その3 『ふたりのロッテ』(エーリヒ・ケストナー作)

文字数 1,591文字

 言わずと知れた、児童文学の金字塔。この傑作のおかげで、二十世紀後半の児童文学は(もしかしたら大人の文学も、映画も、何もかも?)「ふたご」そして「入れ替わり」というモチーフであふれかえり、その伝統はいまも途切れていないわけで。

 夏休み、スイスの美しい湖畔のキャンプで、ふたりの女の子が出会います。ミュンヘンから来たルイーゼ・パルフィーと、ウィーンから来たロッテ・ケルナー。あまりにそっくりで大騒ぎになるのですが、そのうちふたりは気づくのです。
 自分たちが、本当のふたごだと。
 ルイーゼのパパと、ロッテのママは、かつては夫婦だった。自分たちをひとりずつ連れて、離婚したのだと。

 大のなかよしになってしまったロッテとルイーゼは、とんでもなく大胆な計画を立てます。ふたりが入れ替わり、ロッテがパパの、ルイーゼがママのもとへ行って暮らし、いつかはパパとママを仲直りさせて、四人で暮らす……!

 もともと映画のシナリオとして書かれた作品で(だから地の文がすべて現在形で独特です)、幾度も映像化されています。
 日本では劇団四季の子どもミュージカルの大ヒット作となりました。私は先にこのミュージカルを見ました。観劇当時、小学2年生だったのですが、もう熱狂して、いまもオープニングとクライマックスの歌をばっちり覚えていて歌えます。笑

 じつは小説は大人になってから読んだのですが、このレビューのポイントはそこです。
 この小説、大人にも――いえ、

、しみるのです。

 両親ははじめ、ふたごの入れ替わりに気づきません。
 繊細で病弱なロッテを大切に育ててきたお母さん(彼女の名前は「ルイーゼロッテ」。作者ケストナーさんの奥さまの実名だそうです)は、娘がきゅうに丈夫で元気印で、でもがさつでお料理下手(!)になって帰ってきたことにとまどいますが、そのうち、彼女に感化されて、自分も陽気さをとり戻していきます。
 一方、おてんばのルイーゼに手を焼いてきたお父さん(ルートヴィヒ)は、娘が以前とはうってかわってすぐに涙を流し、高熱を出して倒れるのに驚き、仕事も新しい恋人候補もほうりだして看病します。そして、気づくのです。忙しさにかまけて自分が何をないがしろにしてきたのか、自分にとっていちばん大切なのは誰だったのか。

 この、ルートヴィヒとルイーゼロッテが、切ない。もどかしい。
 ふたりとも、若い。笑

 かわいい女の子のふたごちゃん、その入れ替わりのドキドキハラハラ。美しいスイスやバイエルンの風景に、ウィーンの華やかな音楽界(ルートヴィヒは作曲家です)。まさにおいしい要素がてんこ盛りですが、私は、この作品のテーマは、けっして、
「家族が大事」
「離婚は良くない」
「片親は良くない」
ということ

、と確信しています。

 これは、ふたつの無垢な魂の、ちょっとしたいたずらと、必死の努力によって、
 もうふたつの傷ついた魂が、再生する物語なのです。

 その四人が親子であり、夫婦であることは、ほとんど偶然にすぎません。


エーリヒ・ケストナー作『ふたりのロッテ』
めずらしいことに、新旧二つの訳が、同じ岩波少年文庫から入手可能です。
高橋健二訳、1975年。池田香代子訳、2006年。
高橋訳はいま読んでも品が良くて、捨てがたいのですが、やっぱりきびきびした池田訳のほうが、新しく読むひとにはお勧めかもしれません。だってこんな箇所を見つけてしまったんです。

(高橋訳)
「特別のまぜもの!」とルイーゼが大きな声で読みあげます。「焼きハタンキョウ入り菓子! ヌガー入り!」
「にがい特製品!」とロッテが喜んでさけびます。

(池田訳)
「スペシャルミックスチョコレート」ルイーゼは、声に出して読む。「アーモンドチョコレート、ヌガーチョコレート」
「エクストラビターですって」ロッテがうれしそうに言う。

――うーん。時代って、こういうことなのですね。
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