第15話 梅にうぐいす桜に……
文字数 2,613文字
夕方になった今、遊歩道の人影はほとんど見当たらない。広場でシートを広げているグループも、残すところあと数組だけになった。夜桜も有名な蓬莱公園だが、桜並木がライトアップされるのは龍神池の周りだけ。日が暮れたら広場は真っ暗になってしまうので、残っていても意味がない。
宇和島の提案で、騎馬戦の馬を作ることになった。龍神池までの道のりを、ただ歩いても面白くない。飛び込みの余興として罪人たちを馬に乗っけて池まで練り歩こう、という話になったのだ。
馬は二基作った。飛び込む人間は三人だが、馬役の人間の身長が合わず、三基目の馬を作ることはできなかった。
静かな遊歩道に、ザッ、ザッ、と足音が響いている。前を行くのは真一たちの馬。真一が馬の頭をやり、左側は岩見沢、右側は岡崎が担っている。彼らと組んだ手の上に乗っているのは松浦の足。結局、松浦も飛び込みをやることになった。お練りの話が出る直前までグダグダ文句を言っていた松浦だが、いざ馬を作ってみると、走ってみろ、だの、ロデオみたいに跳ねてみろ、だのと、いちいちうるさい注文をつけてきた。元々、馬の上に乗りたがるタイプの男である。昔、運動会で活躍したことでも思い出して、やる気に火がついたのかもしれない。
「いい眺めだー。人もいないし、最高だな」
今も馬の上でご満悦。額に手をかざして、あちこち見回している。
真一は複雑な気分だ。自分たちの役どころは、市中引き回しの刑を執行するお役人だったはず。だが、実際には、下っ端の人足のごとく汗水垂らし、罪人であるはずの松浦が殿様よろしく輿に担がれて花見を堪能している。これでは、いったいどちらが罰ゲームをやらされているのかわからない。
「おい、もう五時過ぎてるけど大丈夫なのか」
岩見沢の声も苛立っている。松浦はこれからバイトがある。飛び込みなんかやったら、全身ずぶ濡れだ。家に帰って、シャワーを浴びて、それでバイトに間に合うのかと訊いているのだ。
「まあ、六時半までに店に行けばいいことになってるから……」
岡崎が、水を差して悪い、といった調子の声で言った。岡崎もこれから松浦と一緒にバイト。二人とも今日は変則的なシフトで、日中の仕事がなかった。飲食店で休日に仕事がないというのは妙な話だが、桜祭りの期間中、店の客の入りははっきり言って悪い。花が満開なら花の下で飲み食いしたいと思うのが人情で、公園を訪れる人々の大半が飲食物を持参しているからだ。だから、店はこの時期、晴れた日の休日に限って、思い切って店内の営業を止め、店先で花見弁当を売ることにしている。これがなかなか好評で、毎年楽しみだと言う人もいる。しかし、そうなると店に人手はいらず、岡崎や松浦たちにもヒマができるというわけだ。
「市民農園のシャワーもあるしな」
真一も付け加えた。店の裏手は、林を挟んで市民農園になっているが、ここに設置されたコインシャワーは誰でも使用可能だ。公園下のせせらぎで子供を遊ばせた母親などもよく利用している。仮に何らかの理由で使用できなかったとしても、スポーツの森にもシャワーはあるから、あまり心配はいらないだろう。
「へえ、そんな所にもあるんですか……」
岩見沢がやや拍子抜けした声を返した。同じ市内でも、公園から遠い所に住んでいる岩見沢は、このあたりの地理にさほど詳しくない。
遊歩道の桜並木はちょうど満開。花づきの良い枝が幾重にも重なって、薄紅色のトンネルを形作っている。馬に跨っている松浦の目の高さからすれば、花の雲の合間をゆっくり飛んでいるような感覚だろう。実際、馬の上はたいそう快適らしく、ビールでも持ってくりゃよかったな、などとふざけた声が降ってくる。
