02

エピソード文字数 6,825文字

「まかない、作ってみない?」
 ある程度客足が落ち着いた辺りで、ディーノからそんな話を持ちかけられ、僕は思わず、フライパンを振る手を止めてしまった。
「なんか、今日は朝から辛いものが食べたいんだよねぇ」
 どう返答すればいいのか言い澱んでいても、ディーノは料理に集中したままで、火力の微調整を行い、スパイスや食材を油の敷いたフライパンへ振り入れる手を休めない。
「いやでも……いいのか? 僕は絶対、君よりも上手くは作れないぞ」
「お客さんに出すんじゃないからそこまで気負わなくてもいいよ」
 食材も余ったものを使ってもらうから、と言いながら、ディーノは同時進行していた鍋の中身を皿に盛り、とりあえずこれをお願いと手渡される。フランクな笑みこそ浮かべてはいるが、ディーノが唐突にもたらした提案が与えた衝撃はしばらく消えなかった。
 好きか嫌いかで言えば料理は好きだし、味覚もそこまで音痴ではない自負がある。作らせてもらえるのは嬉しいが、僕の腕は趣味の域から出ていない。磨かず、遊びの範疇に留めておいたのも、そのくらいが一番楽しいからだ。
 ディーノは料理人を生業としているし、僕が知らないテクニックやすっ飛ばしているような行程だって見抜けるはずで、マリオも普段からディーノが作った料理を食べているから、舌も肥えている。
ヨキはともかく、ど素人の僕が作った食事をいきなり二人に振る舞うのは緊張するし、本格的な料理を作る自信なんて無かった。
「責任重大だな」
 テーブルを片付けていたところへやってきた手隙のヨキの顔はいつになく意地悪で、髪をオールバックに整えていることも相まり、それがよりわかりやすかった。まぁ頑張れよ、なんていかにも期待していないというセリフで僕を焚きつけ、ヒヒヒッという薄ら笑いの置き土産を残したヨキは、厨房に戻るとザブザブと皿を洗い始めてしまった。
 カチンとまでは言わないが、ムッとした。聞いていたとは耳ざとい奴だ。絶対、ろくな物が出てこないと踏んでいるし、既にドヤす気満々なところが気にくわない。
 しまった、と過ちに気づいてももう遅かった。一度そういう心境になってしまったからにはもう、引き下がれなくなっていて、自分の乗せられやすい性格を恨んだ。
 唯一幸いなのはディーノの目と口ぶりが決して、本気の方面に振り切っていないことだ。僕が素人なことはわかっているし、不味くてもまぁ気にしない、ちょっとでも美味かったら万々歳。まかないを作る手間が省けた分、タバコが吸えてラッキー、という気構えだろう。
 それならばまぁ、やってもいい。ドン・ドニーノで働き始めるようになってからもう三日が経つ。多少なりともディーノが僕に感じていたやり辛さが薄れてきたからこそ、彼は僕にまかないを提案したのだろう。
「それで、何を作ればいい?」
「お、やる気になったかい?」
 ディーノの申し出を承諾すると、彼の顔がパッと明るくなった。
「残り物を使うんだよな? 今ある分だと使いかけなのは……マッシュルームとサラダ用のルッコラとか?」
「まぁ色々あるよ。さっき冷蔵庫見たら余らせたトマトソースがあったんだよね。日が経っているからお客さんに出す料理には使えないけど、悪くなってはいないから、それを処理したい。あー……そうだ、アラビアータにしようか。どう?」
「いきなりパスタ料理はハードルが高いなぁ」
「生じゃなくてまかない用の乾燥を使うから普通に茹でるだけだよ。それに。ペペロンチーノよりも全然簡単」
「ペペロンチーノの方が簡単じゃないか。使うのもニンニクと唐辛子と塩だけだろ?」
「塩? パスタを茹でる時以外、使い所無いでしょ」
「いやほら、パスタを炒める時にパラパラッと振ったり……?」
「僕はしないかなぁ。茹で上がった時点でパスタはしょっぱいし、茹で汁で充分。直に塩は加えないし、炒めるんじゃなくてパスタとオイルを絡めるの間違いでしょ?」
 ディーノはさらに、ペペロンチーノはシンプルな分、難易度が高いとも付け加えた。彼曰く、ペペロンチーノはカクテルで言うジントニックのようなものらしい。材料が少なく、調理方法も味付けも簡素だから誤魔化しが効かず、腕がもろに出ると教えられた。
