4 七大禁忌
文字数 4,401文字
根競べとは終わって冷静になってから振り返れば、どこまでも虚しい物だ。
そんな行為に何の意味があったのか。何か得でもしたのか。これからの人生に何か好影響を与えるというのか。
否、否、否。全て否。
カイルの人生に、また一つ黒歴史が追加されてしまった。
「あはははー、恥ずかしかったねぇ」
リアムは顔を上気させながらも楽しそうに笑っている。
「あのメニューを考えた奴は頭おかしいだろ……」
「ごめんごめん。こんな事になるなんて思わなくて……」
「いや、まあいいけどさ」
カイルはため息をつく。
少し休憩して落ち着いてから、二人は塔の中層を目指した。
塔の中層の中央付近には、広場がある。そこはヴィレイアン広場と呼ばれている。
ヴィレイアンとは、千年以上前にこの塔を建設したとされる大魔術師だ。
その偉業を称え、後世に伝えていくことが推奨されていて、様々な物がある。
この広場もその一つだ。
この広場だけは、身分の関係なく誰でも好きな時に出入りしていいことになっていた。
広場の中央には熱湯の滝と呼ばれる場所がある。
そこは不定期の間隔で、天井から熱湯が降り注ぐようになっている。
「いつも思うけど、なんでこんな所に熱湯出してるんだろうね」
「さあな。風呂か何かにするつもりだったんじゃないか」
カイルは適当に言ってみるが、そうだとしても熱すぎる。
ここまで熱いと、触れただけで火傷してしまうだろう。温度設定を間違えているとしか思えない。
冬の寒い時期ですら、この滝の近くは汗ばむほどだ。夏には人が近づかなくなる。
滝が落ちる部分の床は金網のようになっていて、熱湯はさらに下へと流れていた。
その辺りは耐熱ガラスの壁で囲われて、人が入ったりしぶきが飛び散ったりしないようになっている。
ヴィレイアン広場にあるもう一つの名物は、守護天使の像だった。
こちらは季節に関わらず人が集まる場所だ。
高さ二十メートルはあろうかと思われる巨大な少女の像があり、背中からは羽か後光をイメージさせる棒状のパーツが十二本、伸びていた。十二本のパーツには一切の欠けがない。
当然だ。この巨大な彫像は塔と一体化していて、塔その物と同じく破壊不能オブジェクトになっているのだから。
少女は両手を上に伸ばしていた。神から与えられる何かを受け取っている姿なのでは、という解釈が一般的だ。
天使の像の下には台座があり、そこにはこんな文章が書かれていた。
この塔は人類最後の楽園である
例えこの星の全てが絶望に覆われたとしても、
私はこの身朽ち果てるまで希望の灯を掲げ続けよう
魔術の真理を知る者
弱き力と知りながら研鑽を怠らなかった者
試練の旅を乗り越えてこの場までたどり着いた者に
私は祝福を与えたい しかし、もし……
文章はそこで途切れいている。
もしの続きに何と書かれてあるのか、知る者はいない。
だが推測はできる。
上記の条件を満たさない者、つまり祝福を与えるに値しない者について言及されているのでは、という説が一般的だった。
カイルはこれを欺瞞に満ちた文章だな、と思っていた。
試練の旅を乗り越えて、など物は言いようで、バルカムは試練を乗り越えられなかったと言い張られたら、こちらは反論のしようもない。
努力すれば成功するというのは、子ども騙しだ。
努力しても成功しなかった人はいくらでもいる。
始めるのが遅かった者、間違ったやり方をしてしまった者、伸びしろの限界に達した者。
絶望の中をもがいても、何の結果も残せない事なんて珍しくもない。
それ以前に、努力する権利すら、与えられなかったり奪われたりした人間だっている。
それを試練などという一言で片づけてしまうのは、成功した人間の傲慢さではないか。
「カイル? 大丈夫?」
リアムが心配そうにこっちを見ていた。
「ん? ちょっと考え事をしていただけだ」
カイルは、ごまかした。
嫉妬にまみれた自分の心を、リアムにだけは知られたくなかった。
「本当に大丈夫? カイルってたまに変な思いつめ方をしちゃうから、心配なんだよね」
「そんなことはないよ」
