01

エピソード文字数 4,728文字

 散らかったテーブルを片付け厨房に戻る間に、新しい料理の皿が完成されていた。
 叩いて伸ばした仔牛肉にセージを乗せ生ハムで挟み、小麦粉をまぶしてバターで焼いたサルティンボッカは茶色く色づき、スライスしたマッシュルームをバターで炒め、白ワインとレモン汁を加えたソースの薄黄色なとろみやミルキーな香りに意図せず、腹が鳴った。付け合わせのアスパラやパプリカにもこんがりと焼き目がつき、視覚的にも鮮やかで食欲を掻き立ててやまない。
 しかし、この贅沢なサルティンボッカは残念ながら僕の為に用意されたものではなかった。小皿にパン、薔薇の花弁のような見た目のロゼッタを二つ乗せ、空腹を押し留めながらカウンター席で一人、サラダと小さなスキレットに収まっていたオリーブとトマト、玉ねぎのフリッタータを完食していたジジの元へ運んでやると、彼はナイフとフォークを掴み優雅かつ、荒々しくがっつき始めた。
「ウェイター、追加だ! ゼッポレとサルシッチャも持ってこい!」
 はいはい、と承諾し伝票に新しい注文を書き加えるが、内心、あまり喜べないのは彼の食事代は全て店持ちだからだった。肺に開いた穴や、銃弾に砕かれた肋骨は未だ治療中らしいが、退院はしているらしく、ジジは時々店を訪れては餌役ばかりでなくドライバーもこなし、僕らの窮地を救って得た、日数換算で三ヶ月間の食べ飲み放題の権利を行使し、好きなものを好きなだけモリモリ食べていく。特に、一人用のフリッタータは彼のお気に入りらしく、ジジは店にやってくる度に必ず注文した。
 彼は十二分に働いたし、十分に活躍した自負があるこそ遠慮が無く、しかし出す料理のことごとくを、うめぇうめぇ、と子供みたいな顔をしながら黙々と食べる姿には好感が持てる。重傷を負っても生きてくれていたおかげで、こちらも後味が悪い思いをしないで済んでいた。
 スキレットを下げたついでに彼の新たな注文をディーノに伝え、皿を洗う前に出入り口の札をクローズに変えようと表に顔を出すと、店に足を運ぼうとしていた青年が歩みをピタリと止め、残念そうに唇を尖らせる。
「ごめんね、これから昼休みなんだ。ディーナー時にまた来てよ」
「あー……そうか。ちぇ、今日は僕の日じゃないっぽい。またくるよ」
 青年には悪いが、こちらにはこちらの都合がある。彼が仕方が無いと肩をすくめ、踵を返したのを見届けると、今度こそパネルをクローズに変えて中に引っ込んだ。本当は招き入れてやりたかったが、きっぱりと断ることにもようやく抵抗が無くなってきた。
 最後の客の皿を洗い終えスマートフォンを弄っていたジジに、彼が注文した食後酒のグラッパのショットグラスと、ドルチェのビアンコマンジャーレを出してやると、ディーノが賄いを作り終えていた。
小さなハンバーグに焼いた薄切りのベーコンと目玉焼き、二切れのパーネトスカーノとベビーリーフとルッコラのサラダが一つの皿に盛られている。サルティンボッカを見たばかりで肩透かし感が否めないが、余り物の食材を活用する賄いは案外、粗食だったりする。
「ヨキの奴、どうだった?」
「僕が店に降りる直前に寝たみたいだから、そろそろ起き出すんじゃないかな」
「徹夜なんてナンセンスだなぁ。エイジ、持ってってあげて。ついでに君も食べて来るといい。僕はジジとご一緒するよ。幾ら何でも食い過ぎだ、説教しないと」
 ウィンクに見送られつつ、二人分の食事をトレーに乗せて裏口から一度外に出る。階段を登り、二階のドアを開けると昼過ぎだというのに眠たげな顔が示している通り、おはよう、なんて寝ぼけ眼を擦りながらヨキがコーヒーを飲んでいた。
「今起きたの?」
「おん。いやー、やっと終わった。クソ疲れた」
