未耶 3
文字数 1,534文字
未耶を突き落とした男には執行猶予5年が付けられた。幸人はそれを弁護士から聞いた。
男を絶対に許さないと思いながらも、怒り、憎しみをその男にぶつける事すら出来なかった。
幸人はまるでもぬけの殻だった。
自分は只の殻。何の役にも立たない。
麗しい果実を失った用無しの殻でしかないと感じた。
幸人は帰るべき家を失くした幼子と同じだった。暖かい家を恋い慕う様に未耶を恋い慕った。
だが、探しても探しても未耶はどこにもいなかった。
加害者の弁護士から本人と家族が謝罪したいと言う申し出があったが、幸人は、それを断った。謝罪は受け入れないと言った。
幸人は長い間人と会う事を拒み、部屋に引き籠って暮らしていた。何もすることが出来なかった。マサミチのイラストを仕上げる事も出来なかった。イラストは誰かに引き継がれた。見兼ねた父親が家に連れ戻そうとしたが、幸人は頑として言う事を聞かなかった。父は時々幸人の様子を見にアパートに行った。
そして料理をして幸人と一緒に食べた。
幸人はまたイラストを描き始めた。未耶を描いた。毎日毎日描き続けた。そうやっていると未耶が死んだ事が悪夢の様に思えた。けれど寝て起きても悪夢は覚めなかった。
一周忌が過ぎた頃、一人の女性が尋ねて来た。
女性は自分が「ユリカ」だと言った。
未耶が大学の時にバイトで行っていた絵画教室の先生。
「ああ・・」幸人は思い出した。
老年に差し掛かった女性は酷くやつれて髪は白髪だらけだった。
女性は自分が未耶ちゃんを誘った所為でこんな事になってしまったと泣いて詫びた。床に伏せて泣きながら土下座をした。
幸人はそれを黙って見ていたがぼそぼそと告げた。
「起きてください。もう謝らないでください。謝ってもらっても僕は今、誰の事も許す事が出来無いのです。だから、あなたを許すと言う事は言えません。でも、あなたが謝ってくれたと言う事だけはちゃんと覚えておきます。あなたを恨んではいません。でも許す事は出来無いのです」
女性は立ち上がって、頭を下げて出て行った。
ブローチは未耶のクローゼットに仕舞ったままだ。
ある日、マサミチが訪ねて来た。マサミチはすっかり痩せて面変わりのした幸人に
「何か欲しい物は無ありませんか」と尋ねた。
幸人は暫く考えていたが「子猫が欲しい」と言った。
マサミチは子猫を買って幸人の家に行った。
子猫の名前は「リョータ」がいいか、それとも「流川」がいいだろうか。幸人は考えた。未耶と言う名前は付けない。何故なら未耶は猫では無いから。
散々考えた挙句「カントク」にした。
幸人は「カントク」と暮らした。
「カントク」は未耶の代わりに幸人を温めた。
マサミチは時々やって来て、幸人と話をした。
幸人は亀の様なのろさで少しずつ回復して行った。けれど心に残った喪失の悲しみと深い傷はどれだけ時が過ぎても消える事は無かった。
数か月が過ぎて今度はハラグロが尋ねて来た。ハラグロの土産も子猫だった。
「土産は子猫がいいって、マサミチが言ったから」
ハラグロがそう言って幸人は笑った。
久し振りの笑いだった。
幸人は猫の名前を「リョータ」にした。未耶の憧れだったリョータ。
ハラグロは仕事の話を持って来た。
「マサミチと俺で会社を立ち上げるんだ。一応代表者は俺達だけれど、コシアブラの連中に声を掛けている。ゲーム制作会社なんだけれどさ。ユキさん一緒にやらないか?」
ハラグロはそう言った。
「いつまでもオヤジさんの世話になっている訳には行かないだろう?」
幸人は暫く考えてこくりと頷いた。
「イラストは描けるようになったかい?」
ハラグロは言った。
「ああ。少しずつね」
