22 終 最上階
文字数 3,352文字
塔の頂上まで一時間ほど。特に困難はなかった。
登り切った屋上には、祠のような建物が建っていた。建っていたとは言うが、この建物も塔の一部だ。千年以上前から存在する破壊不能オブジェクト。
千階。小さな扉の前に、そんな表示がついていた。
二人で扉の奥に入る。同時に、魔力が流れたのか自動で照明がついた。
そこは直径五十メートルほどの円形……いや、八角形の部屋だ。天井も三十メートルぐらいある。天窓から風が吹き込んで寒々しかった。
風と一緒に雪や氷でも運ばれてくるのか、部屋中が凍り付いている。
部屋の中央に高さ二十メートルぐらいの巨大な何かがあって、それも氷漬けで形がよくわからなくなっている。
「うん……これは、どうしたらいいんだ?」
リアムが教えてくれるのかと思ったら、リアムも困っている。
「ここから先の指示は受けてないよ。……っていうか、これだけ?」
「……いや? 待てよ。この部屋、どこかで見たような気がする」
前に夢で見た。ヴィレイアン広場の天使の羽を触った日の夜に見た夢だ。
「あの夢に出てきたのが、ヴィレイアン様だとしたら……」
もう一人いた女性がアインドラだろうか? だとすると、この部屋まで到達するのはそれなりに重要な事のはず。ここに何かがある。
「この真下、三十メートルの位置に、九百九十五階があるはず。そこから上に莫大な魔力が送られていた。つまり、魔力はここで受け取っていたんだ」
「そうなの? 変な物は何もないよ? というか、あったとしても、魔力奉納のあれを、全部ここで使ってるって事?」
それは考えにくい。
だが、もうカイルには答えが見えていた。なぜ彼らは交信可能なネクロマンサーを千年も待ったのか。カイルに何をさせたかったのか。ここで何ができるのか。
カイルは言う。
「……塔の増改築は、どうやってやるんだ?」
「そんな事できないでしょ? 塔は破壊不能だし、変更も……あっ、そういうこと?」
リアムも気づいた。
カイルが出せる骨の柱は、塔とほぼ同じ材質。
つまり塔を建てたのは火炎魔術師ではない、ネクロマンサーだ。
しかし、カイルの力でも塔の状態を変更することはできない。塔は何かに守られている。簡単に壊せないようにプロテクトが掛かっている。
塔の建造者は、どうやってプロテクトをかけた? もし後世の人間が解除したくなったらどうすればいい?
九百九十五階の端末でもそれができなかった。
そして、塔には、呆れるほどの警備コストを支払って守られているのに、存在すら明かされていない不思議な場所がある。
この千階だ。
「たぶん、ここで何かをすれば、塔を変更できる」
それは破壊できるのと同じ意味だ。
カイルが塔を崩せば、千三百万人を一瞬で殺すことだってできる。
力の片鱗を少し見せて脅迫し、言いなりにすることもできるだろう。
「どうする? やっちゃう?」
リアムが、冗談めいた口調で言う。
「いや……それはない」
今の塔の状態は、あまりよくない。
だが、それは皆殺しにする理由にはならない。むしろ皆殺しを避けたいと思っている人間が多いからこそ、みんな悩んでいるのだ。ギスギスしているのは、悩んだ末の結論が違うからだ。
何をするにしても、やり方を調べておく必要がある。
一番怪しいのは、部屋の中央にある、巨大な氷漬けの何かだ。
「リアム……この氷、融かせないか?」
「任せて。中身がよくわからないから、火力抑えめで行くね」
リアムが氷に触ると、氷は端の方から少しずつ溶けていった。
中から現れたのは、巨大な彫像だった。
ヴィレイアン広場にある守護天使の像と同じ物のようだ。
ただし、一つ違う所があった。
上に伸ばした両手、その先を見ると、天井に別の像がぶら下がっていた。
飛んでいく鳥だ。
天使は上から何かを受け取っていたのではない。鳥を飛ばしている姿だったのだ。
そして天使の足元には文字が書かれた石板、氷がゆっくりと溶けていく。