「些細なことなんだけどねぇ。タンカレーで作ってもボンベイサファイアで作っても、ジントニックの違いなんて対してわからないのと一緒だよ。オリーブオイルでニンニクと唐辛子の香りを立たせたところに、パスタを入れちゃえばそりゃあ、ペペはできちゃうさ。だからぺぺの注文が入るとちょっと緊張するんだ。店の味と僕の技量を同時に計られるわけだからね。染み付いているやり方で作っても心身の状態は日によって違うから、毎回同じ味になるとは限らないから」
「そこまで奥深いものだとはなぁ。金が無かったり買い物が面倒な時にサッと作れる手軽なパスタ料理って認識しかなかった」
「心細い時こそ美味しいご飯は活力になるじゃないか。少ない食材でいかに美味い料理を作るかなんて料理の基本だよ。その為に油を乳化させたり、焼いた肉をさっさと切らずに休ませるなんて工程や技術があるわけで」
 前掛けで手の油を拭き取り、長い後ろ髪を縛り直しながらディーノは、どこか慈愛に満ちた目をしたかと思った次の瞬間に、料理人は愛がないとできなよ、とウィンクして茶目っ気をたっぷりと僕に見せつける。
「僕はほら、知っての通り愛情に満ちているじゃないか。だから会社員よりもずっとこっちの方が性にあっている。君はどうだろうね?」
からかいつつ、食洗機の皿を片付けといで、と僕を仕事へ促し、ディーノは食材を取りに倉庫に行ってしまった。
「お手並み拝見だな」
「ヨキ……プレッシャーを掛けるな。君がされたら嫌だろ?」
「もちろん。でも俺がされたら嫌なことをエイジにすんのは楽しい」
「そんなんだからフラれるんだよ」
 ちげぇねぇ、と笑う彼に釣られて、顔の険が解れていくのがわかった。そうこうしているうちに準備は整い、寸胴鍋のように底が深いアルミ鍋に水を汲みに来たディーノの後に続いてコンロの前に立つ。
「まずは塩を入れて沸騰させようか」
 てっきり目の前に食材を出されて、さあやって見ろと言われると思い込んでいたが、ディーノは僕の隣でタバコに火を着ける。言われるがままケースに詰まっている粗塩を取り、水を張った鍋に入れるが、ディーノの目はまだ足りないと訴えていたので、思い切ってドサドサと投入していく。
「それくらいでいいかもね。……うん、しょっぱい! 海水みたいだ、わははっ」
 温まりつつある鍋の中身を掻き回し、お湯とも水とも言えない生ぬるい食塩水に小さじを突っ込んで舐めたディーノはニカりとした。
 沸騰までまだまだ時間はある。その間にニンニクを四欠ほど潰してみじん切り、余りのマッシュルームとルッコラ、中途半端に残っていたほうれん草も食べやすい大きさに刻んだ。乾燥させた唐辛子もヘタを切り取り、種を出して粗めに砕く。
 鍋のお湯が十分に沸騰したら中カゴの中へ、硬いペンネを注ぎ込みタイマーをセットすると、隣のコンロにフライパンを置いて火を着けた。
 オリーブオイルを多めに垂らしたフライパンへニンニクを入れ、ごく弱火でじっくりと香りを立たせつつ唐辛子も入れる。
 白いニンニクが黄色く色づき、唐辛子にも火が通って黒味を帯びてきたら、パスタの茹で汁を加え、よく動かして乳化を促進させたところへトマトソースも流し込んでしまう。
 飲食店ということもあり、ディーノは様々なスパイスを揃えていた。何を入れようかと、一つずつ匂いを嗅いでいるうちに鼻がバカになってきそうだったので、ブラックペッパーとパプリカ、あとはバジルと迷いつつもオレガノを使うことにした。
 一通り振り終わった辺りでディーノが辛いものを食べたがっていたことを思い出し、チリペッパーも少量加えてペンネが茹るのを待つ。
「なんだぁエイジ、ディーノに飯の作り方でも習って……おい! 昼間は中で吸うなって言っただろ、ヤニ臭くなるだろうが!」
 仕入れ忘れていたコーヒー豆を買いに行っていたマリオが戻ってきたようだ。ディーノが軽い口ぶりで、おかえり、と返すが好々爺は珍しく強い口調で料理長を叱咤する。
「今日のまかない、彼にお願いしたんだ。楽しみにしててよ、とっつぁん」
