第12話 今や当たり前のDV被害

文字数 2,161文字

 赤井穂乃花はやっと見つけたバイト、夜職のガールズバーで根元灯と知り合った。歳は2歳上の20歳で入店も半年ほど早かった。おとなしめで可愛らしい感じの女子で穂乃花と気が合った。シフトも重なることが多かった。
 ガールズバーとは、バーテンダーとホールの仕事を一切女子が行うバーのこと。もちろん接客は伴うがノンアダルト。カウンター越しのトークのみ。いわゆる同伴もない。キャバクラとの決定的な違いだ。服装もゆるめ、ヘアセットやドレスの必要もない。
 この店には膝上丈のスカート、胸元が大きく開いた制服がある。でもこれも毎回違う服装を用意しなければならないよりはマシ。むしろありがたいことだ。ほか、化粧、ヘアーカラー、ネイル、アクセなどは自由だしお洒落も楽しめる。
 そんな中で、灯は万事控えめだった。他の女子はゴールやピンクなど、鮮やかな髪色を好むがナチュラルブラウンのまま。ネイルなども自分で施すコーテイングのみ。明らかにファッションに敏感な女子とは違いがある。ある晩、送迎ハイヤーの中で尋ねたことがある。

「わたしね。2歳の女児がいるの」
 これには穂乃花は驚いた。たった2歳しか離れていない。と言うことは自分と同じ歳に出産したことになる。とても考えられない事柄だった。
 彼女はしばらく考えてから話し始めた。
 
 誰にも内緒ね、お店にも伝えていない。わたしシンママなの。結婚もしてない。騙されて妊娠させられちゃった。堕すにも知識もお金もなくて結局、間に合わなくなっちゃった。実は母親もシンママ。境遇は遺伝するとは本当だね。母は去年、癌で死んだ、もう頼る人は誰も居ない。
 …子供はやっと見つけた託児所に預けて仕事してるの。昼間はクリーニング屋さんでバイトしてる。養ってゆくのは大変。
 あ、ごめんね。余計な事だったわね―

 そうか。それで化粧っ気がないのか。ふと、自分の母親のことを考えた。彼女もいつも艶やかな女子とはほど遠かった。
 今夜の彼女はほろ酔い加減だったのだろう。やけに口が軽かった。

 わたし穂乃花ちゃんが羨ましい。若くて可愛くて、これから幾らでも青春を楽しめるじゃない。わたしにはいつも娘が付き纏う。もうオバサンなった気分。可愛くないかと言えば嘘になるけど、リセット出来るなら子供は要らないよ―

 彼女はひとつ溜息をつき、ドライバーに道端に停車するように頼んだ。気分が悪いという。
 そのあとは「すこやか」と記された看板のある建物の前で降りた。子供を迎えに寄ったのだ。
「じゃ、また、あさってね。おやすみ」
 彼女は街灯から外れた闇の中に消えた。
 穂乃花はまるで自分の生い立ちを観た気がし、暗澹たる気持ちになった。母は私を産んで離婚したとは云うが本当の処は分からない。灯のように妊娠させられたのかもしれない。そうか、堕ろされていれば私は存在しなかった訳だ。今を生きるが大変なのは穂乃花も一緒。存在しなかった方が良かったのかもしれないとも想う。
 
 次のシフト日の着替え室で、穂乃花は灯と出会った。灯はいつも時間ギリギリに来るので珍しいタイミングだった。ブラの上から制服を付けるとの決まりがあるので、上半身の着衣は一旦すべて脱がなくてはならない。
 穂乃花は灯の左肩下辺りをみて驚いた。それは大きな赤黒い痣が出来ていた。
「それどうしたの、転んだ?」
 咄嗟に痣を隠そうとして急いで制服の袖を通そうとした時に、背中に出来たやはり大きな今度は青痣も見てしまった。

「…うん、ちょっとね。早くカウンターに出よう、怒られるよ」
 穂乃花は気になって仕方がない。小さな痣ひとつならまだしもあれは尋常ではない。次の休み時間にそれとなく探りを入れてみた。
「やっぱ分かっちゃったね。彼が居て同棲してるの。もう1年になるかな。やっぱ、娘を抱えてひとりじゃ不安で、生活もキビシクなっていって。最初は優しい人だと思ったんだけどね。すぐカッとするのよ。本当は全身痣だらけ。分かってて顔は狙わない。働けなくなったら困るでしょう…」
 気にしていた通りだ。シンママにありがちなパターン。
「それで彼氏さんは働いてるの?」
「自動車の整備士だと言ってる。毎日一応出掛ける。でも何をしてるのかまでは分からない」
「娘さんは大丈夫なの?」
 穂乃花が最も心配する処だ。よくこの手のDV被害では子供も巻き添えを喰らう。よくメディア報道されている。
「それは…、ちょっと言いたくないよ」
 灯の眼には大粒の泪が浮かぶ。
 男女の怒鳴りあいに幼子の異常な泣き声。ご近所からたびたび通報され、警察の事情聴取やら児童相談所もたびたび顔を見せるようになった。児相の職員は彼氏の居ない隙を狙って、昼職のクリーニング屋さんに来るようになった。
 そしてまさかの時には娘さんを連れてシェルターに来るように散々に念を押されたそうだ。でも、そこで一生匿って食わして貰える訳じゃない。昼間は働きに出なければならない。彼は昼職の場所も夜のガルバの所在も知っている。

 今は風俗でさえ不景気で働く先もなかなか見つからない。在ったとしてもこんな小さな街じゃ、いずれ居所が知れてしまう。その時の仕打ちが恐ろしい。まとまったお金さえあれば、東京か名古屋に移り住んで、彼から逃れて新たな生活が始められる。
 それしかないの。いまは我慢するしか―
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