第10話:ソニーと任天堂のゲーム機戦争

文字数 2,462文字

 1990年に入りソニーに桜木健という、ちょっと風変わりな先輩がいてデジタルとゲームとエンタテインメントを融合させたものが近い将来ヒットすると若手の飲み会の席で発言するようで、その飲み会に成宮賢もソニー社内の友人に誘われて参加した。その時、桜木健も成宮賢がソニーがコロンビア映画の買収の調査に行った優秀な男というソニー社内での噂を聞いていて話しかけた。

 まず桜木が現在、日本では1983年に発売された任天堂スーパーファミリーコンピューターがゲーム市場を席巻しているがソニー技術を使えば、もっとクリエイティブで高次元のゲームコンピューターをつくれると言った。桜木はデジタル時代の到来を予見しゲームは将来のエンターテイメントの中心になると成宮賢に熱く語った。どう思うと聞かれた成宮賢は技術的には確かに可能かもしれないが自分には、ゲームそのものについての知識が少なくて、うまくイメージできないと言った。

 どうだ俺とプロジェクトに参加しないかと誘われた。それに対し、そのプロジェクトは、ソニー社内で承認された話なんですかと聞くと、いや、まだだ。これから交渉開始だと笑いながら言った。それから数週間後1991年が明けて1991年3月、突然、桜木から成宮賢に電話がかかってきて、これはまだ内密な話だがと前置きして今後ソニーの総力を結集して最高のゲームマシンを作る。

 そのためにスーパーファミコンの周辺機器としてソニー製のCD-ROMアダプタを採用するという確約を取り付けたというホットニュースを教えてくれた。ただし、これは、まだ企業秘密なので絶対に漏らすなと言明された。了解しましたと答え電話を切った。しかし1991年6月、任天堂はソニーとの契約を突然破棄し、
「スーパーファミコンのCD-ROMアダプタはフィリップスから発売される」という発表をした。

 この任天堂の突然の裏切りはCD-ROMのライセンス料を全てソニー側が得る契約だったからとか最初からCD-ROMを採用する気は何くライバル・ソニーへの牽制のためのハッタリだと判明。この任天堂の行動に桜木氏は激高し自分達だけでゲーム業界に参入する決意を固めた。しかし、ソニーの経営会議では役員全員がゲーム業界参入を諦める方針を打ち出した。

「ソニーが負けていい相手は、悔しいけど松下だけ」
「任天堂など京都の花札屋に万が一負けたらどうするんだ!」という、つまらないプライドがあった。桜木は成宮賢が以前、大賀社長からアメリカの映画会社を調査せよと命じられ事を調べ上げていて大賀社長にプレイステーション開発を許可してもらうために成宮賢を同行させて2人の必死の説得により大賀社長は任天堂と縁を切った後もプレイステーションの開発は継続された。

 プレイステーションの特徴の一つがソフトをCD-ROMで提供していたことです。当時のゲーム市場を制覇していたスーパーファミコンのソフトは製造費用が高いROMカセットでした。そのため1本1万円を超えるソフトも珍しくない。これに対しCD-ROMは製造費用が格段に安く抑えられるためプレイステーションソフトは1本5800円程度で販売できた。価格の安さは、ユーザーにとって非常に魅力的。

 プレイステーションの普及にはこのCD-ROMの恩恵が大きかった。しかしゲームソフトにCD-ROMを採用したのは、何もプレイステーションが初というわけではない。3DOやセガサターンといったライバル機も同じくCDだし、もっと遡れば1988年に世界初のCDをメディアにしたPCエンジンCD-ROM2が発売された。

 だからCDのメリットはプレイステーション特有のものではない。ですがソニーは昔から音楽CDを取り扱ってきた会社。それ故にCD生産の設備や効率化、流通網が確立されていた。これはライバル会社にはない強み。CDのメリットを最大限に活かせたことが、プレイステーションの躍進に繋がった。またCD-ROMには大容量というメリットがある。

 スーパーファミコンソフトは最大でも48メガビット・6メガバイトしかなかった。しかしCD-ROMの容量は約700メガバイトと、その差は実に百倍以上、プレイステーションが3Dに特化したゲーム機を実現できたのは、 この大容量おかげだ。しかしソフトメーカーは任天堂を恐れソニーへの協力を拒んだ。大手メーカーとしては唯一ナムコがプレイステーションに興味を示してくれた。

 スーパーファミコン開発当初、ソフトに多額のロイヤリティを払った。だがスーパーファミコンがゲーム機で一人勝ちになると、そのロイヤリティの分を撤廃した。任天堂ファミコンが普及したからナムコはもう用済みになったと受け取られ、激怒して、ソニーに協力してくれるようになりリッジレーサーや鉄拳といった主力タイトルをプレイステーションへ提供した。

 そして初期のプレイステーション市場を盛り上げた。当初、当時のゲームはまだまだ2Dが主流でゲームに3Dを持ち込むのは時期尚早と思われていて、ほとんどのメーカーは興味を持たなかった。ところが任天堂のライバル、セガがバーチャファイターを発表しバーチャファイターは3Dでの格闘ゲームを実現した。

 キャラクターが滑らかに動き回るその映像はゲームの新時代を感じさせた。バーチャファイターを見た多くのゲームクリエイターは3Dでもゲームが作れるということに驚愕し、その結果、様々なメーカーがプレイステーションに参入を表明した。任天堂やセガなどはサードパーティ参入を拒み大手ゲームメーカーの供給を受けた。

 その点ソニーはとにかく多くのサードパーティーに参入を促した。例えば、他社のゲーム機の開発機材は数百万から一千万円以上するのが普通だが、プレイステーションではこれを150万円程度に抑え参入へのハードルを低くした。しかもソフトは製造コストの安いCD-ROMのため サードパーティーは製造委託費を安く済ませられた。
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