未耶と。

文字数 1,707文字

 未耶と「THE FIRST SLAM DUNK」 を観に行った。
 結婚して、こそこそとしなくてもいい事になったから気楽だった。それでも知り合いに会いそうな所は避けた。色々と聞かれたら面倒だから。
 すごく良い映画だった。未耶は感動で泣いていた。漫画は何度も読んだが、この映画を観て、もう一度読み直そうと思うと言っていた。
「私、実を言うと密かにリョータを目指していた」
 未耶がそう言って幸人は笑った。中学時代、未耶はバスケをやっていた。だが、スタメンでは無かった。
「絶望的に身長が足らなかったし、運動神経もまあまあのレベルだったからね。練習がしんどくて何度辞めようと思ったか分からなかったよ。でも、安西監督のあの言葉を思い出して頑張ったよ」
 未耶はそう言った。
「幸人なんかさ、背が高いのだからバスケをすれば良かったのに」
「俺は絶望的に運動神経が無い」
 幸人はそう言って笑った。
 幸人もスラダンは大好きだから何度も読んでいる。
「俺、はなみっちゃんが一番好き」
「私、リョータ派だけれど、本当は流川」
 そんな話をぽつぽつとしながら歩いた。未耶が腕を絡める。幸人の腕に寄り掛かる。未耶が確かにそこにいるという、自分に寄り添って歩いているという、何と言うか、実存とでも言えばいいのか、寄り掛かる未耶の体の重さや温もりを感じながら幸人は歩いた。

 大学1年生の10月。
 幸人は父親に「結婚したい人がいる」と言った。
 父は目を丸くした。
「それは誰だ」と聞かれて「実は高校の美術の先生だった人」と答えた。
 父は「な、何ぃ~!」と言って立ち上がった。
「ど、どういうことだ?!」
 父はそう言ったきり言葉が続かなかった。

 
 幸人の話を聞いて父は呆れた顔をした。
「そんな事をしていたなんて、ちっとも分からなかった」と言った。
「先生と付き合うなんてとんでもない奴だ」とも言った。
「その先生もとんでもない」
「お前、周囲にばれたらトンでもない事になっていて・・」
「バレなかったから」
 幸人はすかさず言った。

 父は腕を組んで厳しい顔で幸人を見ていた。そして「母さんがいたならきっと気が付いただろうな」と言って仏壇の写真に目をやった。
 母は幸人が小6の時に癌で亡くなった。それ以来、父は男手一つで幸人を育てて来た。
 幸人はへへへと笑うと「俺、ポーカーフェイスが上手いから」と言った。

 病気の母を悲しませたり困らせたりしてはいけないと思っていた。仕事をしながら母の看病をしたり家の事をしたりしている父を悲しませたり困らせたりしてはならないと思っていた。いつも穏やかで優しくしなくちゃならない。自分の事は自分でちゃんとしなくちゃならない。家の中で出来る事をやらなくちゃならない。寂しくても我慢をしなくちゃならない。
 そう思っていた。ずっとそう思っていた。

「本気なのか?」
 父に聞かれて「本気に決まっている」と答えた。
「お前は学生なんだぞ。どうやって生活していく積りだ。彼女がお前を養っていくのか? 大学を卒業するまで待てないのか?」
「待てない。彼女だって待てない。バイトをする。それに父さんに前借りする。返済は出世払いにする。ちゃんと返すからお金を貸して」
 幸人は言った。
 父は大きく息を吐くと天を仰ぎ「アンビリバボー」と言った。

 未耶の家でも似たような反応だったらしい。
 両親は「お前は何をやっているんだ」と言って呆れ、当時大学3年だった妹が驚きの余りにひっくり返ったそうだ。

 12月の始めに一度両家が集まって顔合わせをした。
 未耶の両親は幸人の父親に何と言っていいのか分からないという顔をしていた。

 結婚の条件は「幸人は必ず大学を卒業する事」であり、稼ぎの無い幸人の為に幸人の父が毎月幾許かを援助すると申し出た。
 幸人の父親は「親バカの見本の様な親だ」と言った。
 未耶の両親はほっとした。
 未耶に大きな負担が掛かる事を心配していたから。
 二人で住むのに部屋を探した。郊外で2LDKの物件を見付けた。大学からも未耶の職場からも少し離れてしまうが、静かな住宅街で環境がいいと思ったからそこに決めた。
 3月。婚姻届けを出した。コロナのせいで式は延期となった。
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