「まさか、「もし」の続きがここにあるのか……」
守護天使の像の足元の文章は途中で終わっていた。
その続きは、塔に住む人間は誰も知らない。この場所まで来ないと、読めないようになっている。
そこには、こんな事が書かれていた。
この塔は人類最後の楽園である
例えこの星の全てが絶望に覆われたとしても、
私はこの身朽ち果てるまで希望の灯を掲げ続けよう
魔術の真理を知る者
弱き力と知りながら研鑽を怠らなかった者
試練の旅を乗り越えてこの場までたどり着いた者に
私は祝福を与えたい しかし、もし……
もし、この塔が、あなたを拒むのなら
そしてあなたもこの塔を拒むのなら
この塔に何の価値もなくなってしまったというなら、
あなたはここからこの塔を破壊してしまうことができる
あるいは破壊する以外の方法で
あなたの望みを叶えることもできるだろう
だが忘れないで欲しい
この塔を建てた私と私の仲間たちは
人類に希望を与えたかったのだという事を
どうか摘みとらないで欲しい、
そして愚かな人々に祝福を与えてくれ
既にこの世を去ったであろう私の代わりに
私の願いを叶えてくれるのなら
この天使の羽の一本を持ち帰ることを許す
「これは……そういう事だったのか……」
塔内の全ての人間が、勘違いしていた。これは塔の住人にあてたメッセージではなかった。
魔術の真理についてはもはや言うまでもない。
弱き力とはネクロマンサーの力。試練の旅とは塔の外壁を最上階まで登る事。
つまりこれは、塔を登ったネクロマンサー、カイルへのメッセージだったのだ。
カイルの予想通り、ここから塔を崩すこともできるらしい。
そして、ヴィレイアンとアインドラは、それを望んでいない。代わりに人間たちに新たな希望と祝福を与えることを望んでいる。
「まったく。何が大魔術師だよ。人にとんでもない物を押し付けやがって……」
「カイル……どうするの?」
リアムの声は少し震えていた。恐怖か、それとも武者震いか。
「決まっているだろ。俺が「「許可を得て」守護天使の羽を折る者」だ。ヴィレイアン様の相棒が許可を出しているんだから間違いない」
いや、もしかすると恋人か夫婦だったのかもしれない。
カイルとリアムの魔術的関係に近いとするなら、そうならざるを得ない。
という事は、ヴィレイアンは病んでるのか、想像したらちょっとキモイな、と余計なことを思いついたので、カイルは考えるのをやめた。
カイルは天使の像の裏に回る。
ヴィレイアン広場の物よりは小さいが、登るための足場があった。
足場の上まで行って、羽の一本の先端を掴む。
壊し方は知っていた。骨を膨らませる時の逆の手順で解体すればいい。
目を閉じて魔力を微調整すると、プロテクトの構造が分かってくる。その隙間に自分の魔力をねじ込む。
カキィン
金属質の破断音が響いた。目を開けると、長さ十センチほどの、尖った白い塊が、手の中にあった。
眩暈がしてきた。ごっそり魔力を引き抜かれた気がする。彫像の羽一つ壊すだけでこの様だ。ヴィレイアンはカイルが一人で塔を崩せるなどと本気で思っているのだろうか? ましてや、作り変えるなど……
どうにか階段を降りた所で座り込んでしまった。
「大丈夫?」
「ああ……」
「ネクタル、あるよ」
リアムが水筒を差し出してくる。
カイルは中身を半分ほど飲んでから、水筒をリアムに返す。
「リアムも飲んでおいた方がよくないか?」
「うん?」
「帰り道でおまえの魔力が切れたら凍死するからな」
「そだね」
リアムはネクタルの残りを飲んだ。
それからしばらく、二人並んで彫像の台座に背を預けて座っていた。
リアムは、カイルが手に持つ羽の欠片を見ている。
「それを持って帰ったら、何かが変わるかな?」
「わからないけど、なんとかしよう……」
とりあえず、オルドロスにこの羽の欠片を見せる必要がある。
全てはそれからだ。
「帰ろうか」
「うん……」
