1.。.:*♡ はじまり

文字数 2,485文字

剣と魔法の世界。




舞台は魔法使いこそ至高という認識が根底にある、タレスレッタ王国から始まる。




タレスレッタ王国の辺境・アーストルテ。

その地は工業都市として栄えていた。


物語は、とある小さな町工場から始まる。

シェル!

まだこの仕事を終えていないの!

早くしなさい!

はい。

今行きます。

ファクトリーと呼ばれるその工場では、数人の女子工員が働かされていた。


その中の一人、シェルと呼ばれる少女は、8歳からファクトリーに勤めている。

彼女は幼い頃に両親を亡くし、自分一人を養う為に働きに出ていた。



彼女は学校というものを知らない。

その為、女学院を出たという工場支配人のタールルに常になじられる生活を送っていた。

お前は学校も出ていないから、読み書きもできないね!

この!

早く仕事を済ませなさい。

読み書きとは??
知らないのかい!

読み書きだよ!

そのくらいねえ!

流石にエスペラント語までは覚えられませんが。

大抵の言語は操れますし、書けますよ。

はあ?
タールルは常にシェルに罵声を浴びせているが、彼女の返答の意味を理解出来ない事は常であった。


自分に理解が出来ない事を言う。

つまり相手は自分より阿呆なのだろう。


そのように判断し、毎回自分の至らなさを自覚することなく激昂する。


幾つかの会話が通じ合わないやり取りのあとに、タールルは足を踏み鳴らしてからその場を去っていった。


彼女の後ろ姿を見送りながらシェルは小さく息を吐くと、手早く指定された業務をこなしていく。

ふう。

あの人の言っていること、いつも分かんない。

それより、この仕事は後でやらないと二度手間になるんだけどな。

まあ、さっさと済ませちゃおう。

シェルは非常に聡明であり、手先も器用だった。


彼女は業務を愛し、黙々と仕業を行うことに喜びを覚えていた。

慈善こそがこの世の楽園に繋がる行為であると信じ、自ら労働に身を投じている。


やがて終業の鐘の音が鳴り響き、彼女は手早く帰宅の準備を始めた。

なんだい!

まだ仕事が終わってないじゃないか!

終わりましたよ。

早く帰りましょう。

ダラダラこの場にいても仕方ない。

なあにがダラダラよ!

残業しなさい!

声を荒げるタールルを呆れた目でシェルが見つめていると、ふいに頭上から声がした。
失礼!

支配人、残業手当は誰が出すか考えた事ある?

突然の介入に二人が目を丸くしていると、声の主は静かに工場内に降り立った。


紫の髪と猫耳を持つ彼女は、怪しく瞳を光らせながらタールルを見つめる。

残業すりゃいいってもんじゃないってこと、理解してますか?
あ、あなたは?

残業は……良いことよ。

いいえ。

定時で帰れる時は帰るのよ。

それが一番なの。

あなたも早く帰るのよ。

猫耳の女性は、シェルにチラリと視線を送る。


シェルは瞬時に状況を理解し、カバンを手に持った。

帰ります。
シェルが出入り口の扉に向かうのを見届け、タールルはあちこち辺りを見回した後に帰り支度を始めた。


モタモタと荷物を詰めてから、力任せにカバンを手に取る。

帰るわよ。
彼女達が扉から出て行くのを見届けると、紫の髪の少女はニンマリと笑う。
よっし。

ここに邪悪な気配があったから見てみたけど……。

何かな?

彼女がファクトリー内を物色していると、ふいに窓の影が揺れる。


やがて影は音もなく床に伸び、人型を模っていった。

現れたのは、銀髪の角を持つ少女と見紛う異形の者であった。

何をしている、イシュタル。

人間の里になんか介入して。

アーネちゃん。

仕事の匂いがしたの。

この工場から。

仕事の?

また板の話か。

板じゃなさそうだけど。

そろそろこの世界から出ない?

疲れちゃったよ。

そうか……。

もうそんな頃か。

誰が亞魂昇華をした?

アーネちゃんだよね。

この間、ガディスゼルとか言う奴を引っ張り出したし。

後はシールックにいさんもそろそろ……。

え?

ぼくが亞魂昇華?

実感ないよ。

そゆとこ、男の子だよねえ。

成長の自覚がないのか。

……ないな。
イシュタル、アーネトルネ、シールックの三人は魔としての活動を行いながら精神鍛錬の為にこの世界に生を受けた。


彼らは魔族であるため聖職者の尿の聖水を浴びれば死を迎える事が出来るが、世界の始発点のターニングポイントを経由し、暁の茜の門という光の出口を潜ればこの次元世界から脱することが可能である事も理解していた。


イシュタルはこの地での使命を済ませ次第、本家に帰宅しようとアーネトルネに提案していたのである。

あいつはどうしようか。

スクナヒコナは。

置いていくのか?

そのうちひょっこり現れるんじゃないかね。

はい、ひょっこりはん!

とか言って。

お前はいつも異世界跳躍だな。
オモロイお笑いをするとか言ってたからさ。

ネタを繋げただけだよ。

オモロイか?

ひょっこりはん……。

サムさで笑いを取る系だったのではないか。


そういった他愛のない話を繰り広げながら、イシュタルは工場内を物色し、アーネトルネは小冊子を読みつつ彼女を黙って見守った。



やがてイシュタルが倉庫からボタンの入った段ボールを持ち出してきた。

衣服に使うボタンだよ。

これをちょっと。

ここは縫製工場?

そんなに沢山のボタンを何に使うの?

この中にね、あ。

あったよ!

クリスタルだ。

溢れんばかりにボタンが詰め込まれた段ボールから透明の足つきボタンを一つ取り出すと、イシュタルは小さな手のひらサイズの拡大鏡を取り出して、中を覗き込んだ。


ボタンの中に、梵字が一つ浮かび上がる。

ハーンだ。

ほら。

不動明王だよ。

アーネちゃんだね!

え……。

ハーン?

やだ。

不動明王になりたくない。

何を言ってるの!

隠れ威張りん坊の愛魔王が!

ぴったりやんか!

そういうイシュタルな。
私?

そんなに威張ってるかな?

アーネちゃん!

普段の態度が自分で謙虚のつもりでいるの?

謙虚っていうか……。

リーダーだし。

自分で自分の事が全く分かっていないね!

更なる解脱が必要なようだね!

解脱はしたいけど、自分で自分の事を分かっていない。

つまりぼくはチャランポランってこと?

なぬ!

そこまで言っていないよ!

なんて自分を知らないんだ!

来て!

儀式をしよう!

イシュタルはボタンの入った段ボールを片付けると、アーネトルネの手を引いて早々に工場から立ち去っていった。
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登場人物紹介

シェル

ファクトリーの少女

タールル

ファクトリーの支配人

シールック

影の人

アーネトルネ

魔王

修業の姿

イシュタル

闇のパピヨン

スタアト

スクナヒコナ

アーネトルネ

魔王

解脱の姿

エドガー

イナンナ

エカテリーナ

解脱の姿

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