5 リアムの部屋

文字数 2,776文字

 そこは氷壁のような部屋だった。
 骨色の壁は氷が張り付き、部屋の中央には氷が固まった柱のような物が立っていた。
 壁一枚隔てた向こうでは突風が吹いているのか、ゴウゴウと音が響いている。
 カイルはぼんやりと辺りを見回す。
 塔の中でこんな部屋は見た覚えがなかった。ここはどこなのだろう。

「嘆かわしい。千年も待たせておいて、交信できたのがようやく二人とはな」
 苛立ちと諦観を含んだ声音。カイルが振り返ると、そこには青い服に身を包んだ男が立っていた。いかめしい顔でカイルを見ている。
「仕方がないでしょう。私たちの要求する理想が高すぎたのですよ」
 男の隣に立つのは、同じく青い服を着た女性だ。穏やかな微笑みを浮かべていた。
「最低ラインを下げてしまえば目的が果たせなくなるだろう」
「私たちの事を忘れられてしまったら、挑戦者が出なくなってしまいますよ。まあ、ある意味ではその方が良かったのかもしれませんが……」
「良いわけがあるか。このままでは衰退する一方だろう。いずれ滅んでしまう」
「その話は、後にしましょうか。せっかくの客人の前なのですから」
「ふむ」
 二人はカイルの方を見る。
 いや、いつの間にか、隣にリアムもいた。まあカイルの夢ならリアムが出てくるぐらいはおかしくもないが。
 しかしこの二人は誰なのだ。
「あなた達は、どなたですか?」
「知らずに来たのか? 我はトゥルーフレアだ。それぐらいは伝わっていると思ったが……」
「はあ……」
 青い服を着ているし偉そうにしているし、なんとなくそうなんじゃないだろうかとは思った。
「人としての名前を聞いているなら、××××……」
 何か名乗ったらしい。しかしノイズか何かが混じってよく聞き取れなかった。聞き返すほどの事でもないかと思って、カイルはそれをスルーする。
 女性がカイルのすぐ前に立つ。
「私たちは、待っていました。あなた達のような二人がここに来るのを」
「はぁ……」
「あなた達には約束の時を繋いで欲しいのです」
「約束の時とは?」
「こちらのこの部屋にたどり着いたのは、あなた達が初めてです。もしかすると最後になるかもしれない。だから伝えましょう……」
 女性は何か重要な事を語っていたようだが、景色と声が遠くなっていき、全く聞き取れなかった。



 甘い匂いが鼻をくすぐる。
 柔らかく温かい生き物が抱き着いてくるような感覚。
 カイルは無意識にそれを抱きしめ返し、どうやらそれが人間らしいことに気づいて目を開けた。
「ここは?」
 リアムの部屋、そのベッドの上だった。
 四っつの角に柱が立ち、天蓋がついている、割と豪華なベッドだ。
 とても寝心地が良くて、つい二度寝してしまいそうになるけれど、そういうわけにもいかない。
 まず、自分とリアムがちゃんと服を着ていることを確認する。昨日の朝の事があったばかりなので、知らない間に一線を越えていたらどうしようと微妙に不安になったが、問題ないようだった。
「ふみゅう……」
 リアムは幸せそうな寝息を発しながら、体を擦り付けてくる。心地よい柔らかさだったが、カイルはその腕からそっと逃れると、ベッドから降りて部屋を見回した。
 暖かい部屋だった。
 壁と天井はピンク色の壁紙。床には毛足が長めの絨毯が敷かれている。
 壁際には棚があって、クマのぬいぐるみが並べられていた。
 特にどうと言うわけでもないが、なんだか自分の部屋にいるより落ち着くような気がする。

 それでも、リアムの部屋で一晩過ごしてしまうのは、カイルが自分で決めたルールに反する事だった。気を付けていたのにこうなってしまったのは、単にひたすら体調が悪かったからの一言に尽きる。

 天使の像の羽に触って気絶して、それから目覚めた後。
 あれからもう一度気絶するような事はなかったが、しばらく休んでも奇妙な頭痛が収まらなかった。
 聞こえない声で、ずっと誰かに呼び掛けられているような、そんな感じ。
 リアムは最初の内はカイルを心配していたのだが、なぜか症状が感染したかのようにリアムまで具合が悪くなってしまって、カイルはリアムを部屋に送ることにした。
 送ったら自分も帰るつもりだったのだが、リアムは「カイルは私が守るから」と主張して抱き着いてきた。そこで押し問答をしていると、自分もリアムも、さらに具合が悪くなりそうだったので、もう好きにさせることにした。
 リアムはカイルに抱き着いたまま、よくわからないうわ言を呟き続け、最終的に寝てしまった。
「いや、俺の方が先に寝ちゃったんだっけ? まあ、どっちでもあまり変わらないか」
 何か変な夢を見たような気がするけれど、どうでもよかった。
 どうせ夢だし。

 リアムの方を振り返る。
「みれいあぬはまぁ、あいうはふぉんなんなないれすよぉ……」
 何かもごもごと寝言を言っているのが聞こえる。何となく、自分の名前を呼ばれたような気もしたのだが発音が不明瞭だったのでよくわからない。
「っていうか、ミレニアム様って、誰だ?」
 誰でもいいか、と割り切って、カイルはベッドの枕もとに座り、ぼんやりとリアムの寝顔を眺めていた。
 しばらくすると、リアムが目を開ける。
「あ……おはよう?」
「おはよう」
「ねえ、カイル、そういうのは失礼だと思わない?」
「何が?」
「私が無防備に寝てたのに、襲いもせずにぼーっとしてるだけなんて……」
 リアムの発言にカイルは頭を抱えたくなった。。
「あのなぁ、そういうの、俺が相手だからギャグで済むんだぞ。他のやつにはやめろよ」
「やらないよ。そもそもカイル以外を部屋に上げたりしないし……」
「そうか」
 カイルにも、そんな風に言われて嬉しいという気持ちはある。
 けれど、その嬉しさは求めてはいけない物だ。いつか断ち切らなければならない。
 カイルはため息をつくと立ち上がる。
 リアムはのそのそと起き上がって、追いかけてきて後ろから服の裾をつかんでくる。
「ねえ? もう帰るの? 具合は大丈夫?」
「俺は大丈夫だ。リアムの方は?」
「うん、大丈夫……でも、まだ頭がボンヤリするかも。カイルは今日から壁外当番だっけ?」
「ああ。来週まで戻ってこれないんだ。本当に具合が悪いならちゃんと医者に行けよ」
「うん。大丈夫。でもちょっと待ってて」
「何だ?」
 カイルが振り返ると、リアムは恥ずかしそうな顔で言う。
「……朝ごはん、食べてかない? 簡単な物なら作れるから」
 確かに腹は減っていた。リアムの料理はおいしいので嬉しい提案だ。
「すぐに準備するから、その間にシャワーでも浴びててよ」
「いや。そのまま待つよ」
 そこは超えてはならない一線だ。流されてはいけない。
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