カイルは笑ってごまかす。
心配が募ると、リアムはありとあらゆる方法でカイルを慰めようとしてくる。例えば抱き着いてくるとか。
せめて人前では、そんなことはしない方がいいだろう。
「カイルは、もっと気楽に生きないとダメだよ」
「リアムは気楽すぎるんだよ」
「そう? 私はカイルがそこにいるだけで幸せなのにな……」
本当に、リアムはいい性格をしているな、と思った。
「ねぇ、天使の羽に触っていこうよ」
リアムは言う。
天使の像の後ろ側には階段と足場がある。
そこに上がると天使の羽に触れることができる。天使の羽に触れながら願いを唱えると、いずれ叶うという伝説があった。
もちろんカイルは信じていない。
もしそれが本当なら、塔の住人の全員が羽を触ってトゥルーフレアになっているだろう。カイルだって、バルカム落ちが不可避と知った直後に、触りに来た。
もちろん願いは叶わなかった。
「そんなの効果はないさ」
「でもさ、なんかいい事、あるかもしれないし……」
「そうかな……」
カイルとリアムは階段を上る。
上の足場はそこそこの広さで、十数人の人間が、立って談笑していたり、ベンチに座って休んでいたりする。
ふと、カイルは、七大禁忌という言葉を思い出した。
本当に七つあるのかすら定かではない、許されぬ行い。
そのうち一つは、同じ広場にある熱湯の滝だ。
あの滝に自ら入ろうとする者、それに協力した者、もしくは嫌がる誰かを無理やり入れた者、あるいは何らかの方法で滝の水を汚した者、それらは、どのような理由があっても許されない悪行とされていた。
当然だ。あの熱湯に入れば人は死ぬ。
仮に死なないとしても、熱湯は下の階層で何かに使っているらしいので、湯を汚すようなことをしてはいけない。
そして七大禁忌の一つ目は、とても有名だ。
それは『守護天使の羽を折る者』。
守護天使の羽を折る者が現れた時、それは塔が崩壊する時である、と。
正確には許可されぬ者が守護天使の羽を折る事、だったかもしれないが……何にしても、ヴィレイアンの偉業に唾を吐くような行為だ。誰が誰にそんな許可を出すというのか。
そして、その守護天使とは、ヴィレイアン広場にある天使の像の事ではないかと言われている。
つまり、目の前のこれだ。
ふとカイルの心に、暗い影が生まれた。
カイルは最下層民でありその人生に逆転のチャンスはない。
リアムは最上層民であり輝かしい未来が待っている。
遠からぬうちに、カイルとリアムは縁を切らねばならぬ時が来るだろう。
だったら今日がその日でもいいのではないか。
この場で守護天使の羽を折って、禁忌の存在として処刑されるのも、おもしろいかもしれない。
そんな破滅的な想像をしてしまう。
まあ、不可能なのだけれど。
なぜなら、この塔は「破壊不能オブジェクト」だから。
そして天使の像は床から、というか塔から直接生えている。
天使の像は塔の一部。つまりこれも「破壊不能オブジェクト」だ。
カイルは天使の羽に手を伸ばし、指で掴んだ。
棒のようなそれは、何が素材かは知らないが、人力で折れるような強度には見えなかった。
少し力を込めてみる。
塔ができてから千年以上が過ぎていると言われている。その間に悪ふざけで羽を折ろうとした者は五万といたのではないか。そして羽は一つも欠けていない。試しても無駄だ。答えは見えている。
だが、それでも、もしかしたら……。
指先に魔力を込めてみる。
カイルは火炎系をはじめとするの四属性の魔術は全く使えないが、魔力量だけは平均値を大幅に上回っている。そして使える唯一の属性。名も知らぬその魔術。
それを全力でぶつけてダメなら、それこそ本当に破壊不能なのだろう。
だがそんな事がありえるのか。破壊不能の物体とは、すなわち製造不能の物体である。
破壊不能の石から彫刻を掘り出す事はできない。宇宙ができた時からその形だったと言うのでもない限りは。
逆に言えば、形あるものは全て破壊可能なのだ。
ヴィレイアンはどうやって塔を作った? 何か手段が……。
ぴきっ、という音がした。カイルの頭蓋骨から。
