第7話 愚者二

文字数 2,655文字

「始まったよ……」

 無遠慮に肩を組まれた川崎があからさまに嫌そうな顔をした。マサオには、酔うと人に絡む癖があるらしい。ナントカ上戸でいちばんタチの悪いやつだ。松浦と五所川原は迷惑そうにしているものの、特に驚いた様子はない。たぶん、こうしたことは初めてではないのだろう。

「おい、こっちを向け」

 マサオはぐいっと腕に力を込めて川崎を引き寄せる。川崎は横目でマサオを一瞥したのち、鬱陶しそうにため息をついた。

「何だ、その態度は」

 マサオの眉がぴくりと跳ねた。川崎の肩に回した腕を外して、正面に回り込む。あらためて両肩をがっしりつかむと、今日はお前に人付き合いの仕方を教えてやる、と愚にもつかない説教を垂れ始めた。

 凡庸な人生訓が熱っぽく語られていく。酔っぱらいなりに真剣に語っている。

「だいたいお前は、いつもやり投げなんだ」「まずはちゃんと人の目を見て話すことから始めれ」……。

 やり投げ……?
 始めれ……?

 呂律の回らない声が、少し離れた所に座っている真一の耳にも届く。

 だが、五分としないうちに、マサオの胸に空っぽのクーラーボックスが押し付けられてしまった。酔っぱらいの安物講釈に付き合ってやるほど、川崎もお人好しではないということだ。川崎は紙コップとオードブルの残りの品が乗った紙皿を持って立ち上がり、すでにシートの隅っこに避難していた松浦と五所川原の所へ向かっていく。

「まったく、勘弁してもらいてえよ……」

 肩をすくめて二人の前に腰を下ろすと、災難だったな、と五所川原が笑いかけ、松浦は、まあ、お茶でも飲め、と川崎の紙コップにペットボトルのお茶を注いだ。

 三人は事情があって酒が飲めない。松浦は夕方からバイトが入っているし、川崎と五所川原は、車で仲間たちの送迎を頼まれている。桜祭りの期間中は、駐車場の出入り口で飲酒検問が行われているから、二人が飲んだら仲間たちは全員徒歩で帰らなくてはならなくなってしまう。マサオもそれは同じなのだが、酔っているため、自分の行為がもたらす結果まで考えが及んでいないようだ。

 ぽつんと取り残されたマサオ。川崎を追うでもなく、腹に抱えたクーラーボックスを見つめて、ぶつぶつ何かつぶやいている。

「何見てるんです?」

 岡崎がくわえ煙草で訊いてきた。真一は、黙って顎をしゃくる。

「何だあ、ありゃあ」

 マサオに目を向けたのち、岡崎はしょっぱい顔で振り返った。眇めた右目は、煙草の煙が染みたせいだけではないだろう。何か訊きたそうな顔に、真一はこれまでの経緯を教えてやった。

「何だか面倒くさそうな奴ですねえ……」
「お前の友達じゃないの?」
「はっ? 知りませんよ、あんな奴」

 心外だ、と岡崎は目を剥く。むろん、真一は冗談を言っただけだ。マサオは松浦の同級生に違いない。

「ちょっと、あんたの番」

 むすっとした声が割り込んできた。岡崎の後ろで、黄緑色のカーディガンを着た女の子がトランプを突き出している。スリムの黒いパンツでは膝が疲れるらしく、真一の見ている前で座り方を変えた。色白の顔に似つかわしい淡いミディアムの髪。早くしてよ、と明るい茶色の瞳が訴える。美汐も元バイト仲間だ。店のバイトの中では一番の古株で、副リーダー的な立場にある。年は真一の一つ下。ただ、真面目でしっかりした性格は、年下であることを感じさせない。

「あ、すんません」

 岡崎が頭に手をやって振り返り、扇形に広げられたカードの中から一枚引いた。自分の手札と見比べ、他のカードと一緒に捨てると、円座の中心に溜まったカードの上に、スペードとダイヤの4が加わった。

 真一も岡崎から一枚引いた。ダイヤのJ。一緒に捨てられるカードはなく、手札に加える。

 岩見沢にカードを差し向けつつ、横目でマサオを窺う。

 相変わらず青いクーラボックスとにらめっこを続けるマサオ。ただ、その蓋は開けられ、視線が注がれているのも容器の中だ。

 クーラーボックスは空っぽだったはず。缶ビールやおつまみの類はすべて外に出されている。いったい何がマサオの興味を惹きつけているのだろう。マサオにしか見えない何かが潜んでいるのだろうか。

 と、おもむろにクーラーボックスに頭を突っ込んだ。

「あーっ!」

 野人のごとき咆哮に、仲間たちが一斉に振り返る。隣のグループの宇和島が、やれやれ、と肩をすくめ、野田という男も、苦笑いで左右に首を振っている。彼らにとっても、マサオの酒癖の悪さは知れたことのようだ。特段、驚いた様子はない。ただ、大月さんと高萩さんという女の子二人に同じ余裕はなく、嫌悪感を露わに、バッグをつかんでほかの場所へ移ろうとしていた。

「お前の知り合い?」

 美汐の隣の西脇が、もう一つ隣の益田に、さっきの真一と同じ質問をした。継ぎ接ぎデニムのチューリップハットをかぶって、柄のうるさいポンチョみたいな服を着ているほうが西脇、紺色のキャップにスケートボードブランドの赤いトレーナーという格好のほうが益田だ。二人も元バイト仲間。真一が店にいた頃、西脇は週二日、益田は週四日のペースで働いていた。西脇はメインである輸入雑貨の店――ゆくゆくは自分の店を持ちたいらしい――のバイトと掛け持ち、洋食屋の倅の益田は、マスターと遠い親戚という関係から、人手不足のときにヘルプで店に入って、そのまま定着してしまった。

「さあ、見たことないな」

 首を傾げた益田を見て、真一は、おやっと思った。益田は松浦と同じ高校の出身だ。高校時代は松浦とさほど親しくなかったそうだが、それにしても松浦の友人と思しきマサオを見たことがないというのはおかしい。同じ高校に通っていたのなら、顔くらい知っていてもいいはずだ。

 岩見沢の反応も同じ。岡崎に、「お前はどうなの」 と訊かれると、「あいつらの中学時代の同級生じゃないの」 と当てずっぽうな答えを返していた。

 だが、松浦と同じ高校に通っていた二人が知らないとなると、マサオと松浦たちは、いったいどういう関係なのか。岩見沢の言う通り、中学時代の同級生か、昔のバイト仲間か、あるいは、それ以外の遊び仲間か……。

 ほっとけほっとけ、と宇和島が手を払うと、隣のグループの面々は、何事もなかったかのように会話に戻った。真一たちのグループでも、西脇がカードを捨てたのをきっかけに、ゲームが再開した。和やかな雰囲気が場に戻り、マサオが何者であるかという問いはうやむやになってしまった。ただ、真一は、トランプに集中しながらも、二割程度の意識をマサオに残しておくことにした。
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