第3話 頭の中の私

文字数 845文字

 ここにコップがある。
 われわれは、ただそれを、コップと認知しているだけだ。べつに、これはコップではない、という人がいたところで、地球がひっくり返るわけでもない。

 ここに私がいて、貴方がいる。これは事実らしいが、「いない」という人がいたからって、その人が異常とも限らない。むしろ、ここにいる、と思っている私のほうが、間違っているのかもしれない。

「何がホントなんだろうね」老人と私は笑い合う。「ホントに分からないわねえ。難しいねえ」と老人がにこやかに笑う。私も同意する。
 まじめな職員は、私に厳しく言う。「一緒に分からなくなってどうするんですか」
 私だって、大まじめなのに。

 人が、できないことを、手伝う。おむつ交換、入浴、食事の介助…わざわざ仕事と思うこともない。

 みんな、わけわからず生きているのに、わけがわかったようなフリをして、わけのわからない人に、わけをわからせようとする。そんな人たちは、カミサマかホトケサマで、人間でないように思う。
 彼らから見れば、私は遊んでいるように思われる。私は、ただ、老人と、あるかないかの、同じような景色を見ているのが好きなのだ。

 生きているだけで、大変なことだ。若者も老人も、変わらない。大金持ちも、大貧乏人も変わらない。生きている、それだけで、大変なことなのだ。
 ただ、こちらは何か判断…マットウ、といわれる判断ができ、身体も動く。比べてしまえば、それが「違い」なだけで、それ以上にたいした差異はない。できること、できないことは、万人に共通する。手助けし、手が届かなければ、せめて心助けするだけ。

 赤ン坊が、たすけられて大きくなるように、老人も、たすけられて、この世からあの世へ旅立つ。なるべく笑って、おだやかな心で、この世の日々を暮らしてほしい。
「間違いは、正さなければいけない」「認知症を進めるような介護はダメ」まじめな人から見れば、私はそのように見られる。これでも、何が善で何が悪か、何が正しく、何が間違いか、分かっているつもりなのだけれど…
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