったんだよ」
「侮ったわけだ。だからあんたはきっと、出世できないんだよ。両手を背中に回せ」
 言葉で煽りながら、ディーノはエツィオのポケットから二台のスマートフォンを引き抜いた。続けざまにエツィオのズボンからベルトを外して、両手を拘束するのを尻目に、僕は書斎の前に座ると開きかけの引き出しに無遠慮に放り込まれていた銃を回収し、パソコンの前に座ってキーボードの適当なボタンを押した。
スクリーンセーバーが起動していたが、幸いパスワードの入力を求められることは無かったので、そのままメールボックスを起動して新しいものから順に流し読みして行く。
「彼らに襲撃を仕掛けたのは組織の意向か? 誰かに依頼されて? もう一人、老人も一緒に始末するように言われていたんじゃないか。スマホのロック解除パターンは? ……何か言えよ、エツィオ。この後の取引に遅れるぞ」
「その、自分が殺されると微塵も思っていない顔が実に気に食わない……屈辱だよ。このことは絶対に忘れない。お前らまとめて……」
「殺してやるってか? 言える立場じゃないでしょ」
 手の先で銃が翻ったと思った時には既に、ディーノはエツィオの横っ面を台尻で打ち付けていた。勢い良く床に倒れこみ、くぐもった声で呻くエツィオを跨いで彼の腕を掴み上げたディーノは、右手の親指をスマートフォンの背面や画面に押し付け、ロックを解除した。
「死ぬ気もないし引き下がる気も無い。あんたらは僕たちを怒らせた。端っからお喋りをする気なんか無いんだよ」
 スマートフォンのパスを書き換え、GPSをオフにしながらディーノが言い放つと、床に転がったままのエツィオは足を振り上げ抵抗の意思を示す。危うく股座を蹴り上げられそうになったディーノは舌打ちをし、エツィオの腹につま先を突き刺して黙らせると、何かわかったかと、僕の背後に回ってパソコンの画面を覗き込んだ。
「メインは客との取引や物件の売買に関するものばかりで、サブの方は最後にメールが届いていたのは三週間前だった。今はフリーのメールボックスを見てるけど、通販サイトの広告やスパムばかり。人身売買とか、襲撃に関するものは無さそうだよ」
「やっぱりメインの連絡手段はスマホの方か。こいつはもういい、ズラかろう」
「名刺やバックも貰っていこうよ。何か手掛かりになるものがあるかもしれない」
 書斎の下に無造作に置かれていたエツィオのビジネスバッグの口を広げたところへ、ディーノは持っていた二台のスマートフォンを放り込み、コート掛けに掛かっていた換えのスーツにも手を伸ばす。
「ベルトが通しっぱなしになってるじゃないか。見てみるもんだね」
「何する気だ?」
「あいつ、足癖が悪いみたいだからね。両足もふん縛ってやるのさ」
「殺さなくてもいいの……?」
「こいつはこの前のイキッたチンピラたちとは違うし恐らく、最初から関わっていたわけでもない。殺さざるを得ない状況でもないし、無駄にリスクを冒す必要は無いよ」
 言うなりエツィオの両足に手早くベルトを巻きつけ、どこか満足げなディーノと共に書斎を出ると、応接間でヨキが女と一緒にティーカップなんかを傾けてお喋りに興じている。
「……仮にもそいつは、マフィアの女だぞ、ヨキ」
「これくらいの役得にケチつけんなよ。なぁそれより営業が再開したら飯を食いに来いよリズ、そこいらの店なんかよりもよっぽど美味いぜ。店の名前はドン……」
「あーっ、あーあーっ! バーカバカバーカ! 立てよほら! とっとと行くぞ!」
「やめろエイジ、この野郎! 放せって一人で歩く! じ、じゃあなリズ! 縁があったら、またどっかで会おうな!」
 ヘラヘラと女に手を振り続けるヨキを引っ張り、エツィオの事務所から出るとエレベーターを呼び戻す。急いでいる時に限って何回も他の階で止まるし、扉が閉まるのが遅いのか再び動き出すのも遅くてイライラする。気の抜けた到着音と共に、緩慢に僕たちを迎え入れるエレベーターに飛び込み、扉を閉めてようやく、騒いでいた心が落ち着いた。
「またお前は目的を忘れやがって、敵にこっちの拠点をバラしてどうすんだよ! 店なんだからネットで調べりゃ簡単にわかるんだぞ!」