二人は立ち上がると、塔の最上階を後にした。
登り切った屋上には、祠のような建物が建っていた。建っていたとは言うが、この建物も塔の一部だ。千年以上前から存在する破壊不能オブジェクト。
千階。小さな扉の前に、そんな表示がついていた。
二人で扉の奥に入る。同時に、魔力が流れたのか自動で照明がついた。
そこは直径五十メートルほどの円形……いや、八角形の部屋だ。天井も三十メートルぐらいある。天窓から風が吹き込んで寒々しかった。
風と一緒に雪や氷でも運ばれてくるのか、部屋中が凍り付いている。
部屋の中央に高さ二十メートルぐらいの巨大な何かがあって、それも氷漬けで形がよくわからなくなっている。
「うん……これは、どうしたらいいんだ?」
リアムが教えてくれるのかと思ったら、リアムも困っている。
「ここから先の指示は受けてないよ。……っていうか、これだけ?」
「……いや? 待てよ。この部屋、どこかで見たような気がする」
前に夢で見た。ヴィレイアン広場の天使の羽を触った日の夜に見た夢だ。
「あの夢に出てきたのが、ヴィレイアン様だとしたら……」
もう一人いた女性がアインドラだろうか? だとすると、この部屋まで到達するのはそれなりに重要な事のはず。ここに何かがある。
「この真下、三十メートルの位置に、九百九十五階があるはず。そこから上に莫大な魔力が送られていた。つまり、魔力はここで受け取っていたんだ」
「そうなの? 変な物は何もないよ? というか、あったとしても、魔力奉納のあれを、全部ここで使ってるって事?」
それは考えにくい。
だが、もうカイルには答えが見えていた。なぜ彼らは交信可能なネクロマンサーを千年も待ったのか。カイルに何をさせたかったのか。ここで何ができるのか。
カイルは言う。
「……塔の増改築は、どうやってやるんだ?」
「そんな事できないでしょ? 塔は破壊不能だし、変更も……あっ、そういうこと?」
リアムも気づいた。
カイルが出せる骨の柱は、塔とほぼ同じ材質。
つまり塔を建てたのは火炎魔術師ではない、ネクロマンサーだ。
しかし、カイルの力でも塔の状態を変更することはできない。塔は何かに守られている。簡単に壊せないようにプロテクトが掛かっている。
塔の建造者は、どうやってプロテクトをかけた? もし後世の人間が解除したくなったらどうすればいい?
九百九十五階の端末でもそれができなかった。
そして、塔には、呆れるほどの警備コストを支払って守られているのに、存在すら明かされていない不思議な場所がある。
この千階だ。
「たぶん、ここで何かをすれば、塔を変更できる」
それは破壊できるのと同じ意味だ。
カイルが塔を崩せば、千三百万人を一瞬で殺すことだってできる。
力の片鱗を少し見せて脅迫し、言いなりにすることもできるだろう。
「どうする? やっちゃう?」
リアムが、冗談めいた口調で言う。
「いや……それはない」
今の塔の状態は、あまりよくない。
だが、それは皆殺しにする理由にはならない。むしろ皆殺しを避けたいと思っている人間が多いからこそ、みんな悩んでいるのだ。ギスギスしているのは、悩んだ末の結論が違うからだ。
何をするにしても、やり方を調べておく必要がある。
一番怪しいのは、部屋の中央にある、巨大な氷漬けの何かだ。
「リアム……この氷、融かせないか?」
「任せて。中身がよくわからないから、火力抑えめで行くね」
リアムが氷に触ると、氷は端の方から少しずつ溶けていった。
中から現れたのは、巨大な彫像だった。
ヴィレイアン広場にある守護天使の像と同じ物のようだ。
ただし、一つ違う所があった。
上に伸ばした両手、その先を見ると、天井に別の像がぶら下がっていた。
飛んでいく鳥だ。
天使は上から何かを受け取っていたのではない。鳥を飛ばしている姿だったのだ。
そして天使の足元には文字が書かれた石板、氷がゆっくりと溶けていく。
