第5話:就職活動とウォズニアックの再会

文字数 3,898文字

 1974年ジョブズはロスアルトスの実家に戻って仕事を探した。
「楽しく金を儲けようというキャッチコピーに惹かれ」、
「ビデオゲームメーカー、アタリ社を訪問」し、ぐしゃぐしゃの髪とよれよれの服に驚く人事部長に対して雇ってくれるまで帰らないと宣言。この時ジョブズに対応したのは当時のチーフエンジニア、アル・アルコーンであった。
「ヒッピーみたいな奴が来てる。お巡り呼ぶかい?」と言われたがアルコーンは中に通して話を聞いた。これがきっかけとなりジョブズは50人しかいないアタリの社員になった。

 しかし、この頃のジョブズは果実中心の食事で変な粘液がでないだけでなくシャワーやデオドラントを使わなくても体が匂わないと信じた。しかし匂いはひどく、おまけに誰、彼、構わず大バカやろうとこき下ろしたので、周りの従業員にひどく嫌われ夜勤に回された。

「僕が輝けたのは、他の連中がひどいからだともジョブズは言う」。それにも関わらずジョブズはアタリのボスに気に入られた。予測できないジョブズの哲学を気に入っていたのだ。ボスの他にもジョブズの事を良く思っていた同僚。ロン・ウェインと友達になった。ロンはスロットマシンの会社を作った経験があった。

 起業した事のある人が周りにいなかったジョブズにとってロンはすごい男に見えた。ジョブズ
はロンに一緒に事業をしないかともちかけた。5万ドル借りてくるからスロットシンの設計からマーケティングまでをする会社を作らないか? しかし、ロンはその申し出を断った。以前に事業で失敗した経験があったからだ。

しかしロンはジョブズをとても信頼した。同僚の誰にも言ったことのない
「自分がゲイであることをジョブズにだけは打ち明けた程だ」。もちろんその後も関係に変化はなかった。ジョブズは悟りという考え方に心酔し自分はどういう人間なのか何をすべきかを知りたいと考えインドに旅にでる事を決めた。

 導師を求めてインドへいくために退社すると申し出たジョブズをアルコーンは面白い奴だと思った。しかしジョブズはアルコーンに旅費の援助をお願いした。ジョブズの申し出はなかなか断れないアルコーンは交換条件でドイツの仕事を解決させる事を条件に結局援助した。こうしてインドへ向かったジョブズだが着いて早々、衛生的な問題から赤痢になる。

 一週間で体重は70から55キロ位まで落ちた。数日滞在しただけで僕が求めるのはここではないと思い数ヶ月で帰国。インドから帰国しロスアルトスに戻りジョブズは悟りに導いてくれる道を探そうとした。
「毎朝、毎晩瞑想を行い、禅を勉強した」。その途中で時々、スタンフォード大学の物理学や工学の授業を公聴していた。

 このころジョブズは
「自分が養子に出された事、生みの親を知らない事が心の痛み」になっていると友人に漏らした。生みの親を知り、自分を知りたいと考えていたが育ての親に申し訳ないと探すのをやめた。
「ジョブズの粘液ができない食事や絶叫療法」などは
「どれも自身を浄化し出生に対する欲求不満を深く理解するための努力」であった。

 ジョブズは、その後、アタリ社に戻り夜勤で働いた。その頃ホームブリュー・コンピュータ・クラブと呼ばれる会合が開かれており、そこでは様々なパーソナルコンピュータ時代のアイデアが交換され、ウォズも、それに参加していた。この時、パーソナルコンピュータといってもいいビジョンが僕の中に浮かんだ。その晩、後に
「アップルとして世に出るもののスケッチを描きはじめた」とウォズは言う。

 ウォズは部品にインテル8080を使おうと考えが一個の値段が家賃よりも高いため断念。これを聞いたジョブズはあちこちに電話をし何個かインテルから、ただで手に入れてきた。
「あれができちゃうのがスティーブって男なんだよね」。販売責任者との交渉がうまいんだ。
「アレは内気すぎる僕には出来ないとウォズは話す」。

 それからジョブズもウォズと一緒にホームブリューに参加した。やがてウォズはコンピュータを完成。ウォズは売るつもりはなかったがジョブズの頭の中には販売のビジョンが出来ていた。
「僕がすごいものを設計するたび、スティーブが金儲けの方法を考える」と言う。
「ジョブズはウォズの操作方法を良く知っていた」。絶対に儲かるなどと言わず、
「絶対に面白い経験ができる、だから一緒に会社を作ろう」と誘ったのだ。

「お金は損するかもしれないけど、自分の会社が持てるよ」。
「一生に一度のチャンスだ」この言葉を聞いたウォズは、親友と一緒に会社をはじめる。すごい。と思いその気になった。この会社こそアップルだ。

