第4話 選挙ビジネス

文字数 3,151文字

 確かに青山春香は、この歳になるまで1度も投票に行ったことがない。政治には全く持って関心がない。ていうか、選挙の時だけ満面の笑顔とガッツポーズ姿で、臆面もなく前面に躍り出る、オジオバにずっと違和感を抱き続けてきた。
 若い頃の日曜日には、それどころではない楽しくて、輝かしいことに満ち溢れていた。友人との会話に繁華街でのショッピング、異性とのデートにとろけるセックス。社会人になってからの休日は、クタクタに疲れ果てた気力体力の回復と、身体のあちこちのお手入れで忙しい。
 結婚して子供が出来てからは、子育てと家事で目一杯。おんぶや抱っこしてまで投票所に行く気力はない。習慣とは恐ろしいもので、投票との言葉すら夫婦の会話には出て来ない。世の中は自分たちが投票に行こうが行くまいが替わり映えしない。いつも不景気で給料も上がらず、慎ましい生活を余儀なくされる。
 テレビではどこかの誰かが、えびす顔で万歳三唱している。当選した定数分だけのはじけるスマイルがある訳だ。このホクホク顔。オジ、オバらは今度こそは給料をあげてくれるんだろうか? ライブ中継を見る度にそう思ったものだ。
 傍らでSwitchに嬌声をあげている夫がこう言った。
「よほど当選すると美味しいんだろうな。その手伝っている〇党の先生はどう?」
 どう? と言われても普通の禿アタマのおっちゃんだ。けれど相当に議員に執着していることだけは分かる。煌めく真珠を見つけたように、偶々通りかかるお婆ちゃんに飛びつく。勝手に片手を握り締め、深々と頭を下げる。
 会う人逢う人に頭を下げて、その様子が、ショウリョウバッタの両足を掴むと体全体を上下に大きく動かして、まるで米をついているように見えることから「米つきバッタ」と言われる。
 人生でこんなに他人様に媚びへつらうことはないだろう。自尊心はケずられるし、大抵は嫌われる。けれど選挙活動に付き物で、欠かせない要素のように感じられる。これは一体どうしたことなのか? ウグイス嬢として一部始終を見て改めて驚かされる。
 あ、これは生業だから仕方がないのだ。世の中の数多(あまた)職業の中のひとつ。そう思ったのは、このおっちゃんの経歴を見た時だった。選挙用ビラの片隅に載っている。なんと明治初頭の第1回議会選挙の時からの代々の家柄。この人で5代目となる。
 家は広大な敷地を持つ豪族。なにやら始祖は鎌倉幕府を構成した御家人のひとりとある。昔は武士と呼ぶ立派な職業があった。土地など食うには困らない資産はあるが、何も成さなければ、ただプータロウ。だから代々議員になろうとする。

 日本政府から御料地を賜わった大名。これが相応しい。大名の手取りは〇万石と表記される。これは米の石高。すなわち税金。今も昔も変りない。この大名たちは選挙以外の時は滅多に街頭に出ない。平時には、頭を下げるのが嫌なんだろう。
 一旦、当選してしまったら人々の関心は薄れる。どんな働いてくれたのかなんて、いちいち分からない。選挙のたびごとに公約を出すものの、きちっと守っているかなんてチェックするヤツは居ない。恩恵に預かる者と言えば、ズブズブの関係の教団のような団体、もしくは地元企業など、大名の名前を借りて営利を企てる奴ら。時に大名は、口利きと称してコイツらの利権を木っ端役人に諮る。
 うん? だけど、市や町、村の住民、お歴々にはどんな特典があるの? いや、彼らは自分が推す殿様が地域の代表になるだけで鼻が高いのだ。その証拠に、まるで護符のように、いつまでもポスターを家の外壁や室内にも飾っている。