 テーブルの上にトレーを置くとうんざりとした顔でヨキは椅子に足を引っ掛け、乱雑にダイニングテーブルの下から引き出し、力無く座面に座り込む。クライアントから使って欲しいと渡された写真素材が簡素なものばかりだったり、事細かに要望を言われたりと、だいぶ面倒な仕事だったらしく、フォークを握った当初は暗い顔でも、時間外れの朝食を済ませる頃には幾分か眠気も覚めたのか、しょぼついていた目は元どおりの大きさに戻っていた。
 一度、国に帰っていたヨキが再びドン・ドニーノを訪れたのは、僕が雇い入れられてから一ヶ月ほど経った頃だった。一連の騒動に巻き込まれたおかげで抱えていた仕事をいくつか滞らせてしまい、複数のクライアントから捨てられたが身軽になったし、思い切ってこちらに移住することにしたと本人は言い張っているが、ディーノ曰く、店を手伝うから客を紹介してくれと泣きつかれたそうだ。
 幸い、ドン・ドニーノは繁盛しているし人手がある方が助かる。専属webデザイナー兼バールマンという名目でディーノはヨキも雇い入れ、昼間は彼を切らずに使い続けてくれている母国のクライアントの案件や、こちらで新たに獲得した顧客から発注されたデザインの仕事をこなし、夜はカウンターで酒を作って客の相手をしながら営業を掛けるという、なかなかの働き者っぷりを見せている。
 僕やディーノがほどほどにしておきなよと言っても本人は、フリーランスに暇はねぇ、と聞き入れないどころか、たまに手伝ってくれなんて無茶を言われるせいで、簡単なコードくらいなら書けるようになってしまった。なんにせよ、できることの幅が広がるのは僕的にも大歓迎だったし、離れ離れになるとばかり思っていたヨキと、再びルームシェアをすることになるとは、考えもしなかった。
「お前、腕のリハビリ行かなくていいのかよ」
「あー……」
 ハンバーグの最後の一片と僅かな野菜をパーネトスカーノに挟み、まとめて口に放り込んで咀嚼しながら右腕を何回か動かしてみる。約半年前、怪我したばかりの頃は、毎日ズキズキと内側から響くように痛んで鎮痛剤が欠かせず、ドン・ドニーノの二階へ移住してきた時は、まだギプスが外れていなかった。それが今じゃ違和感すらなく、給仕の仕事も問題なくこなせている。
 なんだかんだあっという間だった。母国で借りていた部屋を片付けながら、ビザの取得方法や必要な申請や手続きを一から調べ、一つずつ着実にこなしながら移住の準備を進めたのもそうだが、去年の今頃は必死に母国の企業で働いていたというのに、その一年後には国を出て新たな友人たちと今までの何にも当てはまらない生活様式を形成しているなんて、夢にすら見ていなかった。
「なんだか今日は、面倒なんだよなぁ」
 しかし、遅かれ早かれこうなっていた気がしなくもないのは、僕は別に、母国の社会と人間になんの希望も抱いていなければ、期待も寄せていなくて、留まっていたのも面倒な手続きと申請を行ってまで、国を出る理由が無かったからだ。つまり、理由さえあれば、国などいくらでも捨てたって構わなかった。
 有って無いような発言権の元で言葉を発し、些細なことに喜びを見出し、さして面白くも無いジョークに無理矢理作り笑顔を浮かべ、人を敬い尊重する傍らで手酷く拒絶し、平和が犠牲の上に立っている事実からは目を背けている上に、年寄りと権力者に限って軒並み潔癖で燃料ではなく根性で飛行機が飛ぶと本気で信じている。
 それでも人が生きれないことはないが、さしたる喜びは無く、絶望する程でも無いくらいに昨日と今日に差が無い。充満している空気を満たすのは、活気でも剣呑でもなければ、停滞と虚無だ。
 そんな社会で生きねばならないと知った時、両親の快楽と思い描く家庭の理想像の為に、この世に人として産み堕とされたたことを不条理に感じてならなかった。腹の中ではいくらでも論理的に強い言葉で筋が通ったことを言えても、公共の場に出た途端、反射的に誰に対しても下手に振る舞ってしまうよう、調教されてしまったことに哀憐を感じてならなかった。僕は確かに、心のどこかで母国の社会と人間を憎悪していた。
