第31話 水魚の交わり
文字数 2,470文字
カラン、とドアベルの音を残して、バイカー三人組が店を出ていった。
ほどなく山間に単気筒エンジンの音が轟く。窓の外で先頭のバイクが走り出した。シルバーの半ヘルを追って、すぐにほかの二台も走り出す。革ジャンの背中が西日を弾き返したが、今出発すれば、暗くなる前には地元に着くだろう。
カリカリとテーブルに溢れる香ばしい音。カレーを平らげたあとも、岡崎はまだ腹が減っていると言ってピザトーストを追加注文した。小林とマサカズもそれに付き合った。二食をドカ食いする習慣のある岡崎と、サンドウィッチしか腹に入れていないマサカズの食べるペースは落ちないが、小林はちょっと苦しそうだ。半分ほどかじったピザトーストを皿に戻して、手のひらで顔を扇いでいる。
真一は食欲が湧かず、コーヒーしか頼まなかった。
手元のカップに目を落とす。色味の違う三種類の灰色で塗り分けられたカップとソーサーは、地元の陶芸作家の作品らしい。メニューに書いてあった。若干いびつな形に、山里の素朴な暮らしが垣間見える気がする。
小林たちに話しかけるにはまだ早い気がして、取っ手に指を通した。
馥郁と立ち昇る湯気を見つめながら、さっき見た光景を思い返す。
あの瞬間、それは異様な迫力で目の前に迫ってきた。
あたかも、二次元の映像が突如三次元の骨格を持って立ち上がってきたような……。
ほんの一瞬の出来事だったが、何倍もの長さの時間に感じられた。テーブルに出しかけた手も、思わず引っ込めていた。
目の前の二人と世界の一体性に圧倒された。
二人と世界の間には、わずかな齟齬も生じない。精巧な歯車同士のように、実体と影の動きのように、正確に一致する。
あれは、意図してできることではない。個人の意志を超えた特別な力の介在なしには、成し得ないことだ。
やはりそれは、何かを決定づける光景だった。
だが、「何か」 の正体はわからない。
ただ、見てはならないものを見てしまった、という思いに強く囚われた。
なぜそんな思いに取り憑かれたのか。
思いの根底に横たわっているものがあるとすれば、それは……。
静かに息を吐き出し、カップをソーサーに戻す。
店内に控えめな音量で流れている音楽――スマッシング・パンプキンズの "Thirty-Three" だと遅まきながら気づいた。大ヒットした二枚組のアルバムから最後にシングルカットされたのは、この曲だったか。
ミルクピッチャーの取っ手をつまみ、コーヒーにミルクを注ぐ。白く立ち昇った噴煙をスプーンでひと掻きすると、褐色の水面がさっと明るいブラウンに変わった。普段、ブラックでコーヒーを飲むことが多い真一だが、今は苦味が口に合わない。
マイルドになった味を確かめ、隣の水槽に目をやる。
ガラスの向こうで、魚たちは自分たちだけの世界を生きている。こちらとは勝手が違うその場所で、彼らは自由自在に泳ぎ回る。その世界は独自の法則に支配されているが、彼らはそれを熟知している。
彼らの知識や能力が、後天的に獲得されたものならばよかった。もしそうだったら、人間も彼らと同じように振る舞うことができたかもしれない。訓練の末に、流麗な泳ぎを身につけることができたかもしれない。
だが、魚は人のように学習しない。彼らの能力は、生まれながらにして彼らに具わっていたものだ。
彼らは世界の前で迷ったり、ためらったりしない。あれこれ考えることもない。にもかかわらず、世界のあらゆる働きに対して、常に最適のやり方で対処することができる。瞬時に、直感的に、ごく当たり前のこととして。
彼らの動きが、一瞬たりともぎこちなく見えることはない。その呼吸、身のこなし、何気ない仕草の一つ一つまでもが、滑らかに世界と調和している。
「水魚の交わり」 という。
もし、この世に完全なものがあるとしたら、水と魚の関係こそ、それに近いと言えるだろう。