「食えればなんでもいい。それよりタバコをさっさと消せ」
 新人が作る賄いなんかよりもオーナーは料理長の店内喫煙にご立腹で、脅威すら持たれて位¥無いのは薄情な気がしなくもないが、素人の作る食事を楽しみにしろ、というのも無理な話だ。ディーノにタバコを消させるなり、豆をミルで引き始めたマリオから意識をコンロへ戻し、マッシュルームとルッコラとほうれん草をソースと和える。
 そろそろペンネが頃合いかと思った矢先にタイマーが鳴り、中カゴを取りつつ手近にあったフォークで味見してみると、歯ざわりだけでなく塩っ気も丁度良い。マッシュルームや葉物も火が通り過ぎていなくて、赤いアラビアータソースで表面が鮮やかに艶めいている。
 フライパンの上で中カゴを逆さまにし、温めていたソースとペンネを絡めていくが、流石に余人分となると量も多く、フライパンを振るうのにも苦労した。
 白っぽかったペンネが紅色に染まりきったら、いよいよ皿へと移していく。内心、ドキドキしていた。ディーノがそばにいてくれたのは確かに心強いが、パスタを茹でる時の塩加減伊賀に、アドバイスというアドバイスは貰えていない。
 僕が彼に質問しなかったからかもしれないが、何かしら間違えていたらディーノが止めてくれると信じていたからでもあった。自分が作っていたのと同じ手順で調理を進めてしまったし、スパイスも感覚で入れてしまったがうまくいっているだろうか。
 カウンター席に座った三人の前にはランチョンマットが敷いてあり、フォークとスプーンに加えピクルスの小皿と、ベーコンとパセリが浮くコンソメスープが湯気を立てている。
 大きく開いたスペースへ、ペンネ・アラビアータの皿を置くと、間近で調理光景を見ていたディーノは早速、パスタを食べ始めるがヨキはピクルスを咥え、マリオはスープをスプーンで掬い始めた。
「うん、なかなか美味しいじゃないか」
 ディーノの顔が明るくなったのを見届けたところで、ようやく二人もパスタへ手を付ける。しかし、ヨキは、なんか葉っぱ臭ぇ、とぼやいてテーブルの上に肘をつき、マリオに至っては端的に、辛過ぎる、という感想しか述べてくれなかった。
「そこそこよくできていると思うんだけどなぁ。野菜の火通りが甘いのがちょっと残念だけど」
 ディーノのフォローはありがたかったが、なんとなく予想していた結果に落ち着き、悔しいような安堵したような、なんとも言えない微妙な心境のまま、僕も自分で作った料理を食べてみる。
 普段から店で使っているトマトソースをベースにしていることもあり、味自体は悪く無いが、オレガノの香りが強く、辛味も年寄りが食べるにしては少し強いような気がした。
 まかないとは言っても別に、余人分一気に作れとは言われていない。人それぞれに好みがあることだし、味やからさや風味を微妙に調節して、個人の下にあったものを作ることは十分に可能だった。
 唐辛子以外にチリパウダーを加えたのもディーノが辛いものが食べたいと言ったからだし、バジルではなくオレガノにしたのは意表を突きに言ったのが完全に裏目に出た。
 このアラビアータはディーノと僕が食べることしか前提にしていなくて、ヨキとマリオのことまでは考えられていなかった。
「手厳しいなぁ」
 今更それがわかったところでもう遅いし、あら前手料理の難しさが身にしみたが、なんとなく二人の好みがわかった。次に作らせてもらう時がもしあれば、ヨキには香りが強く無いものを、マリオには刺激を抑えたものを出してやろう、と思いながら口元に苦笑いを浮かべてみる。
 自身の行なった行為に対して、なんの意見や簡素もう帰ってこないことに比べれば、リアクションが帰ってきてくれただけでもマシなのは確かだ。久方ぶりの料理はとても楽しかったし、料理人のディーノからの賞賛は、たとえ嘘だったとしても充分に嬉しかった。
「ごちそうさん、またちょっと出てくるよ」
 最初にチェストから降りたのはマリオだった。紙ナプキンで口の周りについたソースを丁寧に拭っているが、ピクルスやスープの器は空でも、アラビアータはまだ三分の一ほど皿に残っている。
