第3話「大地の物語」Part2

文字数 6,794文字

 『家庭科部』は別に男子禁制と言うわけではないが、どうしても部員は女子が多い。
 『女の園』に似つかわしくない訪問者は2メーター近い大男。大地大樹だった。
「大ちゃん。どうしたの?」
 幼なじみの美鈴もこの行動に疑問を抱かずにいられない。
「見にきた」
 相変わらず短い言葉でのコミュニケーション。
 その場の女子ほとんどが「見学」と受け取ったが幼なじみの美鈴。そして妹である双葉の取り方は違っていた。
「お兄ちゃん。私のことを見守りに来てくれたの?」
 まるで恋人が来たかのような表情のブラコン娘。
 黙って頷き肯定するシスコン兄貴。
「嬉しいっ」
 いきなり双葉は大樹に飛びついた。抱きつく。
「私のことをそんなに大事に思ってくれるなんて」
「当然だ。お前は可愛い妹なのだからな」
 大樹の表情も心なし甘い。
 しかし部員の女子たちは引き気味だった。
「あらあら。仲の良い兄妹なのね」
 言葉は柔らかいが二人の時間を止めた家庭科部部長・栗原美百合。
 さすがに双葉も人前であることを思い出して離れる。
 普段はどちらかと言うとおとなしい娘だが、こと大樹が関係すると人が変わる。
 これが幼稚園か小学校低学年ならいざ知らず、新入生といえど高校生なのだ。あまり普通とはいえない。
「えーと。


 美百合はおっとりとした口調で呼びかける。確かに大樹は名乗っていない。だからそう呼ぶしかない。
「大地大樹だ」
 上級生相手に敬語を使わないが、不思議とこの男だとそれでいいような気がしてくる。
「見学なら歓迎です。でも邪魔はしないでくださいね」
 文章はきついがその「癒し系」の優しい声がかなり和らげていた。
 最上級生の「大人の余裕」もあるようだ。
「わかった」
 大樹も追い出されないように従うことにした。これで話は終わったのだが
「それにしても大きいわねぇ」
 率直な美百合の感想。
「私も170近いけど、さすがに男の子には負けるわね」
(いや…その人、男子の中でも特別大きいと思いますから)
 ほとんどの女子の突っ込み。ちなみに美百合は167センチ。
「肩幅も広いわ。さすが男の子」
 妙な感心をしている。一方の双葉は表情がきつくなってきた。
「ちょっと万歳してくれるかしら?」
「?」
 何のことかわからなかったが大樹は言われるままに両手を挙げた。
「失礼するわね」
 言うなり美百合は大樹の胴と言うか胸板に両手を回した。
 86センチのDカップバストが押しつぶされるほどの密着。
「すっごーい。バスト1メートル以上あるわね」
(いや。いくら巨乳の女でも男の胸囲には負けますから)
 これまたほとんどの女子が突っ込む。
 美百合は育ちがよいゆえか、まりあほどではないがかなりの世間知らず。
 そして木上先生に匹敵する「天然」だった。
 だからこれもただの好奇心で、測定したいだけだったのだ。
 もちろん抱きつかれた大樹が男としてどういう反応をするかとか、そのブラコン妹が嫉妬の炎(ジェラスファイヤー)を燃やすことまでは考えていない。
「おにいちゃんから離れてくださいっ」
 燃え上がった嫉妬の炎がおとなしい娘に行動を起こさせた。
 兄の元にかけよると美百合の手を払いのける。
「あら? ごめんなさいね。別にお兄さんを取っちゃうつもりはなかったのよ」
 聖母の微笑みか? 魔女の誘惑か? 同性すら魅了しかねない笑顔だった。
 殺気すら感じさせた双葉だがそれで毒気を抜かれる。
 はらはらしながら成り行きを見守っていた美鈴はほっとした。
 彼女は一年のときからこの家庭科部にいる。
 故に美百合のキャラクターは充分に理解していたので、ここまで動かなかったのだ。
(相変わらずだなぁ。栗原先輩。それに大ちゃんと双葉ちゃんも)
 ふたりの「仲の良さ」をさしている。
「えーとそれじゃ……