「うるせぇなぁ。一々細けぇんだよ。リズにドン・ドニーノのことを話しても、エツィオだっけ? にはバラさねぇよ。彼女はそんな人間じゃない。話してわかった。心根が真っ直ぐな、陰りに咲く一輪の花のような女だ」
 エレベーターに乗るなり、何をしやがると食って掛かって来たヨキに言い返してやったら、寝ぼけた返答が返って来てしまって頭が痛い。こちら側が不利になるようなことは漏らしていないとは言うが、どこまで信用できるかわからないし、ディーノにも咎めるように促すが、意外にも、無理もないよ、と首を振る。
「控えめで薄幸そうな感じがそそるし、胸も豊胸していないからボールみたいに膨れていない。さすがはマフィアの女だ、パーフェクトだ。僕ならもっとうまくやっていた……君はスマートじゃないんだよ。ロマンチックなセリフも、恥ずかしくてどもっちゃうタイプでしょ」
「けっ、ナチュラルに見下しやがって。これだから白人様は。人種差別すんな! エイジの気持ちも考えろよ、無職な上に童貞なんだぞ!」
「無職ってこと以外何もかも違うし、都合が悪くなると人を矢面に持ってきて盾にする性格だから女にフラれるんだよ」
「俺も、調子はどうだ、って挨拶した端から、抱いてくれたらすこぶるご機嫌よ、って言われてぇなぁ……」
「ヨキ! お前は最低だ!」
 エレベーターが一階に到着するなり脇目もくれずエントランスを突っ切る。ジジに任せていたディーノの白いSUVは駐車した場所から動いていなくて、先頭を走るディーノが運転席に座っていたジジを助手席に押し込み、僕とヨキは後部座席に転がり込む。
 ドアが閉まるなりディーノは車を路肩から車道に出し、シートに落ち着いた頃にバックミラーを見ると、コンドミニアムに駆け込んで行く数人の男たちが映り込んでいた。
「エツィオか、エツィオの女が呼び寄せた救援かな」
「だとしたら上手い具合にすれ違えた。仲間に無駄足を踏ませて自分の醜態も晒すわけだ。奴が少しでも賢ければ僕たちを探し出すよりも先に、自分の信頼の回復に奔走するだろうよ。早速で悪いが、スマホを調べてくれないか。運転に集中しなけりゃならないからな」
 手持ち無沙汰のジジには、掻っ払ってきたエツィオのビジネスバッグの中身を調べて貰うことにして、ディーノが読み上げたパスを入力し、スマートフォンのロックを解除すると、メールから電話の着信、コミュニケーションアプリのチャットにも目を通す。
 襲撃されたのは数日前で、それに関するやりとりがあったとしたらここ最近ということになる。僕のスマートフォンの方にはエツィオの家族や友人、リズとか言う受付の女とのプライベートなやり取りばかりでハズレなようだったが、これを見ろとヨキが差し出して来たSMSの画面には、僕とヨキの写真が張り付いている。差出人のところにはホプキンスという男の名前があった。
 様子からして、仕事終わりにオステリアに向かっている最中か、その帰りだろう。ディーノとマリオも写り込んでいたが、一目でターゲットだとわかるように、僕とヨキの頭部が赤い丸で囲まれていた。夜に撮られた写真でも顔がはっきりわかるのは、撮影した後で明度を上げているからで、全ての写真がどれも全体的に白くボヤけている。
 写真はそれだけではなく、僕とヨキをそれぞれ単体で、正面と横顔を写したものもあった。顔は憔悴し切って目が異様に血走っている。背景は無機質な壁になっていて、攫われた時に船から降ろされ、移動した倉庫で写真を撮られたことを思い出した。
「何かわかったのかい」
「俺たちの写真をあいつは受け取っていやがった。隠し撮りまでされている。ディーノ、ホプキンスって名前に聞き覚えないか?」
「ホプキンス? ここら辺の名前じゃないな」
「こいつのことはエツィオから聞き出してこなかったのかよ」
「そこまでの余裕は無かった。だけど手立てが無いわけじゃないよ。ホプキンスだっけ? の、直通の連絡先を入手したんだからどこかに呼び出してやればいい」
 確かにそれは可能だろうがホプキンスをどこかに呼び出したとして、僕とヨキが出張っても会って話すどころか殺しに掛かってくるだろうし、ディーノでは目立つ上にドン・ドニーノの人間が居合わせているのも不自然だ。
