16 九百九十五階

文字数 4,885文字

 エレベーターは一番上まで来た。
 ここは地上から二千メートルの高さ。三角フラスコの三角が終わるあたりだ。
 そこで三つ目のエレベーターに乗り換える。
 残り二千メートルをこのエレベーターで昇ることになる。
 レドヒルがせせら笑う。
「拍子抜けだな。待ち伏せもないとは……」
 デュアトスは頷く。
「ここまで急いで来たからな。トゥルーフレアどもが気づいているわけないし、仮に気づいていたとしても妨害は間に合わない。肝心なのは降りる時だ。さっきみたいな、自分が死の罠に足を踏み入れてるって事すら理解できないアホが、一番怖い」
「次に誰かに会ったらどうする?」
「会わずに済めばいいがな……」

 と、エレベーターが止まった。
 数人の男女がいた。腕につけている腕章は黒。アイアンテック階級のようだ。
 これはデュアトスも予想外だったようで一瞬固まる。
「あー、おまえら、ここで何してるんだ?」
「それはこっちのセリフだ。何でバルカムがここに来る?」
 先頭にいた年かさの男が逆に聞き返してくる。やはり腕章がなくてもバレバレらしい。
 男はエレベーターの箱内に視線を走らせ、メリレイアを見て驚いたような顔になる。
「いや……そこの二人は? 腕章を見せろ、いや、見せてください」
「こいつらはトゥルーフレアだよ。今は人質だがな」
 アイアンテックたちは、ひっ、と悲鳴を上げて後ずさる。
「人質だと! バカな! おまえら殺されるぞ!」
「その前に相手を殺せばいいのさ。それより、なんでこんなところにアイアンテックが来てるんだ? もしかして、おまらも革命家なのか?」
「違う! ただの仕事だ! この階層には貯水タンクがあって、そこに魔術で水を作って補充するのが俺たちの……」
「あー、大体わかったからもういいや。悪いがこのエレベーターには乗れないんで次のにしてくれ」
「ああ。そうだな。そうするよ」
 年かさの男は、すごい勢いで何度も首を縦に振る。
 エレベーターの扉が閉まる時に、「革命家ってなんだ?」「さっき人質って言ったよな?」「上に報告した方がいいのか?」などなど、聞こえたような気がしたが、カイルは何も言わなかった。
 できれば今すぐに報告を、というか通報して欲しい。
 デュアトスが首をかしげる。
「こんなところに水を溜めておいてどうするんだ?」
「ああ、たぶんアレの事だと思う」
 テロリストの一人が言う。
「塔の上の方に、温水を作る装置があると聞いた事がある。塔の外にある温室で働いている時に、そこを温めているお湯が塔の上から送られてくると聞いた。それがここなんじゃないか?」
「ふうん……」
 デュアトスは興味なさそうに肩をすくめ、話はそれで終わった。
 何か妙だな、とカイルは思った。温水を使うなら、その近くで作った方がいいのに。なんでこんな離れた所で?
 なぜか、ネクタルを冷やす装置の事が一瞬頭をかすめた。それとこれが、どう関係があるのかよくわからなかったが。

 エレベーターは最上階までついた。
 壁には、九百九十三階、と表示がある。
「おや? 塔はまだ上があるのか? おかしいな……」
 デュアトスは視線をめぐらし、メリレイアを見る。
「おまえ、この辺りに詳しいか?」
「来たこともないわね」
「そうか……なあ、レドヒル。おまえ、さっきこいつを犯そうとしてたよな」
「ま、まあな」
「ここでそれをやるっての、おもしろくね?」
「えっ、ここでか? あ。……そうだな。おもしろいな」
 変な笑みを浮かべる二人。周囲のテロリストたちも無言でメリレイアを見ている。
 メリレイアは慌てて首を振る。
「わかった、言うわよ! 言えばいいんでしょ! ここから先は階段しかないわよ!」
「エレベーターはないのか?」
「あ、足が不自由な人のための補助エレベーターがあるはずだけど? 使った事はないわ」
「そうか。では階段で行こうか」
 デュアトスは笑顔で言う。
「次からは素直に協力してくれよ? 初めての時は、痛くてしばらく歩けないらしいぜ? それでも歩いてもらわなきゃならないんだからな」
「わ、わかったわよ……」