「あら。ごめんなさい。人の名前を覚えるのが苦手なの」
 わざとではないらしい。悪びれる様子もなく後方の椅子を指し示す。
「とにかくそちらに椅子がありますから、それに座ってみていてくださいね」
「わかった」
 言われるままに後方の椅子にどっかと腰を下ろす。
 ひと悶着あるかと思っていたがこれで落着。部員の少女たちは安堵した。そして気持ちを切り替える。
「さぁ。それじゃ今日は調理実習よ」
 美鈴にとってはこの日二度目だが、何しろ料理を中心として家事が好きなので苦になるどころか望むところであった。
 ただし今回は勝手が違う。そう。大樹の存在である。
(うう。大ちゃんが見ている。緊張するなぁ)
(お兄ちゃんが見ている! がんばらなくちゃ)
 はたから見ても緊張。あるいは力が入っている二人である。
 むろん他の少女たちも普段はほとんどいない「男」がいることで多少の緊張はある。
 それでもこの二人ほどではない。

 緊張がいい影響になるケースとならないケースがある。
 前者は気持ちを引き締め集中力を持続させるケース。
 後者はそれが行き過ぎて普段ならしないような失敗をしてしまうケース。
 双葉の場合は後者だった。
(お兄ちゃんが見ている前で変なことは出来ない)
 一つ屋根の下で暮らしているのである。当然だが調理に大樹が居合わせるのも珍しくない。
 だが本人の気持ちは兄にだけ向いていたつもりだが、初めての家庭科部。
 大勢の部員の前で出来るところを見せようとまでは思わぬものの、失敗を過度に恐れた。
 それが逆に失敗を呼ぶから皮肉なものである。
「痛!」
 魚を三枚におろそうとして、添えた左手の指を切ってしまったのだ。
「ぬんっ」
 美鈴や他の部員が「大丈夫?」と尋ねるより早く大樹が動いた。
「え? 座ったままの姿勢でジャンプを?」
 そう。椅子に腰掛けたポーズのまま跳躍していた。
 そしていち早く愛する妹の元に駆けつけ、その左手を取った。
「お…お兄ちゃん!?」
「見せてみろ」
 言うや否やその手を掲げ傷を見る。
 双葉は切った痛みより大樹に手を握られたことが勝りボーっとなっていた。
 大樹はおもむろに切った指を自身の口にくわえる。
「はうんっ」
 身悶える双葉。顔が上気して赤い。その間に大樹は絆創膏を取り出した。そして血を吸い取った傷口に当てた。
「はぁ…はぁ…」
 その間、双葉は赤いまま。喘いでいる。
「これで大丈夫だ」
 手を離す大樹。それでやっと双葉はトリップから現実に戻る。名残惜しそうにしている。
「う…うん…ありがとう。お兄ちゃん」
 まだボーっとしたまま礼を言う。
「あらあら。本当に仲が良いのねぇ」
 美百合の感想は的外れではない。しかし大部分は
(仲が良いというより…)
(恋人同士みたい…)
(兄妹で気持ち悪い)
 否定的なスタンスであった。

 次に驚かされたのはこの申し出だった。
「(怪我をした)妹に代わって俺がやらせてもらう」
 唖然とする部員たち。男なのはいいとしても部外者が。
「大ちゃん。それはちょっと」
「お兄ちゃん。やめて」
 意外にも美鈴と双葉が止めに掛かった。逆に興味がわいてきた部員たち。
「部長。見学のついでに体験してもらうのはどうでしょう?」
「うーん。それもいいかしら」
 このような経緯で決定してしまった。