「口の中がヒリヒリして適わん。すまないなエイジ。カウンターの隅の方に俺のハンチングがあるだろ? 取ってくれないか」
 淡々とした言い草ではあったが、彼なりに心苦しさを誤魔化しているような気がして、あとは僕が片付けるよと、あくまで気丈に振る舞いながら、無造作に置いてあったバッグと帽子を手渡してやる。
「……そうだマリオ、僕とヨキの荷物は届いた?」
 ホテルから発送してもらった荷物の受け取り先は、マリオのボートハウスを指定していた。目深に被ったハンチングの唾を上げて顔を出し、カウンターの向こうから僕を見上げるマリオの眉間にはシワが寄り、何も音沙汰が無いと首を振る。
「発送して貰ったのはもう四日前だ……手違いが無ければいいんだけど」
「そのうち来るんじゃ無いか? いつ届くのは業者の気分次第だ」
 マリオの台詞を、一瞬聞き間違えたのかと思ったが彼の顔はさも当然のように、それが普通だと言っていて、自身のペースを崩さす荷物を持ち直す。配達を気分でやられちゃ困るし、そもそも気分なんて仕事に持ち込むべきではない、というのが僕の考えではあるが、どうやらこの国はそういう価値基準は通用しないらしい。
 薄々感づいていたが、あまりにもいい加減なのは流石に度し難い。かと言ってそれをマリオに訴えたところでどうにかなるわけではないので、ぽかんと空いていた口を結び、何かを言いたげな表情を作ることしかできなかった。
 「みんながそれぞれ自分の価値観と時間の中で生きているんだ。何か用がある時はこっちがそれに合わせるのが筋ってもんさ。イラついたら負けだぞ」
 ディナーには戻るよ、と控えめな背中をシャッキリ伸ばしマリオはまた出かけて行き、一部始終を聞いていたヨキは多少なりとも落胆したのか、チェストの背もたれに体を預け、アラビアータの最後の一口をやる気がなさそうに口に放り、のろのろと咀嚼する。
 とっつぁんの残り、貰ってもいい? なんて、マリオと同じように自分のペースを崩さないディーノの無邪気なセリフが、どこか空虚に響いた。
 まかない作りで散らかったコンロ周りを片付け終わるとディーノも、シャワーを浴びてくると言って自宅に戻ってしまった。これも馴染みの無い文化で、いくらディナーまで時間があるとは言えやることはあるし、昼休みに家に帰るなんて正直な心境を述べると、とても信じられたものではない。
しかし、ドン・ドニーノの正式な従業員がそう言って出て行ってしまったからには、僕とヨキにできることはなく、どちらかが戻るまで店の二階で一息着くことにした。
 今日の天気は快晴で、陽の光がよく部屋の中に差している。そんな中、温かいコーヒーを飲んでぼんやりしていると、自分がいかに時間の奴隷であったかを痛感してならない。
「ようやく独立して金を稼げるようになったってのに、たまの旅行に出てみたら拐われるわ、こき使われるわ。楽しそうにしているお前が呑気に見えるし、図太いところが羨ましいとも思うし……悪ぃ、雑談のつもりが愚痴になっちまった」
 椅子に座り込んで頬杖を着いてしまったヨキの顔には、慣れない環境で望まぬ労働がもたらした疲れと、落胆の色が滲んでいた。彼の荷物の中には仕事道具であるラップトップと仕事用のモバイルが入れっぱなしだった。無職の僕はいくらでも予定を延長できても、仕事がある彼はそうはいかない。
「いいや、大丈夫だよ」
 あくまでもそれに気づいていないフリをしながら、ヨキから目を逸らして二杯目のコーヒーを作る。参っていないかと言ったら僕だってそうではない。不満やストレスから意識を外し、ドン・ドニーノでの給仕に徹することで何とか自分を保っている。無理矢理にでもポジティブでいられるように自分の身を守らなければならない。
「あーもう、昼飯が不味かったから力が出ねぇよ」
 ヨキはそれ以上愚痴を吐かず、いつもの調子で軽口を叩き始める。いいからコーヒーを飲みな、とヨキの意識をカップへ促し、自分のマグカップにミルクを注いだ。ヨキには悪いが彼の落胆に、あまり同調するわけにはいかなかった。
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