第14話

文字数 5,384文字

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 八時に眼がさめた。寒くてくしゃみが出て鼻をかんだ。炬燵の上には前日にコンビニで買っておいたおにぎりと牛乳パックがある。牛乳でおにぎりを流し込んだ。
 今日はひとりで動こうと思った。考えはあった。遠山芽衣と会って話を聞くことだ。だが連絡先がわからない。山本夏海なら知っているはずだが、その山本夏海の連絡先を聞いておかなかったことが悔やまれた。
 考えたがいい知恵が浮かばない。由紀が世界一有名な探偵だといったフィリップ・マーロウならこんなときどうするだろう、と考えた。もちろんわかるわけがなかった。
 時計をみた。十時になっていた。相変わらず部屋でグズグズとしていたことになる。
 入口の引き戸を叩く音が聞こえた。同時に玲奈が勢いよく入ってきた。
「起きているわね。感心感心」
 玲奈は今日も元気いっぱいだった。
「なんだよ。こんな時間に」
「もう十時よ。私なんかジョギングを終えてきたのよ」
「学校はどうしたんだ」
「今日は土曜日よ」
 ダッフルコートの下はモスグリーンのタートルネックセーターにジーンズだった。
「さあ、行くわよ」
「どこに?」
「遠山芽衣さんと会うのよ。万事において抜かりなしよ」 
 玲奈は僕と同じことを考えていたことになる。ただ、玲奈は僕よりも行動力があり、手づるがあるということだ。
「場所は?」
「いつもの店」 
「たしか、遠山芽衣と会ったことがあるといっていたな」
「一度だけ。家でね」
「なんていうか……彼女はどんな感じなんだ?」
「なによ。持って回ったいいかたをして。彼女、美人よ。それにお嬢さんね。父親は上場企業の社長だと聞いたわ。ひとり娘よ」
「彼女はひとり暮らしかな?」
「実家にいると聞いたわ」
「実家というのはどこなんだ?」
「ずいぶん熱心ね」
 玲奈がニヤリと笑った。
「記憶が正しければ恵比寿ね」
「わかった。では行くか」
「美人と聞いて急に元気が出たわね」
 玲奈がもう一度ニヤリと笑った。
「そうだ。肝心なことを聞くのを忘れていた。由紀さんのノートパソコンだが、どうだった?」
「駄目だった。くまなくみたけど参考になるような情報はなかった」
 最初からわかっていたので落胆はなかった。
「そうか。しようがないな。では行くか」
 すぐに僕たちはアパートを出た。
 コーヒーショップを眼の前にして玲奈が大きな声を出した。赤いハーフコートと赤いスカートの美人が、ちょうど店に入ろうとしていたところだった。ふたりはドアの前で立ち止まったまま、時候の挨拶からはじまって、近況の話題になり、そして由紀の事件へと話題が移った。僕はその間、陽の光でキラキラと輝く美人の髪をみていた。僕が店に入ることを許されたのは、玲奈と美人の慰めたり慰められたりのキャッチボールが終わったあとだった。
「こちらは遠山芽衣さん」
 空いているテーブル席に座ってから、ようやく玲奈が美人を紹介した。
「こちらが電話でいっていた由紀の恋人ね。影浦さんといったかしら。よろしくね」
「こちらこそよろしく」
「由紀のすべてを知りたいんですってね。理由は聞いてはいけないんでしょう」
 遠山芽衣が悪戯っぽく笑った。僕もしかたがないので笑った。どうやら玲奈があらかじめ電話で僕のことを伝えてあるようだ。
 店員がオーダーを聞きにきた。僕と遠山芽衣はコーヒーを頼み、玲奈は紅茶を頼んだ。
「ねえ、由紀とはいつからのお付き合い? このぐらいは聞いていいんでしょう」
「最近だよ」
「どこで知り合ったの?」
「それはちょっと」
「え? 聞いてはいけないの?」
「ごめんなさい。この人は私生活の話題になるとナーバスになるんです。異常体質というかなんていうか……」
 玲奈が意味不明な助け舟を出した。
「そうなの……わかったわ。いろいろと聞きたいんだけど、しようがないわね。それで私になにを聞きたいの?」
「由紀さんが君塚翔太君と付き合っていたと聞いたんだけど、君は知っていた?」
 玲奈は僕がさきに質問したので驚いた表情をした。だがすぐに納得した顔でうなずいた。この場のイニシアチブはまかせたという顔だ。
「なにを聞いても平常心でいるから大丈夫だよ。安心して知っていることをそのまま話してほしいんだ」
 遠山芽衣が僕の顔から玲奈の顔に視線を移した。玲奈が優しくうなずいた。
 注文した飲み物が運ばれてきた。それぞれがひとくち口にした。