魚は水を自らの身体の一部のように受け止め、水も魚を自らの一部として受け入れる。
水と魚は区別されない。
両者は二つで一つのものなのだ。
ぼんやり考えながらコーヒーをすすると、砂糖が入っていないことに気づいた。いつもと趣向を変えてミルクを入れたのだから、砂糖も入れることにする。テーブルの端からシュガーポットを引き寄せ、カップにさらさらとコーヒーシュガーを注ぐ。陶製のシュガーポットもカップと同じ色遣いだ。
水槽に目を戻す。
水と戯れる魚たち。
平べったい体が動くたびに、虹色の婚姻色も優雅に揺れる。
あらためて見事な泳ぎだと思った。無駄のない動きは、完成され過ぎていて、とても模倣などできそうにない。
ふと、魚たちを 「神」 のようだと思った。
水の中にいる限り、彼らに不可能なことはないだろう。世界がどんな状況に陥ったとしても、彼らはさらりと対処してみせるはず。
果たして、長い年月をかけて、魚たちが世界に適応していったのか、それとも世界のほうこそ、あらかじめ魚たちに合わせて作られていたのか……。
普通に考えれば、正しいのは前者だろう。だが、魚たちの素晴らしい泳ぎを見ていると、常識が疑わしく思えてくる。
魚が世界に合わせたのではない。世界のほうこそ、魚たちに従属している。
彼らは水の支配者。世界を統べる者。
窓から差し込む陽射しが、また少し角度を浅くした。女性店員が知らぬ間に窓を開けていたようだ。アイボリーに染まった店の白い壁に、カーテンの影が揺れている。
ぬるくなり始めたコーヒーを飲み下すと、ふくよかな香りが鼻から抜けていった。午後の円かな陽射しは、コーヒーと相性がいいと思う。
いち早くピザトーストを平らげた岡崎と目が合った。俺もコーヒー飲もうかな、と同意を求めるように言ったので、飲めば、と答えておく。どうせ急ぐ必要はないのだ。これからほかの観光名所に行くつもりはない。カレーを食べているとき、楽々谷の温泉に入ることが決まった。小林が車の中で言っていた温泉だ。川辺の鄙びた一軒宿で、日帰り入浴も受け付けている。
ほどなく山間に単気筒エンジンの音が轟く。窓の外で先頭のバイクが走り出した。シルバーの半ヘルを追って、すぐにほかの二台も走り出す。革ジャンの背中が西日を弾き返したが、今出発すれば、暗くなる前には地元に着くだろう。
カリカリとテーブルに溢れる香ばしい音。カレーを平らげたあとも、岡崎はまだ腹が減っていると言ってピザトーストを追加注文した。小林とマサカズもそれに付き合った。二食をドカ食いする習慣のある岡崎と、サンドウィッチしか腹に入れていないマサカズの食べるペースは落ちないが、小林はちょっと苦しそうだ。半分ほどかじったピザトーストを皿に戻して、手のひらで顔を扇いでいる。
真一は食欲が湧かず、コーヒーしか頼まなかった。
手元のカップに目を落とす。色味の違う三種類の灰色で塗り分けられたカップとソーサーは、地元の陶芸作家の作品らしい。メニューに書いてあった。若干いびつな形に、山里の素朴な暮らしが垣間見える気がする。
小林たちに話しかけるにはまだ早い気がして、取っ手に指を通した。
馥郁と立ち昇る湯気を見つめながら、さっき見た光景を思い返す。
あの瞬間、それは異様な迫力で目の前に迫ってきた。
あたかも、二次元の映像が突如三次元の骨格を持って立ち上がってきたような……。
ほんの一瞬の出来事だったが、何倍もの長さの時間に感じられた。テーブルに出しかけた手も、思わず引っ込めていた。
目の前の二人と世界の一体性に圧倒された。
二人と世界の間には、わずかな齟齬も生じない。精巧な歯車同士のように、実体と影の動きのように、正確に一致する。
あれは、意図してできることではない。個人の意志を超えた特別な力の介在なしには、成し得ないことだ。
やはりそれは、何かを決定づける光景だった。
だが、「何か」 の正体はわからない。
ただ、見てはならないものを見てしまった、という思いに強く囚われた。