 しかしそれも、カレルを撃った時にどうでもよくなった。
 国を出て行く理由が無いなら生まれ出でた国で生きるよりない。しかし、社会に溶け込み人に受け入れられようと、実態が無い常識に則った行動をする人間を演出し、クソバカみたいなビジネスマナーを破らぬよう律儀を心掛けても、結局は非効率な師弟制度を押し付けられる上、低賃金で労働力を搾取されるばかりで何も良いことが無い。これの、何を面白がれというのだろう。
 僕は人を撃てた。パブリックエネミーの最たるマフィアに自分の意思で銃を向け、引き金を引き、屈服させた。年功序列の最下層にいる雑魚の中の雑魚だとばかり思っていたというのに、人を撃てる強さを持った自分を知ってしまった。まだまだ、自分を拡げる可能性があるならば、わざわざ期待が持てない母国の社会と人間に執着し、自ら埋没する意味が無い。
 ドン・ドニーノに留まりたいとディーノに言葉を発して伝えた時、提示されたものを享受するか拒否するかを選べた僕の青春期は確かに幕を下ろした。そして、カレルに放った弾丸はカレルを倒すと同時に既存の僕をも破壊し、生きる上で必要な何かを狩りに行く朱夏期へ、季節は確かに足を進めた。
 出会いに飢えていた。新たな友との邂逅を待ち望んでいた。だから僕は何かしらの救いと発展を求めて旅に出た。その最中で巡り合ったマリオもディーノも罪人で、ジジはギャンブル中毒のダメ人間、ヨキも根っからの快楽主義者な変人だが、そんな中に自ら進んで入っていった僕も、自分の国などどうとでもなってしまえと思っているような、ろくでなしの売国奴に他ならない。
 何かしらの形で手を汚した罪人が寄り集まって保たれているドン・ドニーノは、精巧とは無縁の存在であり、みすぼらしい概念だが、ここに留まろうと思えたのは、搾取されながら無理矢理自分を作り変えるのではなく、友達と共に変わりながら自分の人生を歩んでいけると思ったからだ。
「エイジ、おいエイジってば」
「……ん、どうしたの」
 僕の時間はまだまだ続く。ビザを更新してまでこの国とドン・ドニーノに留まるかわからないし、何かの拍子に母国の良さがわかり、帰国するかもしれない。何より、カレルに撃ち殺される可能性だってある。
ディーノはあの日、カレルの息の根を止めなかった。弾丸は全てカレルの車や石畳の地面に吸い込ませ、マリオが自分を生かしたように、彼もまた自分自身の分身である過去を肯定した。カレルに可能性を授けて自身と向き合うことを決めた。
 ようやくディーノは、本来の自分自身の人生を歩み始めた。だからこの先のことはわからない。次にまたカレルが、ディーノや、僕とヨキや、ドン・ドニーノに危害を加えようとした時、僕たちがどういう行動に出るかは、その時次第だ。しかしそれも、しばらくは起こりえないのだから、今から考えることでもない。
「ボーッとしてんじゃねぇよ、 なんだ、眠いのか?」
「いやっ……まぁ、そうかも。コーヒー淹れてよ、バールマン」
「バールマンって言うなよ、トラットリアだぞ」
「定義なんて曖昧なんだからどうだっていいじゃん」
 陽光はどこか気だるげな午後の日差しに傾いていた。二人して席を立ち、ヨキは戸棚から青と緑の袋を取り出して、どちらの豆をドリップするか吟味する。僕は水を汲んだケトルを火に掛け、ついでにタバコの先をコンロの青い炎に突っ込んだ。
 先が見えず、覚悟もできないまま歩まなければいけない人生だ。せっかく出会えた人間との付き合いが、利害関係の域だけに留まるなんてあまりにもつまらない。
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