 階段を上って、九百九十五階へ着いた。廊下のような前室、そして大きな扉を通る。
 広い部屋だった。ここが最上階の奉納室のようだ。

 ただ、ここは少し様子が違った。
 部屋の中央には台座があり、何かの装置が乗っていた。中央の柱からいくつもの枝が出ていて、それぞれの枝の先端には球体がついている。
 光が明滅し、それは心臓の鼓動のようにも思えた。
 下の奉納部屋から送られてくる魔力は、いくつものポイントを通過して、ここにたどり着くのだろう。
 そして台座の傍らに立ち、何かしている人々がいた。たぶん全員がトゥルーフレアの神官だ。
 その一人はメリレイアの父親、オルドロスだった。
 オルドロスは振り返り、テロリスト一同を見た。
「なんだね君たちは……ここで何をしている?」
「お父様!」
 メリレイアが叫び、その首についている鎖を見て、オルドロスは顔色を変える。
「なんだ? なんという! ……君たちは、なんという事を……」
「ごめんなさい。お父様。捕まってしまいました」
「おまえが謝るような事ではない。しかし……困ったな」
 オルドロスはこちらに数歩、近づいてくる。
「止まれ。その距離でいいだろう?」
 デュアトスが制止し、オルドロスは逆らわずに止まった。
「サヴォタージュの件は知っている。しかし、どうも君たちは話し合いに来たようには見えないのだが。つまり、そう言う事なのかね?」
「理解が早くて助かるね」
「そうか……少し待て」
「余計な事はしないでもらおう」
「何一つ、余計なことなどしない。君たちが怒るようなことはないのだ」
 オルドロスの後ろで、神官が何かをしたようだった。
 ただ、大量の魔力が上の方に上っていくのが見えた。中層で奉納した時の魔力の総量も膨大だったが、その数倍はあろうかと思われるさらに膨大な量の魔力だ。
 カイル以外は、その事に気づいてもいないらしい。
 魔力が向かった先はおよそ五十メートル上方。塔には、まだ上があるのだろうか?