「まさか、「もし」の続きがここにあるのか……」
守護天使の像の足元の文章は途中で終わっていた。
その続きは、塔に住む人間は誰も知らない。この場所まで来ないと、読めないようになっている。
そこには、こんな事が書かれていた。
この塔は人類最後の楽園である
例えこの星の全てが絶望に覆われたとしても、
私はこの身朽ち果てるまで希望の灯を掲げ続けよう
魔術の真理を知る者
弱き力と知りながら研鑽を怠らなかった者
試練の旅を乗り越えてこの場までたどり着いた者に
私は祝福を与えたい しかし、もし……
もし、この塔が、あなたを拒むのなら
そしてあなたもこの塔を拒むのなら
この塔に何の価値もなくなってしまったというなら、
あなたはここからこの塔を破壊してしまうことができる
あるいは破壊する以外の方法で
あなたの望みを叶えることもできるだろう
だが忘れないで欲しい
この塔を建てた私と私の仲間たちは
人類に希望を与えたかったのだという事を
どうか摘みとらないで欲しい、
そして愚かな人々に祝福を与えてくれ
既にこの世を去ったであろう私の代わりに
私の願いを叶えてくれるのなら
この天使の羽の一本を持ち帰ることを許す
「これは……そういう事だったのか……」
塔内の全ての人間が、勘違いしていた。これは塔の住人にあてたメッセージではなかった。
魔術の真理についてはもはや言うまでもない。
弱き力とはネクロマンサーの力。試練の旅とは塔の外壁を最上階まで登る事。
つまりこれは、塔を登ったネクロマンサー、カイルへのメッセージだったのだ。
カイルの予想通り、ここから塔を崩すこともできるらしい。
そして、ヴィレイアンとアインドラは、それを望んでいない。代わりに人間たちに新たな希望と祝福を与えることを望んでいる。
「まったく。何が大魔術師だよ。人にとんでもない物を押し付けやがって……」
「カイル……どうするの?」
リアムの声は少し震えていた。恐怖か、それとも武者震いか。
「決まっているだろ。俺が「「許可を得て」守護天使の羽を折る者」だ。ヴィレイアン様の相棒が許可を出しているんだから間違いない」
いや、もしかすると恋人か夫婦だったのかもしれない。
カイルとリアムの魔術的関係に近いとするなら、そうならざるを得ない。
という事は、ヴィレイアンは病んでるのか、想像したらちょっとキモイな、と余計なことを思いついたので、カイルは考えるのをやめた。
カイルは天使の像の裏に回る。
ヴィレイアン広場の物よりは小さいが、登るための足場があった。
足場の上まで行って、羽の一本の先端を掴む。
壊し方は知っていた。骨を膨らませる時の逆の手順で解体すればいい。
目を閉じて魔力を微調整すると、プロテクトの構造が分かってくる。その隙間に自分の魔力をねじ込む。
カキィン
金属質の破断音が響いた。目を開けると、長さ十センチほどの、尖った白い塊が、手の中にあった。
眩暈がしてきた。ごっそり魔力を引き抜かれた気がする。彫像の羽一つ壊すだけでこの様だ。ヴィレイアンはカイルが一人で塔を崩せるなどと本気で思っているのだろうか? ましてや、作り変えるなど……
どうにか階段を降りた所で座り込んでしまった。
「大丈夫?」
「ああ……」
「ネクタル、あるよ」
リアムが水筒を差し出してくる。
カイルは中身を半分ほど飲んでから、水筒をリアムに返す。
「リアムも飲んでおいた方がよくないか?」
「うん?」
「帰り道でおまえの魔力が切れたら凍死するからな」
「そだね」
リアムはネクタルの残りを飲んだ。
それからしばらく、二人並んで彫像の台座に背を預けて座っていた。
リアムは、カイルが手に持つ羽の欠片を見ている。
「それを持って帰ったら、何かが変わるかな?」
「わからないけど、なんとかしよう……」
とりあえず、オルドロスにこの羽の欠片を見せる必要がある。
全てはそれからだ。
「帰ろうか」
「うん……」
二人は立ち上がると、塔の最上階を後にした。