第11話:ソニーの勝利、その後、任天堂が逆転

文字数 2,870文字

 更にソフトは既存のソニー・ミュージックエンタテインメントのCD工場で行われていたため、リピートが迅速に行え機械損失を防げた。ハードのデザインや宣伝に気を使い今まで子供のおもちゃとしか見られていなかったゲーム機を大人でも楽しめるというイメージを与える事でユーザー層の拡大を狙った。中でもファイナルファンタジー7・スクウェアの発売はプレイステーションを大きく盛り上げた。

 ファイナルファンタジー7の移籍発表後、 更に多くのサードパーティーがプレイステーションにソフトを提供するようになり、ドラゴンクエスト・エニックスのプレイステーションへの移籍発表がダメ押しとなり、市場の流れは完全にプレイステーションのものとなった。最終的なサードパーティー数はなんと500社以上。

 その結果、ソニーはゲーム業界では新参者であるにも関わらず 膨大なソフトラインナップを獲得できたのでした。結果的にプレイステーションはライバル機、任天堂64を抑えトップハードの座を獲得、ゲーム史上において、初めて任天堂に勝利したハードとなった。ゲーム市場の頂点に立ったプレイステーション。しかし桜木の野望はこれで終わってなかった。

この当時、ネットバブルでハイテク株が急上昇しているのを見て成宮賢はソニーの持ち株4400株を1999年12月28日大納会の日に16000円で売却し5380万円を手に入れ資産が1億円となった。この後、後継機プレイステーション2を発売しソニーはゲーム市場で更に勢力を拡大する事を目指した。プレイステーション2はプレイステーション以上の圧倒的な普及を見せた。

 ドリームキャスト・セガ・ゲームキューブ・任天堂・Xbox・マイクロソフトといったライバル・ハードを蹴散らした。しかしプレイステーション2はハード売上げこそ前世代機を上回っていたがソフト売上げでは下回っており市場規模としてはプレイステーション時代から大きく減少した。プレイステーション2は圧倒的な勝者であったが、その実、かつての勢いは失われた。

 開発費高騰やソフトのマンネリ化でユーザーが離れた。しかしソニーはそれに目を向けようとはしなかった。その問題が表面化したのが2004年12月発売のソニーPSP。これは携帯ゲーム機とは思えない程の高性能なハードでしたがソフトには目新しいものは何もなく普及は進真無かった。日本ではモンスターハンターが大ヒットして一定の市場を築いた、

しかし海外でのヒット作は皆無でユーザーからも小売からも全く相手にされていなかった。そんな中、任天堂はDSでゲーム人口拡大を目指した。脳トレなどで今までゲームを遊んでこなかった人達をもターゲットにし市場を大きく拡大する事に成功。結果、任天堂DSはソニーPSPを圧倒する普及を見せソニーはゲーム市場において初めての敗北した。

 その後、2006年、プレイステーション2の後継機としてプレイステーション3を発売したが2006年の任天堂のWiiの後塵を拝し、ソニーはまたしても任天堂に敗れた。更にPSPの後継機2011年のソニーVitaに至っては歴史的大失敗。また、ここで話題をアメリカのスティーブ・ジョブズに戻してみよう。スティーブ・ジョブズが1986年はじめ突如、アップルを退職しピクサー・アニメーション・スタジオを1千万ドルで買収した。

 ピクサー買収のニュースがアメリカ中を駆け巡った。買収額の1千万ドルの内訳はジョージ・ルーカス自身に500万ドル、ルーカスフィルムに500万ドル、その会社をピクサーとして1986年2月3日に独立会社とした。買収の背景としてルーカスフィルムが7年間に及ぶCG作成ツールの研究に拠る現金流出を止めたかった事。

 ルーカスフィルムの視点がCG作成ツールより、むしろ映画制作に移っていた事とルーカスの離婚慰謝料の支払いがあった。ジョブズは買収資金として退社したアップルの株を売り払った資金の一部を流用した。独立当時のピクサー経営陣は、エドウィン・キャットマル・社長兼CEO、アルビー・レイ・スミス・エグゼクティブ・バイス・プレジデント兼制作監督。

そしてスティーブ・ジョブズは会長となった。スティーブジョブズの考えはアニメーションスタジオをつくる事ではなくアップルに対抗する次世代の家庭向けコンピュータをつくることにあったようだ。こうしてピクサー・イメージ・コンピュータを販売する事業として新たなスタート
を切ったが思うように売れず赤字が続いた。

 そのためスティーブジョブスが5400万ドルもの大金を自分のポケットから会社に注いで何とか存続できるような状況だった。そこでピクサーは大きく舵をきることになります。ハードウェアの販売をやめ違う領域に向かう事を決めた。次に向かう領域が何か、また自分の会社を支えられるかをわからない。

 この大冒険に踏み切った訳は、ただひとつ自分たちが最初からやりたかった事を徹底的に追求する決意だった。その後、CGアニメーションで活路を見出そうとしたピクサーはジョン・ラセターの作った短編アニメやCMなどでクリエイティブな賞をとる事で実績を作り、遂に、あのディズニーからピクサーが長編映画を作りディズニーのものとして配給したいのだが協力して
欲しい言われた。

 出来た作品がトイストーリー。今迄ピクサーに口出ししなかったスティーブ・ジョブズが素早く動きトイストーリーを公開する前に株式を公開を決定。ジョン・ラセターとキャットムルは「いや。とりあえず2、3本獲ってからにして下さい」と反対した。しかしジョブズは駄目だ、今やるんだと決めた。これにはジョブズのトイストーリーがヒットすればピクサーをディズニー
が怖いライバルだと感じパートナーとして買収するはず。

 そうすれば有利な条件で契約できると言う戦略があった。そしてトイストーリー公開の1週間前、1986年2月3日にピクサーの株式を公開。ピクサー初の映画が興行収入記録を打ちたて、株式公開により1億4千万ドル近い金額を調達した。そしてジョブズの思惑通りディズニーから契約を見直しピクサーと提携関係を結びたいとの話があり半々という条件も了解させた。

 ジョブズは更にジョンラセターとキャットムルにディズニー・アニメーションとピクサーの両方の経営を任せると言った。その当時、低迷していたディズニーは、その後、キャットムルを中心に抜本的に制作体勢を見直し「塔の上のラプンツェル」「アナと雪の女王」の大成功で盛り返した。

 試写会を終えた後のジョブズが控えめに自分は映画に関しては素人だから、全く無視してもらっても構わないがと前置きし、するどい感想を述べ、更に続けて
「ジョブズはピクサーの社員に生まれ変わったらピクサーの映画監督になりたい」と漏らした。 ジョブズとピクサーの関係は知られてないが監督たちと太い絆で結ばれていてジョブズにとってピクサーは特別な存在だったようだ。
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