第3話:ジョブズの子供時代

文字数 3,608文字

 奇しくも同じ年の同じ日1955年2月24日、アメリカではスティーブ・ジョブズがシリアからの留学生で政治学を専攻する大学院生アブドゥルファター・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シーブルとの間に生まれた。ジョアンの父がイスラム教信者のシリア人である政治学者・アブドゥルファターとジョアンとの結婚を認めなかったため、誕生以前から養子に出すことに決められていた。

ジョブズはポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻に引き取られることになった。母であるジョアンはジョブズ夫妻が大学卒でないことを知り養子縁組を躊躇「ちゅうちょ」していたがジョブズ夫妻がジョブズを大学に進学させることを約束したために養子縁組が成立した。スティーブジョブズは自分が養子だということを小さい時から知っていた。

 両親は、そのことについてとても開放的だった。6歳か7歳のころ向かいに住む女の子に
「本当のお父さんとお母さんはあなたをいらないって思ったの?」と聞かれ泣きながら家に駆け込んだことがあるとジョブズは語る。その時、
「両親は真剣な表情で、私たちはあなたを選んだのと繰り返し語りかけた」。
「捨てられた、選ばれた、特別」このような観念はジョブズの血肉となり自分自身の捉え方に大きな影響を与えたと友人は語る。

 「生まれたときに捨てられた」この事実はジョブズの中の傷となって残っていると同時に、環境をコントロールしたい製品は自分の延長だと考えることに繋がっているのだろう。ポール・ジョブズとクララ・ジョブズを
「養親だと言われたり、本当の両親でないと言われる」と、スティーブは激怒する。

「2人は1000%僕の両親だ」と。これに対して血のつながっている両親の扱いはひどい。
「僕を生んだ精子銀行と卵子銀行さ、別にひどい表現だとは思わない」。事実そうなんだからと。育ての親であるポールはシリコンバレーで機械工作や車の修理の仕事をしていた。そのため、ジョブズは父親の影響を強く受けて育った。

 当時の父親についてジョブズはこう語る。
「親父はデザインの感性が鋭いと思った」。なんでも作れたんだ、戸棚が必要なら親父が作ってくれた。
「柵を作った時は、金槌で打たせてくれたなぁ」戸棚や柵を作る時は見えない裏側までしっかりと作らなければいけない。この父親の教えが後にジョブスが開発する製品に生かされているのだろう。

 シリコンバレーで育ったジョブズはポールだけでなく周囲の大人からも影響を受け、この頃から自分も参加したいと考えるようになった。
「太陽電池とか、バッテリーとか、かっこいい仕事をする人がたくさんいて、そんな人達に質問しながら僕は大きくなっていったんだ。」と、ジョブズは語る。

 そんな中、ジョブズにとって忘れられない事件が起こる...カーボンマイクとアンプの関係についてジョブズは父親の間違いに気づいてしまうのだ。それまでジョブズは父親はなんでも知っていて、知識や能力を単純にすごいと思っていた。ジョブズはこの事件を今でもはっきりと覚えているという。
「父親はなんでも知っているわけではないと知った瞬間」であり、
「自分は両親よりも頭がいいと気づいた瞬間でもあった」からだ。この事件についてジョブズはこう語る。
「あれは重大事件として僕の心に焼き付いてる。両親より頭が良いとわかった時、
そんな事を考えるなんてと、とても恥ずかしく感じた。あの瞬間は忘れられない」
 しかし、そう思っていたのは、ジョブズだけでなく両親も同じだった。

 両親はジョブズを愛しており同時に頭が良く我の強い息子に自分たちが合わせなければと考えた。そのため両親はジョブズが必要とするものはすべて与え特別な人間として扱おうと様々な努力をしていた。その事にジョブズ自身も気づいていたそうだが、ジョブズは当時についてこう語っている。両親は2人とも僕を理解してくれた。

「僕が普通の子じゃないとわかって大きな責任を感じたんだ」。
「新しいものに触れられるようにいろいろと工夫をしてくれた」し、
「いい学校に行けるように努力をしてくれ、僕のニーズを尊重してくれた」
 このようにジョブズは、捨てられたという感覚だけでなく、自分は特別だという感覚も持って成長していった。

