1 目撃情報の提供者

文字数 1,632文字

 公園につくと兄の方が一呼吸の(のち)、『これ』と言って陽菜(はるな)に向かって財布を差し出してきた。彼がどんな理由を添えるのか、(れん)は固唾を呑んでそれを見守る。
 彼女は何と返していいのか困っているように見えた。ここで誘導尋問してしまっては意味がない。彼がどんな選択をするのか知る必要がある。彼女と目があった戀は小さく左右に首を振った。待つべきだと言うように。
 
 おずおずと財布を受け取る陽菜。それを見届けた彼は次の瞬間、がばっと頭を下げる。
「ごめんなさい!」
 その勢いに驚いていると、傍に居た弟が兄の前に出て両手を広げた。まるで兄を庇うように。
「お兄ちゃんを怒らないで。悪いのは僕だから」
 涙ながらに訴える弟に、首を傾げた陽菜。
 戀はそんな三人に助け舟を出す。ゆっくりでいいから話を聞かせて欲しいと。

 彼らから聞いた話によるとどうやら、彼の家庭では両親共働きをしていたが父の勤め先が倒産。何とか再就職できたが、この不景気では以前のような収入がないらしく満足に食事もできないらしい。
 その上、日に日に上がっていく物価。戀はなんとなく彼らの状況が想像できた。
 節約にも限度がある。給食が出せなくなるような学校があるのだ、その上子育て世代が打撃を受けているのが今の世の中。一人暮らしだからこそ、自分はなんとかなっているのだと戀は感じていた。

「僕がお腹空いたっていったから、お兄ちゃんは……」
 他人(ひと)からモノを盗むことが悪いことであると、ちゃんと彼らは分かっているのだ。しかし彼らは陽菜から盗んだものの、財布の中身を見てそれを使うことをやめたのである。
 財布の中身は1000円程度。その少なさに、陽菜も自分たちと同じだと思ったのだそうだ。
 人は自分の体験から学ぶ生き物だと思う。
 自身の体験した辛さから、他人の気持ちを想像することができる。

「僕たちを警察に連れて行く?」
 兄の方が心配そうに陽菜に問う。彼女は小さく笑みを浮かべると、首を横に振った。
「二人はとても仲が良いのね。でも、もうこんなことしてはダメよ」
 コクコクと頷く彼。
 そんな彼らを見ていた戀は持っていたチラシを差し出すと、こども食堂について説明した。
「今度はどうしてもお腹が空いたらここへ行くといい」
 チラシによるとそこは無料らしい。
 一般的には無料から300円程度に設定されていて、そこは商店街の人たちがボランティアとして積極的に参加しているらしかった。近くに小学校があるのがその要因となっているのかもしれない。

「図書館の近くなんだけれど、わかる?」
 戀の言葉に兄の方が頷く。
 しかしこの後、驚いたのはそこにではなかった。
「僕たち、よく図書館にいくから知ってる」
「ママが迎えに来てくれるの、お兄ちゃんと図書館で待ってるの」
 兄の隣で弟がニコニコしながらそう付け足す。
 二人の話に思わず戀は陽菜と顔を見合わせた。
「あ、なあ。それっていつぐらいから?」
 慌てる戀に不思議そうな表情をする兄。
「弟が幼稚園に通っていた頃からだから、図書館が出来てからすぐかな?」
 兄の方は、共働きの両親に少しでも楽させてあげるために、小学校が終わったら幼稚園まで弟を迎えに行き、そのあと図書館で母の仕事が終わるまで時間を潰していたという。

 ということは、彼らは陽菜の兄を見かけたことがあるかもしれない。
 児童図書があった位置からでは図書館全体を見渡すことはできないが、入り口から確認できたということは入ってきた人を見ることはできるだろう。
 陽菜も同じことを考えたのか慌ててスマホを取り出すと、何やら画面を操作している。
「ね、ねえ二人とも。この人、見たことない?!
 思わず戀も画面を覗き込む。
 駅から図書館への道はいくらかあるが、あの珈琲店で見かけた可能性を否定できなかったからだ。

「お兄ちゃん、この人」
 先に反応したのは弟の方であった。
「お姉ちゃん、この人何かしたの?」
 急に不安そうに眉を寄せた兄。
 二人はその理由を聞いて、また驚くのであった。
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