 ホプキンスに悟られず、さらに不信感も与えず接触を図れるとしたら、意図せずメンツに加わってしまったジジしかいないが、予想通り彼はつまらなそうに眺めていたエツィオのメモ帳を放り出し、そんなの絶対に嫌だ、と僕たちの頼みを真っ向から拒否した。
「なんで俺が餌にならなきゃならないんだ! ただでさえこっちは迷惑被ってんだぞ!」
「一生のお願いだ、頼むよジジ! この件が終わったらもう二度と関わらないから!」
「そんな奴の頼みを聞いても一文の得にもならないじゃねぇかバァーカッ! 俺が狙われるとしたらあのエツィオって奴からだろ!? ホプキンスなんかいよいよ関係ねぇじゃねぇか! 調理師、車を止めろここで降ろせ! 帰る! 帰るったら帰る!」
 素早く伸びて来たジジの手に顔を掴まれシートに押し戻されたと思ったら、ジジは間を置かず運転中のディーノの右腕にも掴み掛かり、車が激しく左右に揺れる。
「やめろジジ、事故る! ディーノが事故る!」
 こちらにも無茶を言っている自覚はあったし、嫌だ、という彼の意思は尊重されなければならない。個人が自発的に抱いた思いやりならともかく、無理やり協力させるのは筋違いだと、重々承知していたが、今回ばかりはそうするわけにはいかなかった。どうにかホプキンスと接触してナシをつけなければ、僕とヨキとディーノに安寧は訪れず、マリオを殺した奴が誰なのかもわからないままだ。
 激しい揺れにシートに這い上ってもまたすぐに放り出される。前部座席と後部座席の間に倒れ込んだだけには留まらず、何か硬いものが頭に当たって、ぎゃっ、と変な声が出た。後頭部の辺りを探ると、エツィオの事務所に乗り込んだ時に使った銃が、ベルトとズボンの間から抜けて落ちていて、僕は反射的に銃把を掴んでいた。
 シートを掴んで力むと、撃たれたばかりの左肩が痛んだ。なんとか体を起こすと、ディーノは前方と助手席を交互に見ながら、腕を掴んで離さないジジを振り払おうと躍起になっている。ヨキに至っては今まさにこちらに倒れ込んでくるところで、とっさに背中を逸らしてなし崩しになることは防いだものの、両足が彼の体の下敷きになってしまった。
 四つ数えながら息を吸い、止めて七つ数え、八つ数える間にゆっくりと吐きだす。呼吸と乱れた精神をフラットに近づけ終わった頃に、ヨキの下から足を抜きつつ肩の疼きに耐えながら伸び上がると、喚いているジジに銃を突きつけ、声高に動くなと叫んだ。
 ディーノとヨキが『エイジッ!?』と、同時に驚愕を口にして、ジジは一瞬で氷漬けになったように固まってしまった。妨害が緩んだ隙に、ディーノが急ブレーキを踏むと車は一際大きく揺れ、沈黙する。
「よ、よせ! わかった、悪かった……そいつを降ろせ!」
 服の下がじっとりと、嫌な汗で湿っているのがわかるくらいには僕は正気で冷静だった。怒りから打って変わり、怯えながら、ジはすごすごと助手席へ戻る。やってしまった。緊急事態とは言え、あろうことか僕は味方に銃を突きつけてしまった。
 気分は最悪に近かったし、運転の妨害を止めさせたら銃を降ろすつもりだったがしかし、僕を小馬鹿にしていたのが、銃を突きつけた途端にしおらしくなられてしまうと、この銃口はとても外し難い。
 こうして銃を突きつけイニシアチブを取っている限り、彼は僕の意のままだ。このままホプキンスに接触する餌になれと要求すれば、彼はきっとその通りにするだろうし、ヨキもディーノもそれを止めないだろう。僕やヨキやディーノだと具合が悪いし、代わりになるような人間もいないとなると、餌役はジジにしかできない。しかしこれでは、解雇を盾に無茶を押し付ける会社の上司と同じではないか。
 ジジが僕らのことに首を突っ込んでしまったのは、彼が良くも悪くも良い人間であるからだ。結果的にあまり役には立たなかったが、カジノで加勢してくれた時は誰よりも心強くてとにかく、彼のことは蔑ろにしたくはない。そう思っている筈なのに、僕を虫ケラ以下のように扱いボロ雑巾のように捨てた奴らと同じことを、自分が今ジジにしようとしていると思うと虫唾が走る。
 しかしジジにはどうしても、協力してもらわなければならなかった。出掛かっている要求を吐きかけ、慌てて飲み込むがまた胃の奥から食道を伝って這い上ってくる。ぶちまけてスッキリするか、押し止めるかを考えあぐねるあまりに、身動きが取れないでいたところをディーノの拳が僕の手から銃を弾いて、巻きついたヨキの両腕が僕をシートに引き戻す。