 そんなジョブズの為に決して裕福とは言えない家庭であったがポールは必死に働いた。ポールは走らなくなった車を50ドルで買い何週間かかけて直して250ドルで売ってジョブズの学費を稼いでいた。ジョブズは小学校に入学した。自宅から4ブロックはなれたモンタ・ロマ小学校だ。文字は小学校に上がる前に母親に教えてもらっていたせいか低学年のころは退屈でいたずらばかりする問題児であった。

 ここでジョブズの権威に弱いタイプでない事が明らかになった。この頃のことをジョブズは「これまでとは比べ物にならない程多くの権威に直面、嫌だったねぇ」。
「危うくつぶされる所だったよ。好奇心の芽を全部つまれてね」と話している。
 退屈な学校をジョブズはいたずらで紛らわせていた。

 学校にペットを持ってこようというポスターを作って、あちこちで犬や猫を走らせて先生を困らせたりもした。友達から自転車の鍵の番号を聞き出し、そっと抜け出して鍵の番号を変えて自転車にのれないようにもした。3年生になるといたずらはエスカレート。女の担任の先生の椅子の下に爆薬を仕掛けてみたりもした。当然ジョブズは何度か家に帰されることがあった。

 学校からなにを言われても父親はジョブズを責めなかった。この子が悪いんじゃないでしょう。授業を面白いと思えないのは先生方の問題ですと父親は言った。ジョブズも
「学校で何かしたからといって怒られた記憶はない」と話している。4年生になるとイモジーン・ヒルという活発な女性が担任になった。

 彼女はジョブズの様子をしばらく見た後、
「この子には、にんじんをぶら下げるのがいい」と考えた。彼女は算数の宿題をジョブズに出し、それをやってきたら大きなアメをあげると言った。そして、できが良かったら5ドルあげると言った。これはジョブズには効果的であったようで、数ヶ月すれば、にんじんはいらなくなったようだ。

 「あの先生ほど多くを教えてくれた先生はいない」。
「彼女と出会わなければ僕は刑務所行きだったよ」とジョブズも話す。4年生の終わりにジョブズに特別なもの を感じたヒル先生が知能検査を受けさせたところ高校2年レベルの成績が出た。学校から2年の飛び級を進められたが両親が心配した事によって1年だけ飛び級した 。

 この飛び級はジョブズにとってつらいものになった。年の違う子供たちの間に放り込まれ孤立した。しかも6年生からは中学になり学校も変わった。この学校は移民が多く治安が非常に悪かった。ここでジョブズはいじめられる事が増え7年生の半ば、遂に両親に最終勧告を告げた。
「もっといい学校に行かせてくれ。駄目なら、もう学校には行かない。」
家庭はかつかつであったが、両親はジョブズの要求をけることはしなかった。

 そしてジョブズ家は5キロほど離れたサウスロスアルトスに引っ越していった。中学を卒業したジョブズはホームステッド・ハイスクールに進学。学校までは15ブロックほどあったが歩くのが大好きだったジョブズは歩いて登校した。この頃のジョブズのいたずらはエレクトロニクス系が多くなっていた。家中にスピーカーを設置したこともある。

 スピーカーはマイクとしても機能するので自室のクローゼットを制御室として別室の音が聞けるようにした。ある晩、ヘッドフォンをつけて両親の寝室の様子をうかがっていたところを父親
に見つかって大目玉をくらったこともあるそうだ。この頃、ジョブズは近くに住むエンジニア、ラリー・ラングのところにもよく通うようになっていた。

 夢中になったカーボンマイクやヒースキットについてラングに教えてもらった。ラングの紹介で「HP社の探求クラブ」にも参加するようになった。探求クラブとは毎週火曜の夜に会社の食堂で学生が15人ほど集まり、毎週どこかの研究所からエンジニアを呼び、どんな仕事をしているのか話を聞く会であった。

 「天国にいるようだったとジョブズは言う」。探求クラブでは自分でものを作ることも推奨されておりジョブズは周波数カウンター作っていた。この事がきっかけになりジョブズはHP社の周波数カウンター工場でアルバイトをはじめるようになった。この周波数カウンターの知識を武器にジョブズは様々な商売をし、15歳の時にはじめて自分の車を手に入れた。

ナッシュメトロポリタン
「自分でお金を稼いで、貯めてなにかを買うってのは素晴らしいと思ったよ」
とジョブズは話す。
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