第7話:3.5インチFPD販売終了

文字数 3,286文字

 ソニーが作ったIT業界でもっとも有名な規格は3.5インチフロッピーディスクだ。ソニーが3.5インチFPDの販売を終了したのは2011年3月末。当時、既に多くの会社が販売を終了していたが開発会社の撤退には特別な意味を感じた人が多かった。3.5インチFPDを初めて見たのは1982年、ソニーSMC-70の製品発表会会場。

 SMCー70は8ビットCPU「Z80]を搭載したPCで当時としてはグラフィック機能に優れたソニーらしい製品であった。その後、ソニーはSMC-70の改良型普及機SMC-777を投入し、MSXパソコンとともにHotbitブランドを展開した。MSX・Hitbitのイメージキャラクターは松田聖子で「私よりちょっと賢い」というコピーが使われた。

 「松田聖子よりもちょっと賢い位じゃ大したことないな」という軽口が叩かれたものである。SMC-70発売当時、私は大学生で発表会のあとも残ってエンジニアの方にいろいろ質問していたら3.5インチフロッピーディスクを1枚くれた。このフロッピーディスクは、後にSMC-777を買った後輩に上げてしまったのだが、今思えば残しておくべきだったと後悔してる。

SMC-70に採用された3.5インチフロッピーディスクはシャッターを開くための切り欠きと、シャッターを自動的に閉じるためのスプリングがついていない。そのため手で開いてからドライブに挿入する必要があった。SMC-777の頃にはシャッターの自動開閉機構が追加され、スプリングとシャッターを固定する切り欠きが追加された。

 後輩はカッターナイフで削って切り欠きを作ったようだ。当時のフロッピーディスクは1枚千円したはずなので学生にとっては大事な1枚だった。SONY DSC SMC-777以降のフロッピーディスクにはシャッターを自動的の閉じるスプリングとシャッターを開けたまま固定する切り欠きがある。

 SMC-777は内部にCP/M1.4互換のOSを搭載していたが当時主流だった2.1とは互換性がなく、あまり大きな意味はなかった。一方、内蔵BASICは非常にユニークなものだった。たとえばユーザー定義関数に名前を付けて再帰呼出しを行うことができた。設計者はLispの心得があるようで関数定義内での変数代入命令はSETQだった。

  SETQはLispの関数でQは直後の引数を評価しない「変数名として扱う」quoteの意味である。ベーシックでquoteには何の意味もないので「SETQのQって何やねん」と仲間内で笑い合っていた。私の勤務先は、プロフェッショナル向けコンピュータ教育会社だ。3.5インチフロッピーディスクの用途は主に2つあった。1つはPCのセットアップ用だ。

 システム管理作業の演習を行なうため講習会の前日には人数分のパソコンをセットアップする必要がある。MSDOSとネットワーククライアントを組み込んだ3.5インチフロッピーディスクから起動することで、サーバーからOSイメージをダウンロードしてインストールを行なった。その後、FDイメージをネットワークに置き仮想FDから起動するシステムを構築した。

FDイメージの作成には仮想パソコンの仮想FDを使えるので、物理FDを使う必要はない。ただしWindows Vista以降は16ビットDOSベースのセットアッププログラムが存在しないため、FDからMS-DOSを起動してセットアップする事はできない。セットアップにはWindowsのサブセットである「Windows PE」をDVDまたはCDあるいはネットワークから起動する必要がある。

現在は、Windows Server標準のWDS「Windows展開サービス」を利用し、ネットワークブートしたWindows PEからセットアップを自動的に行っている。もう1つは演習中に作成したファイルを持ち帰ってもらうためだ。演習とはいえ、講習会によってはかなり複雑なシステムを構築する。持ち帰って復習したいのは当然だろう。

 こちらの用途では、3.5インチフロッピーディスクほど安価なメディアは見つかっていない。教室のパソコンはCD-Rが使えるが、演習用OSによっては書き込み機能が備わっていない。一般的にはUSBメモリということになるのだろうが、フロッピーディスクほど安価ではない。受講者が持ち込んだUSBメモリを使うことは可能だが、USBメモリの使用が会社で禁止されている場合もある。

 また、都合良くUSBメモリを持ち合わせていない場合も多い。Webベースのストレージ機能や電子メールを使って自分に送るのが現実的なところであろう。幸い、一部の教育コースを除き、演習環境はインターネットに接続できる。英文ワープロを発表した翌年の春、他社製品に使ってもらうコンポーネントとして3.5インチ・MFD用ドライブの外販ビジネスが始まった。

しかし、社内ではSONYの4文字の付かない製品づくりへの抵抗がなかなか消えなかった。
「一人ひとりの意識を変えていかねば」。1983年4月に、コンポーネント・ビジネスがシステム開発部から独立して「メカトロニクス事業部」として発足すると、事業部長となった加藤は、OEMビジネスに情熱を持てるようなカルチャーと価値観をメンバーが身につけるよう、環境づくりを心がけた。

 そんなある日、成宮賢たちの所に思いがけない申し出があった。何と一大ハイテク開発ゾーンとして名高い米シリコンバレーの中でも先生と尊敬されているコンピューター・計測機器メーカーのヒューレット・パッカード社が
「我々のパソコン、君たちの3.5インチ・MFDでやりたい」と1982年に言ってきた。

 彼らの要求を反映させた3.5インチ・MFD用ドライブの開発をともに進めていく。彼らはすごい教え魔だった。次第に、生徒であるソニーと、先生であるヒューレット・パッカード社の技術者の間には、強い絆が生まれた。その信頼関係の中で、3.5インチ・MFD用ドライブは
鍛え上げられ、コンピューター・メーカーの使用に耐えられる性能のものへと育っていった。

 その後、他社からも似た様なフロッピーディスクが多く発表され、激しい標準化競争が始まった。まず日本でソニーの発表から遅れること1年、松下電器・日立製作所・日立マクセルの3社が「コンパクト・フロッピー」という3インチの競合規格をぶつけてきた。ソニーはこの別規格を大歓迎。なぜなら彼らのものは同じプラスチックケース入りで3インチ、記憶容量は半分。

もうこれで、なぜプラスチックケースに入れたのかを説明しなくて良くなるし、対抗馬が出たお陰で、こちらの性能が優れているか説明しやすくなったと強気だった。3.5インチ、3インチに続き、3.25インチ、4インチなどの新しい規格が次々に発表され、乱立模様だったが、結局、最後まで残ったのはソニーの35インチと松下連合の3インチ。

 しかしソニーは強力な味方を得た幸運と根本的な仕様の良さで苦しい標準化競争を勝ち抜いた。アメリカ、日本でそれぞれ標準規格として認められ、ついに国際規格として各国の規格の追従を勧告指示するISOの認定規格となり、1984年夏に晴れて「国際規格」としてのお墨付きをもらった。国際標準化の進む中、3.5インチMFDはヒューレット・パッカード社に続き、急成長する新進気鋭の米コンピューター・メーカーのアップル社にも採用された。

 彼らの
「薄くて低価格のドライブを我々のパソコン用に量産供給してほしい」という要求をきっかけにフロッピーディスクドライブの自動化生産ラインがオーディオ・システム・ソニー・コンポーネント千葉で稼働し量産技術も鍛え上げた。やがて米アイビーエムも自社のPSシリーズへの3.5インチ・MFDの採用を決定。名だたるコンピューターメーカーとのOEMビジネスの成功の連続は、3.5インチ・MFDの信頼性の高さを証明した。
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