羽を握った指を通じて、ずるずると魔力が吸い出されていく。
その感覚は魔力奉納に近い。だが引き出される魔力の量は桁違いだ。並のバルカムなら失神している。いや、この量だとアイアンテックかシチズンでもマズいのでは……。
「カイル? 何してるの? なんか光ってるよ!」
リアムがしがみついてくる。指を離さなければまずい。だが体が言う事を聞かない。
『……たは』
誰かの声が聞こえる。幻聴に違いない。
『聞こえて……返事を……』
まだ聞こえている、さっきより少し明瞭になった気がした。
『私は……、探して……、……交信が……』
『返事を……、あなたなら、接続……できるかも……』
「誰だよあんた!」
カイルは思わず返事を返してしまった。誰ともわからぬその相手に。
ばちん
カイルは目を開けた。全身が重い倦怠感に包まれている。
床に寝転がっていて、何か柔らかい物が頭の下にあるのを感じた。
リアムの心配そうな顔が、殆どゼロ距離からこちらを見下ろしている。
「カイル?」
「ああ……」
頭を巡らそうとして、何か柔らかく弾力のある物に顔を突っ込んでしまう。
リアムのお腹だった。
どうやら膝枕をされているらしい、公衆の面前で。
倦怠感より羞恥が勝って、カイルは起き上がった。気絶した時間はそう長くなかっただろう。近くにいた人たちが集まってくる。
「ごめん。もしかして、本当は朝から具合悪かった?」
「いや、そんなんじゃない。ただ……」
「ただ?」
「いや、なんでもない」
カイルは天使の羽を見た。
羽は、折れていなかった。
傷一つない。
当たり前だ。千年誰も壊せなかった物を壊せるわけがない。
「何があったって?」「バルカムが倒れたってよ」「あのバルカム、もしかして羽を折ろうとしたのか?」「これだからバルカムは嫌いなんだ」「バルカム」「バルカム」「バルカム」
やじ馬たちの見下したような声が聞こえてくる。
もう、何もかもが嫌になって来た。
リアムが小声で耳打ちしてくる。
「カイル、歩ける?」
「ああ、行こう」
カイルは、本当はまだ休んでいたかった。だが、すぐにここから離れた方がよさそうだ。
そんな行為に何の意味があったのか。何か得でもしたのか。これからの人生に何か好影響を与えるというのか。
否、否、否。全て否。
カイルの人生に、また一つ黒歴史が追加されてしまった。
「あはははー、恥ずかしかったねぇ」
リアムは顔を上気させながらも楽しそうに笑っている。
「あのメニューを考えた奴は頭おかしいだろ……」
「ごめんごめん。こんな事になるなんて思わなくて……」
「いや、まあいいけどさ」
カイルはため息をつく。
少し休憩して落ち着いてから、二人は塔の中層を目指した。
塔の中層の中央付近には、広場がある。そこはヴィレイアン広場と呼ばれている。
ヴィレイアンとは、千年以上前にこの塔を建設したとされる大魔術師だ。
その偉業を称え、後世に伝えていくことが推奨されていて、様々な物がある。
この広場もその一つだ。
この広場だけは、身分の関係なく誰でも好きな時に出入りしていいことになっていた。
広場の中央には熱湯の滝と呼ばれる場所がある。
そこは不定期の間隔で、天井から熱湯が降り注ぐようになっている。
「いつも思うけど、なんでこんな所に熱湯出してるんだろうね」
「さあな。風呂か何かにするつもりだったんじゃないか」
カイルは適当に言ってみるが、そうだとしても熱すぎる。
ここまで熱いと、触れただけで火傷してしまうだろう。温度設定を間違えているとしか思えない。
冬の寒い時期ですら、この滝の近くは汗ばむほどだ。夏には人が近づかなくなる。
滝が落ちる部分の床は金網のようになっていて、熱湯はさらに下へと流れていた。
その辺りは耐熱ガラスの壁で囲われて、人が入ったりしぶきが飛び散ったりしないようになっている。
ヴィレイアン広場にあるもう一つの名物は、守護天使の像だった。
こちらは季節に関わらず人が集まる場所だ。
高さ二十メートルはあろうかと思われる巨大な少女の像があり、背中からは羽か後光をイメージさせる棒状のパーツが十二本、伸びていた。十二本のパーツには一切の欠けがない。
