第3話「大地の物語」Part4

文字数 6,300文字

 15年ほど前。双葉がまだ赤ん坊のころだ。
 それどころか出産間もないころ。睦美は夫から家事を強要されていた。
「いつまでぐだぐだやってんだよ。産んだんなら家の中のことはやれよ! お前の仕事だろ」
 とてもではないが産後すぐの女性に投げかける言葉ではない。
「ごめんなさい。まだ具合が……」
 それでもやんわりと言うが逆に怒らせた。
「うるせえ。義務を果たしてから権利を主張しろ」
 仕方なく体を起こす。

 結婚前は優しい男だった。それが結婚してみたら次第に暴力的な部分が現れてきた。
 既にかけらも愛はなく、とっくに離婚を決意していたが、既に妊娠していたためにそうも行かず。
 出産を済ませて安定してくるのを待っていた。

 そして時期を待ち離婚を申し出た。
 夫は驚いたような表情をしていた。まさかそんなことをするはずがないとでも思っていたようだ。
 一転して優しい態度で翻意を願い出るが応じられるはずもない。もはや信用できないというわけである。
 乳飲み子を抱えた状態での離婚の決意。それがどれだけ重いかを知り結局、夫は離婚届に判を押した。

 そのころ、大樹を抱えて大地大作は失意のどん底にいた。
 妻が急死してしまったのだ。
「これからどうしたらいいんだよ…」
 いっそ後を追おうかとも思うが、いくら死の意味が理解できない幼児といえど泣きもしない息子を見ると、それはとても心の弱い逃避に思えた。
 この息子を残してはいけない。この息子を道連れには出来ない。
 妻の残した子供が夫を現世に踏みとどまらせた。
 強く生きなくてはと改めて思う。

 家を飛び出して実家に戻ってきた睦美。
 そこでたまたま高校時代の友人だった大作と再会する。
 二人の高校時代の関係はただのクラスメイトの域をでなかった。
「大地君……」
 年月を経てもわかるほど変わっていない。
「城ヶ崎さん……ああ、今は山崎さんだっけ」
 同窓会で結婚したことを聞かされていた。
「城ヶ崎よ。離婚したから……」
 方やドメスティックバイオレンスから逃れるための離婚。
 方や愛する妻を失った男。
 共に結婚生活の続かなかった二人。同じ傷を持つ同士。惹かれるものがあった。

 いつしか二人は共に暮らし始め、そして三年後には正式に結婚した。
 大樹と双葉は物心つく前から兄妹として過ごしていた。

 耳にタコができるほど大樹が聞かされていたことがある。
「いいか大樹。男と言うのはな…自分のためにこぶしを振るっちゃ行けない。そのゲンコツは大事な人を守るためにあるんだ。だから男は大きな体なんだ」
「大事な人って…父ちゃんのこと?」
 その無邪気な優しさが涙するほどうれしかった。
「い…いや…父ちゃんは自分で何とかする。母さんは父ちゃんが守るから、お前はまだ小さな双葉を守ってやれ。出来るだろ? お兄ちゃんなんだし」
「うん。俺、双葉を守るよ」
 恐らくは意味も良くわからずに交わした「誓い」。
 しかしその優しさが妻の「遺した物」に思えて仕方なかった。
 父と子は決意を新たにしていた。

 そして母と娘は……暴力から逃れて、優しくされる毎日。まるで夢のようだった。
 母は娘に優しく問いかける。
「双葉。お兄ちゃんのこと好き?」
「すきー」
 子供ならではの単純な返答。そこには裏も表もない。ただ単に好きだから答えた。
 もちろんそれが愛情にはまだ結びつかない。親愛のそれでしかない。
「そう。ならおにいちゃんと仲良くしようね」
「おかあさんはお父さんとなかよしさんなの?」
 脈絡が無いようでいて、核心を突いた問いかけ。睦美ははっとなった。
「そうね。仲良しよ。でも家族みんなで仲良しよ」