幸人はそう返した。
あの事故から2年が過ぎようとしていた。
男を絶対に許さないと思いながらも、怒り、憎しみをその男にぶつける事すら出来なかった。
幸人はまるでもぬけの殻だった。
自分は只の殻。何の役にも立たない。
麗しい果実を失った用無しの殻でしかないと感じた。
幸人は帰るべき家を失くした幼子と同じだった。暖かい家を恋い慕う様に未耶を恋い慕った。
だが、探しても探しても未耶はどこにもいなかった。
加害者の弁護士から本人と家族が謝罪したいと言う申し出があったが、幸人は、それを断った。謝罪は受け入れないと言った。
幸人は長い間人と会う事を拒み、部屋に引き籠って暮らしていた。何もすることが出来なかった。マサミチのイラストを仕上げる事も出来なかった。イラストは誰かに引き継がれた。見兼ねた父親が家に連れ戻そうとしたが、幸人は頑として言う事を聞かなかった。父は時々幸人の様子を見にアパートに行った。
そして料理をして幸人と一緒に食べた。
幸人はまたイラストを描き始めた。未耶を描いた。毎日毎日描き続けた。そうやっていると未耶が死んだ事が悪夢の様に思えた。けれど寝て起きても悪夢は覚めなかった。
一周忌が過ぎた頃、一人の女性が尋ねて来た。
女性は自分が「ユリカ」だと言った。
未耶が大学の時にバイトで行っていた絵画教室の先生。
「ああ・・」幸人は思い出した。
老年に差し掛かった女性は酷くやつれて髪は白髪だらけだった。
女性は自分が未耶ちゃんを誘った所為でこんな事になってしまったと泣いて詫びた。床に伏せて泣きながら土下座をした。
幸人はそれを黙って見ていたがぼそぼそと告げた。
「起きてください。もう謝らないでください。謝ってもらっても僕は今、誰の事も許す事が出来無いのです。だから、あなたを許すと言う事は言えません。でも、あなたが謝ってくれたと言う事だけはちゃんと覚えておきます。あなたを恨んではいません。でも許す事は出来無いのです」
女性は立ち上がって、頭を下げて出て行った。
ブローチは未耶のクローゼットに仕舞ったままだ。
ある日、マサミチが訪ねて来た。マサミチはすっかり痩せて面変わりのした幸人に
「何か欲しい物は無ありませんか」と尋ねた。
幸人は暫く考えていたが「子猫が欲しい」と言った。
マサミチは子猫を買って幸人の家に行った。
子猫の名前は「リョータ」がいいか、それとも「流川」がいいだろうか。幸人は考えた。未耶と言う名前は付けない。何故なら未耶は猫では無いから。
散々考えた挙句「カントク」にした。
幸人は「カントク」と暮らした。
「カントク」は未耶の代わりに幸人を温めた。
マサミチは時々やって来て、幸人と話をした。
幸人は亀の様なのろさで少しずつ回復して行った。けれど心に残った喪失の悲しみと深い傷はどれだけ時が過ぎても消える事は無かった。
数か月が過ぎて今度はハラグロが尋ねて来た。ハラグロの土産も子猫だった。
「土産は子猫がいいって、マサミチが言ったから」
ハラグロがそう言って幸人は笑った。
久し振りの笑いだった。
幸人は猫の名前を「リョータ」にした。未耶の憧れだったリョータ。
ハラグロは仕事の話を持って来た。
「マサミチと俺で会社を立ち上げるんだ。一応代表者は俺達だけれど、コシアブラの連中に声を掛けている。ゲーム制作会社なんだけれどさ。ユキさん一緒にやらないか?」
ハラグロはそう言った。
「いつまでもオヤジさんの世話になっている訳には行かないだろう?」
幸人は暫く考えてこくりと頷いた。
「イラストは描けるようになったかい?」
ハラグロは言った。
「ああ。少しずつね」
幸人はそう返した。
あの事故から2年が過ぎようとしていた。