当然だ。この巨大な彫像は塔と一体化していて、塔その物と同じく破壊不能オブジェクトになっているのだから。
少女は両手を上に伸ばしていた。神から与えられる何かを受け取っている姿なのでは、という解釈が一般的だ。
天使の像の下には台座があり、そこにはこんな文章が書かれていた。
この塔は人類最後の楽園である
例えこの星の全てが絶望に覆われたとしても、
私はこの身朽ち果てるまで希望の灯を掲げ続けよう
魔術の真理を知る者
弱き力と知りながら研鑽を怠らなかった者
試練の旅を乗り越えてこの場までたどり着いた者に
私は祝福を与えたい しかし、もし……
文章はそこで途切れいている。
もしの続きに何と書かれてあるのか、知る者はいない。
だが推測はできる。
上記の条件を満たさない者、つまり祝福を与えるに値しない者について言及されているのでは、という説が一般的だった。
カイルはこれを欺瞞に満ちた文章だな、と思っていた。
試練の旅を乗り越えて、など物は言いようで、バルカムは試練を乗り越えられなかったと言い張られたら、こちらは反論のしようもない。
努力すれば成功するというのは、子ども騙しだ。
努力しても成功しなかった人はいくらでもいる。
始めるのが遅かった者、間違ったやり方をしてしまった者、伸びしろの限界に達した者。
絶望の中をもがいても、何の結果も残せない事なんて珍しくもない。
それ以前に、努力する権利すら、与えられなかったり奪われたりした人間だっている。
それを試練などという一言で片づけてしまうのは、成功した人間の傲慢さではないか。
「カイル? 大丈夫?」
リアムが心配そうにこっちを見ていた。
「ん? ちょっと考え事をしていただけだ」
カイルは、ごまかした。
嫉妬にまみれた自分の心を、リアムにだけは知られたくなかった。
「本当に大丈夫? カイルってたまに変な思いつめ方をしちゃうから、心配なんだよね」
「そんなことはないよ」
カイルは笑ってごまかす。
心配が募ると、リアムはありとあらゆる方法でカイルを慰めようとしてくる。例えば抱き着いてくるとか。
せめて人前では、そんなことはしない方がいいだろう。
「カイルは、もっと気楽に生きないとダメだよ」
「リアムは気楽すぎるんだよ」
「そう? 私はカイルがそこにいるだけで幸せなのにな……」
本当に、リアムはいい性格をしているな、と思った。
「ねぇ、天使の羽に触っていこうよ」
リアムは言う。
天使の像の後ろ側には階段と足場がある。
そこに上がると天使の羽に触れることができる。天使の羽に触れながら願いを唱えると、いずれ叶うという伝説があった。
もちろんカイルは信じていない。
もしそれが本当なら、塔の住人の全員が羽を触ってトゥルーフレアになっているだろう。カイルだって、バルカム落ちが不可避と知った直後に、触りに来た。
もちろん願いは叶わなかった。
「そんなの効果はないさ」
「でもさ、なんかいい事、あるかもしれないし……」
「そうかな……」
カイルとリアムは階段を上る。
上の足場はそこそこの広さで、十数人の人間が、立って談笑していたり、ベンチに座って休んでいたりする。
ふと、カイルは、七大禁忌という言葉を思い出した。
本当に七つあるのかすら定かではない、許されぬ行い。
そのうち一つは、同じ広場にある熱湯の滝だ。
あの滝に自ら入ろうとする者、それに協力した者、もしくは嫌がる誰かを無理やり入れた者、あるいは何らかの方法で滝の水を汚した者、それらは、どのような理由があっても許されない悪行とされていた。
当然だ。あの熱湯に入れば人は死ぬ。
仮に死なないとしても、熱湯は下の階層で何かに使っているらしいので、湯を汚すようなことをしてはいけない。
そして七大禁忌の一つ目は、とても有名だ。
それは『守護天使の羽を折る者』。
守護天使の羽を折る者が現れた時、それは塔が崩壊する時である、と。
正確には許可されぬ者が守護天使の羽を折る事、だったかもしれないが……何にしても、ヴィレイアンの偉業に唾を吐くような行為だ。誰が誰にそんな許可を出すというのか。
