第47話 常少女の泉

文字数 3,164文字

「常少女」 は 「とこおとめ」 と読みます。古語で、永遠に若い乙女、という意味です

◇◇◇

 坂を下った先の小ぢんまりした駐車場にも、車は数えるほどしか停まっていなかった。ここは公園の山斜面や雑木林に囲まれているため、時計塔広場前の駐車場よりだいぶひっそりした印象だ。色褪せたアスファルトは劣化が目立って、場所全体に若干時代がかった感じが漂う。

 児童公園の錆びたフェンス伝いに、コンクリートの平板が埋め込まれた歩道を歩いていく。行く手に見える農産物直売所は不定休だが、今日は休みらしい。店舗のシャッターは下り、普段なら花や野菜の苗でごちゃついた庇テントの下も、すっきりと見通しがいい。

 歩きながら、駐車場の斜交いに目をやった。アカメの生け垣の上に、レストランHORAIの白い板壁が覗く。アカメの葉はすでに緑色に変わってしまったが、手前のサツキが今は満開だ。サツキの植え込みは、駐車場に進入する道路と歩道の間にある。水曜の今日、店は休み。普段なら聞こえてくるテラス席の客の話し声が今日はない。そのせいで、駐車場が少し物寂しく感じられる。

 ところで、レストランHORAIの 「HORAI」 には、二つの意味がある。

 一つは、「永遠」。
 もう一つは、「一瞬」。

 一つ目の意味は、蓬莱公園の 「蓬莱」 に由来する。蓬莱は、海の彼方にあるとされる、永遠の命が約束された楽土のこと。中国の伝説上の島で、日本にそのイメージが伝わると、「常世」 に重ねて考えられるようになった。「常世」 は死者の魂が赴く所だが、「蓬莱」 はこの世のどこかに実在するとされる。

 他方、「HORAI」 は、ギリシャ神話に登場する、季節を司る女神たちの名前でもある。「女神」 ではなく、「女神たち」。つまり、"horai" は複数形だ。単数形は "hora" で、これは 「時間」 を意味する "hour" の語源になった。

 「HORAI」 に二つの意味が込められた理由は単純だ。店が固定メニューと、旬の食材を使った季節ごとのメニューを置いているから。つまり、「変わらないもの」 と 「変わるもの」 があるから。厳密な 「旬」 の期間は干支の十干に基づいて十日間だから、長い一年のうちでは一瞬と言えるだろう。ちなみに、季節ごとのメニューは、季節ごとに見頃の花が替わる蓬莱公園に倣って設けたらしい。

 縞模様の庇テントの下をくぐり抜けると、白と紫のテッセンが絡み付くフェンスが途切れて、水場広場の入り口が開けてくる。草のない裸地の広場に踏み込んでまず目につくのは、トトロの住処を思わせる楠の大木。瘤だらけのゴツゴツした幹に、紙垂の垂れ下がった太い注連縄が巻かれ、いかにも 「御神木」 といった佇まいだ。昔、小学校の校庭で見た木とは、ずいぶんと印象が違う。重厚で、威風堂々として、同じ種類の木とは思えない。ただ、シイやカシなど、ほかの常緑樹に比べて明るい色合いの葉っぱや樹皮には、優しい雰囲気があって、親しみやすさは変わらない。樹冠があまり鬱蒼とせず、適度に陽射しを取り込むところも、そう思わせる一因だろう。

 大樹の袂にある飲料メーカーやフィルムメーカーのベンチに人はいない。当然ながら、久寿彦の姿もない。まあ、久寿彦のほうが歩く距離が長いわけだから、これは予想していたこと。ベンチの前を通り過ぎ、森の手前に見える石の鳥居を目指した。

 鳥居をくぐると、広場まで漏れていた水音が急に大きくなった。小道の周りは、頭上まで森の枝葉に覆われ薄暗い。三方に立ち塞がる崖のせいか、水場全体がひんやりして気持ちがいい。清水は道の突き当たりの池から湧き出しているのではなく、池の先の崖の中腹から噴き出している。いわゆる迸出泉だ。湧水口の真下から丸太をくり抜いた筧を渡し、池の真ん中の岩を経由して、平石の足場の前に水を落とす仕組み。見た目は、流しそうめんの仕掛けに近い。森の外まで聞こえる水音は、この仕掛けによるもの。

