美術講師  原田未耶 3

文字数 1,492文字

「ちょっと待って。ちょっと」
 未耶がそう言って立ち止まる。ハアハアと荒い息をしている。幸人もハアハアと息を吐く。
いつの間にか幸人が未耶の手を掴んで走っていた。

「やべえ。心臓止まりそう」
幸人が言った。
「大丈夫?」
「はい」
二人は息が落ち着くまでそこにいた。
「俺、全速力なんて、ここ数年無かったから・・・」
「御免。御免」
未耶が謝る。

「一体、何事ですか?」
幸人は言った。
「それよりも、あなた、いつから見ていたの?」
未耶は低い声で聞いた。
「いつからって・・・・原田先生があの男を殴った辺りから・・・」
未耶は「あちゃ~」と言って両手で顔を覆った。
「あの、大丈夫です。俺、誰にも言わないから」
幸人は慌てて言った。
「そうしてくれると有難い」
未耶は返した。

息が収まると、二人は歩き出した。
未耶は幸人の肩程しかない。幸人は未耶に合わせてゆっくりと歩く。
「林さん。この駅を使っているんだ」
未耶が言った。
「はい。先生もこの駅なんですか? 会った事が無いっすね」
幸人は言った。
「自転車通勤なの。でも、今日は友人との食事会だったから電車を使ったのよ」
彼女は返した。
「何か、もめていましたね」
未耶は歩きながら幸人に言った。
「うん。・・あれ、彼氏なんだけれど、二か月前に別れたの。アパートも引っ越して、住所も教えなかったのだけれど・・・今日会ったメンバーの誰かが教えたんだわね。私の使っている駅を。スパイがいたのよ・・・誰だろう?」
「穏やかじゃないっすね」
「サスペンスよね」
未耶は笑う。

二人は黙って歩く。

「あの人、浮気したんですか?」
幸人がそう言うと、未耶は苦笑して「聞こえていたんだ」と言った。
「そりゃあ、まあ・・・言っちゃなんだけれどはっきりと」
「もう、信じられない。ホント恥ずかしい・・・」
未耶はまた苦笑する。

「浮気相手は知っている人ですか?」
「うん。私の友達と浮気していたの」
あっさりと彼女は言った。
「うわっ、それ、最悪っすね」
「彼氏は、その、原田先生とまだ続けたいんですかね?」
「知らんわ。そんなの。今更よりを戻そうなんて甘いんだよって言ってやったわ・・・だって、二人で何か月も私の事を騙していたのよ。陰できっと笑っていたんだわ。間抜けだって! 悔しい!」
未耶は突然怒り出した。
「殴ったからいいんじゃないですか」
「もう一発殴って置けば良かった」
「・・・・」
「その浮気って誰かから聞いたのですか?」
「本人だよ! 本人! 私の友達に聞いた! もう、絶交だよ!」
「うわっ、益々最悪。どろどろっすね」

曲がり角に来た。
「じゃあね、林さん、私はこっちだから。今日の事はくれぐれも・・」
「いや、俺もこっちっす」
「えっ?」
「いや、俺もこっち・・」
「あ、そうなんだ・・・」

二人は黙々と歩く。
「・・・ちょっと待って、林さんの家はどこにあるの?」
未耶が立ち止って言った。
「あ、俺んちもうすぐです。あの、コンビニの道路を挟んでこっち側、あそこにあるのが俺んちです」
「・・・・」
「原田先生の家は・・・?」
「あの、コンビニの上」
「えー!!知らなかった。ご近所じゃないっすか。何階ですか?」
「・・・・」
「へえ。どこどこ? どの部屋?」
「・・・何でそんな事をあなたに教える必要があるの?」
「済みません。調子に乗りました」
幸人は笑って胡麻化した。

未耶は横断歩道で立ち止ると「じゃあね。林さん。今日の事も私の家の事も誰にも言わないでね。さようなら」と言って向こう側へ渡って行った。
「了解です。お休みなさい」
幸人はそう返した。
暫くアパートを見ていたら、ぴかっと電気の点いた部屋があった。3Fの東側角部屋だ。
幸人はそれを確認するとにやりと笑った。



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