 ざわめく商店街。誰もそんな話をしているなどと思わない。
 ただ美鈴が衝撃の事実に打ち震えている。
(そんな…大ちゃんと双葉ちゃんが本当の兄妹じゃないなんて…)
「私は結婚に一度失敗したし、あの人も早くに前の奥さんをなくしている。けれどこうして家族になって過ごせているのだし今は幸せ」
 そう。確かに仲睦まじい兄と妹である。あくまで「肉親」としてだが。
「大樹と双葉には血縁関係はないわ。だから結婚はできる。あの二人が結婚するのを私は望んでるんだけどねぇ。そうすれば本当に二人に繋がりが出来るし。大樹は無口だけど優しいし、双葉も親が言うのもなんだけど気立てのいい娘だし」
 なんと言うことか。少なくとも母親は二人の結婚を反対どころか推奨している。
 障害がない。美鈴は血の気を引くのを自覚できた。
 まるでそれをフォローするかのように睦美は続ける。
「でも二人にそれぞれ好きな相手がいるならその意思を尊重したいわ。やはり幸せな結婚をして欲しいもの」
 大樹の方はわからない。もし大樹が自分を好きならそれでいい。
 だが双葉が大樹を兄として以上に「男として」意識しているのは間違いない。
 もし血の繋がりがないことを知ったら…そして一つ屋根の下で暮らす仲。
「あの…叔母さま。それはいつ二人に…」
 辛うじて声の震えは悟られずにすんだ。
「双葉は16で結婚できても、まだ大樹は18にもう少し掛かるからね。それまではナイショ。だって家庭内で『出来ちゃった結婚』なんてかっこ悪いしねぇ」
 あっけらかんと笑う。辛いことを乗り越えて来た逞しさがあるから笑い飛ばせるのだろう。
 しかし始めてその事実を突きつけられた美鈴としてはその境地には至らない。
「だから大樹が18になったら話すつもりよ。美鈴ちゃんも秘密にしておいてね」
 どうやら夫婦だけで秘密を保持するのに耐えられなくなったらしい。
 口を滑らせたならとそのまま美鈴を巻き込んでしまったようだ。
 一方美鈴としてはそんな重大な秘密を背負わされてたまったものではない。
 ふらふらと放心状態で買い物に三時間以上かかる始末。
 何とか自宅に戻るが自室に閉じこもり、そして現実逃避をするがごとくベッドの中に。

 明けて月曜日。いつものように大地家の前で二人を待つ美鈴。
(とりあえず普通に接してないといけない……)
 その思いゆえだった。本当は顔をあわせるのも辛い。
「ごめん。美鈴ちゃん。寝坊しちゃった」
 美鈴の内心も知らず双葉がけたたましく出てきた。
 寝坊というのはウソではないらしい。それを証明するがごとく寝癖が。
「双葉ちゃん。髪の毛とかした?」
 思わず美鈴も苦笑するその有様。皮肉にもそれで一時だが悩みを忘れることが出来た。
「えっ? ああっ。いけないっ。慌てていて」
 あたふたと髪の毛に手をやるが当然何も解決しない。
「はい。ブラシ貸してあげるから」
「かばんは俺が持つ」
 上のほうから声がする。大樹だ。大樹の影で歩きながら整えろと言うことに。
「ううっ。ありがとう」
 その様子を見ていると本当に仲のよい兄と妹にしか見えない。
 むしろ血縁がないからこの仲の良さなのかもしれない。