 水汲み場まで行って、木棚から柄杓を手に取った。

 筧から垂れ落ちる透明な水の帯に突っ込むと、真鍮色の金底が勢い良くしぶきを跳ね上げ、手首に水の重みが伝わってくる。

 柄杓を引っこ抜き、合の部分を口に運んで水をすする。

 水は驚くほど冷たい。湧き水の温度は年間を通じて一定しているため、冬は温かく、夏は冷たく感じられるのだ。味のほうは澄み切って癖がない。それでいて、口当たりは柔らかい。街なかに湧き出していることが信じられないくらいの名水だ。ごくりと飲み下すと、冷たさの塊が腹に落ちていった。

 去年、バイトの面接に来たときには、池の周りにたくさんシャガが咲いていた。"iris japonica" という学名なのに、原産地は中国という、ちょっと紛らわしい花。アヤメの色を反転させたような明るい色遣いで、薄暗い水場の景色に映えていた。

 今はもう花はない。そのせいか、湧水口の脇にある石の祠がよく目立つ。いつ頃置かれたのかは定かではないが、見た目から判断して、相当古いものであることは間違いなさそうだ。風化した石の表面に、苔や地衣類がもっさりと貼り付き、それ一つで水場全体の神さびた雰囲気を醸し出している。

 祠があることからわかる通り、この泉は由緒ある泉だ。
 何でも、その昔、弘法大師が発見したらしい。
 鳥居の手前に掲げられた看板に、こんな話が載っている。

◇◇◇

 昔、このあたりはひどい日照りに見舞われた。井戸は枯れ、川の水も干上がって、村人たちはほとほと困り果てていた。

 秋の夕暮れ、一人の旅の僧侶が村を通りかかった。僧侶は一軒一軒家を訪ねて、宿を貸して欲しいと頼んで回った。だが、戸口に出た人々は、皆僧侶の頼みを断った。なぜなら、僧侶は立派な錫杖こそ携えていたものの、顔は埃だらけで、袈裟は破れ放題というみすぼらしい身なりだったからだ。

 ただ、村外れに住む老婆だけは、快く僧侶を受け入れた。

 老婆は、わずかばかりの水と温かい食事を僧侶に供して、旅の苦労をねぎらった。それから村人たちの非礼を詫び、村の惨状について語った。

 僧侶は黙って箸を動かしながら話を聞いていた。そして老婆が語り終えると、一言だけこう言った。

 ――明日の朝、山の麓を掘ってみなさい。

 あくる日、老婆が目覚めると、すでに僧侶の姿はなかった。老婆は言われたことを思い出し、鍬を持って山へ出かけた。

 だが、いざ山に辿り着いても、どこを掘ったらよいのかわからない。

 途方に暮れていると、一羽の鳥が目の前を横切って、山腹の岩の上に止まった。鳥は高らかにさえずり始める。まるで何かを告げるように。もしやと思った老婆は、近寄って岩に手をかけた。岩は容易に動いて、下から勢い良く水が噴き出した。

 このとき不思議なことが起こった。
 水がかかった手の皺が消えたのだ。
 不思議に思った老婆は、もう一方の手でも水に触れてみた。
 すると、その手の皺も消えた。
 しばらく考えたのち、老婆は今度は意を決して水を飲んでみた。
 すると、曲がっていた腰がたちまちまっすぐになり、白髪も黒くなった。

 村人たちは、別人のようになった老婆を見て仰天した。彼らも水を飲んでみたが、誰一人として若返ることはなかった。ただ、水が湧き出したことにより、村は窮地から救われた。

 その後、老婆は百八十年の間に渡って娘の姿を保ち続けた。しかし、ある朝、知り合いが家を訪ねてみたら、床の上で眠るように息を引き取っていたという。遺体はいつまでも温かく、不思議な芳香を放っていた。ただ、脈が戻ることはなく、村人たちは仕方なく彼女を埋葬した。

 泉は彼女にちなんで、「常少女の泉」 と名付けられた。
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