真一は、桜並木の外に目を向けた。西の山では、地色の暗い斜面にヤマザクラがぽつぽつと色を添え、冬の装いの山が一転して明るい印象になった。遊歩道のソメイヨシノの色は均一でも、ヤマザクラの花の色はまちまち。白っぽいものから赤味の強いものまである。ただ、ひときわ白い花はオオシマザクラだ。青葉と純白の花の組み合わせは、赤芽と薄紅の花から成るヤマザクラとは好対照で面白い。それぞれの名前から、オオシマザクラは海辺の桜、ヤマザクラは山地の桜、と簡単に割り切ってしまいそうになるが、ヤマザクラは海岸付近にも生えている。今の時期、山がちな海岸線を車で走れば、二つの桜の見事な競演を見ることができるだろう。海釣りに行っていた頃は、毎年その光景を見て春の訪れを実感したものだったが、車を手放してしまった今は、公園の桜で満足するしかない。若干緑がかった春の海 (桜が咲く頃こういう色になる) がないのは寂しいが、それは言ってもしかたないこと。
第二広場を過ぎ、龍神池へと続く坂を下り切った頃には、だいぶ疲れが溜まっていた。特に足にきている。踏ん張ろうとしても、うまく膝に力が入らない。
だが、愚痴を言うのはやめておこう。後ろの二人は、真一よりずっと負担が重いのだから。先ほどから会話もなく、荒い息遣いの音だけ聞こえてくる。
一方、上機嫌で満開の花の下を行くバカ殿様は、下の人間の苦労など知ったことではない。スポーツの森に差し掛かったあたりから、馬の乗り方が荒くなった。桜の枝に手を伸ばしたり、体をひねって後ろの仲間たちと大声で会話したりと、まったく落ち着きがない。重心がずれる度に肩や首に負担がかかる。疲労の大半は、こいつのせいだ。
「ひょーっ!」
バカ殿様が奇声を上げた。
お戯れが過ぎる。というか、マジでむかつく。こいつは担ぎ手たちを何だと思っているのか。一言言ってやろうと振り返ったら、裸の上半身が目に飛び込んできた。いつの間にかTシャツを脱いで、頭の上でぶんぶん振り回している。満面の笑顔が憎たらしい。どうもリズミカルに振動が伝わってくると思っていたら、これのせいだったのか。花が満開なら、バカ殿様のおめでたぶりも全開だ。
「うひょーっ!」
春の雄叫び第二弾。
梅にうぐいす、桜にチンピラ。暖かくなってくると、こういった輩が増えて困る。
じっとしてろ、と岡崎が注意するも、聞く耳を持たない。Tシャツを振り回しながら、腰の動きもますます激しくなる。動く度にあぶみが踏み込まれて、手が痛い。
まったく勘弁してもらいたい。
何とかこいつをおとなしくさせる方法はないものか……。
頭をひねっていると、あることに思い至った。
宇和島の提案で、騎馬戦の馬を作ることになった。龍神池までの道のりを、ただ歩いても面白くない。飛び込みの余興として罪人たちを馬に乗っけて池まで練り歩こう、という話になったのだ。
馬は二基作った。飛び込む人間は三人だが、馬役の人間の身長が合わず、三基目の馬を作ることはできなかった。
静かな遊歩道に、ザッ、ザッ、と足音が響いている。前を行くのは真一たちの馬。真一が馬の頭をやり、左側は岩見沢、右側は岡崎が担っている。彼らと組んだ手の上に乗っているのは松浦の足。結局、松浦も飛び込みをやることになった。お練りの話が出る直前までグダグダ文句を言っていた松浦だが、いざ馬を作ってみると、走ってみろ、だの、ロデオみたいに跳ねてみろ、だのと、いちいちうるさい注文をつけてきた。元々、馬の上に乗りたがるタイプの男である。昔、運動会で活躍したことでも思い出して、やる気に火がついたのかもしれない。
「いい眺めだー。人もいないし、最高だな」
今も馬の上でご満悦。額に手をかざして、あちこち見回している。
真一は複雑な気分だ。自分たちの役どころは、市中引き回しの刑を執行するお役人だったはず。だが、実際には、下っ端の人足のごとく汗水垂らし、罪人であるはずの松浦が殿様よろしく輿に担がれて花見を堪能している。これでは、いったいどちらが罰ゲームをやらされているのかわからない。
「おい、もう五時過ぎてるけど大丈夫なのか」
岩見沢の声も苛立っている。松浦はこれからバイトがある。飛び込みなんかやったら、全身ずぶ濡れだ。家に帰って、シャワーを浴びて、それでバイトに間に合うのかと訊いているのだ。
「まあ、六時半までに店に行けばいいことになってるから……」