 大樹は双葉が使っていた包丁をじっと見ていた。これはさすがに家庭科室の備品。
「荒いな」
 静かに言うと砥石を用意して包丁を研ぎ始めた。
(なかなか本格的ね)
(はったりよ)
 やはり好意的とはいえない態度の部員たち。
 だがその後で見せた包丁捌きには沈黙をするほかなかった。
 その大きな手で信じられないほど器用に包丁を操り、素早く正確に魚を三枚におろしてしまった。
 家事を手伝うであろう女子でも魚を三枚におろすとなると高校生辺りではまだ上手く行かないと思われる。
 それをあっさりとやってのける。
「あーあ」
「大ちゃんがやるとみんな自信なくすのよね」
「え? それじゃ」
「うん。お兄ちゃんの腕前はプロ級だよ」
 自慢げにその可愛らしい甲高い声で言う双葉。
「凄いわねぇ。お魚より(ケンカで)人間をさばく方が得意に見えるけど」
 大暴言だが美百合のおっとりしたところと、大樹自身がそんなことは言われ慣れているのもありもめなかった。
「大地さんのお兄さん。部活は何しているの?」
「入ってない」
「それならこのまま家庭科部にどうかしら?」
 他の女子が拒絶反応を起こすかと思われたが、ここまでレベルが違うと比べる気にならないらしい。特に起きなかった。
 だが当人が否定した。
「やめておく。今日は双葉の様子を見に来ただけだ」
「あらそう? でも入部すればいつも一緒よ」
 さり気なくくっつけに掛かっている感じのある社長令嬢。兄妹なのだが…
「どこの部活も俺が入ると迷惑をかける」
「うちは男子部員は大歓迎なんだけどなぁ」
 おっとりとした声で勧誘を続ける。そのプロポーションの良さから「お姉さんキャラ」として校内でも人気の美百合だった。

 無頼がきた。
 無関係のものは立ち入り禁止と言うのを無視して、ワルが中庭にやってきた。そして下品な印象の大声で叫ぶ。
「出てこい。大地。俺らと勝負しろ」
 わかりやすい要求に対して不可解なファッションだった。
 頭髪はモヒカンやスキンヘッド。これはまだ威圧のためのそれとわからなくはない。
 しかし男の割には不気味なほど体毛が少ない。
 服装はいわゆるパンク。そのまま「マッド○ックス」や「北斗○拳」に悪役で出演できそうだった。
「へっへっへっへ」
 一人が出刃包丁を威圧的にかざす。
「きひひひひ」
 一人は金串を同様に。
 口から火を吹く男までいる。

「部長」
 怯えた口調の家庭科部員。
「大丈夫よ」
 優しい口調の美百合。根拠は不明だが不思議と安堵させる声である。
「大ちゃん……」
「お兄ちゃん……」
 不安そうな視線を向けた二人の少女。
 無骨な男はこんなときでも無表情。黙って家庭科室を出て行く。だが立ち止まり
「俺がどこにも入らないのは、あの手の馬鹿がいるからだ」
それだけ言うと静かに出て行った。
「私は気にしないんだけどなぁ」
 どこまでもマイペースな栗原美百合だった。

 四月の終わりごろ。柔らかい風が吹く。砂埃を舞い上げ「対決ムード」を煽る。
「へっへっへ。今度こそテメーをKOしてやるぜ」
「まさか逃げたりゃしねえよな」
 嘗め回すような視線。
「いいだろう。受けてやる」
 大樹はブレザーを脱ぎ捨て、ワイシャツを腕まくりする。
「いい度胸だ。しかしこれでもいきがってられるかな?」
 出刃包丁を持っていた男はとうもろこしを出した。それを空中に放り投げる。
「はっ。やっ。たぁっ」
 気合と共に包丁を振り回すと、空中であの堅いとうもろこしが切り刻まれて適度なサイズに。
「なるほど。切れ味はいいな」
「ふっ。そして俺は」
 金串を持っていた男はどこからか豚肉の塊を出した。
 そこにワイヤーの糸を巻きつけ、それを引っ張った。
 ばらばらになる豚肉。これが人間の手足だったら
「けーっけけけけ」
 口から火を吹いていた肥満体の男は、いつの間にかブロックをくみ上げていた。
 そしてその中に火を吹き付ける。どうやら炭があるらしく男が火を吹くのをやめても熱を発している。
「準備は出来たぜ」

 それを廊下の窓から見ていた家庭科部員たち。
 もちろん双葉と美鈴も心配そうに見ている。
「お兄ちゃん!!」
 凶悪な準備が進むにつれて不安が募り、いても立ってもいられず中庭に。
「あっ。双葉ちゃん」
 後を追い美鈴も対決の場に。