「選挙、誰に投票するの?」
 高校生の長男が夕食時に質問した。今は18歳で選挙権が与えられる時代。あと数年に迫っている。学校で選挙に関する授業もある。子供に、過去1度も選挙に行ったことがないとは言えない。父親は教科書通りの模範解答をする。
「それはお前、候補者の言ってることをポスターやチラシかなんかで読んで、自分の考えに似た人を選ぶんだよ」
「でも、候補者さんはみんな同じことを言ってて、あまり替わらないんだよね。社会をよくする。生活の質をあげる。人権の尊重。戦争放棄。…となると、最終的には顔の好みか??」
 長男の発言に、公約など読んだこともない父親はテレビに眼を向ける。
「あのね、民主主義なんて口では自由を語っているけど、49%の民意は殺される。ほとんど半分の意見は無視されちゃうの。つまり半分は常に黙らされる。
 そしてそれが争いの火種になるのよ。例えば学級委員の選挙で、29対28でA君に決まる。B君に手を挙げた28人はA君が嫌いだったら、そこに反感が生まれるわよね。それが闘いのはじまり。いい例が今のアメリカ、ブラジル。大統領選挙が発端で、ほぼ半数ずつに国民が分断されちゃった。
 民主主義が標榜する自由は、第二次世界大戦以降、100年経たずにボロが出たの。プーチンのようなカリスマ政治家に従う方が楽だと考える人々も世界には多いのよ。自由かどうかなんてどうでもいい。普通の日常さえあればね…」
 春香は滑らかに淀みなく言葉が出て来る。すべて教団で教わったこと。
「だからね。選挙では勝組に乗ること。これが大事。戦いになった時には数が大いに越したことはない」
「へぇー、ママ凄いね。そんなこと先生からも教わらない。なんかモヤモヤが晴れてスッキリな感じぃ」
 長男は最近では春香のことをママと呼ばない。よほど得心したのだろう。
「おいおい、選挙への偏見のような言葉だね。教団の押し売りかい? 清き1票の世界は何処に行っちまったんだい」
 夫はたまげた顔付きをする。
「清き1票、国民の権利なんて政治屋さんがお役人とグルになって、生業(稼業)のために考え出した美辞麗句。交通安全の標語と同じ。あなたの1票が社会を替える、なんてのもそう。そんなことは在り得ない。
 強い与党が勝つに決まっている。世の中、そういう仕組みに出来てる。せっかく遊ぶ時間を割いて選挙に行くんだったら、投票した候補者が当選した方が嬉しいでしょう。落選した人には何も出来ない。無駄な1票だわ。
 国民の権利を放棄するのか、なんて屁理屈を捏ねる輩。もっと違う大切な権利があるでしょう。憲法で最低限の生活は保障されてるのよ。この最低限とはなに? 乞食? 物乞いは法律違反だわ。選挙権なんかより、最低限の生活を保障して貰うのが最も大切な権利なのよ。
 生理の貧困、とは何なの。これぞ最低限の権利。保証して貰わなくちゃ、だわ。
 それに今の日本は平和ボケしてる。プーチンのような危険な人物は当分出て来ない。誰もが似たり寄ったりの考え方。憲法改正とか自衛隊が違憲合憲とか、意見の違いはその程度。だったら勝ち組に投票する。これで間違いないわよ。
 それに、若者の投票率の低さ。それは興味が持てないから。例えば、2年先輩の〇君とか、同い年の□ちゃんが候補者だったら投票に行くでしょ。問題はここ。被選挙権。現状では20歳前後には認めていない。まして、高額な供託金(立候補するためのチケット代のこと。一定の票数が獲れないと没収される)などといったハードルもある。若者にはこのお金は出せない。つまり、オジオバに有利に出来てるの…」
 春香の口元からは呆れるほど、淀みなくスラスラと言葉が紡ぎ出される。ウグイス嬢の成果かもしれない。ただ、それでも春香は選挙に行かない。この日は大事な韓流スターのグッズが発売される。新大久保で朝から並ばなくてはならない。
 当たり前すぎて、春香の選挙陣営の誰の口からも、投票に行くかどうかなんてお話しは出ない。けれど別に投票に行かなくたって結果は明らかだ。
 春香の禿のおっさんが当選する。これ自明の理なり、ハイ。
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