「らしくねぇことはやめろよエイジ、銃が必要な場面じゃねぇだろ」
「大人しくさせるだけのつもりが、良からぬことを考えてしまっていた……」
 四つ数えながら息を吸い、止めて七つ数え、八つ数える間にゆっくりと吐きだす。それを繰り返しても、さっきのようにすんなりと気持ちは落ち着いてくれなかった。
「そうだろうさ、そうだろうとも。そいつは交渉の道具だ。だけどこればっかりはやっちゃいけねぇぜ。……で、どうすんだよディーノ」
「どうもこうもない。車は止めたし、帰るなら帰りなよジジ。嫌がってる相手に無理強いはできない」
ハンドルを握ったままシートの角に肘を付き、呆れ顔とも困り顔とも言えない表情で嘆息しつつ、ディーノはシートの上で縮こまっているジジに視線を投げる。
「この野郎、やってくれたな……これじゃあ死ぬほど帰り辛いし、帰るに帰れないじゃないかよ。なにしてくれてんだ……」
「そんなことないから。気にしなくていいから。家の近くまで送ってやれないのは申し訳ないけどほら、降りて降りて」
「た、タダ飯タダ飲み日数換算で一年間! 好きな時に好きなだけ食って飲ませろ!」
「……三ヶ月。それ以上は無理だ」
「じゃあ足りない分は金で補填しろ。一月につき十、合計して三十だ。俺しかいないんだろ? 本当に帰ってもいいのか!?」
「帰るなら帰れってば。食べ飲み放題は三ヶ月、金は十五が限度だ。これでも破格だぞ」
「わ……わーったよ、それでいい。その呼び出しても来るかどうかもわからないホプキンスって奴と、ナシつけりゃいいんだろ? それで三ヶ月食いっぱぐれない上に金まで入るんならそのくらい、やってやるよ」
「ナシつけなくても、接触して少しだけ時間を稼いでくれればいい。あいつが現れた時、不信感やいらぬ警戒心を抱かせて、立ち去られてしまうのを防ぎたいだけだ。のこのこ出て行って、いらない戦闘をするハメになるのも避けたい。エイジが言ったように、文字通り餌になってくれればそれでいい。交渉成立ってことでいいね?」
 ディーノが話を終わらせようとすると、ジジは慌てて自分のスマートフォンを取り出し、もう一度同じセリフをディーノに言うように要求した。わざわざ録音して言質を取らなくても、僕とヨキも聞いているのだからその必要は無いと言うのに。お人好しな上に気まで小さいとなると、なんで彼がギャンブラーなのか不思議で仕方が無い。
 スマートフォンを貸してくれ、とディーノが伸ばしてきた手に、ヨキがエツィオのモバイルを渡してやると、ひとしきり画面をタップしてからこちらに戻し、飯でも食いに行こうとシフトレバーをパーキングからドライブに入れて、再び車を走らせる。
『話したいことがある。酒でも飲もう。場所はスピゴーラと言うリストランテはどうだ? 都合のつく日時を教えてくれ』
 スマートフォンを覗き見みると、僕とヨキの写真の下に端的なメッセージが新たに添えてあった。ひとまず、これで出方を伺う腹づもりなのだろう。
 ようやく動悸が収まってきてシートに尻を戻すと溜息が出た。敵に向けて引き金を引けなければ、今度は味方の脅しに使うとは。どうしてこうことごとく、銃の使い方を間違えてしまうのだろうか僕は。
「カレーッ!」
「ピッツァッ!」
 消沈している僕を他所にディーノの、何が食いたい? なんて問い掛けに、ヨキとジジがリクエストを叫ぶ。もう立ち直るとはなんて切り替えの早い奴らなのだろうと思った。
あいにくと僕はカレーでもなければピザの気分でもなかった。こんな時に食いたく無いものを食わされ気分を悪くすれば、自己嫌悪からの回復も遅くなる。
 彼らが切り替えているのだから、僕だけ落ち込んでいるのは損でしかない。この集団は前に属していた企業とは違う。見当違いな励ましに、助かったと笑い返して立ち直った風を装うなんて、馬鹿げたことをする必要も無く、気の赴くままに本心を叫んでいいのだ。
 足元に転がっている銃から視線を上げ、僕も要望を叫ぶ。腹の中が重たい分、さっぱりとした軽い物が良かった。
「スシィッ!」
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