 美鈴と双葉は目が点になっていた。
 確かに切り刻まれた肉や野菜。
 それはデモンストレーションではなく、食材だったのだ。
 そう。男たちはバーベキューをしていた。
 ただし対決は本当で表情にまったく笑みがない。
 それは大樹も同様。真剣に火と取り組んでいた。
「対決って……


 おっとりと駆けつけてきた美百合もやや呆れ気味。
「けっ。冬の焼き芋では生焼けを指摘されて赤っ恥をかいたからな。こんどこそ『美味い』とうならせてやる」
 つまりはそういうことだったのだ。
「不良かと思ったら……」
 思わず漏れ出た双葉の言葉。それに反応するリーダー格の男。
「ああ? ワルが料理好きで悪いか? 俺たち悪漢高校家庭科部。自慢じゃねぇが自分の弁当は自分で作ってくるぜ」
 もはや不良なのは見かけだけである。一心不乱に「料理」に取り組んでいた。
「でもどうしてバーベキューなのかしら?」
「男の料理はアウトドアよ」
 よくわからない理屈であった。
「リーダー。焼けたぜ。味付けは頼む」
 モヒカンがりの男が叫ぶ。
「よし。へへへっ」
 実に楽しそうに塩や胡椒を降りかける。そしてそれを大樹に差し出す。
「俺のほうは出来たぜ」
「こっちもだ」
 焼き方に差はない。すると味付けが勝負。
 互いに交換して試食。
「うぐっ」
「勝負あったな」
 リーダーの表情が物語っていた。
「く…くくっ…俺の味付け、男には良くても女には多分濃すぎる。だが大地のは薄味。物足りなきゃあとから塩コショウを振ればすむが、最初からついていたらどうしようもねぇ…」
 膝を折る。
「あらあら。やっぱりお料理好きに悪い人はいないわね」
 どこまでものん気な部長であった。
「あの…よければ私たちもいいかしら? 材料は持ってきますから」
「ああ…好きにしてくれ…」
 必勝体制できたのに敗北。もうどうでもよくなっていた。

 図らずも校内バーベキュー大会になっていた。

「こらぁぁぁ」
 当然だがこんな中庭で火を使っていれば黙っているはずはない。
 生活指導の若元が跳んできた。
「なにしとるんだ。お前らは?」
「見ての通り調理実習ですわ。先生」
 もしかして本気でそう思ってんではないかと思うほど、堂々としたうそつきぶりだった。
「た…確かにいい匂いだが…こいつらはなんだ? 他所の学校だろう」
 悪漢高校の面々をさして言う。
「はい。ですから今日は臨時のお客様をお迎えしての実習です。悪漢高校の家庭科部の皆さんです」
 透き通るような声で堂々と言う。
「こいつらがぁ?」
 若元は彼らを一瞥する。どう見ても不良にしか見えない。
「だったら食って見てくれ。これが料理をしない奴に作れるかどうか」
 先刻作ったバーベキューを串ごと渡す。
「む……」
 妙な展開だが仕方ない。食す。
「ん……美味いな……」
「でしょうが」
 確かに女性相手だと濃いが、男性相手ならむしろちょうど良かった。
「いいだろう……合同調理実習は認めてやる。だがコイツも部員なのか?」
 さすがに自分の学校の生徒となるとある程度は把握している。ましてや大樹のような目立つ外観を持つものは嫌でも記憶に残る。
「はい。一日体験入部の大地さんのお兄さんです」
 そのふわーっとした「天然ぶり」に毒気を抜かれた。
「火の始末はきちんとしとけよ」とだけ言い残すと校内に戻っていく
 ほっと一安心の一同。

 再戦の約束を取り付けて悪漢高校家庭科部は去った。
 そしてその途端に
「お兄ちゃん。かっこよかったよ」
ぴょんと抱きつく小柄な少女。もう突っ込む気力もない少女たち。
「大地さんのお兄さん。入部したくなったらいつでも言ってね。歓迎しますから」
 空いている手をそっと握る美百合。強張る双葉。
「うふふふ。本当にお兄さんのことが好きなのね」
 この言葉でからかわれていることをやっと悟った。
 もっとも「普通の」兄妹にはまず通じないのであるが。

 ブラコンに磨きの掛かってきた双葉。
 天然に拍車のかかる部長の美百合。
 先行き不安になってきた美鈴である。

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