 電車を降りて歩いて向かう。途中でアンナ・ホワイトが合流。
 金色のツインテール。赤いリボン。つり目。八重歯という風貌の少女だ。
「モーニン。フタバ。ダイキ先輩。ミスズ先輩」
「おはよー。アンナ」
 屈託のない少女たちの朝の会話。
 年頃の娘たちの姦しいおしゃべり。
 前の年は大樹と二人だけの電車通学。
 しかしこの年から双葉も加わり、そしてその双葉の親友である留学生。アンナも。
 登校はいつしか賑やかなものになって行った。
 美鈴もそんなに口数の少ないほうではない。
 他愛もないおしゃべりは好きである。
 しかしさすがに今は大樹や双葉の顔を見るのが辛い。
「ミスズさん? 何か心配事ですか?」
 声をかけてきたのはアンナである。
 もしかしたら大樹や双葉も異変に気がついていたかもしれない。
 しかし声をかけることが出来たのはアンナだけだった。
 それは付き合いが一番薄いゆえに出来たのかもしれない。
「ああ。何でもないの。何でも」
 慌てて言いつくろう美鈴。
「本当か?」
 唐突に大樹の手が上から下りてくる。そして無造作に美鈴の額に触れる。
「ひゃっ」
 不意打ちで思い人の手が自分の顔に。頬。そして顔全体が熱くなる。
「むっ。少し熱いな。ここから引き返す前に保健室で休んだ方がいいな」
 どうやら体調不良を考えたようだ。
「ち…違うの。これは違うの。病気とかじゃないから」
 大樹はあくまで心配して言っている。この無口な男がここまで言うのも証拠の一つ。
 それもありやんわりと否定する。
 しかし真っ赤になっているのは確かなのでこれはごまかしようがない。
「はっはーん」
 アンナの目が光る。

 学校。授業が進み現在はお昼休み。
 アンナ。千尋。そして美鈴の三人は天気がいいことと、全員が弁当持参ということで屋上で昼食をとっていた。
「フタバ。ミスズ先輩はあなたのお兄さんが好きみたいですね」
 これを無神経と詰るのは酷だろう。
 アンナとしてはまさか「実の妹」が「実の兄」に恋しているとは思わない。
 完全に対象外とみなしている。
 だから兄が誰かと恋に落ちていても祝福するだけと思っていた。
「…………美鈴ちゃんが好きでもお兄ちゃんの気持ちはわからないじゃない」
 人当たりの言いおとなしい娘が見せる露骨なまでの不快感。
 セミロングの髪がやたらに重く見えた。
 これにはアンナも当惑する。そして結論を出す。
「あー。ヤキモチですか?」
「ち…違うよッ!」
 図星を刺されて動揺する双葉。だがアンナの言う「やきもち」は、肉親のそれに対するものと悟る。
「えーっ。双葉お兄さんに焼きもち焼くの? あたしなんかウチのバカ兄貴を引き受けてくれるなら、お礼言っちゃうけどなぁ」
 千尋の言うのはもちろん詩穂理のことである。
「私のお兄ちゃんは馬鹿じゃないもん」
 言うなり黙々と弁当に取り掛かる。
「……」
 ブラコンとは思っていたがここまでとは…そんな思いのアンナと千尋だった。