 オルドロスは多少動揺しているが、最後の一線だけは守り通そうとする程度の余裕は残っているように見えた。状況的には、人質を見捨てる覚悟さえ持てれば、皆殺しにするだけでいい、というのもあるのだろう。
 デュアトスがどんな顔をしているかは、カイルの方からは見えない。
 たぶん、いつもの斜に構えた笑顔をしているのだろう。
「では、君たちは、何を求めてここにやって来たのだ?」
「革命だ」
「革命? 本当にそれが求めている物か? 君たちの言う革命について、もう少し具体的に説明してくれないか?」
「この塔の現在の支配者であるトゥルーフレアのやり方は間違っている。だからトゥルーフレアを排斥し、俺たちが支配者になる」
 デュアトスは堂々と宣言した。
「私たちのどこがどのように間違っているのか、そして君たちはそれをどうするつもりなのか。それを聞かせてくれ」
「俺たちは日々の暮らしを制限され、不当に管理されている。食べ物は少ない、自由もない。上の階級に上がるチャンスもない。それに比べて、トゥルーフレアたちは、塔の上層で堕落した生活を送っている。これは不公平だ。同じ人間に生まれた者にする仕打ちじゃない。だから俺たちが支配者として君臨し、全てをあるべき姿に正す」
 デュアトスは朗々と語る。少なくとも言っている事は耳触りが良かった。
 オルドロスは困った顔で聞き返す。
「堕落した生活とは何の事だ?」
「ごまかされないぞ!」
「いや、私はごまかしてないどいない。我々は決して楽をしているわけではない。塔を維持するために日々努力している」
「おまえらの既得権益を守るためだろう?」
「既得権益とは何の事だね?」
「ごまかされないぞ!」
「いや、だから……。君たちが把握している我々の問題点というのを、もっと具体的に指摘して欲しいと言っているのだ」
「自分が堕落していると言う自覚すらないからそんな事を言うんだ」
「……何か一つでもいい。具体例を挙げてくれないか?」
「ごまかされないぞ!」
 デュアトスは語気を強めるが、残念ながら主張の内容が薄かった。
 オルドロスも失望したようなため息をつく。
「君はもしかすると、さっきから、質問に答えられなくなるたびにそれを言っていないかね? そうだとすると、ごまかしているのは君の方なのでは?」
「ふん」
「念のために聞いておくが、君たちは、ヴィレイアン様をどう思っているかね? この塔を創設した尊いお方だと私は思っているのだが、同じように尊敬してくれるかね?」
「尊敬? バカを言うなよ、トゥルーフレアを頂点とした今の体制を生み出した大悪人だぞ」
「ヴィレイアン様がいなければ、我々人類はゾンビの群れに飲み込まれ、死に絶えていた。そのことは認めるかね?」
「千年前の大昔のことなんか、どうでもいいだろ?」
「ゾンビは今もいる。骨壁の外に」
「そのゾンビっていうのも、どこまで本当だか怪しいもんだな。アレって、本当はおまえらの作り話なんじゃないか」
 デュアトスは、とうとう言ってやったぜ、という感じの得意げな顔だった。
 一方オルドロスは、驚愕に固まる。
「……君は、何を言っているのだ? 塔の外に出たことがないのか? バルカム階級なら、破片を回収する仕事を割り当てられたこともあるはずだ」
「それは知ってるよ。あのぴくぴく動く気持ち悪いゴミの事だろ? けどさ、あんなの放っておいても問題なくね?」
 デュアトスの言葉が終わっても、それに反応を示す者はいない。
 室内は沈黙に満ちた。
 カイルも、横で聞いていて、今のはないんじゃないかなと思った。
 たしかに、地面に散らばりスコップで掬われるのを待つだけの破片なら、人間に危害を加えることはないだろう。 
 しかし、この前の地平線を埋め尽くすほどの大襲来を見て、あれを無害だなどと言えるわけがない。
 あの時は特別だったかもしれないが、それ以前でも、動いているゾンビの一体や二体なら、カイルは頻繁に目撃している。壁の外とはそういう場所だ。
 デュアトスは見た事がないのだろうか?
 もしかしたら、本当にないのかもしれない。
 魔力奉納をサボるような人間が、壁外行きをサボらない理由がない。

 オルドロスは頭を抱える。
「ああ、なんという事だ。なんという事だ! 我々は何を間違えた? 確かにバルカムに対しては与える物が少なかったかもしれない。限られたリソースの配分を考えればやむを得なかったのだ。しかし、まさかこれ程酷い事になるとは……」
 オルドロスだけではない。他のトゥルーフレアたちも絶望に満ちた表情をしていた。
「やっと認めたか。限られたとかなんとか言い訳してるが、結局おいしい所は自分たちでガメてたってわけだろ?」
 デュアトスは得意げになる。
 これは本当に酷かった。
 遠回しにバカ扱いされているのだが、自分に都合のいい言葉だけを拾い聞きしているのか、デュアトスは気づいてもいない。

 オルドロスはデュアトスとの会話を諦めて、カイルの方を見る。
「カイル君。君はどう思ったのかね」
 この流れで話を振るのはやめて欲しかった。
「ゾンビは、対処すべき脅威だと思いますけど……」
「なんだおまえ、バルカムのくせに、そっちの味方につくのか?」
 デュアトスが言って、リアムの悲鳴が聞こえた。レドヒルが何かしたのか。
 人質をとられているカイルに選択の余地はない。
「ごめんなさい。力になれそうにありません」
「そうか。そうだな……」
 オルドロスは力なく笑うと、デュアトスに背を向け、部屋の端の方に行ってしまう。
 他のトゥルーフレアたちも、中央の台座から離れて、オルドロスに続いた。
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