「由紀からはなにも聞いていないんだけど、でもわかっていたわ。そういうのってなんとなくわかるのよね」
 遠山芽衣がコーヒーカップを手に持ったままそういった。
「君と由紀さんが一緒にいるところに、彼が通りかかって知り合うことになったんだって?」
「そうよ」
 遠山芽衣がコーヒーカップをテーブルの上に戻した。
「それは九月のはじめごろ?」
「うーん、そうね……たぶんそのぐらいね」
「そのあと、ふたりは付き合いはじめたらしいんだが、最初にデートの申し込みをしたのはどっちだろう?」
「さあ……知らないわ。でも、そのことが気になるの?」
 遠山芽衣が小首を傾げた。
「ごめんなさい。この人つまらないことが気になる異常体質なんで」
 玲奈が微妙な助け舟を出した。
「彼は由紀さんのほうから申し込みをしたといっているんだが、本当かな」
「さあ、彼がそういうんだったらそうじゃない」
「彼はふたりで会ったのは二、三回で、それも食事に行っただけといっているんだがね」
「私にわかるわけがないわ。そうでしょう」
 遠山芽衣が不機嫌になってきた。玲奈がそれを察して僕に代わって口を開いた。
「芽衣さんは姉からなにか相談はなかったですか? たとえばストーカー被害に遭っているとか」
「ないわ」
「困りごととかの相談はどうです?」
「うーん、特にないわね。ごめんなさいね」
「いや、いいんです。ところで、姉がほかに付き合っていた男性を芽衣さんは知りませんか?」
「君塚翔太君以外ってことね」
「はい」
「私は聞いたことがないわ」
「そうですか」
「彼がいうには、由紀さんと別れたのは十月のなかごろらしい。別れを切り出したのは彼なんだとさ」
「そうなの」
 僕がまた質問をはじめたので遠山芽衣の不機嫌が復活した。
「なんでも、その理由がほかに好きな彼女ができたからだというんだ」
「知らないわよ」
 尖った声になった。玲奈がハラハラしている。遠山芽衣が玲奈に断ってトイレに立った。
「なんで怒らせるのよ」
 玲奈が口を尖らせた。
「そういうつもりではないんだけどな。ただ真実を知りたいだけなんだ」
「だからといって怒らせることはないでしょう」
「君に頼みがある」
「なによ」
「彼女が戻ってきたら、今度は君がトイレに行ってくれないか。できればすぐに戻ってこないでほしい」
「なんで?」
「わけはいまいえない」
 玲奈が睨んだ。
「頼むよ」
「わかった。だけど条件があるわ」
「なんだ?」
「わけをあとで必ず話してくれると約束してくれたらね」
「約束した」
 遠山芽衣が戻ってきた。口紅が塗り直されているような気がする。気分転換か。約束どおり玲奈が遠山芽衣に断ってトイレに立った。
「気に障ったら謝るよ。ただ真実を知りたくてね。どうもわからないことが多いんだよ」
「なにが?」
「君塚翔太君は由紀さんのほうからデートの申し込みをしたといっているんだが、それは逆だといっている人もいるんだよね。つまり彼のほうから申し込みをしたんだと」
「その人はだれ?」
「ある人なんだがね。君はどう思う?」
「知らないわ。由紀にも彼にも聞いたことがないから」
「君も入れて三人で食事をしたこともあるんだって?」
「ああ、そんなこともあったわ。一回だけね」
「それと、由紀さんに別れを切り出したのは本当に彼のほうだと思う? それは逆だといっている人もいるんだよね」
「だからだれよ。そんなことをいう人は」
「君は君塚翔太君と付き合っているんだろう。それとも付き合っていた?」
「なんでそんなことをあなたにいわなければいけないの。どっちでもいいでしょう」
「もしそうなら、時期はわからないが、彼は由紀さんと付き合い、そして君とも付き合うという微妙な三人の関係になるね。違うかい」
「知らないわよ。あなたには関係ないでしょう」
「それはそうだ。失礼した。ところで、犯行のあった日、由紀さんがコンビニのバイト帰りに会った友達というのは君じゃないのか」
「そうよ。私よ。それがなにか?」
「その日、つまり十一月十日の午後十時半から十一時半だが、君はどこにいたんだい」
「もしかしてアリバイ?」
「まあ、そうかな。ちょっと興味があるんでね」
「失礼ね。私を犯人扱い?」
 完全に怒らせたようだ。
「そんなことはない。君には犯行は無理だ」
「あたり前よ」
 遠山芽衣が席を立とうとしている。絶妙なタイミングで玲奈が戻ってきた。玲奈が椅子に座ると同時に遠山芽衣が立ち上がった。
「玲奈ちゃん、私帰るね。ごめんね」
 遠山芽衣が僕をひと睨みして背を向けた。
「なにをしたのよ」
 今度は玲奈が僕を睨んだ。