 2-D。美鈴は一人で弁当を食べていた。
 彼女は毎日自分で弁当を作って持ってくる。
 ちなみになぎさは昼休みになるとどこかに消える。食堂にもいないし、弁当を持ってきた様子も見受けない。
 詩穂理は半々。この日は学食だった。
 そしてまりあは恒例の優介との追いかけっこだった。
「はぁ……」
 一人というのが余計に陰鬱な気持ちにさせる。ため息も多くなる。
「みーすず」
 そんなときにいきなり後ろから抱き締められてビックリした。
「み…水木君!?」
 声でわかったが抱きついてきたのは優介である。
「なんだよ。暗い表情して」
 決して他の女子には見せない優しい笑顔。
「ホモ」と言うより「女嫌い」と取れる彼だが、何故か美鈴と恵子には優しい表情を見せる。
「あの……なんでもないの。そう言えばまりあちゃんは?」
「ん? あいつなら『親衛隊』に捕まったようだな」
 とぼけているがそれを計算して逃げていた優介である。
 実は逃げてた理由が「まりあの手作り弁当」である。
 なにしろ家庭科を習い始めた小学生の方がまだましではないかというほどの料理ベタ。
 まりあを嫌っているのもあるが、単純にまずいのがわかりきっている弁当から逃げたかった。
 そしてわざと「親衛隊」の前を通る。
 学園のアイドルの手作り弁当である。どれほどまずいといわれていても食べてみたがる男の悲しい性。
 つまりそちらで争奪戦になった。それで振り切れたのだ。
「まりあちゃんもてるものね。やきもち…焼かないの?」
「なんで?」
 当の本人が聞いたら絶望しそうな返答だった。
(はぁ…かわいそうなまりあちゃん…)
 思わず自分の不遇を忘れて同情する美鈴。
 それで余裕をとりもどした。
「ねぇ。水木君。ちょっと聞きたいんだけど」
「なに?」
 優介は抱き付きをやめて美鈴の正面に位置する。
「男の子の水木君が男の子を好きなのって…変に思わない?」
 美鈴としては「妹が兄を男として好きになるのはどうか?」ということに対する答えに近いものを求めていた。
「別に。たまたま好きなのが男だっただけだし」
 優介にとってはそれは意外に単純な話なのである。
「でもそれならどうして美鈴には優しくしてくれるの?」
 女が嫌いなら自分だってその一人。まさか女と看做されてないとか…
「それも簡単。女の嫌なところがないもん。だから美鈴は例外」
 そういってまた抱き締める。頬の熱くなる美鈴。
「離して」と言う一言すら出てこない。
「優介ッ」
 それを救ったのはまりあだった。
「いけねえっ」
 なんと窓の外に出て下に逃げた。
「あっ。待ちなさいっ」
 慌てて追いかけるがまりあがいくらスポーツ万能でもこのまねは出来ない。
 さすがに諦めた。
 そして目が合い慌てる美鈴。
「違うの。抱き合っていたのはその…」
「わかっているわ。優介にとっては美鈴さんは同性感覚なのよ。だから何のためらいもなくじゃれあうように抱きつけるのよ。いちいちやきもちなんて焼いてられないわ」
「それって美鈴が女らしくないってことかな……」
「むしろ逆。優介に男の自覚がないと言う方が正解よ。なにしろあの家はお父様が長く家を空けているし。留守を守るのは優介以外女ばかり。それも美人ぞろいで。だからアイツは女の子にはあまり興味がないのよ」
「うわぁ…大変だね…まりあちゃん」
「平気よ。だって優介のことが好きだもん」
 その気持ちがあれば大抵の困難は乗り越えられる。
 そう言いたげなまりあの笑顔であった。
(好きなら平気…か…)
 もう昼食どころではない美鈴だった。

 放課後。家庭科部。
「みなさん。今日から双葉さんのお兄さんが入部となりました」
 栗原部長に紹介される巨漢がそこにいた。
 嬉しそうに表情を輝かせる双葉と秘密を知って苦悩する美鈴が好対照だった。
「お兄ちゃん。私のために……」
「ああ。どのみち厄介ごとに巻き込まれるなら、正式に出入りできるようにと入部した」
「嬉しいっ」
 飛び切りの笑顔で抱きつく双葉。呆れて突っ込む気にもなれない部員たち。
 そして美鈴は
(水木君…美鈴はあなたが言うようないい子じゃない…嫌な娘。大ちゃんと双葉ちゃんにやきもち焼いている。それで二人の秘密を守り通す決意が固まるなんて…焼きもち焼きの嫌な娘です)
 自己嫌悪と重い秘密のダブルパンチでどうしても明るくなれない美鈴だった。

次回予告

 学園一のいい男と評判の「サッカー部の王子様」恭兵は常に女の子と触れ合っている。それは探しているものがあるからなのだが…
 そして恭兵に思いを寄せるなぎさは、得意のスポーツのように恋にはアクティブになれない。
 次回PLS第4話「Fantastic Vision」
 恋せよ乙女。愛せよ少年。
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