 1977年、休暇で日本に帰ってきた成宮照子に成宮時達はソニーに入り世界最高の物作りを一緒にしないかと話すとソニー・アメリカなら入ってても良いと言った。そこで、わかったと言い1977年12月、ソニーで試験と面接を受け合格。その後、アメリカのニューヨークのソニー・コーポレーション・アメリカに入社、販売担当をしてチームで米国国内を飛行機で回り、交渉に当たった。

 その後、同じ会社営業部で一緒に米国を営業して回った、アイルランド系の米国人、トム・サンダースと仲良くなり1979年、正月休み彼を日本に連れてきて両親と祖父に会わせて結婚の承諾をもらった。1977年かねてから注目していた孫の成宮賢にソニーに入らないかと誘うと良いよと言い、でも特別待遇ではなく普通に入社するという条件で入社。

 彼はコンピューターが好き特にアップルⅡに興味を持っていた。ソニー入社するにあたって、1つだけ条件をつけた。それはアップルⅡを買ってもらう事。それに対して成宮時達は、どうしても優秀な成宮賢の頭脳が欲しくて条件をのんだ。6月10日に1298ドル・当時・円換算で30万円で4KBのRAM・最大64KBまで増設可能、専用のモニタは別売り。

専用モニターとRAMを増設し100万円で成宮賢に買い与えた。この話は家族にも会社にも内緒で成宮時達と賢2人だけの秘密にし誰にも言わなかった。その当時、いずれ、入社後4月からアメリカで仕事をしたいと入社。4月から成宮時達に費用を出してもらって米国人とマンツーマンで、英語を特訓して1年で、英検1級をとりトーイックでも高得点を取り完璧に英語を話せる様になった。

 成宮賢は仕事を見事に、こなしてソニー入社4年目、1980年3月注目株として社内でも1目、置かれた。そして成宮賢、入社の年のボーナス20万円と同金額20万円を成宮時達がプレゼントし合計40万円で1株100円でソニー株・4千株を購入させた。その後、新製品開発のための情報収集のためソニー・アメリカに派遣。早速、尊敬するアップルのスティーブ・ジョブズに、ソニーに面会した。

私はソニー・アメリカの成宮賢で、あなたに是非、会いたいと電話を入れると5月11日、面会の約束を取り付けた。面会後、成宮賢が最近、アップルⅡを多分、日本で最初に買ったと言い、その性能の良さを褒めちぎった所、喜んでくれ同年齢と言うこともあり、すっかり意気投合。するとジョブズが、私は禅が好きで、その勉強をしたと伝え、ソニーの盛田昭夫社長を尊敬していると言った。

 ジョブズが饒舌に、これからもソフトウェア、映画など積極的に挑戦するから注目してくれと言った。それを聞いて成宮賢が、それならアップルの株でも買おうかなと言うと是非、買って、我が社の株主になれと言った。また、アップルや私の講演会、商品発表会の招待状を送るから来てくれと話した。6月のアップルの会合に出席しスティーブ・ジョブズの講演会を聞いた。その中で、
「10人の人間が1台のコンピューターを使う」のではなく、
「1人の人間とコンピューターが出会う時、特別な事、歴史的な大きな変化が起こる」
とジョブズは告げた。コンピューターをシリコンヴァレーの1つの名物である自転車の様に人間の移動能力を増幅させる直感的で使い方を簡単にマスターできるツールになるべきだと話した。

 独創的なアップル製品の創造だけでなく双方向的なソフトウェアや動画、アニメーション、グラフィックスなど未来のコンピューターを定義づける技術の数々に言及した。これには驚いて、講演後、成宮賢は思わず素晴らしい講演だと言い、握手を求めた。するとジョブズが成宮賢に、
「ソニーで、良い仕事をしろよ、期待してるぞ」と言い、最後は、お互いにハグして別れた。 

 すっかり興奮した成宮賢が翌日の夜、姉の成宮照子に、その話をするとジョブズって気むずかしい人って聞いていたけど良く親しくなったわねと言った。そのジョブズを一目で気に入り姉の成宮照子に、是非、アップルの株を買いたいと話した。

 どの位、買いたいのと言われ、3百万円位と言い俺、今回、大金を持って来てないので1万ドル程、貸してくれないかと言った。成宮照子が、そんな大金どうするのと聞くのでアップル株を買うというと日本人だから買えないよ言われた。そこを何とかして欲しいと頭を下げると仕方ないわね1万ドル了解と言った。

 実は、私もアメリカに来て旦那と一緒に株投資していると話し直ぐ、貸した金は返してよと言い了解した。成宮賢が早く返すと言い、実は、もう一つのお願いをしたいと言った。
「アップル株を安い所で、1万ドル分、買って欲しい」と言うと、
「あんたって、意外に図々しいんだねと、笑ってわかったわよ」と了解しくれた。
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