岡崎が、水を差して悪い、といった調子の声で言った。岡崎もこれから松浦と一緒にバイト。二人とも今日は変則的なシフトで、日中の仕事がなかった。飲食店で休日に仕事がないというのは妙な話だが、桜祭りの期間中、店の客の入りははっきり言って悪い。花が満開なら花の下で飲み食いしたいと思うのが人情で、公園を訪れる人々の大半が飲食物を持参しているからだ。だから、店はこの時期、晴れた日の休日に限って、思い切って店内の営業を止め、店先で花見弁当を売ることにしている。これがなかなか好評で、毎年楽しみだと言う人もいる。しかし、そうなると店に人手はいらず、岡崎や松浦たちにもヒマができるというわけだ。
「市民農園のシャワーもあるしな」
真一も付け加えた。店の裏手は、林を挟んで市民農園になっているが、ここに設置されたコインシャワーは誰でも使用可能だ。公園下のせせらぎで子供を遊ばせた母親などもよく利用している。仮に何らかの理由で使用できなかったとしても、スポーツの森にもシャワーはあるから、あまり心配はいらないだろう。
「へえ、そんな所にもあるんですか……」
岩見沢がやや拍子抜けした声を返した。同じ市内でも、公園から遠い所に住んでいる岩見沢は、このあたりの地理にさほど詳しくない。
遊歩道の桜並木はちょうど満開。花づきの良い枝が幾重にも重なって、薄紅色のトンネルを形作っている。馬に跨っている松浦の目の高さからすれば、花の雲の合間をゆっくり飛んでいるような感覚だろう。実際、馬の上はたいそう快適らしく、ビールでも持ってくりゃよかったな、などとふざけた声が降ってくる。
真一は、桜並木の外に目を向けた。西の山では、地色の暗い斜面にヤマザクラがぽつぽつと色を添え、冬の装いの山が一転して明るい印象になった。遊歩道のソメイヨシノの色は均一でも、ヤマザクラの花の色はまちまち。白っぽいものから赤味の強いものまである。ただ、ひときわ白い花はオオシマザクラだ。青葉と純白の花の組み合わせは、赤芽と薄紅の花から成るヤマザクラとは好対照で面白い。それぞれの名前から、オオシマザクラは海辺の桜、ヤマザクラは山地の桜、と簡単に割り切ってしまいそうになるが、ヤマザクラは海岸付近にも生えている。今の時期、山がちな海岸線を車で走れば、二つの桜の見事な競演を見ることができるだろう。海釣りに行っていた頃は、毎年その光景を見て春の訪れを実感したものだったが、車を手放してしまった今は、公園の桜で満足するしかない。若干緑がかった春の海 (桜が咲く頃こういう色になる) がないのは寂しいが、それは言ってもしかたないこと。
第二広場を過ぎ、龍神池へと続く坂を下り切った頃には、だいぶ疲れが溜まっていた。特に足にきている。踏ん張ろうとしても、うまく膝に力が入らない。
だが、愚痴を言うのはやめておこう。後ろの二人は、真一よりずっと負担が重いのだから。先ほどから会話もなく、荒い息遣いの音だけ聞こえてくる。
一方、上機嫌で満開の花の下を行くバカ殿様は、下の人間の苦労など知ったことではない。スポーツの森に差し掛かったあたりから、馬の乗り方が荒くなった。桜の枝に手を伸ばしたり、体をひねって後ろの仲間たちと大声で会話したりと、まったく落ち着きがない。重心がずれる度に肩や首に負担がかかる。疲労の大半は、こいつのせいだ。
「ひょーっ!」
バカ殿様が奇声を上げた。
お戯れが過ぎる。というか、マジでむかつく。こいつは担ぎ手たちを何だと思っているのか。一言言ってやろうと振り返ったら、裸の上半身が目に飛び込んできた。いつの間にかTシャツを脱いで、頭の上でぶんぶん振り回している。満面の笑顔が憎たらしい。どうもリズミカルに振動が伝わってくると思っていたら、これのせいだったのか。花が満開なら、バカ殿様のおめでたぶりも全開だ。
「うひょーっ!」
春の雄叫び第二弾。
梅にうぐいす、桜にチンピラ。暖かくなってくると、こういった輩が増えて困る。
じっとしてろ、と岡崎が注意するも、聞く耳を持たない。Tシャツを振り回しながら、腰の動きもますます激しくなる。動く度にあぶみが踏み込まれて、手が痛い。
まったく勘弁してもらいたい。
何とかこいつをおとなしくさせる方法はないものか……。
頭をひねっていると、あることに思い至った。