そして、その守護天使とは、ヴィレイアン広場にある天使の像の事ではないかと言われている。
つまり、目の前のこれだ。
ふとカイルの心に、暗い影が生まれた。
カイルは最下層民でありその人生に逆転のチャンスはない。
リアムは最上層民であり輝かしい未来が待っている。
遠からぬうちに、カイルとリアムは縁を切らねばならぬ時が来るだろう。
だったら今日がその日でもいいのではないか。
この場で守護天使の羽を折って、禁忌の存在として処刑されるのも、おもしろいかもしれない。
そんな破滅的な想像をしてしまう。
まあ、不可能なのだけれど。
なぜなら、この塔は「破壊不能オブジェクト」だから。
そして天使の像は床から、というか塔から直接生えている。
天使の像は塔の一部。つまりこれも「破壊不能オブジェクト」だ。
カイルは天使の羽に手を伸ばし、指で掴んだ。
棒のようなそれは、何が素材かは知らないが、人力で折れるような強度には見えなかった。
少し力を込めてみる。
塔ができてから千年以上が過ぎていると言われている。その間に悪ふざけで羽を折ろうとした者は五万といたのではないか。そして羽は一つも欠けていない。試しても無駄だ。答えは見えている。
だが、それでも、もしかしたら……。
指先に魔力を込めてみる。
カイルは火炎系をはじめとするの四属性の魔術は全く使えないが、魔力量だけは平均値を大幅に上回っている。そして使える唯一の属性。名も知らぬその魔術。
それを全力でぶつけてダメなら、それこそ本当に破壊不能なのだろう。
だがそんな事がありえるのか。破壊不能の物体とは、すなわち製造不能の物体である。
破壊不能の石から彫刻を掘り出す事はできない。宇宙ができた時からその形だったと言うのでもない限りは。
逆に言えば、形あるものは全て破壊可能なのだ。
ヴィレイアンはどうやって塔を作った? 何か手段が……。
ぴきっ、という音がした。カイルの頭蓋骨から。
羽を握った指を通じて、ずるずると魔力が吸い出されていく。
その感覚は魔力奉納に近い。だが引き出される魔力の量は桁違いだ。並のバルカムなら失神している。いや、この量だとアイアンテックかシチズンでもマズいのでは……。
「カイル? 何してるの? なんか光ってるよ!」
リアムがしがみついてくる。指を離さなければまずい。だが体が言う事を聞かない。
『……たは』
誰かの声が聞こえる。幻聴に違いない。
『聞こえて……返事を……』
まだ聞こえている、さっきより少し明瞭になった気がした。
『私は……、探して……、……交信が……』
『返事を……、あなたなら、接続……できるかも……』
「誰だよあんた!」
カイルは思わず返事を返してしまった。誰ともわからぬその相手に。
ばちん
カイルは目を開けた。全身が重い倦怠感に包まれている。
床に寝転がっていて、何か柔らかい物が頭の下にあるのを感じた。
リアムの心配そうな顔が、殆どゼロ距離からこちらを見下ろしている。
「カイル?」
「ああ……」
頭を巡らそうとして、何か柔らかく弾力のある物に顔を突っ込んでしまう。
リアムのお腹だった。
どうやら膝枕をされているらしい、公衆の面前で。
倦怠感より羞恥が勝って、カイルは起き上がった。気絶した時間はそう長くなかっただろう。近くにいた人たちが集まってくる。
「ごめん。もしかして、本当は朝から具合悪かった?」
「いや、そんなんじゃない。ただ……」
「ただ?」
「いや、なんでもない」
カイルは天使の羽を見た。
羽は、折れていなかった。
傷一つない。
当たり前だ。千年誰も壊せなかった物を壊せるわけがない。
「何があったって?」「バルカムが倒れたってよ」「あのバルカム、もしかして羽を折ろうとしたのか?」「これだからバルカムは嫌いなんだ」「バルカム」「バルカム」「バルカム」
やじ馬たちの見下したような声が聞こえてくる。
もう、何もかもが嫌になって来た。
リアムが小声で耳打ちしてくる。
「カイル、歩ける?」
「ああ、行こう」
カイルは、本当はまだ休んでいたかった。だが、すぐにここから離れた方がよさそうだ。