なぜそんな思いに取り憑かれたのか。
思いの根底に横たわっているものがあるとすれば、それは……。
静かに息を吐き出し、カップをソーサーに戻す。
店内に控えめな音量で流れている音楽――スマッシング・パンプキンズの "Thirty-Three" だと遅まきながら気づいた。大ヒットした二枚組のアルバムから最後にシングルカットされたのは、この曲だったか。
ミルクピッチャーの取っ手をつまみ、コーヒーにミルクを注ぐ。白く立ち昇った噴煙をスプーンでひと掻きすると、褐色の水面がさっと明るいブラウンに変わった。普段、ブラックでコーヒーを飲むことが多い真一だが、今は苦味が口に合わない。
マイルドになった味を確かめ、隣の水槽に目をやる。
ガラスの向こうで、魚たちは自分たちだけの世界を生きている。こちらとは勝手が違うその場所で、彼らは自由自在に泳ぎ回る。その世界は独自の法則に支配されているが、彼らはそれを熟知している。
彼らの知識や能力が、後天的に獲得されたものならばよかった。もしそうだったら、人間も彼らと同じように振る舞うことができたかもしれない。訓練の末に、流麗な泳ぎを身につけることができたかもしれない。
だが、魚は人のように学習しない。彼らの能力は、生まれながらにして彼らに具わっていたものだ。
彼らは世界の前で迷ったり、ためらったりしない。あれこれ考えることもない。にもかかわらず、世界のあらゆる働きに対して、常に最適のやり方で対処することができる。瞬時に、直感的に、ごく当たり前のこととして。
彼らの動きが、一瞬たりともぎこちなく見えることはない。その呼吸、身のこなし、何気ない仕草の一つ一つまでもが、滑らかに世界と調和している。
「水魚の交わり」 という。
もし、この世に完全なものがあるとしたら、水と魚の関係こそ、それに近いと言えるだろう。
魚は水を自らの身体の一部のように受け止め、水も魚を自らの一部として受け入れる。
水と魚は区別されない。
両者は二つで一つのものなのだ。
ぼんやり考えながらコーヒーをすすると、砂糖が入っていないことに気づいた。いつもと趣向を変えてミルクを入れたのだから、砂糖も入れることにする。テーブルの端からシュガーポットを引き寄せ、カップにさらさらとコーヒーシュガーを注ぐ。陶製のシュガーポットもカップと同じ色遣いだ。
水槽に目を戻す。
水と戯れる魚たち。
平べったい体が動くたびに、虹色の婚姻色も優雅に揺れる。
あらためて見事な泳ぎだと思った。無駄のない動きは、完成され過ぎていて、とても模倣などできそうにない。
ふと、魚たちを 「神」 のようだと思った。
水の中にいる限り、彼らに不可能なことはないだろう。世界がどんな状況に陥ったとしても、彼らはさらりと対処してみせるはず。
果たして、長い年月をかけて、魚たちが世界に適応していったのか、それとも世界のほうこそ、あらかじめ魚たちに合わせて作られていたのか……。
普通に考えれば、正しいのは前者だろう。だが、魚たちの素晴らしい泳ぎを見ていると、常識が疑わしく思えてくる。
魚が世界に合わせたのではない。世界のほうこそ、魚たちに従属している。
彼らは水の支配者。世界を統べる者。
窓から差し込む陽射しが、また少し角度を浅くした。女性店員が知らぬ間に窓を開けていたようだ。アイボリーに染まった店の白い壁に、カーテンの影が揺れている。
ぬるくなり始めたコーヒーを飲み下すと、ふくよかな香りが鼻から抜けていった。午後の円かな陽射しは、コーヒーと相性がいいと思う。
いち早くピザトーストを平らげた岡崎と目が合った。俺もコーヒー飲もうかな、と同意を求めるように言ったので、飲めば、と答えておく。どうせ急ぐ必要はないのだ。これからほかの観光名所に行くつもりはない。カレーを食べているとき、楽々谷の温泉に入ることが決まった。小林が車の中で言っていた温泉だ。川辺の鄙びた一軒宿で、日帰り入浴も受け付けている。