「なにもしないさ。ただ質問をしただけ」
「あんなに怒らせちゃって。どう責任を取るつもりよ」
「申し訳ない」
「申し訳ないですまないわよ」
「怒るなよ」
「いいわ。今度なにかで埋め合わせをしてもらうから。それで例のこと、さっき約束したこと、忘れていないでしょうね」
「聞きたい?」
「もちろん」
「実は、遠山芽衣があまりにも美人なんで、交際できないかと思ってね」
「はあ?」
「交際してほしいって申し込んだんだよ。だけど体よく断られた」
「バカじゃないの」
「なんでだよ」
「最低」
 玲奈が立ち上がった。僕を睨みながら、バイバイといって店を出て行った。

 飲兵衛の相手でフル回転した体は、アパートに帰ってから悲鳴をあげた。そんな体を癒してくれたのは、炬燵とコンビニで買った豆大福とペットボトルのお茶だった。
 豆大福を半分食べたときだった。背中がザワザワとした。入口の引き戸の横に安西由紀がいつものナリで登場した。
「今日は私の写真をみていないのね」
 そういうと、安西由紀は立っていたところに座り、両膝を抱えた。
「もう充分にみたさ」
「ちょっと、それは豆大福でしょう」
 手に持っていた半分食いかけの豆大福を安西由紀が指差した。
「そうだよ」
「私の好物よ」
「それは申し訳ない」
 僕は慌てて残りの豆大福を口に入れた。そのとたん、喉に詰まり、むせた。
「なにをしているのよ」
 安西由紀の声を聞きながら僕は慌ててペットボトルのお茶を飲んだ。それでまたむせた。
「ドタバタしないで今日あったことを報告してちょうだい」
 ペットボトルのお茶をもうひとくち飲んだ。なんとかおさまった。
「遠山芽衣に会った」
「芽衣に?」
「ああ、妹と一緒だ」
「なるほどね。ひとつひとつつぶしていくのね」
「そういうことだ」
「それで、彼女元気だった?」
「ああ」
「彼女、美人でしょう」
「ああ」
「ああ、ばかりね。なにかあったの?」
「彼女を怒らせてしまった」
「なんで?」
「ちょっとね。妹も怒らせてしまった」
「なんで?」
「もう高校生に探偵ごっこをやらせるわけにはいかないんでね」
「簡単には引き下がらないわよ。彼女、しつこいから」
「それはわかっているが、勉強という本業に戻ってもらわないとな」
「ひと筋縄ではいかないと思うけどね。まあ、いいわ。それで芽衣の疑いは?」
「彼女もシロだな。力もないようだし。犯行は無理だろう」
「というと、いまのところ容疑者はゼロか……完全に手詰まりね」
 それをいえば最初から手詰まりだった。
「なにかいった?」
「いや、なんでもない」
「やはりあなたがいったように、通りすがりのイカれた女の仕業かもね」
「女を男に置き換えれば、警察の考えもそうなんじゃないのかな」
「ちょっと待って。警察で思い出したけど、第一発見者のことを刑事さんに聞いたんでしょう?」
「ああ、聞いたよ。でも、君に話したけど興味がないといって聞く耳を持たなかったよな」
「そういうことは覚えているのね」
「まあね。それで?」
「その第一発見者にあたってみたらどうかしら」
「残念だがそれは無理だ。君が住んでいたマンションの住人としか聞いていない。だからあたりようがない」
「刑事さんに聞いたら教えてくれるかな」
「無理なんじゃないかな」
「あたってみる価値はあると思うんだけどなあ。ねえ、なんとかならない」
「無理をいうなよ」
「やはり気になるわ。なんとかして」
「おいおい」
「四の五のいわずにまず動くこと。そうすればおのずと考えはついてくるものよ」
「だれの格言だ」
「私の」
「だけど、なんでそこまでこだわるんだ」
「知らないの。第一発見者を疑えはミステリーの基本よ」
「現実は違うさ」
「ちょっと待って。母なら知っているかも」
「お袋さんが?」
「母の気性からいって、そのときの状況を知りたいと思うに決まっているもの。だから会って話を聞いていると思う」
「そうはいってもおいそれとは警察も教えないだろう」
「ああみえても警察上層部に顔が利くのよ。だから絶対に手を回して聞いているはずよ」
「そうかな……」
「明日は日曜日?」
「そうだ」
「朝の九時なら家にいるはずよ」
 僕がうんというまでテコでも動かないだろう。ここは大人の対応をするしかないか。
「わかったよ。駄目で元々。明日お袋さんに聞いてみるよ」
「よろしく」
 このあと、実家の電話番号を聞いた。安西由紀は満足したのか、すぐに消えた。
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